Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

その後の朝顔20

2015-10-30 | ギターの栄養



未明に咲いた今日の花

もう咲いてるか気になってるようで
夜明け前にパッと目が覚める

朝顔のお陰で一文の得






あっという間に夜が明ける


花は青なのに萎むと紫色になるんですね













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叶家の人々とのRH@カナフ 2015/10/29

2015-10-29 | ギターの栄養


平塚カナフのエントランスを入る時
大抵は雨が降っている、という
かなりの確率でのカナフに雨を降らせるカナフ雨男の僕ですが
今日はぎりぎりセーフ

どんより重たく曇った中、カナフに到着




先日は叶高さんのソロライブを、ここカナフで
ベースの山ちゃんと御一緒させて頂いたばかり


あのライブはなんだか良かった



僕のプレイの成長は
急激に派手なフレーズが増えたりはしないが
空間を埋める妙は年を追う毎に絶妙になって行ってくれてる気がする

歌のラインを聴いているオーディエンスの耳を自分のオブリガードで
邪魔だと感じさせてしまうぎりぎり手前で
ちょこちょこちょっかいを出しながら揺さぶる妙、とでも言えるでしょうか

或る意味、寸止めが上手?好き?なんでしょうか...僕って人間は

たまに僕のプレイを聴いた上で
僕という人間性を差して「エロい」とか言う人も居ますが

多分、エロいという人は
自分がエロいからエロい事に結びつける思考回路なんでしょう

僕は特別エロくもないです
(って誰も聞いてない事をどんどん喋って行きますが)





mosikasitara hontoha eroino kamo siremasenga...




。。。





こちらが叶家の方達(from Circus)

叶高さんと娘さんのありさちゃん



父娘で一緒に歌う人生が巡って来るなんて
(子育てもいろいろ大変な部分もあるのでしょうが…)
父親としたら羨ましい


僕にそういう娘が現れないかな…
アコギの独奏を信条とするするような娘


あ...
恋愛して子供作るとこから始めなきゃ駄目だったか…









ハロウィンが近いからですかね

出してくださったカボチャのプリンを頂きながら
カボチャのプリンをガソリンにしながら
僕一人で叶家の伴奏して行くわけです


そして中学生か高校の頃
テレビの歌謡番組で聴いていたCircusの曲なんかも数曲
僕の伴奏の上に歌が乗っかるわけです


ありさちゃんが主旋律を取る時
裏メロをタカシさんが入れてくると

裏メロって目立たないのに
ちゃんと記憶に刻まれてるんですね

あぁ、、、この感じ、、、昔、テレビで聴いた事ある...
っていう感覚が広がる


こういう面白さって
なかなか味わえないでしょうから
毎回密かに楽しんでます

或る意味、役得とも言えますね





タカシさんとやるきわどい曲
(ギターだけで伴奏するには難曲)
も「ギターだけだから逆に面白い」と
ありさちゃんの評を貰って調子に乗って来た僕


先日も僕のソロライブ聴いて
「ギター1本だけって良いよね」と言ってくださった方が居る


ギター1本だけでやることの音圧の薄さが気になって
そこを何十年もプレッシャーに感じながら
それでも独奏が好きで演奏して来たが

諦めずに続けて来たことで、そろそろ
薄い音が逆にかっこいい
という領域に
自分が俯瞰して入って行ける時期に差し掛かって来たかもしれません


実際に鳴ってる音だけが音楽じゃないから

音が鳴ってない部分を奏でる方がずっと難しく
そして魅力的だから

やっとこの年になって
そういうステージに上がれるような気がフッとしたRHでした


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔19

2015-10-29 | ギターの栄養


そして

咲いた花の一つ上に
もう次の蕾が膨らんで来た




なんでこんな寒くなる時期にこんなに活性化してるんだろう…

きっと自然の摂理に則った必然的な理由があるはずなんだよな…




それを考えながらRH行こう


楽しいな



今日はカナフDE叶家とのRH









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔18

2015-10-29 | ギターの栄養


気になって早起きしたら
やはりまだ薄暗いうちに咲いていた




明るくなって今はこんな




立派な花

冷え込む晩秋の空気の中でも
痩せていない花を咲かせる力があるんですね











コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔17

2015-10-28 | ギターの栄養


蕾がついたとはいえ
11月に入ろうというこの時期にホントに咲くのかと
ちょっと半信半疑な部分もあったのですが
知らぬ間に蕾がこんなに大きくなってました

きっと夜明け前には咲きますね





今日の昼頃はこんなもんだったのに














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔16

2015-10-28 | ギターの栄養


だいぶ寒くなって10月ももうすぐ終わる頃に蕾がついた

双子の片方
明日か明後日には咲きそう






そして後を追って成長する他の子たち













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の入口

2015-10-26 | ギターの栄養


昨日気持ち良い風がずっと吹いていて
街路樹の葉をサワサワ揺らしていたのは
秋から冬へ切り替わったからだったのか

夜になって急に冷え込んで
今朝は鳥の囀ずりが良く聞こえる

乾燥した大気の中に日差しが満たされていた


久しぶりに再開する関係があり
距離をとったままの関係があり
育ってゆく関係もフリーズしたままの関係もある

いろいろある中、今僕は鎮まっている

というより
猛ることなく自然の波長と同期出来ている


そのことが心を鎮めることと同じ意味だと
今は良く解る


そこに躍動が存在しても鎮まっている


躍動と鎮静

一見対極に思えるものが美しく共存している




。。。




今日は車でリハに出掛けた


運転中
車線変更で自分の前に入る車が
入った後ハザードで挨拶しないとムッとしがちなものだが
入ろうとするウインカーに気付いたら
それとなくアクセルを緩め車間を開けて入れてあげる


