Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

不思議な物語の森

2017-01-31 | ギターの栄養







目をとじて、ギターの音色に耳を傾けてると

深い響きの向こうに、深緑の森が現れる

あのとき耳にした、メロディーたち…

森から聞こえて来るバラッドは

あなたのまぶたに、何を浮かべるでしょう

ようこそ、ここは不思議の物語の森









。。。。。。







今日はDellaさんの自社スタジオにTDの最終確認に伺う



録音した直後というのは
自分のプレイの表現が理想に届かなかった部分ばかり見えてしまって
聴いて楽しむ気持ちには全くなれない

ただただ自分の非力を悔いるばかりだが
最後の曲を録り終えてから1週間ほど経った今日
出掛けにちょっと聴いてみたら
音に織り込んだ想いがキラキラと感じられ
僕にしては珍しく
自作品でとても良い気分になれた


自画自賛を慎み控えることを知らない人間と思われるかもしれないが
自分が紡いだ音に関してだけは
その時々感じたことを
良いも悪いも嬉しいも苦しいも
ありのまま書き残しておきたいのだ



外に出ると穏やかな日差しで
空気は澄んでいた


駅のホームで日向ぼっこしながら電車を待った



昨夜は自分の琴線に触れるお気に入り曲たちを立て続けに聴いて
ポロポロ涙を流して寝た

今自分の精神は解放されているようだ

一山越す事が出来たのかもしれない





。。。





Dellaさん本社に到着




ちょっと待機



そして編集スタジオへ

TD開始










昨年暮れから3ケ月弱
かかりっきりで制作していたアルバムがもうすぐリリースされます

素敵なジャケットを宛てがって頂いたこのアルバムは
2017/3/3 発売だそうです

DellaさんのHPでは
2/3から告知されます

許可を頂いたので
ちょっとフライングですが告知させて頂きます



GHIBLI Songs
On Guitar
【Ballad of Forest】

All Music Arranged
and Played by
Naganori Sakakibara











1 鳥の人〜風の伝説「風の谷のナウシカ」より
2 君をのせて「天空の城ラピュタ」より
3 カントリーロード「耳をすませば」より
4 人生のメリーゴーランド「ハウルの動く城」より
5 Arrietty's Song「借りぐらしのアリエッティ」より
6 いのちの名前「千と千尋の神隠し」より
7 さよならの夏「コクリコ坂」より
8 テルーの唱「ゲド戦記」より
9 風のとおり道「となりのトトロ」より
10 海の見える街「魔女の宅急便」より
11 風になる「猫の恩返し」より
12 もののけ姫「もののけ姫」より
13 ひこうき雲「風立ちぬ」より
14 帰らざる日々「紅の豚」より
15 Fine on the Outside「思い出のマーニー」より


¥1,800(本体)+税







自身のソロアルバム「キミと僕」の世界観を延長線上に
更に進化させました

煌めきながら玄に入る…


誰もが耳に憶えがあるであろう
ジブリのメロディーを
揺らぎ
余韻
煌めき
幻惑
懐古
歓び
悔い
希望
等々の調味料で仕上げた力作です


リリースは間に合いませんが
ブログ告知に記しました2/12の入間市駅前での演奏でも
この中から少しやろうと思いますので
お近くの方は是非お立ち寄りください






















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制作雑記

2017-01-26 | ギターの栄養


昨年暮れから3ケ月弱
閉じこもって制作していたアルバムがもうすぐ完成する

音データは数日前に納品が済み
今日はジャケットのDesign考案が2種類送られて来た

今月31日
クライアントであるDallaさんの自社スタジをでのTDに立ち会う


全ての行程が終了してから制作後記を書こうと思っていたのだが
なんとなく...
この先バタバタしそうなので
製作期間中に感じていたことを忘れて行ってしまいそうな気がして
この中途半端なタイミングで雑記として書き残す事にした




