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昨日からRecを開始したが
やはり僕は音の仏師なのだと思う
仏師が切り株の中から仏様を彫り出して
お顔の表情をもう少しこうしたいああしたい
などと細かく手を入れて行くように音に手を入れている
それは具体的には
弾くニュアンスを調整して行くってことだけど
実際に弾いてる時にニュアンスのことなど意識に無いのだ
ただただ音を追っている
だから音という仏像を彫り出している感覚なのだと思う
気に入る音と気に入らない音の違いは
言葉では説明出来ないが明らかに違う
自分がここまで生きて来て
納得した正義や真理などの理念を総動員して
音に当てはめジャッジしているのだと思う
でもそれも弾いてる時には意識に無い
あとで理屈で考えて
「そういうことをしていたのだろう」と思うのだ
僕の今回の目標は製作が義務にならないこと
あくまでも自分の心が惹かれるものを負い続けること
アレンジを決め本ちゃん録音に入ると
気をつけていないとすぐに
まとめようとする意識が働き出す
そこに気付けないと間も無く作業は義務化されて
息苦しくなって来る
メモ書き、プロトタイプを作ってるうちは
まだ直接的な責任感を抱かないで済むから
比較的思考は自由でいられる
「解放感のある自由」と「息苦しい義務」は
常に合わせ鏡のように存在していて
僕はその狭間を歩きながらRecを進めて行っている
でもこれはRecだけじゃない
誰にとっても生きるということ自体が
この狭間を歩くことだと気付かされるのだ
自分は幸せにも不幸にもどちらにも転べる
そしてその選択権は自分だけが持っている
自らの意識を義務化すれば
せっかく持って生まれた自由な命の躍動を
自ら封じ込めることになるだけ
人生の全ての不満はそこから生まれて来る
政治でも社会でもないのだ
初日Rec
メモしてあったアレンジを
本ちゃん用に弾き直すだけ
と安易に考えながらRecを開始する
予想していたことだが
本ちゃんモードでのRecは
タッチ、バランス、ストーリー展開など
どんどんメモとは変わって行く
まずイントロがまるで変わった
イントロが変わることでAメロの温度も変わって来る
イントロとA
そこまでのストーリ展開で
既にメモとはまるで違うものになってきている
Aと同じメロ、同じコート進行のA’を
Aとは違うストーリー、表情、フレージングを考えながらRec
そしてA'が出来るとAが気に入らなくなり
更にはイントロの後半から気に入らなくなりそれらを全部弾き直す
すると当然A'ももう一度弾き直した方が流れが良くなる
流れを考えながら弾き直すにあたり
A'のフレージングも変わって来るだろう
それはもう明日にしよう
今日の収穫は
イントロからAいっぱいまでとA'の骨組みまでとなった
そして最後まで義務にならずに終えることが出来たようだ
とても充足感と幸福感がある
仕事で与えられた条件からはみ出さず
独りよがりではない充足感を得るのは大変難しい
もし与えられた条件からはみ出したいなら
周りを納得させる作品を生むことを事前に確約しなければならない
仕事で充足感、幸福感、解放感などを得るのは本当に難しい
僕は共依存が強い傾向の人間なので
そのデメリットを沢山経験してきて
極力そこから解脱したいと考えている人間だ
音楽にも共依存は大いに反映する
共依存の中にある音は依存する者を引き寄せる
それに対し共依存を解脱した音の方が
「全なる存在」に近い
僕はそこへ行きたいのだ
このRec初日の作業で
ジブリ製作の時とは全く違う精神スタンスを維持出来たようだ
収録曲全てのRecに対し
是非このスタンスをキープしたいが
上手く行くかどうか…
今日が上手くいっても常に波動は変化しているのだ
明日は地獄かもしれない
Rec作業の間だけ聖人であろうなどと思っても駄目
24時間常に自分の中の恐れを浄化して行くことしか
良い音を残す道はないのだ
ただ、上手くいった初日に関してだけ語らせて貰えるなら
生きているうちに解脱の風景のほんの一端が観れただけでも幸せだし
ここまで一つのことを続けた甲斐がある
というもの