そして入った車がハザードで挨拶しなかったら
それはこちらからの威圧が無かったと言っても良いだろう
なんて考えると
どんどん入れてあげたくなる


こんな些細な事でも小さな徳が一つ積まれる

そして積まれる毎に僕の心は解放と自由を増して行く





運転しながら思考は展開されてゆく





高級車ほど品のない運転が多いのは何故だろうと
ずいぶん前に気付いたが…

ウインカー出さず車線変更
路肩に寄せず斜め駐車
火のついたままの煙草の投げ捨て
など
ステイタスを履き違えた傲慢


人間とは、富とは、そういうところに陥りやすいのだろう

そもそも金銭的な富とは人間が作り出した虚像なのだ



だが人の放つ横暴に
ただ頭に来て終わったのではつまらない

そういった愚かさを観察すると俄然面白くなって来る


上手く観察するにはこちらの気配を消す必要がある

気配を消すのは我を制するのと同じ

上手に観察することで
愚かさを含めこの世界は非常に面白い映画のように観えてくる


映画が教えてくれるのものの真骨頂は
人の愚かさや素晴らしさとかではなく
俯瞰することの面白さ
なのだろう


だから人の愚かさ素晴らしさばかりにスポットを当てた作品は
どこか胡散臭さが残る






今日はスルスル思考が流れるようだ…






。。。






早く着いたので少し時間潰して

始まって

音出しの前に世間話してリラックスして

音出して


休憩時に自分の息子の話しになって
普段は蓋をしてることを
久しぶりに真正面から思い出して僕は少し熱くなったが

息子と離れざるを得ないことになった時期の
自分の中の溶岩が噴き出すほどの激情が
今はよくここまで沈静化されたものだと
我ながら自分の心の持ち用に感心したのだった


振り返ってみれば
僕の人生は
とうてい堅気のものではない

そんなつもりもなかったが
かなりの波瀾万丈になっている


今日のRHの相方さんからは
「そういう全てが音に出てるんだね~…」と言われた



なるほど…



ならば、幸か不幸か手にしたこの自分の音を
感謝して奏で
生きて死ぬだけである














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔15

2015-10-24 | ギターの栄養


すっかり秋も深まったこの時期に
こんな蕾?が幾つか実りました

まだ花を咲かせるチャレンジをするんですね




しかし夏とは全く違うこの毛深さは何?

寒いから自家製ラクダのパンツってことでしょうか


健気だけど...
ウケるなぁ





このラクダ朝顔が
どういう仕組みで僕を愉快な気分にしてくれるのか
ちょっとざっくり分析してみた



健気だけど、ちょっと天然ボケが入っててウケる
みたいな状況またはキャラってチャーミングだと思うのだ


何かや誰かに接して
おっ!チャーミングっ!と感じる瞬間は
その対象者は必ず無心になっている


周りの評価を気にしないところで無心に没頭してる姿が
良い意味で格好悪い
そして格好悪いところが、こちらから見れば愛しい


そもそも好感を感じる天然ボケとは
人為的な思考からのものではなく
生きるための必然から生まれたものなのだと思うのだ

人為的思考から放たれたボケは
異物感が強く喉を通らない


。。


もともと人は人に干渉する生き物で
干渉は良くも悪くも重たい存在であり
干渉は依存と密接に繋がっている

人がバランスよく繋がるには
また風通しよく清々しく生きたいなら
干渉しない覚悟をすることだ



チャーミングな者は僕に干渉してくる余裕も無いほど
なりふり構わず何かに没頭してる

僕から干渉したとしても
チャーマーは干渉し返さない

そして干渉されない空気の中で
いつしか僕も没頭に促されている


没頭は
頭の中の世界のことであり
その広さは無限であり
目に見える世界の比でない



。。




干渉の無いチャーミングは平和から生まれて来て
同時に平和を育てる



チャーミングな言葉選びで語り
チャーミングな行動をしながら(時にはジッと動かず語らず)
チャーミングに年を取りたい




。。





植物などに触れて
あぁ気分が良い、と感じる時
僕の中では上記したような
生きるための必然を導き出す論理の演算計算が為されている
、らしい


左脳的にはこんな理屈っぽいことを一瞬のうちに右脳で把握し
それを
自然に触れると無心になって気分が良い
などと表現しているのだろう



どこまで行っても宇宙の果てが見れないのと同じように
秋の朝顔を入り口にして何処までも深く無限に入って行ける



だからこの無限の前では僕の屁理屈などほんのお耳汚し

笑って読み流して頂きたい













コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015/10/16//@平塚カナフ

2015-10-16 | 過去のライブ後記


ここんとこ結構晴男だったのに…
また雨男に戻ってしまったようで



カナフにライブに来て
このエントランスが濡れてない光景を
果たして今まで何回見れたことやら




そういえば数日前のいわきも雨でした


いわきのソロライブでエネルギーの蓄えを全部使い果たしてしまった僕は
まだ充電しきれてない状態で今日のための仕込みを
ヒーヒーやって今日に至ったようなわけで

でもきっと大丈夫

1本なら折れる矢も3本になれば折れないと
どこかの偉いお侍が言ってたですから

今日はトリオのアンサンブル

力を寄せ合ったり譲り合ったりしながら
立体的にサウンドを紡ぎ出して行ければ、と


ベースの山ちゃん
(しかし僕のブログに登場する時はザキヤマ隊長という呼び名になる)

くだらない話しをしながらセッティング


「そろそろ大丈夫ですか?」とタカシさん

「だいじょぶで~す」





RHは大変リラックスした状態で進み
ゆる~く確認事などしました

そう
確認はゆる~くしただけなので
皆でその後、本番では全部忘れました

そういう物忘れおやじトリオ


でもいいんです
心に届きさえすれば
3人ともそういうのわかってるから安心してゆるく居られる


こういう感じ
好き



。。。




RH終わって僕は珈琲頂いてます


ザキヤマ隊長は一人残って譜面チェック

ベースを弾くこのフォーム
小さく「シェ~」をしてるように見えませんか?