。。。。





人間は自分が望まなくても
一人一人別々の人生が用意され展開して行き
それに則して一人一人別々な命の仕事(もしくは善の仕事)
というのが用意されるのだと思う

その内容は自分が苦難だと感じた中にこそある
無駄口を叩いた分だけ達成感はこの手から逃げて行く



この世界に宿った全ての命は総じて一粒の種であり
そこから無数に伸びる蔓や葉は我々一人一人の人生であり
その根っこでは全ての命と共有が決定づけられている

日差しの豊かな方向へ伸びることが出来た葉は沢山の光合成を成し
日陰に伸びた葉に養分を回し生命力を共有している


この世界に沢山存在するギタリストの中で
自分にだけ与えられた命の仕事を認識出来れば
心は安らぎ
誰かを蹴落とすような競い方をすることもない

全体が諸共に伸びやかに広がって行くためだけに
自己の内部の闇と闘うのみなのだ

闘う…

では闘うとは具体的にはどういうことなのか

それはとても複雑に出来ているメカを
単純な方向へ押し進める
ということになる

複雑に出来ているメカとは僕の心であり肉体のことであり
脳の事だという言い方も出来る

単純な方向とは
より多くの幸福感を感じる方向
ということになる

まだその方面の知識に関して不勉強だが
多分…
良い演奏や手応えの感じられる演奏が生まれる時というのは
脳内でエンドルフィンが放出されているのではないかと思う

日常の中で偶然
何か嬉しい事が起こり
自然にエンドルフィンが放出されるなら
手放しで「なんて今日は気分が良いんだろう」と思うだろうが
仕事として少しでも良い結果を出す事を最初から決めてスタートする作業では
すぐにエンドルフィン放出は止まり幸福感の枯渇が始まる

その枯渇の中で
次ぎなるエンドルフィン放出の時を
じっと歯を食いしばり待ちながら
演奏練習という肉体に負荷を掛け続けると
もう駄目だ、、と思う頃にやっと次ぎのエンドルフィンが出る
それは明らかにマラソンランナーのランニングハイと同じなのだ

。。。

過去に2作品のアルバムを出させて頂いているDellaさんから
此のたびジブリという偉大なブランドのギターカバーアルバムの制作オファーを
頂いたのが昨年後半
話しが具体化したのはもう昨年度の終わり頃だった

この偉大ブランドを自分の好きな様に手がけることが許された歓びに
やる気に満ちて制作が始まり
エンドルフィンが普通に出たのは最初の2曲くらいだったか…
すぐに行き詰まった


全15曲入りというのがオファーの中の条件であった
僕の想像では
曲数を進めるごとにフォーマットが出来て行き
15曲全体のバランスも意識しながら進めることも出来つつ
1曲1曲の制作はどんどん楽になった行くのだろう
などと想像していたが
まるで違う展開が待っていた

自分から捻り出される音に
自分の脳がエンドルフィンを放出することなど
そういつまでも継続されないことを
改めて思い知らされることになる

琴線に触れる音を紡ぎ出すこととは
製作中に制作者の脳内でエンドルフィンが放出されることと
ニアコールなのだ

15曲全てを出来得る限り
琴線に触れるところまで持って行くという事は
15回のフルマラソンに参加したのと同じ
その都度、もう走れないというところまで追い込まれないと
エンドルフィンが出ない事を嫌という程再確認させられた

始めに録った8曲は
Dellaさんの求めていた世界観と方向が違ったためボツになる
という自分的アクシデントもありつつ
制作期間が1ケ月半ほど過ぎた辺で
エンドルフィンは出そうと思ったところで出ないことを覚る

しかし出そうともがかなければ
出るものもでない事も覚る

なので
もがくことから逃げる事を諦めた

またこれか…
と思いながら息苦しい中、その曲の指運び練習を
数日続けていると
指が死ぬ頃に「それ」はやって来る

やって来るとその先はほぼ無心に入り
浮遊感の中ただただ録音作業が進められて行く
そこに特に幸福感も無い

ただ
不幸感は全く忘れ去っている
そして重力も感じない

心拍数は落ちているのに
楽器の爪弾きを止めると
へッドフォンをした耳元に自分の呼吸だけが
はぁはぁ聞こえている
水の中に潜っているかのような

そういう中で
自分の意志ではない何者かが
「今のテイクはOK」とか「ダメ」とか伝えて来るのだ

こんなことを3ケ月近く続け
最後の2曲くらいは
搾りに搾った後の搾りかすのようにやっとのことで出来上がった


終わって直後に思った事は1つだけ
指が壊れる手前に全曲作り終える事が出来て良かった、と
それ以外に思う事は何も無い
何も感じなかった

良かったとか悪かったとか感じること自体
それはエンドルフィンが出てるってことなんじゃないかな...
全曲録り終えた直後
もう、良かったとか悪かったとか感じるだけの
エネルギーも無いってことなんだろうな、と思った

