Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

RH@カナフ

2016-05-30 | ギターの栄養



カナフに来るときは雨が多いなぁ



最近はあまり心中で泣くことも無い気がしていたが
哀しみはただ心中深く潜っただけだった?

僕はまだまだ雨男らしい





今日は6月5日用のリハです

昭和30年代辺りの懐メロばかりのカバーで
子供の頃の遠い記憶を揺り起こされます




当時、歌詞の意味も解らない子供だったが
ぶりっ子歌唱の小川知子より
アンニュイな伊東ゆかりの歌の方が
子供心に琴線に触れていたことが
今、この年齢になって
音楽のノウハウもわかるようになった上で
採譜のためにオリジナルを聴いてそのことが判明した

という時代を超えたこの面白さよ



そうかぁ…
当時の僕はぶりっ子よりアンニュイ派だったのか…


でも顔は伊東ゆかりより小川知子の方が好きだな


でも本当は小川知子より
魔法使いサリーちゃんの方が好きだった
すみれちゃんも悪くなかったけど



(yamachan)


しかしもっと古くは
宇宙少年ソランに恋していたのだ

ソランは男の子であるが
性別など関係なく惹かれていたのである




古い引き出しにしまったまま
すっかり忘れていたセピアの思い出を
久しぶりに引っ張り出して眺めて楽しんでいるのです

当然本番も
演者にとってもオーディエンスにとっても
そういうライブになるのでしょうね



貴方のリクエストに叶高さんがお応えする
叶高  ~昼下がりの歌謡曲~

曲数多いですよ~今回


歌謡曲の全盛期の表通りを歩いたタカシさんだから

そうです
8時だよ全員集合ででんぐり返しとかしていたタカシさんだからこそ
カバーであっても懐かしの歌謡曲、本物感満載であります


乞うご期待っ!




















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明日本番じゃなくて良かった

2016-05-28 | ギターの栄養



シクシクシクシク…

ポロポロ




今日は夕方からずっと泣いている





この先のタカシさんと山ちゃんとの
懐かしの曲のカバーライブの譜面作りの途中に
ツボにハマってしまったようなのだ







1コーラス目の1小節目の1拍目でまず持ってかれて

8小節目の歌詞に涙が滲み出し

終止この人の目のマジな光にやられ

サビメロの粘った歌唱でまたやられ

サビ抜けのドミナントの手前に
2度マイナーじゃなく
2度7thのコード使ってるとこにまたやられ

この人にエンタメ的サービス表情がほんの少し過っても
またマジな目になり
どれだけ大切に歌って来たか思い知らされ
また涙腺を突っつかれる

サビ抜けでの抑えた歌唱にまたやられ
ついに涙が流れ出す

歌詞の内容なんて断片的で短絡的なのに
抑えた歌い方するから涙腺が崩壊

僕は
格好悪さを曝け出してまで本気で音楽してる人の
眼差しと言霊と

ドミナント前の2度7thと
自責した歌詞に
ボロボロに弱いらしい


知ってる誰かに見られたら
貴方が傷付く、、、て
2度7thに乗せるなんて反則






どの時代の歌も目の光も1ミリも腐ってないなぁ


エンドレスで観てずっと泣いているのです


こんなに泣いてたら目がパンパンに腫れちゃうよ
明日が本番じゃなくて良かった


https://www.youtube.com/watch?v=re7hHepf7Vo

https://www.youtube.com/watch?v=6VjqqCQl1vI

https://www.youtube.com/watch?v=6CvLeERsl2A















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浦賀ベテルの家さんとのご縁に思うことのメモ

2016-05-28 | 榊原長紀 「キミと僕」



今は亡き灰谷健次郎さんが
障害のことを個性と呼び
その理由を著作物で幾つも明確に掲げておられる

それはどう歪曲しようとしても不動だにしない
明確な人間倫理だ


僕のように一般的な生活を送って来た人間でさえ
人に言えぬ葛藤の多少はあるのだから

健常者と呼ばれる人等が大枠を作ったこの社会
の仕組み、利便性の中で
障害と言う呼び名を付けられた人達は
いろんな不安や生きづらさがあるだろう


でも自分の中の固定観念を取り去り
少しでもアンテナを伸ばせば
すぐにそういう存在と触れ合う事が出来る



例え直接浦賀ベテルの家を訪問しなくとも
例えば「キミと僕」が取り扱いのご縁が繋がらなかったとしても
自分の身の回りで出会う人達の心の中に
生きづらさはいくらでも存在しているのだから
健常者でも障害者でも垣根を作らず
リスペクトすれば良いのだ