「シェ~」ってこれのことね





。。。



隊長の譜面チェックは続く


というか
「小さなシェ~」は続く




ピアノ越しのシェ~












テラスからのシェ~





入口付近からのシェ~





そしてやっと自分にOKを出した男ザキヤマ隊長





僕は楽屋に譜面持ってって
結局隊長と体調不良自慢しっこして
譜面確認せず




美味しいグリーンカレーを頂いて
本番になりました





その後のことはご覧になってくださった皆様がよくご存知のことですが


ゆるく
艶っぽく
泣きのツボをたまにグリグリしつつ
お喋りは馬鹿っぽく


落ち着いた中にも曲に織り込んだ想いの緩急がある
良いライブだったように感じました
(と、自分で言っちゃう)



このトリオでの今後の予定は全くありませんが
忘れた頃にまたお目にかかれることになるであろうと思われます


そんな次回には是非ともっ

隊長の小さなシェ~を見がてら
艶っぽ~い音を聴きに来てくださいませ












コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔14

2015-10-16 | ギターの栄養


この夏、僕に潤いをくれた朝顔の日記は

子供の頃以来に見るような虫とか遊びに来て

最後には無事に種も穫れ葉も黄色に枯れて落ちて行く中

これの一つ前の13で終わりかと思ってたので

14を書く事になるとは

感慨深いです



次々に黄色く枯れて葉が落ちてゆく中
葉があったところの付け根から小さな芽が出ていたのは知っていたが
消え入る手前のロウソクが一回だけ燃え上がるような命の終わりかと思ってた

でも
こんな感じから伸び始めて











そして別の付け根
落ちると思っていた葉が
落ちずに数枚だけ残っている所から出た芽は
なんと今日はこんな小さな蔓まで伸び始めているのです





そしてなんとなんと
この子を拾って来たあの砂利の駐車場

容赦なく刈り取られてしまった跡に今この光景






こういう光景と共に生きて

場が頂けるうちは奏でながら

生かさせて頂きたい











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10/16@カナフ  の   RH

2015-10-14 | ギターの栄養


今日は叶高さんの~秋の夜長にバラードを歌う~のRHで
ベースの山崎洋さんちにお邪魔しました

アコースティックは家でRH出来るからいい








無類の子供好きなタカシさんと、僕も
山ちゃんの娘ちゃんに逢いたいので
山ちゃんちをRH場所にしてもらいました


恋愛マスターならぬ子供マスターのタカシさん
下校して来た娘ちゃんを早速膝の上に





それから真面目にRHして

音合わせ終わったらまた早速、膝上再開




















子供の笑い声は幸せをもたらしてくれますね



こんな大人達3人で
ほっこり秋のライブ、カナフで明後日やります


よかったら来てねっ








p.s

そうそう
たかしさん

サーカス5曲入りニューアルバム ”POP STEP JAZZ” 2015年10月14日リリース
おめでとうございます!











コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015/10/10 // いわき a noeud(ア・ヌー)

2015-10-11 | 演奏記録


今日、10/10はいわき市のカフェ ア・ヌーさん
自分のソロライブを公演させて頂く

アヌーさんはお花屋さんとカフェがくっついているらしい

花の近くで演奏出来るのが嬉しい
こういう感覚って若い頃には気付かなかったけど


このライブを主宰してくださったのはアヌーさんと
いわき市在住の高原さんという方

高原さんは叶タカシさんとのユニットWoo!Long!High!でいわきに伺った時に
演奏を聴いて頂いてからのご縁になる

今回は高原さんに歌って頂く合奏の場面もある


ギターの伴奏音源を事前にお渡ししてはあるのだが
離れているため実際に音を合わせるのは今日だけになってしまう

なるべく早い時間に着き
リハ時間を捻出するべく暗いうちに出発した






福島に赴くのは確か今回で4回目だったと思う


311で大きな痛手を受けた福島


当事者ではない自分が軽はずみなことは言えないが
聴いてくださる方達の
ほんの少しでも心の休息に成り得たら嬉しい



。。。




首都高から常磐道へ

久しぶりに乗った首都高は飛ばす車ばかりで疲れてしまった




自分が奏でる時
ギターの音色をちゃんと繊細にコントロール出来ているか判断するために
耳を最大限に研ぎ澄ませることで
僕は多くの喜びを受けているが
その状態で生活していると
同時に都会の騒音は暴力的過ぎて神経が壊れそうになる


都会で生活するために鈍感になり
緩慢に馴れ合った音を出しながら生きるのは嫌だ

この先もギター耳を研ぎ澄ませてゆくなら
僕は遅かれ早かれ都会には住めなくなるのだろうと
ぼんやり思っている



常磐道に入りやっとホッとした

時間的に順調に来てるので守谷SAで休憩



のんびり走ってるので燃費がかなり良いよ




常磐道はとても暗くて
前後、対向車線の全てに車が見えなくなるタイミングになると
バックミラーに幽霊でも映り込みそうな気がして急に心細くなる


暗いバックミラーの中に自分のオデコあたりが
蒼白くぼんやり映っているのが気になってしょうがない

なんとかせねばと
ミラーに向かって笑ってみたが
真っ暗な中にぼんやり見える笑った蒼白な顔の方がもっと不気味だった...



