Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

Club 333

2009-12-16 | 過去のライブ後記




今日の東京タワーは、本番が始まる前
何でか上手く説明出来ないけど
感じた一瞬一瞬を切り取って、言葉にして残したいと思ったので
思ったことを携帯にメモした







【1st手前の手記】




本番の前なのに身体の中から温まってるのって
例えば今日みたいにオープンリハーサルだから緊張して火照るのもあるだろうけど
でもきっとそれだけじゃなくて
オーディエンスの方たちが期待してくださる空気がすごく感じられたり
今日の本番に向けての数日前のリハーサルの中で
そのままの自分の心を奏でることが出来たから、
きっと今日の本番でも出来る、っていう自分達への期待感が
グツグツ内側から自分を沸騰させる っていうのもある


今日はすごく近くにお客さんが居て
そのままの自分を奏でるためには、そのお客さんの存在を視界から消し去って
音の中だけに没頭するしかない


それが出来るかな…僕


あと20分くらいで1回目の本番






晃教君と知り合って10年経って
初めて一緒にライヴしてから8年くらいは経った

8年前より自分は
明らかに濃くなってる

デビュー曲のアイウィルのバッキングだって以前と比べて特別変わったわけじゃない
でも以前より明らかに濃くなってる



晃教君も濃くなってるんだろうと思うけど
今は自分以外の人のことは客観的に見れない
自分の濃さに鼻血が出そうになっている

そして若い頃のように濃さが空回りすることもない
与えられた時間の中 たっぷり濃い中に浸りきるだけ




あぁ苦しい…

自分を奏でる喜びと この鼻血が出そうな圧力と...

耐え切れずに自分の中で「どうにでもしてくれ」って思う




僕はあと15分で 茹りきってステージに上がるのだ






【1stが終わった後の手記】





身体の奥の方に溜まっていた膿が絞り出されたみたいな感覚

そして1回目が終わった



こんなに時間を細かく感じられるのは、演奏したらいつも必ずというわけじゃない

今回久しぶりに晃教君と二人だけで演ったらすごく呼吸が合うから...


呼吸が合うと
僕は相手に乗り移り、相手は僕に乗り移っているかのような感覚になるのだ

そしたらもう悪い意味ので演奏のエゴなんてどっかに飛んでいってしまう



静かにゆっくり
そして大きく波打つ自分の鼓動を感じながらゾワ~ンと時が過ぎてゆく…
いや...
時の流れを感じない
何か時が止まったような感覚の中、演奏は進むのだ




1回目の演奏は
「この時間は僕が生きてる中で、たった一度しか巡り会えないのだ」
という強い思いが自然に沸き上がって奏でることが出来た

次の2回目はもう1回目のような演奏は出来ない

一度奏でてしまったらその場所はもう処女ではないのだから




2回目はきっともう少しリラックスして自由な時空になるんだろう
けど
1回目と何が変わるかなんて全く予測出来ないのだ



1回目の演奏中
狭いステージ
僕のすぐ隣で、魂を燃やしている晃教君の素敵な横顔が記憶に焼き付いた








【ステージが全て終わってからの手記】






2回目が終わって


片付けて



エレベーターに乗ったら晃教君のファンの方に声をかけていただいて

車に乗って帰るところまた違う方に声をかけていただいた




今日…良かったんだ...


かけていただいた言霊と表情からそう感じられた






そのことを思い返しながら運転してたら少し泣けてきた








ずっと長い間、音に自分を込めることに執着して
その音を使って誰かと奏でる時
ただひたすら呼吸を合わせようとするようになったのはいつからだったろう

自分の想いと相手の想いがピッタリ重なるまで諦めたくないと
そう思うようになったのはいつからだったろうか

そしてそれが出来た日は泣けるほどに嬉しい


今日は僕にとってそんな日となった
















晃教君と
今日、関わり合えた全ての人達に
今僕は
心から感謝してます






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冬は保湿が大切

2009-12-16 | 竹斎先生





いや~...まだ起きたばっかで...顔が腫れぼったいんだけどね








だけど今日という1日を、また新しい挑戦の場にしようと思ってるわけ...俺









え?







乾燥肌のお手入れ?








馬油塗るって?







ん...?








あっっ!!












いや~ん



↑       
(残念なことに咄嗟に隠し切れず) 






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竹斎メモ ~もうすぐ9ヶ月~

2009-12-16 | 竹斎先生



あと2日でもう9ヶ月になる息子が夢に出て来た


どうも...ヘルメットをかぶり...手ぬぐいを口のところに巻き
目だけ出して全学連の格好をしているようで...
沢山の赤ちゃん達と徒党を組み
まるで喧嘩祭りの神輿かつぎのように
ワッセワッセと言いながら小ちゃい奴らがデモをしていた


片手にはプラカードを掲げ、それには
「自己解放あるのみ」とか「今すぐ自らを俯瞰せよ!」といった文字が
黒沢明の映画のタイトルみたいに黒々と殴り書きされていた





これは...いったい...?