プロが辛いのは
人間なら誰しも自然に出るエンドルフィンを使えば事が足りるのではなく
意識的に、なるだけ多く、なるだけ頻繁に
エンドルフィンを出そうとしなければ
大抵の背負った条件に応えられないからだと思う


エンドルフィンというのは幸福の脳内分泌だという

ドーパミンというのが能動を強める脳内分泌
アドレナリンはもっと命に関わるような場面で突発的に出る
危険回避を強力に促す脳内分泌

アドレナリンを必要としてるのは格闘時や
突然の災害や事故に巻き込まれた時
と特殊だが
普段の社会生活の中
ドーパミンが出れば人は行動的になり
バリバリ仕事をし
集団の中でも目立つ存在になるだろう

アドレナリンとドーパミンは放出されると同時に
人体に対し毒性も放出されるんだそうだ

ドーパミンが出ている人は
溌剌と行動的になりながら同時に
毒によって身体は蝕まれている
ということになる
その毒消しの役割がエンドルフィンだと言う

なんか仕事が捗らない、とか
琴線に触れる演奏が生み出せない、とか
そういう倦怠状態にはまずドーパミンを出す事

「くそっ、、くそっ、、」と意外にすぐに出てくれる

しかし僕は
ドーパミンで紡ぎ出された音は全く泣けないのだ

人はこのドーパミンで紡ぎ出された音で
十分に心から楽むことが出来る
が僕はその先のエンドルフィンという
平和で鎮まった分泌モードまで行かないと
自分の良いと感じられる音が得られないのだ

これはいちいちとても時間がかかるし
物凄く肉体が疲れる

そして、ここまで行かねば
得られないと感じる理由は
時間のロスと肉体疲労をリスクにしても
ここまで行かねば安らがないほどに壊れ、
もしくは怯えてしまっている心の一部が
自分の中にあるからだと思っている

それを一般的にはトラウマとかインナーチャイルドとかアダルトチルドレンとかの
単語を使って扱われているが
職業音楽の分野でこれらの単語が使われている場面に出会ったことはほぼ無い
そういう意味で僕は特殊な位置に居るミュージシャンだと思う

そして一般的な意味合いで
自分が職業ミュージシャンと呼ばれるには
あまりにも制作に時間と労力を使い過ぎるので
これもまた職業的にはだいぶ業界の端っこの方に居るのだと思う

しかし
エンドルフィンまで手を伸ばし
絞り出した音を必要としている(僕のような)人が
(全体数から観れな少数かもしれないが)
この世界に必ず存在している事を信じて疑わない

これが僕の人生であり
これが僕の出来得るたった1つのヒーリングなのだ

最初から切り株の中に眠っている仏を
仏師が見付け掘り出すように
傷んだ心や渇いた心に届く音を
時間と空間の中から掘り起こして行く

「ドーパミン活性」という肉体の苦痛の先に始めて
その毒消しとして放出されるエンドルフィン
に支配された時
この世界には神が在ると感じ
音楽は神が与えた人生の鎮痛剤だと感じる事が出来る


僕のような、例えてみるなら
決して太陽が燦々と降り注ぐ高見に茂った葉ではなく
少し日陰寄りに伸びた一枚の葉のような者は
Dallaさんという別の葉から養分を送ってもらわなければ
もっと萎れていただろう

遡れば
今は縁遠くなったDellaさんと繋いでくれた音楽仲間とか
延いては全ての縁というものは
一粒の種から枝分かれした蔓葉なのだ

自分という一枚の葉が
この人生で置かれた場所で出来うる限りの光合成をし
それぞれの場所でしか生み出せないものを持ち寄り
違う場所に茂っている葉同士が命の共有をする


沢山の苦痛と
苦痛があるからこそのその先の大きな気付きと歓びを
この仕事で与えて頂いた事を感謝しているのです


今は少しだけ休息をとります
指の疲労と脳内から搾りに搾ったエンドルフィンの貯蓄が戻るよう
































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