。。。



中郷SAで2回目の休憩

少し空が明けてきた





この後
薄曇りのためかミストな美しい朝焼けが広がった














。。。





無事いわきに到着

早く着いたので車中で少し時間を潰してから
用意して頂いたリハーサル場所へ




僕のDuoのやり方は
どちらか一方がもう片方に合わせることをしない

ギターを伴奏者にしてしまわず
歌の心に相づちを挟むようにギターも語らせてゆくのが好きだ

心地良いアンサンブルというものを自分なりに何十年も模索するうちに
いつからかこういう形をとるようになっていた






お互いがそれぞれに信じている音を持ち寄って
それを相手に委ね、受け入れ合いながら
アンサンブルを作って行く僕流のこのDuo法則は
人間関係を素敵に営むための
幾つもある方法の中の一つと同じだと思う


誰と組んでも
人間同士お互い好きでなければ
僕にとってDuoは成り立たない


だから僕にとっての音楽は
やはり、音の手前に人在りき
なのだ






音合わせはいつも時間があっという間にワープする

心地良く会話していると時が経つのを忘れるけど
言葉でではなく音であってもそれは同じなんでしょうね


きっと僕からギターを取り上げてそのまま放置したら
語る道具を無くした僕は相当なお喋り好きな爺さんになるだろう

「あの爺さんは喋り出すと長いから」
と周りから煙たがられる爺さんになるだろう

いやきっとそうなるに決まっている


周りにご迷惑をかけない意味でも
爺さんになるまで僕にギターを弾く場を与えてやって欲しい


この爺さんは腰が重く
部屋の中でギターを触ってるか考え事ばかりしてるので
なかなか自分から重い腰を上げない


だからといって決して怠け者なわけではない


誰かに背中をドンと一発押されさえすれば
結構なとこまで頑張れる爺さんだと
ここに宣言しておく




。。。





お昼手前に会場であるアヌーさんへ移動した





壁の白と植物の緑と反対色の家具で構成された清楚な空間

この部屋は
洋梨の赤ワイン煮とブルーベリーとミントの葉を乗せたショートケーキだ






ご挨拶をして
自前PAセッティング開始


今回のように自前の限られたPA機材でやるような時は
自分が弾きやすい音場に近づけることに僕はかなり神経質で
本番のエネルギー取っとかなくて大丈夫?
と自分が心配になるくらい試奏と修正を繰り返す

でも結局いつも
これで全て手放しに安心なんて得られない

ライブは生ものだから
仕込み時にいくら細かく決めても
本番でいくらでも変わってしまう

わかっていても開場時間が近づくまで毎度のように試行錯誤を繰り返して
開場時間になり楽屋に引っ込んでからは
本番が終わるまで
プレッシャーに押しつぶされそうな時間がずっと続く

今日も例外無くそういう時間


今まで本番前に
逃げ出したいと思わないで臨めたソロライブがいったい何回あったか

それははっきりゼロだと言える





放った音はもう二度と引っ込める事は出来ない

放った直後に聴き手の耳や五感から入り込んで行ってしまう音は
すぐに聴き手その人の記憶や現在の心の状態と関わり合いながら
その人のものになってしまう

音を放つ方としてはもう俎板の鯉なのだ

せめて精一杯誠実に放つしかない





そして終了

これでやっと呼吸が出来る

終演直後の自分を見てみたくて自撮りした






。。。



終演後アヌーさんのご好意で
会場での打ち上げをして頂きました

お客様も残りたい方は1000円で参加自由

こういうの初めてかも


僕は100%と言っていいくらいライブには車で行くので
演奏が終わると当然飲まずに帰ってしまう

シラフの状態ではハードワークの本番演奏後は
僕は一刻も早く独り静かな場所へ行きたくなってしまう

だから申し訳ないと思いつつも
聴きに来てくださった方達と終演後に滅多に話したりもしないのです



それが今日は車を置いて行っても良いとのご好意で
晴れて僕も飲みながら聴いてくださった方達とお話しさせて頂いたわけです

嬉しい時間でした
珍しくだいぶはしゃいだかもしれません

アヌーさんにも残ってくださった方達にも感謝しています



これは残ってくださった方達とお店のスタッフさんと集合写真


顔出しNGにしてって念押しされた顔見知りさんもいたけど
これしか集合写真無いから出しちゃうもんね
大丈夫、、^^ 顔出ししても死にゃぁしない




そして次は

これはですね
本邦初公開なのですが

僕の後に守護霊のようにおわせられるお三方

未熟な僕の音をずっと支持してくださってる
(或る意味物好きな...いや冗談はさておき)有難いお三方です


僕の音楽家人生に勇気をくださっている(七福神ならぬ)
三福神様

宝船の上から皆様の元へも縁起の良い風を吹かせております





そして二日前に誕生日だった僕にケーキも頂きました
ありがとうございました





断片的にだけど記憶に残っているような印象深いこと
本番中に心が動いた事なんかも沢山あると思うのですが
ちょっと言葉では上手く書き表せないみたいです


とにかく濃い1日でした



誰かのサポートではなく自分が看板での演奏は
始まる前は毎回逃げ出したいくらいのプレッシャーに押し潰されそうになり
そして終わってみれば
毎回嬉しさと感謝しかありません