今回
菊地康之さんのご尽力により
ベテルさんとのご縁が出来たこと
誤解を怖れず言ってみるなら
単純に嬉しいとか光栄とかいう類いの感情とは
少々違うように思います


自分が普段生きている波長が
こういう場所と同調出来たのだな

思うばかりなのです


少し抽象的な言い方ですが…

僕の中に既にベテルは在り
ベテルには既に僕が内包されている

ベテルは
どの地にも誰の心にも
最初から在って然るべき存在の象徴なのでしょう





自分が
今まで見たことも無い風貌で
見たことの無い動きをし
聞いたことの無い声を発し
体験したことも無い触れ合いをしてくる相手
が居たとしても

その相手の発する信号を
心の芯で真直ぐキャッチ出来れば
すぐに仲良く慣れる

僕にとって
ただそれだけのことなのです


そしてその経験はお互いの人生に
歓びを運んでくれる




また1つ
大切な確認が出来ました






















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良い人が悪い人に転じる時

2016-05-27 | ギターの栄養



人間の中でもちょっと良質の心を持つ人は
何処ぞの誰かが不義を働くと
正義のフォーマットを以て不義を責め
自分が正義を得たつもりになるが
そこであっけなく落とし穴に落ちる


他人の不義を正す力は人間には無い


出来得ることは
他が何をしようが
脇目も振らずただ己が正義に生きることだけなのだ






























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僕の先生

2016-05-27 | ギターの栄養



岡山から戻ってすぐ
部屋を閉め切った状態での録音作業を数日していた


岡山から持ち帰った心身内の熱がなかなか鎮まらない中
逆上せた状態で数日仕事したのだが
録音が一段落ついたので
今日は久しぶりに窓を開けて過ごしている



外の木々の葉をそよがせてから
風は家の中を抜けて反対側の窓から出て行く

その通り道に僕の仕事机がある

そこに座って譜面を書こうとしているが
なかなか手が動かない



今日は少し風が強く
木の葉がそよぐ音や鳥の鳴き声に混じって
小さくピューと風が啼く

遠くから聞こえる人の気配も
自然の景物の1つとなって溶け合っている



心地良さに身をまかせてこのまま何もせず
この中に身を置いて日が暮れるまで過ごしたい

だから全然手が進まないのだ


金銭的に贅沢な暮らしを望まない僕は
このまま手を止めたまま
今日という1日をこの自然美の中でボンヤリ過ごしても良い

ベランダのプランターに種を蒔けば
誰に労働報酬を支払うことも無く
太陽と水と土が野菜を育くんでくれる

吉岡一門に「師は誰か?」
と問われて
「森の木々、動物、自然の全て」
と答え小馬鹿にされながら全員を打ち倒した武蔵が居る


人が人をつかまえて
教えることが出来る事なんて実のところ何も無いのだ
全ての啓示は人知の及ばぬ自然の中から発せられており
人は自然から発せられる教えの伝承を担うだけ

自分の心が豊かに生きて行けるくらいのものを手に入れるに
人が作り出したシステムの中で
心が追いつめられる程働く必要は全く無い

どうしてもそのシステムの中に
封じ込められて抜け出せないなら
そこから解放される未来をイメージして今を生きればいい

少しは滞った心中に流れも戻るだろう




しかしなぁ
後数日後に控えているRHの譜面を何も作ってないので
これは悠長な榊原さんもさすがに重い腰を持ち上げねばならないのだ

負った責任の手を抜けば
その報いは自分に負の現象となって戻るだけだ

それは恐ろしいことである
だからやらねば

そこまで考えが巡ってもまだ重い腰が上がらない



心が震えるような美しい音を出したくて
紆余曲折試行錯誤し続けているが
自然の美には到底適わないと思うことがよくある

僕如きがギターなんぞを弾かなくても
世界中の人々それぞれの身の回りに
自然美が満ちているのだ

今日を限りにギターを辞めるか...

いやいや今日までギターしか弾いて来なかった人間から
それを取り上げるのはあまりに殺生


然して拙子に残された唯一の善き道は
己自身が1ミリでも自然美に近づくべく
弾き生きて行くということになる


こんな想いの繰り返しが僕の日常だ




だから今日の僕の先生はこの方






















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岡山 番外編

2016-05-22 | ギターの栄養


5/22

起きて湯船に浸かって体を解し
コンビニで買っておいたサラダスパを食べながら
自然に頭が巡り始めました





昨夜は後記が上手く書けなかったなぁ…

終演後になかなか客観的に戻れなかったようです


後記にはただただ
楽しかった楽しかった
嬉しかった嬉しかった
と羅列したい衝動を抑えながら
それじゃあまりにだから
なんとか文章をまとめた感がある


この先年齢を重ねて
もっと自分が練れた爺さんになれたら
良いライブが出来た日にはたった一言
「最高じゃった」
と潔く済ませられるようになれるかもしれない


人生の最後の時にも
「最高じゃった」の一言を発せたら
自分にとっても残して行く人に対しても一番だろう

残りの人生でなんとかそこまで漕ぎ着けたいものだ


まあ...今はまだまだ理屈を捏ね回して語りたい盛りなので
心が動いた日のことは
言葉にして残しておきたいと思う自分が居るのです





客観性を取り戻して来た頭で思考は続く



しかし…
(自分で言うのも何ですが)
何故僕はこんなに一生懸命弾くのだろうか


それを大雑把に一言で言うならきっと
自分がこの世に生きた証丸ごとを
誰かの心の中に留めて欲しいから
だと思う


それはまた当然
全ての人が思うところだろうから
ライブでの奏者と聴き手の「気」や「心」の行き来は
双方を認め合うことで育って行く仕組みになっている
といえるのかも