と思ったら目が覚めた




目が覚めてすぐ
なんか最近の自分がモソモソ悩んでたことがそのまんま反映された夢だなと思ったら可笑しくなり
覚醒してしまったので、早朝6時前に布団から起きることにした





赤ちゃんが出来た喜びと引き換え?に
夫婦それぞれの抱えた仕事が全く出来なくなってしまった
その崩れたペースを修復するために、一日のサイクルを4~5時間ほど意図的にずらして
育児分担を時間分けしてみている


早い時間を僕が担当する

7時に起きて、離乳食を与えたり遊んだりして
妻が起きてくるまでを僕が担当する


息子と二人のこの朝の時間を持つようになってから
息子の方から目を合わせて笑いかけてくるように変化した

そして仕事が立て込んだり風邪を引いたりとかで
僕がやむなくこの時間を担えなくなくなるとその途端
顕著に息子からは笑いかけてこなくなる

決して朝の時間の中でキャーキャー興奮させて遊んだりしてるのではない

本人がソファーの上に立って窓の外を見たり
音量を小さくしてついてる「おかあさんといっしょ」を見たり
オモチャを転がしたり、落ちてるものを喰わえたり
そういう合間にこちらを向くので、その時ちょっと声をかけるだけのいたって静かな対話

なのにこの朝の時間をお休みすると
こちらからいくら声をかけても、遊んであげようと抱き上げても
もう息子は笑いかけてこなくなる

こちらが思うよりずっと細かい分解能で感じているらしい



起きてから1時間くらいかけてゆっくり食事をした後ソファーの上に立って遊ぶのだが
自分が破った障子の間からを表を眺めたり
視野を広げるべく更にペリ~っと破って、その紙を味見したり
出窓に放置されたままのガラクタを触診したり
そうやって1~2時間経つと眠くなってくるらしい

ソファーに横になった僕のお腹の上に顔を擦り付けてきだしたらその信号なのだ


赤ちゃんて、眠りに落ちる手前に一番ムズがるんだろうか...
個人差があるのかな...
お腹の上でベソをかきながら、しばらくはジタバタして
やっと眠ったと思ったらまた急に上半身を起こしてまたジタバタする
そんなことをしながら1回目の昼寝をする














この、ジタバタしながらなかなか眠れない様子を眺めていて思う


母乳の時期って個人差はあるだろうけど、よく1年という括りが多いように聞くので
もし仮に、この子がそのくらいで卒乳だとするなら
あと3ヶ月で終わりということになる


あっという間に成長してゆく姿を見ながら
二度と戻って来ない時間を、親としての自分が切なく思う目線とは別に
あと3ヶ月で卒乳だとしたら、意識はしてないだろうけど本人が切ないんじゃないかなぁ
なんて思った














生後9ヶ月という時期を体験してみると、8ヶ月とまるで違うように感じる






1ヶ月ほど前にハイハイし出してからのこの1ヶ月というものは
全ての行動に自分の意志がを反映させることが出来るわけだから
やることなすこと本人にとっては面白くてしかたないんじゃないかと思う

そしてその分成長も早い気がする


1ヶ月前の息子は「赤ちゃん」だった
今は「幼児」の雰囲気が漂い出しているように感じるのだ

親を「親」として見るのではなく「友達」のような扱いで接してくる感じがする

対話の行き来が活性化されてる



何が、ってうまく説明出来ないのだけど

行動パターンも今までの積み重ねと大きくは違わらないんだけど



目付き...が違うのだ




息子の目付きが「俺はわかってやってるんだ」と伝えてくる




今、親と子の関係性が
「親子的なニュアンス」から「友達的なニュアンス」に移行してきたことで
この先この子が、幼稚園とか小学校とかに進み
友達との関わり、社会性が始まるわけだけど
親との間にその原型が始まったのではないかと思った

そういった赤ちゃんの言動は愛くるしいものだけど
猫可愛がりしてはいけないと自粛してる自分が居る

こちらからも息子に対して「Yes」「No」をちゃんと伝え始めなければならないと思うのだ

息子望む欲求とは、
相手との対話の中から得られもし
得られないこともある
決して思い通りにはならないということを学習させる時期がやってきたのだと感るのだ


落ちた物を拾って口に入れることを
単純に汚いからという理由で
せっかく生き生きしている好奇心を取り上げてしまうのではなく
対話のやりとりの中から「Yes」「No」というものがこの世には存在することを学ばせる

彼はまだ自分から発せられた信号は「Yes」の方向しかないと思ってるのだから
「No」の存在を、あくまで対話の中から感じさせ
「Yes」「No」を使い分ける楽しさを習得させてやれば良いのではないかと



こういう考えは僕が結婚をする以前から考えていたことで
逆に言えば、自分の中でこのことに気付いたから結婚もし子供を持てたともいえる
そして自分の音楽にも反映している核になる部分


この考えが浅知恵だったか
それとも真理に添ったものだったかは
僕が棺桶に入っても、息子が今生でもし偉業を成し遂げたとしても
どんなになってもいつになっても結局答えなど出ないだろうが
この考えをもって相手と関わり生きることが
僕は愉快なのだ





冷蔵庫にメモを貼っておくための磁石式のクリップ
プラスチックでクルミを形どった物
息子がそれに興味を示して、指でカリカリしたり手にとって口に入れるので

「それは食べ物じゃないから不味いよ」と言ったら

息子は嬉しそうに「美味美味美味美味~(うまうまうまうま~)」と笑った



僕もつられて笑った

















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