榊原長紀 Solo Live @ noeud(ア・ヌー)

関わってくださった方達
足を運んでくださった皆様

ホントにありがとうございました




車で送って頂きホテルチェックインして
知らないうちに気絶したように眠ってしまったようです







。。。








翌朝は雨




今日は高原さんと高原さんが間もなく10月18日にオープンするという御茶処
「地蔵庵」のソムリエさんお二人に
311の傷痕が残る地域を案内して頂く約束をしている

社会的なこと何も勉強していない自分
そして被災の当事者でもない自分

ただ被災なさった方たちと同じ人間同士として
見たまま感じたまま自分の中に取り込み
生きてる間の浄化の課題にするつもりで連れて行って頂くことにしたのです




まずは機材と車を取りにアヌーさんへ

朝の光が入る店内は心地良い静けさの中に在った




お店の皆さんにご挨拶をしておいとま
皆さんがニコニコ見送ってくださって嬉しかった



まずはいわきから
つい最近避難解除された楢葉町に移動する

添付地図に町名が出てないが
広野町と富岡町の間が楢葉町になる




楢葉町は高原さんのご実家がある地区であり
またご実家の一部が地蔵庵になっている

復興への足がかりにという想いを込めて
茶庵を始めることになさったそうだ


移動する途中
いわきから四ツ倉に入り国道が海沿いになると
さっそく津波により崩壊した建物が現れる








慌てて写真を撮ると
「これはまだまだ序の口なんですよ」と言われた




まずは楢葉町 地蔵庵に到着

緑の中で長閑に沢山の鳥が鳴いていた







あ...入り口に地蔵さん
早速対話を試みる

(こういう独り遊びが好きなんです僕)







「すみません
入っていいですか?」と僕


「まぁ駄目だとも言えんじゃろが...」と地蔵




じゃ失礼して
と庭の奥へ

春には綺麗に花盛りになるのでしょうね






池に見たことの無い水草



可愛い





そしてこの子

名前はケン君




震災の避難ではペットを置いて行かねばならなかったそうだ

家族のようにペットと暮らしておられた方には
身を切られる想いだっただろう

連れて行く事が出来ないために
タライに一杯の水と沢山の餌を置いて避難なさったが
戻る頃には多分生きていないだろうと諦めていたところ
生きていてくれた


近寄ると傍に寄って来るが
すぐ瞳は逸らせ遠くを見てしまう

きっとこの子にしか解らない強い孤独を体験したのだろうと想像した



せめて残りの命を穏やかに過ごして欲しい



。。



311の地震が14:46だったそうだ


屋内には
激しい揺れで床に落ち
落ちた直後14:47で止まったままの時計がそのまま残されて在った







楢葉町 地蔵庵に僕の車は置いて
高原号に3人で便乗して出発した


ここから先は警察の管理が厳しく
他県ナンバーの車はすぐ止められるからだそうだ



第1原発がある大熊町の方へ北上する



避難していた期間に
そこここの畑はセイタカアワダチソウが伸び放題になってしまった中
誰が種を蒔いたか
ある区域だけ一面コスモスの花が咲いていた






種が落ち自然繁殖してるのだろう
このコスモス畑は年々広がっているそうだ


。。。



高台にある天神岬スポーツ公園




ここから下に
かつて津波にさらわれた地域が一望出来るという

そして今は汚染残土置き場になっている


行政はあくまで「仮置き場」としているが
受け入れる他県は無いだろうから
結局ここが最終置き場になるであろうと高原さんはおっしゃった

誰にとってでも同じだと思う
この不浄の存在と共に同じ地で生きてゆかねばならないとしたら
人はどれだけの葛藤を背負うだろうか


適当だけどパノラマです
一枚一枚クリックすると拡大されます



「これから隣りの富岡町へ入ります
ここはまだ避難命令が解けていない地域ですので
車の窓は開けませんが
榊原さんホントに行って大丈夫ですか?」
と高原さんから聞かれる