良い表現者というのは
そこをちゃんと押さえているのだろうな


そしてもう1つ

奏者は音楽を使って
その日の交わりの司会進行をする役だから
まずは奏者の方から先に聴き手の存在を認めて差し上げることから
物語を始めなければならない

こちらが先に心を開き
人が皆持っている防衛本能、警戒心を解きながら
また楽器や喉のコントロール技術も駆使しながら招き入れ
「どうでしょうか?我々は仲良くなれそうでしょうか?」
と問い掛けるのだ


例えば昨日の月あかりコンサートのことで言ってみるなら
ステージ上の奏者からまず心を開き客席を導くより以前に
主催者の岡本さんご夫妻が
普段の人間関係やお付き合いの中から
お客様の心を柔らかく解くことを為さっていたから
我々奏者がステージに上がった時には
既に聴き手の心は解放されており
それ故に奏者はスキルを引き出されたのだ

普段より何割増しかの力が引き出された種明かしは
そこにあった

音楽によって人が愛を交わし合うための前戯が
主催者さんによって十分に施されており
そこに集う人達の心が
本番前には既に潤っていた…



プロの音楽家は
限られた時間枠の中でなんぼの結果を出せるのが
実力だと言われるが
その真意を取り違えている音楽家が
少なくないように感じることがよくあります


心が震えるものは
沢山の時間をかけて
想いを育て膨らませなければ決して出逢えない

そういった沢山の時間と想いをかけて育てられた場に
僕は昨日たまたま居合せる幸運に恵まれた、といえる


そして自分が時間をかけ育てた音しか
そういう場では通用しない


そういうことを黙ってコツコツ重ねた音楽家が
短時間でスマートに良い結果を出したように
表面的には見えるだけだ




。。。





支度を済ませちょっと早めにチェックアウト

「プロヴァンスの朝」に向かった




この辺の道って2車線で一方通行なんですね


一方通行ってそもそも1車線しか取れないような狭い道だから
一方通行にするんじゃないのかなぁ?

2車線取れるのに一方通行、って…
関東ではほとんど見かけないので
どうも反対車線を走っている感覚に襲われてしょうがない

でもこういう旅先に遭遇する違和感て面白い






すぐに到着





少し早く着いたので車中待機でニギニギ
指を動かす筋肉を目覚めさせるのです



間もなくオーナー岡本さんがいらして早速中庭へ



今日はカラッと気持ち良く晴れたので
ほら
木漏れ日が揺れて


なんて素敵な空間なんだろう



椅子にもたれ小さな四角い空を見上げながらウォーミングアップを始めた

気持ち良過ぎて眠気に襲われる



おまけにそよ風に頬を撫でられなんざしちゃぁ旦那ぁ
もう終めぇでさぁ
こちとらとてもじゃねぇが
もう目ん玉なんざぁ開けておきゃぁしませんぜ





微睡みの世界に浸りながらゆるいウォーミングアップしてると
お客様が来たみたい


「今、練習中よ」
という声が聞こえる


いやいや…
練習してるフリを装ってるだけで
実は微睡みの国に魂が半分行ってしまっているだけなのです

でも聴いて頂けるならすぐにでも演奏を開始致しますよ

致しはしますが…

こんなに気持ちよく微睡んじゃって
ちゃんと弾けるか心配




お二人のお客様が入って来られました

昨夜のコンサートを聴いてくださった方が
聴けなかったお友達を連れて来てくださいました

光栄なことです



まだ十分なウォーミングアップが出来ていないので
慎重な指運びで弾き始めました

この「朝一番の音」というのは
まだ耳がピュアで
指が温まっていない1日の最初の時間にしか出ない音なんです


朝露に濡れた朝摘み苺のような
瑞々しく儚い音です

強く触れたら傷付けてしまいそうで
生まれたばかりの赤ちゃんをそっと抱くような音



音をしっかり出すことは
プロの現場では基本的なことでしょうが
僕にとっては
音以外の存在を吹き飛ばしてまで
聴け聴けとばかりに放たれる強い音には独善を感じてしまうのです



僕はもっと柔らかく在りたい

風に吹かれる心地良さまでも
強い音で吹き飛ばしてしまう音楽は僕は要らないな...