「はい大丈夫です」と答えた



富岡町は3分割し、そのうちの一つは2年後に避難解除になることが決定しているそうだ





国道6号を越えて津波が押し寄せた地域では
南北に走る6号の西側にも崩壊した家屋が今もまだ残っている






海の近くだったため駅ごと崩壊したという富岡駅跡へ向かう

駅舎のあった辺りに黒い袋に入れられた汚染残土が置かれているのが見える



国道から坂道を下りて行くとそこには
痛々しい風景が今も残っていた











海水に押し流された車が家屋のところで塞き止められ積み上がったままになっている






先ほど坂の上から見えていた汚染残土




この場所の放射能値が表示されている
0,264と表示されている




隣りの楢葉町 地蔵庵で今0.06くらいだそうだ

車で僅か15分ほどしか離れていないがこの場所は
おおよそ4倍の数値だということになるようだ


富岡駅跡を出発した






高原さんに最終確認を受ける

「ここから第1原発がある大熊町に入って行きますが
放射能の数値もグッと上がります
榊原さん大丈夫ですか?」

「大丈夫です」










人が住めなくなったが故に
植物は緑を生い茂らす

それを緑豊かな美しい風景と見る事も出来る

でもここに暮らしていた人にとっては
暮らせなくなった事、故郷を失った事と
緑が生い茂ることは同義だから
この緑が悲しいだろう





手つかずの緑を見ながら大熊町の住宅街に入る


今自分等が走っている国道は
南北に通り抜けるために開通してあるが
全ての家屋はゲートで閉鎖され中に入れない









そして家屋だけでなく
国道から横に入る道も全てゲートで塞がれ
必ず警察官なのか警備員なのか、が立っている





大熊町は国道に放射能汚染数値が表示されている

3.866とある

先ほどの話しによるなら楢葉町の0,06の64倍ということになるだろうか







その後すぐに出て来た表示板
夫沢方面に右折すると第1原発があるという

僕らは行けるとこまで行ってみることにした




右折







避難で残された養豚が野生化し野生のイノシシと交配し
イノブタが物凄く増えてしまっているそうだ

汚染されているため食肉には出来ない
焼却も出来ない

捕らえて絞めて
巨大な冷凍庫に保管されているそうだが
冷蔵庫がどんどん足りなくなっているそうだ

残された豚も我々人間と同じく
命を全うしたいだろう

必死に生き延び人間と同じように子孫を残すべく交配し
そしてまた人間に捕らえられ殺される




原発まで1.5キロ弱
巨大なクレーンと建屋の屋根が少し見えるとこまで行ったが
警察か警備員か
とにかくこの先には入れない





Uターンして戻る事に






毎日7000人の人間が第1建屋内で働いているそうだ


先ほどあったゲートの警備も想像ではあるが
警察ではなく警備会社なのではないかと話した


人間が1年に浴びて大丈夫な放射能値の設定をオーバーしてしまうから
1ヶ月丸々は働けないそうだ

入れ替わり立ち替わりしながら
毎日7000人働いているそうだ


避難解除された楢葉町だが
「本当に大丈夫なのか?」と懐疑的になり
戻りたいが戻る事を迷う人もまだ多いという


復興を希望の光として
その足がかりを、と率先して戻った人もいる



震災以前レストランだった場所は
解除後レストラン再稼働して
建屋で働く人達のランチで大繁盛だと言う



この町の中には
原発の仕事をして人生を生きていた人達も沢山いらっしゃるし
もともと反対していた人もいらっしゃるだろう

そういう人同士が
この町のスーパーや飲食店で普通に隣同士に擦れ違っていただろう



高原さんは
ご自分が子供の頃にすでに原発は存在していて
遠足で行く場所にもなっていた
と話してくださった


敷地内には芝生があったり
原子炉を囲う分厚いコンクリートの上に子供達も乗っかったり
子供にとって何か楽しい場所に感じ
絶対安全なのだと聞いて育ったそうだ


東京の品川区に生まれ育った僕にとって
小学校の頃の遠足は津田沼にある「こどもの国」や
社会科見学で行った大田区のアサヒビール工場だったり

そういう遠足等で行ったような場所は
僕のノスタルジーの中に組み込まれてしまっている

当時子供だった高原さんたちにとって原発は
僕にとってのこどもの国と同じ
郷愁や自分の原風景だったりする現実がある


汚染が人の命に関わるものであっても
自分の故郷と自分の郷愁が悪者にされたら
それは理屈抜きにその人にとっては悲しいことだろう




7000人の人達や
ゲートのところに立っている警備の人は
普通の仕事よりきっと高い給金を貰っているだろう


もし誰も
いくらお金をもらってもこういう仕事には就かない
と拒絶したらどうなるのだろうか


日本人は貧しい外国の人を雇って危険な仕事をさせるだろうか
既にそういう話しも耳にする


ではもし
そういう外国の人も
お金を幾ら貰ってもこういう仕事をするのは嫌だ、と
やる人が一人も出てこなかったらどうなるのだろう

この世界の人たちが皆
お金よりもっと大切なものをはっきり感じて生きていたら
この人類のストーリーはどんな風に変わって行っただろう
そして
これから先どう変わって行くだろう


人間は便利なものを得る毎に
自然の摂理から離れて行く
神から見捨てられて行くと言い換えても良い

神様から見捨てられ
人間の手で修復しようとして堂々巡りをし
悲しみを増やして行く

悲しみは怒りに連鎖し
傷つけ合う行為へと流れ込む



人間はもっと慎ましく生きたらどうだろうか


お金のかからないものと不便の中で
人は十分に人生の充実を得られる能力を持って生まれて来てるはずだ









楢葉町へ戻る途中
第2原発の方へも向かった





第二原発建屋まで1.3キロ








建屋が少し見えるとこまで行ったが
やはり同じように通行止め
そしてUターン


第2からは海岸沿いの道で楢葉町に戻った








避難解除されたこの町にも
こういう風景が存在してる

やはり「仮置き場」と書いてある看板を車内から目撃した











「とりあえず仮なんで」と言われて
他人の汚物を自分の頭の上に乗せられて嫌悪しない人はいないだろう

しかも、仮
と言っておいて
いつの間にか自分の頭の上に汚物を置いた人は
行方を眩ませてしまう場合もあったらどうだろう

人の中には悪もあるが善も宿っているのに
何故、こんな事になるのだろう

便利を求め自分の手に負えないものに手を出すからではないだろうか


演奏というものは
誰も何一つ助けてくれない

良い演奏をしたいなら面倒な反復練習も避けては通れない

面倒な反復練習を徹底的にやっても
失敗し打ち拉がれる

それでもまたコツコツ真直ぐな心で向き合って進むしか上達の方法は無い



幸せに生きることが出来る方法が
もっと身近にあるはずだと強く思いながら
案内して頂いた車の中
後半はほとんど黙っていた自分だった





理屈では人の心に決して届かない

届かないどころか
むしろ誤解を増やすばかりだろう

そして今ここに僕が書いていることは理屈なのだ



僕がするべき事は
自分の道として、また
命の仕事として選んだこのギターというものを使って
理屈を持ち出さずに
お金以外でもっと幸せになれることがこの世界には在る、と
ほんの少しでもいいから示す事なのでしょうね


そのことをよく自分に言い聞かせました










。。。





地蔵庵に戻りました



またケン君に話しに近づいた


キミの目が僕を素通りして遠くを見るのを
僕が寂しいと感じて
僕の方に向いて欲しいと思ったら
理屈じゃなくキミに全霊で接しなきゃ
共有の入り口にも立てないよね







今日という日の最後のイベントになる




地蔵庵
お座敷にお邪魔して
日本茶のソムリエさんに煎れていただいた玉露を頂いた


その
味わうということの楽しさ奥深さに
カルチャーショックを受け
写真はほとんど撮れませんでした


茶葉を育てるところから茶道は始まって
土、太陽、水、日射の受け方
湯加減や煎じる時間
そして煎じ上がるのを待つ時間さえも
お茶の味に影響している



舌の上に乗せて転がしたたった一滴のお茶の風味が
原発で熱く覚醒した僕の神経を
あっという間に静かな時間へと誘ってくれた


同じ茶葉で
一煎目から五煎目まで頂き
その味の変化を楽しんだ

あげく
五煎目を終えた茶葉を
食すという
これまた生まれた初めての体験をさせて頂いた


なんて美味しいのだろう


添加物の無いお醤油を
楢葉町の水道水で薄めたものに
ちょん付けして
煎じ切ったあとの茶葉を頂く


ここにもさっきと同じ教訓がありありと現れている


手間をかけずに長期保存出来るからと
子供の頃から添加物の入った食材に慣らされてしまった僕の味覚


人が惜しみなく手をかけたものが
どれだけ美味しく
また心地良い音か
そういうことに人はもっと気付いても良い

その方が皆で共に幸せに生きられるから



すみませんっ、ご飯くださいっ!
あまりに美味しくて...






こうして僕のソロライブの行程は全て終了しました





お世話になりました福島



東京に戻ります






音も精神も語る事も
まだまだ未熟です

きっと生きてる間
ずっと未熟だと感じ続けると思う


こんなのは苦しいけど
でもだから感謝を学習してゆける



結局今回も全て終わってみれば
多大な発見と感謝と喜びを貰えた時間でした




関わってくださった全ての方に
嘘偽り無く
心から御礼申し上げます







ギタリスト

榊原長紀


















































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔13

2015-10-08 | ギターの栄養


落ちた葉の付け根から小さな芽を出した



無事に種も実らせ
葉も枯れ落ちた後に小さな新芽を出して
この後どうなっていくのかな



そして良い天気


糸屑の付いたぺらぺらの座布団に太陽の恵み












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソロアルバム制作日記

2015-10-02 | 榊原長紀 「キミと僕」



今、とてもゆっくり制作している自分のソロアルバムは
北海道在住の菊池さんという方がプロデュース&コーディネートをしてくださっています


菊池さんは音楽業界の人ではないのですが
僕にとって過去に出会ったプロデューサー的ポジションの人達の中で
一番自分の波長に合っている方です

離れた地に暮らす者同士、メールでやり取りしながら
お互いに丁寧にリスペクトしながら少しずつ進めています


今日は菊池さんの橋渡しで
アルバムの挿絵をお願いすることになった小田啓介さんという
画家さんの個展を観がてらお会いしに出かけます


小田啓介さんの個展は
10月1日(木)~15日(木)までの19:00~25:30 日曜定休
阿佐ヶ谷の ぱすてる屋さんというお店で行われています




小田さんとは今日が初対面になりますが
写真で拝見すると大変柔和なお顔


菊池さんを挟んでの事前にメールでの行き来では
挿絵のリクエストに
「インナーチャイルドを描き出して欲しい」と
大変抽象的なリクエストをしてしまった僕
(インナーチャイルドという表現にも賛否両論あるでしょうが…)


こういう題材自体
言葉であーだこーだと扱える領域をはみ出しているでしょうから
今日初めてお会いしていったい僕は何を話すだろう

全く自分に予測がつかない中
ゆっくりと出かける支度をしたのでした






。。。







個展の開場時間は19時から25時半ということなので暗くなってから出かけた








暮れたばかりの空は綺麗な藍色で
街灯や車のテールランプとの対比が幻想的に感じた


目の前を自分と同じ方向に流れて行く幾つもの赤いテールランプを眺めながら思った


表現者という職業を選んだ自分として普段は
なるべく群れず、唯一無二の個性を産み出したいという想いに囚われているが
この赤いテールランプの群れと同じように
流れに身を任せ
そしてそれで心地好いならこんな楽な人生はない