風や木漏れ日と混じり共存出来るような音や
それを生み出せる音楽家が好きだ

朝摘み苺の音はその要素を持っているのです

十分なウォーミングアップが為されたコンサート等では
音がしっかりしてしまい
それはそれで勿論良い音ですが
朝摘み苺の音はもう二度と出なくなってしまう

一度睡眠を取ってリセットしなければ
朝摘みの音にはもう出逢えない

だからなかなかお客さんお前で披露出来ない優しい優しい音なのです



今日たまたま早めに来店されてこの音に遭遇された最初のお2人と
その後に来られた3人の方は
貴重な音を聴いたのかもしれませんよ ^^







今日のこの中庭でのミニライブを終えて
これでやっと僕にとっての「月あかりコンサート」は終了です

主催の岡本さんご夫妻
橋渡しをしてくださった内海さん
一緒にステージに立った奏者の皆さん
朗読の皆さん
スタッフの皆さん
そしてお客様

本当にありがとうございました

幸せな時を過ごさせて頂きました











。。。。







ご挨拶して、この後は新見へ移動です

古い音楽仲間の山ちゃんこと山森洋さんがやっている
カバティーナという素敵なお店にちょっと寄らせてもらうことになってるのです






内陸に北上して行きます


僕は岡山から新見に向かうこのルートの
豊かな緑が深くなって行く景観が好き










1時間強で新見に到着
有料道路を降りる















間もなく到着




山ちゃんとの再会は何年ぶりになるんだったっけ

車を降りると空気が美味しく感じられた

山間の自然が残る地にカバティーナはあります


これ、店の周り360度パノラマ



店に入るとフリーライブデーということらしく
お客様が歌ってらした
皆さん、人の前で歌い奏でることを楽しんでらっしゃいました





料理を作りながら出番の人の回線やPAなどのセッティングを忙しくこなす山ちゃんです






僕も混じって数曲弾いては休んでまた弾いて
みたいにしながら徐々に日が暮れて行きました



自分も弾く山ちゃん




何度目かに弾いた後
火照りを冷ましに外へ出ると
表示に自分の影が映ってる

山ちゃんの店の前の強力なサーチライトで照らされ
表示に映ってるのは僕の影なんです


しかし何故個人店のライトで公共の表示を照らしてるのだろう?
1つの社会貢献活動なのかしら…
世知辛い東京じゃまず無いですよね、こういうこと



フリーライブデーは進んで行きます





そしてついに真打ち登場


僕も参加でセッションが始まった
ステージ上に黒光りする迫力の後ろ姿

この方ピストン黒田こと黒田さん
山ちゃんが信頼している仲間の方です

この方の歌ってるyoutube観ましたが
歌が相当上手いのです


セッションサポートにベース山ちゃん


ドラムスに若き学校の先生とそして僕のアコギで始まりました


2曲程やりましたが
歌心と歌唱力のスキルが高いから
演奏していて楽しい楽しい

僕はすっかりピストン黒田のファンになったのであります


見た目の強面(こわもて)とは裏腹に
ガラスの心の人だと山ちゃんが教えてくれました
そこがまたチャーミングで憎いねピストン

因にピストンは僕と同じ年でした

「黒田さん、一緒に写真撮りましょうよ」
って誘ってみた


僕も強面バージョンで



ジャン!


僕はやっぱり迫力出ないか…?





夜も更けて行きお客様もぽつぽつ帰り始め

そこからは山ちゃんと積もる話を明け方近くまで延々としました


お客さんの心を掴んで離さないステージをやるための極意は
面白いMCに有り
というのが昔からの山ちゃんの持論です

僕は一晩中
とくとくと山ちゃんから諭されました^^

勿論、友のアドバイスを有難く受け取りました

出来るかどうかわからないけど
いろいろ考えてやってみるよ
山ちゃん


熱く熱くアドバイスをくれた山ちゃんと
思い出の記念撮影

山ちゃん
ありがとね

昔の苦節時代の音楽仲間だからね

オーナーになって大変だろうけど
元気で居てくれて嬉しいよ

昔山ちゃんがサラリーマンやってた時代の同僚という人にも
昨日の打ち上げでお会いしたよ
「元気でやってますか?
大変だと思うけど頑張って」って
伝言預かったよ


ほら、もうあんまり時間も無くなって来たからさ
酔って忘れないうちに
再会の思い出に写真撮ろうよ



心に残るようなショットにしようよ












パシャッ


















こらこら

ふざけないで撮ろうよ








頂いたアドバイス
肝に銘じて生きて行くよ

面白いMC出来るように努力するからね


お互い元気で
また再会しようよね






パシャッ














どこ触っとんじゃい








こうして明け方になって僕らはやっと眠りについたのでした




12時に起きて店の外に出てみると
朝イチ というか昼イチの空気はマイナスイオンたっぷりひんやりして
山の木々と土の甘い匂いに満たされてました




山ちゃんが動画撮ろうと言い出した

youtubeにアップするから
ファイナルファンタジーのテーマ弾いて、と言って
撮ってくれました

映像も編集してアップしてくれました

まだ寝起きでちょっと指がヘロってますが
https://www.youtube.com/watch?v=_IBoKkMHJcc&feature=youtu.be









13時
いよいよ出発です



途中で寄って
吉岡のお好み焼きお土産に持たせてくれた








山ちゃんが熱く語ってくれたアドバイス
マジにありがたく受け止めてよく反芻するよ





暖かい気持ちに包まれながら
昨夜フリーライブデーで歌ってらした方々の姿を
運転しながら思い出していました



誰でも歌うこと奏でることが好きなのだ

音楽が癒してくれ
また明日からの生活に力をくれている

人から歌うことを奪う行為は
最大の罪かもしれない


音楽は力押しで相手に聴かせるものではない

聴かせるよりむしろ
相手に歌い奏でさせる気持ちを起こさせることが出来るのが
真のプロの音楽家といえるのかもしれない




ブルースは奴隷だった黒人の悲哀から生まれ
現代まで残り定着し
多くの人間に知られまた愛される音楽となった

日本にはそんな意味でのブルースは無いと思っていたが
日本には日本の
岡山には岡山の
東京には東京の
新見には新見の生活や苦労があり
それを癒す音楽は
その人にとってのブルースなのだと思った

それはフォークソングでもポップスでも
ジャズでも演歌でもロックでも何でも良い

その人が好きであるものがその人にとってのブルース
神様と繋がることが出来るゴスペルなのだ



音楽が人を癒し
導き
そして人同士が繋がり
また支えあっているイメージが心の中にありありと浮かんだ



人間同士がいがみ合う場に遭遇する時、僕は
人間から離れ
木々や鳥土や風などの自然の者たちに包まれ
自分の心の健やかを守ろうとし
そして少し人間嫌いになる

しかし人間同士が和を持ち寄り
光を増す場に遭遇出来ると
やっぱり人間も素晴らしいと思わせてもらえる


岡山での3日間でたくさんのものを貰いました

僕は何を置いてこれたかな…

そんなことを考えていたら
鼻の奥にツーンとした感覚が走り涙が出てました


誰にも見られないから安心してそのまま運転したのでした


心が風呂上がりのように温まって
自分の中に「気」が満ちて行くのを感じていました





























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『月あかりコンサート』~人は悲しみの軌道を~  3

2016-05-21 | ギターの栄養



5月21日

起きてからみっちり指慣らしをして早めにホテルを出た


出てすぐ、ちょっと九龍城みたいな雰囲気のビル発見
こういうの好き






長閑~





広々~





高い~






そして早めに到着





太陽の雫ホール駐車場で車の窓を開けて譜面をチェックしていたが
空気が気持ち良くて微睡んでしまい確認にならなかった

譜面チェックを諦め目を瞑ると
あちこちに散らばっている鳥たちが
会話を交わしてることがはっきり感じられる



こういったサウンドスケープを楽しむことは
演奏のための耳のウォーミングアップになる

演奏が上手く行かないときの半分以上は
指が動かないんじゃない
意識が散漫で耳がちゃんと音を聴いてないのだ



耳のウォーミングアップなどと言いながら
気持ち良くて結局は眠ってしまった


でもそれはそれで良し
リラックスしてるってことだし





。。。





会場に入り
リハや準備が進んで行く

















僕は
どうしたら今日の大切なこのコンサートで
自分の全てを音にしてえぐり出せるか
考えてました


それには
生きていて感じるあらゆる想いを全て
音に繋げなくてはならないですね


それは音への感情表現で言うなら

消え入るくらいピアニシモで、とか
愁い、たゆといながら、とか
懺悔の心で祈りを捧げながら、とか
微笑みながら弾みながら優しく包むように、とか
時に不条理に向かって弦が切れるくらい激しく、とか
とかとかとかとか
そういったことになるんでしょうか


曲がもともと持っている風景の上に
瞬間瞬間に奏者が自分の想いの絵の具で綴った色を乗せ
絵を広げて行く

例えば
今君がそこを白く塗るのなら
今僕はここを青を塗るよ
それで空の風景が広がるよね
というような...


そしてあらゆる想いを出すのは
今という瞬間しかチャンスは無く
先伸ばしにしたらもう二度とそのタイミングには出逢えない
というようなことを何度も自分に言い聞かせながら
本番まで過ごしました




そして本番終了



ライブ本番以外の生活の中で
自分の浄化を重ねることは
心が開かれることに通じ
本番で想いが出やすくなります

聴き手に届く音を出せる音楽家は
普段から心を浄化する意識で生きている
と僕は信じて疑わない


そして今回のこの「月あかりコンサート」は
コンサート全体の中、音楽も朗読も
普段の浄化を無くしては出なかったであろう音、言霊が
沢山散りばめられていたように思います

それを発した方々お一人お一人に
その旨お伝えすることは出来ませんでしたが
全ては心に残りました

こういう場に居合わせられたこと
とてもとても幸せでした



タカシさんとの持ち曲に加わってくださったsaxの藤田さんと



今回duoをやらせて頂いたソプラノの藤原さんと


お二人とも本番で特別なスイッチが入っているのを
横で感じながら演奏させて頂きました
こういう時間は伴奏者冥利に尽きます






明日は13時
プロヴァンスの朝(パン屋さん)で映画音楽の独奏ミニライブ
終わったらその足で友人の店、新見カバティーナへ移動でミニライブ(時間未定)
どちらも無料です

今回はリクエスト頂いてるので
カバティーナでは
「カバティーナ」と
「ファイナルファンタジーのテーマ」を弾きます

どっちも難しいからなるべく普段避けてるのですが
ついに今回、逃げられなくなり弾く事になりました^^;

滅多に弾かないのでお時間ある方は是非いらしてくださいませ





岡山での演奏の旅はまだまだ続くのであった
















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『月あかりコンサート』~人は悲しみの軌道を~  2

2016-05-19 | ギターの栄養




ネットで調べてみると
岡山まで613キロ

僕が車の自走で日帰り演奏した過去の最長記録は名古屋まで

岡山は片道でその2倍ある

生まれて初めての長距離自走に不安はあるが
とにかくこの地球上
前に進んで着けない場所など無いのだ

楽しみながらのんびり行こうと思う





久しぶりの演奏での長距離移動を前に
Duo LIBRAをやっていた頃のことを思い出した


和泉さんの胸をお借りしながら
中村さんに演奏で全国連れてってもらった

いろいろ大変なこともあったが
月日が過ぎてしまえばそれも良い思い出と感謝しか残らない

人間の記憶のシステムはなかなか粋なことをする、と思う






。。。




ぼちぼち出かける時間

夜はいつも完全に閉じたままのおじぎ草が
出掛ける直前に半開きしてるのを不思議な感覚で眺めた

見送ってくれてるのかい?




不思議な感覚のまま想いがフッと深い場所に沈む



音楽は諸刃の剣だ


人を深い闇から救い出しもし
そして人に深い傷も負わせる

僕はその両方ともを知ってる



20日午前0時半
出発

真夜中の出発は
深淵なる心の闇の淵に沿って進むが如く

しばらくはこのまま闇の中を漂うことにした
それも結局ギターの栄養だから






















3時間走って名古屋

半分近く来たようだ
まずまず順調





長時間だから気楽に考え事しながら運転しようと思っていたが
久しぶりの真夜中の東名
暗い中での高速運転にハンドル操作するのが精一杯だった





4時
新名神に入る




4時半
京都
夜が明け始める




5時
中国道に入る



5時15分
兵庫県に入る



5時半
神戸で給油&休憩



5時50分
山陽道に入る


岡山まで残り143キロ
ここまで来ればもう安心





7時半
山陽道を降りる手前最後のSAで休憩



本日の最高燃費
大満足




目的地まではあと僅か27キロ
早く着き過ぎたので
ここで13時までたっぷり仮眠することにした


Zzz…



……………




10時半

アチ"~

ギラギラ炎天下で
車内が暑くて眠れない
( ̄○ ̄;)



窓を締めエンジン掛けてエアコン点けて再度仮眠



。。。



12時半

何度も寝たり起きたり繰り返して
さすがにもう眠れなくなって
ぼんやりした頭で眼前の雑木と雑草を眺めた



強い日差しに濃い緑の葉がキラキラ輝き
そよ風にゆらゆら揺れる雑草の上をタンポポの綿毛がゆっくり飛んで行く

陽炎に揺らぐ遠くの草の上に紋白蝶が舞う光景は
スローモーションで流れる映画のワンシーンのようだし
SAの建物の軒先には
人間を警戒しない燕が甲斐甲斐しく餌を運んでいる


あぁ…
こんな処にも桃源郷があったか...

夢とうつつの間でしか観ることが出来ない風景



朦朧とした頭は間もなく覚醒するが
朦朧の中で観た風景の美しさは
覚醒後もそのままの美しい色彩のまま心にしっかり焼き付けられる


人は何故こんな嬉しい能力を持ってるのだろう



どの車の人も
この美しい光景に気付かず
暑さにしかめた顔で僕の前を行き来している


勿体ないな...

これに気付かぬ人生は…




。。。





いよいよ再出発

目的地まで30分














今回のコンサートの主催者である岡本さんが経営するパン屋さんに到着です



ご挨拶して
早速僕のお気に入りの場所に入らせて頂きました


パン屋さんの中にあるパティオ(中庭)











明後日(22日)の昼過ぎ
だいたい13時くらいから
この中庭で無料プチライブしますので
お近くにお寄りの際は是非お立ち寄りください


お店に寄らせて頂いたついでにサウンドチェックも済ませてしまいました



気に入ったシチュエーションの中でギターを弾ける時が
僕が一番機嫌が良くなる時かもしれません


心の中はもうスペイン人ギタリスト気取りです


ギターもホセラミレスとか気取りです
(タカミネですが…)





そして明日のコンサートの会場へ移動












太陽の雫ホール


主催者岡本さんの愛と遊び心を混ぜて捏ねて発酵させて
こんがり焼き色を着けて出来上がった素敵なホールです


ここからはあっという間に独り運転のモードとまるで違うモードに入りました


深く内観していたものを
今度は外に出す時間

関わる者同士が外に出し合い
混ぜて美しい色を作り出す時間



今日はソプラノの藤原さんとのRHを念入りにやらせて頂きました

言霊からは翡翠のような色彩を感じました


当然ですが歌の方は皆さんお一人お一人言霊の色が違い
その色と自分の色を混ぜながら
色の調和を整え、美しい方へ方へと寄せて行くのが
僕がこっそり楽しんでいるDUOの醍醐味だったりするのです





RHの時間が過ぎるのが早かった…

気が付いたら夜にワープしてました




RH後は岡本さんと夕食をしながら
音楽や人間についてお話ししました


岡山チームは濃く熱いです





長く濃い一日が終わって
さすがに疲れてホテルへ

しかし神経は覚醒したまま



ビールを飲んでクールダウンしながら眠ることにします















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『月あかりコンサート』~人は悲しみの軌道を~  1

2016-05-19 | ギターの栄養



5/19 15:30

昨夜は敢えて徹夜をし、夜通し練習をして
今日はなるべく寝坊したかったのだが
夜まで眠るつもりが14時には起きてしまった




先日僕を妄想の昼寝に誘ったニンジン島のヤシの木は
10日程であっという間に巨木となり
一番高い場所の葉など
首長竜ブラキオサウルスが首を伸ばさないと届かないくらいになった

しかもニンジン島は地殻変動でその数を増やし
ニンジン諸島になっている







窓を開けると気持ち良い5月の風が入って来る

手入れされ、日に日に茂って行く木々の緑で満たされ
僕の仕事部屋の外はちょっとイングリッシュガーデンの様にも見える

昨日は暖かい陽だまりの中
こちらに気付かず猫が独り遊びをしていた









この場所はいつも風が吹いている気がする




そして土と木々に囲まれ
鳥の声がいつも聞こえる


人の気配は緩く穏やかで
車の音も遠くからしか聞こえて来ない




今年の始めに思い立って都心を離れ
この古い団地に越して来た


昭和の30年代の復興期に建ったこの団地の敷地内は
沢山の自然を施した贅沢な造りになっている


文明とかお金とか
そういった意味での贅沢は1つもないが
寧ろ最高の贅沢の中に暮らしている


陽射しと土と風の中で生きていると
それだけで満たされ
余分な富は必要なくなる

生きてる間は好きなギターをただただ弾き
音の中に真を増やすことを楽しみ
死期が迫れば静に逝くだけだと感じられるようになって来る


それは必ず、自分が放つ音に反映されるはずだが
どんな風に反映されるのかは自分では全く予測出来ない


日常生活を営む精神の部分とは別の
もっと深い場所が耕されているから

それはやはり同じように
精神の深い部分を使って行われる演奏時に信号が繋がり
その瞬間瞬間に始めて反映を体験出来るのだ



明後日 21日の本番中にどんな自分と遭遇するのか
楽しみに思っている




5/21
岡山「太陽の雫ホール」で行われる
『月あかりコンサート』に参加させて頂くことが決まったのは
昨年の後半だった




遠く見知らぬ地に生まれ育った方々との間に
音楽によってご縁が生まれ育つことを
今更ながら奇蹟のように感じるのだ





演奏は肉体に大きな負荷を掛ける行為だから
本番前などはシーズン前の野球選手の調整と似たようなものだと思う

力めば身体を痛めかねず
といって身体を庇いちょっと手を抜けば
すぐに音の中の言霊は薄れ2軍落ちする

未来の保身を優先し
今という瞬間を生きる手を抜けば
このご縁も生まれなかったかもしれない


音楽の次元を上げるべく努力することは
神の声を聞き正しく生きることそのものだといつも感じるのだ







僕はコンサート前日に岡山入りするため
今日19日の夜中…というか
明けて20日の午前0時過ぎ
岡山に向かって出発する




その前にもう一寝入り

Zzzz...




































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仕事中

2016-05-14 | ギターの栄養




音楽は外の世界を変えるものではない



音楽は自らの内のみを変える力がある




そして自分が変わった影響で
たまたま外の世界が変わることがあるだけだ








仕事中に仕事以外のことを考えている








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おじぎ草

2016-05-12 | ギターの栄養



昨日買ってきたおじぎ草が
ちょっと触るだけでパタンパタンと見事におじぎするので
朝から何度も突っついて遊んでから出発した






今日は大地 穂

青山 月見ル君想フ









タイバンは僕よりずっと若い人ばかり

彼らと比べれば僕はだいぶ年を食ってるので
そこに居るだけで気付かぬうちに若い人を威圧してしまうかもなぁ…なんて
ちょっとお節介が頭を過ったので
本番前の緊張も殺気も一切消して
ただ風にそよぐ樹のようになって座ってることにした


そしたら(かどうかわからないけど)本番前に
弾き語りの青年がニコニコ挨拶してくれて嬉しかった


RHの時は目が合わない他の対バンの青年も居たけど
僕が若い頃、こんな年上のミュージシャンと対バンになったら
おっかなくて目も合わせられなかっただろう

その青年も
演奏が終わったらニコッとして目が合った

そういう一瞬が心に嬉しく沁みる年齢に
自分もなって来たようだ



今日も僕は平和







リハ終わり本番前
楽屋でうちのメンバー(女子)を無断で盗撮してやったのだ








本番前の楽屋


なんだか静かだ…



そして今日はずっと夏の気配がしている
この楽屋も





ふと氷をカランカランさせながら冷たいカルピス飲みたくなる



風鈴の音が聞きたくなる



プールで泳いで鼻の奥に水が入った後の
ツーンとした感覚を思い出した


子供の頃
泣いた後
涙が乾いて行く途中の感覚…


梅雨に入る前のほんの小さな夏


僕のギター人生の愛すべきほんの小さな1ページ





そう
これでいいのだ

人生はほんの小さな嬉しい1ページを重ねて行くだけである










帰宅するとおじぎ草は一人で先に寝ちゃってました

また明日ね
























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妄想

2016-05-10 | ギターの栄養



珊瑚礁に囲まれた


ヤシの木が1本だけ生えている


小さな小さな南の島で


ヤシの木に掛けたハンモックで極上の昼寝を貪りたい










今宵これを眺めて思ったのであった











































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2016-05-10 | ギターの栄養



人は自分のためだけには生きられない


誰かのために生きて初めて幸せを得る


何故自分が病むまで誰かのために生きてしまうのか
その理由を考えている


楽器に触れながら
単純な反復練習を繰り返しながら考えている




哲学者ならば論文化するために
言葉を探し文章の構築を試みるのだろうが

自分は奏者であるから
楽器を弾きながら

ただただ人間という不完全で弱い生き物を
無条件に抱きしめたくなるのだ



そしてそういう心で奏でる音楽家しか
自分は好きになれないらしい
















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大地穂@東京タワー

2016-05-09 | SUI(大地穂)



良い天気に恵まれた
大地穂@東京タワー








現場でのオープンリハ中
かぶり付きで見ていたちびっこに「上手いなぁ」と褒められて
本番へのモチベーションが上がった55歳ギタリスト


演奏前の演奏家を褒めてやると(年齢に関係なく)
多分2割り増しくらいな良い演奏が聴けますぞ
なんて
携帯でブログ用のメモをしながら本番時間が来てステージへ上がると
果たして
さっきの子供等はもう居なかったのであった… 



。。。




聴く人にはこんなこと関係ないのだが
長年試行錯誤している右手のフォームが最近ちょっと整って来ている

以前より右手がバタつかずにフィンガーピッキングが出来る

右手がバタつかないと体幹もキープしやすい

そういう状態で人前で演奏で勝負するのは
生きてる感じが得られる



多分他人にはわからないだろうが
今日自分は演奏に対する精神力が満ちていたように思う
















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リハの日

2016-05-06 | ギターの栄養



人生は腹を立てた時間の分だけ損をする

運転しながら思った


これは真理だ書き留めておこう
と頭の中で文章を構築し始めると
もう一つ奥の真理が見え隠れし始めたので
この真理はあっという間に煌めきが霞んでしまった

書き残すほどの事でもなかったか…
と更なる真理の接ぎ穂を探しながら瞑想の波間を漂いながら
リハーサルに向かうのである



そのうち瞑想の航海は
辿り着く岸が決して無いことを悟ると同時に
少し開けてあった窓の外から入って来る排気ガスの臭いと
湿った空気が「今」という瞬間を僕に気付かせた


このままエアコンを着けずに走ろう
と考える


文明の利器に頼るほど「今」を感じられ辛くなるのかもしれない

いっそ今年の夏はエアコン無しで過ごしてみようかと考える




そのうちまた一つ 発見する

運転などでギターを持たない時間は
イマジネーションの世界に入って行きづらいから
心がすぐ渇く

なんかかんかときっかけを見つけては
「あっちの世界」へ潜り込もうとする



瞑想はもう少し先へ進む


思考の中で見つけた浅はかな真理より
真理を見つける時空の中に生きる行為こそが
瞑想航海の辿り着く岸辺であるのだな

この世で肉体を生かしながら
もう一つの別次元で精神を生きる

これこそきっとこの世の桃源郷なのだ

そこまで考えて心は妙に納得したようだった



こういう気付き(もしくは思い込みとも言うが)は
心を安定させてくれる



人には
何も背負わずただ風に吹かれる時間がある方がいい

それがなかなか得られないなら
忙しい日々の中で僕のギターを聴けばいい
(とか、、珍しく偉そうなことを書いているが…)

僕のギターの全ては
心情風景の中に吹く風の模写だからだ



そしてそれを毎日 一番聴いてるのは
気付けば自分自身であった


イマジネーションの世界で見たものを模写しては自分に聴かせる

太陽エネルギーか引力だけで永遠に動き続ける永久機関のような生物なのだ
自分は


これなら虚勢を張って他人からエネルギーを奪う必要もない

競争も戦いも必要ない
平和な生物


これで自らが蝕まれず健やかなる精神で
好きなギターをまだまだ年を重ねながら弾いて行けそうである




平和な生物は今日はこれのRHである





平和な生物は
こうして今日という日を
自分なりにとても無邪気に過ごしたのだった



そしてまた少し
喜びの貯金を増やしたのだった












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