ただ摂理に反した主張をする群れに則するのは嫌だ

そして人間は群れると大抵は摂理を見失い
正義から出発した行いも簡単に正義ではなくなり
そのことになかなか気付けない

摂理に則した人間はそもそも群れて主張する事は無い
ただ自然とリンクして鎮まった精神で生きているだけだ

摂理に反した自己主張なら
むしろ皆で我を捨て
流れに則した方が世の中は穏やかになるだろう


ずっと夜の灯が
ケンタウルス祭の電飾のように感じ
フワフワした気分のまま運転した



賢治の魂が傍に居るのかもしれない





。。。





途中コンビニでお茶を買ったが
一口飲むとあまりに薬品臭くて驚いた


防腐剤など添加物のこともあるからと
最近コンビニの物を食べてなかった
だから味覚がピュアになっているのだろうか

健全な方向へと生活スタイルをシフトするほど
健全な場所や健全な食品があまりに少ない現実に直面し呆然となる


自分や身の回りの僅かなスペースくらいを
浄化するのが精一杯な非力な自分であることを想う



大量の添加物の存在に気付かぬまま
麻痺した味覚で大量生産の食品を
安いし旨いし、と食べ続けて死ぬのと

添加物を避けて身体をピュアに保ちながら
この世界の汚れの多さに愕然としながら生きて死ぬのと
どちらが幸せなのかすら見失いそうになる



目に見える汚染以外にも
目に見えないものまで含めたら
人間は取り返しがつかないほどに
この世界を汚してしまっているのだろう

自然のパワーの前に人間は淘汰されるか
人間がガン細胞となって自然を滅ぼすのか
そんな世界で自分はどんな生き方が出来るのか...


そんなことを考えているうちにパステル屋さんに到着した







。。。





僕が到着した時にはまだ小田さんは来ておらず
狭い店内に展示された絵を眺めて過ごした


展示された絵はほとんどが油絵作品だったが
一番端に一枚だけ銅版画があった

一枚だけなのを不思議に思ったが
それは僕に見せるために今回
持ってきてくださったと後で知り恐縮した


セピア色のその銅版画は点と線がとても繊細で
小さな吐息でも飛んでしまいそうな砂絵のように
心地好い儚さを醸していた


砂粒より小さな針先で一点一点描いてゆく行程を想像し
自分が奏でる時
一音一音を針の穴に糸を通してゆくように感じるのと
同じようなバイブレーションだと思った

極論的な言い方だが
同じようなバイブなら題材を何にしても
僕の音と小田さんの銅版画は解け合うだろう


菊地さんは最初から銅版画を推してくださっていたが
ネット上の画像検索で観るだけでは
僕の愚眼には油絵作品も銅版画作品も
どちらがしっくりくるか判断が出来なかったのだが
実物を見たら一目瞭然だった


自分も銅版画に一目惚れし
最初から銅版画を推してくださっていた菊地さんのアンテナにも
改めて信頼を増した

そして小田さんも「銅版画で」と考えていることを伺った時点で
未知なる不安要素の大半はクリアーされてしまった


僕は足し算ではなく引き算の音楽でありたい


マクロよりミクロを描きたいのだ



。。。



北海道在住である小田さんの発言で
今日一番ホッとして好きだったのがある

「お気に入りの森の中を散歩しているようなバイブレーションの時
それだけで心地好くて
『ああ仕事したくないな』と思う(笑)」
というような意味の事を語られた時だった


(大変おこがましい言い草だとは思うが)
仕事としてもプロフェッショナルにこなしておられる小田さんの中の
「仕事では片付けられない部分」を
僕は無意識のうちに探していたように思う


そして自分にとっても
仕事では片付けられない部分が
このアルバムには盛り込まれていることを客観的に伝えようと話し始めたが

話すうち
アルバムに託した自分の想いに執着してしまい
それはだいぶ主観に寄ってしまった感もあり
いつからか僕は顔が紅潮し身体が熱くなっていた


お店が暗めだったから助かったが
明るい場所ならば、極度に緊張した人か
追い詰められた精神状態の人に見えたかもしれない


やはりそれほどにこのアルバムは
自分の壊れやすい聖域を扱ったものだと再認識したのだった


菊池さんに背中を押して頂かなければ
僕はこのアルバムの曲達を
きっと未発表のまま棺桶に入る事になっただろう




レコーディングでは自分を追い込み過ぎて
突発性難聴を発症してしまったが
僕の中の痛みや闇が
ささやかな光に転じられますように、という願いを杖にして
音はなんとか残すことが出来た

でも
きっと僕だけの力では自分を信じる力が弱いために
録音し終えた全てをまた自責し捨ててしまっただろう


菊池さんや小田さんという
自分とは違う光や傷みを持った人の力を分けてもらって
非力な僕のアルバム制作はなんとか進んでいる


そして僕の音色の中の憂いは
こうした闇や葛藤から生み出されている




。。。




人は無限の可能性を秘めているが
その中のほんの僅かしか使わずに人生を終えてしまう


いろんな場所やいろんな人の前で演奏してきて
音楽はその可能性を開く良ききっかけになる存在だと知った


このアルバム制作は
僕自身の中の固まってしまった部分を解凍し
解放するためのカリキュラムでもあるように感じている


自分自身の解放を導いてくれる音ならば
それを以て人様に奏でかければ
生きてる間の多少の善行となり得るかもしれない




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の朝顔12

2015-10-02 | ギターの栄養


昨夜はひゅ~ひゅ~という風の鳴き声に神経が立ってなかなか眠れなかった

強い風が吹き荒れたせいか今朝になって
朝顔の種が一つ弾けて開いて中身が無くなっていた




収穫前に種を飛ばされてしまったと残念がるのは人間の傲慢だろう

朝顔はむしろ強風が吹いて
子孫を遠くへ飛ばす絶好のチャンスとばかりに殻を開いたのだ

来年ひょんなところであの種が咲かせた花に出会えるかもしれない


自分自身を含め人間という生き物の愚かさを感じる毎に
人間からは適当な距離を取りたくなり
その分 植物や人間以外の生物との距離感が縮む感じがするが
同時にそれらに対し畏怖も抱くようになって行く







生きるにあたり理不尽な恐怖は不要にしたいが
畏れを持ちながら生きることは必要なことと思う




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする