Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

第2稿

2010-05-02 | 自意識過剰


以前、あるバックバンドの仕事でローディーさんが付いてくれたことがある

2ギターで
それぞれに一人ずつ

本番でのギターの持ち替えやチューニングなんかを
サポートしてくれる


僕は自分の各指の押さえる力にバラツキがあるから
ある特定の弦だけ、ほんの少しチューニングを下げたりするので
そのニュアンスをローディーさんに伝えるのが面倒なので
自分でチューニングします、と伝えた

ギターの持ち替えも
自分の間合いにしか慣れてないので
ローディーさんが渡してくれるのを上手く受け取れなかったりして

持ち替えを手早くしなきゃならない時は
(ホントは嫌なんだけど)
前の曲のエンディングのとこをある程度諦めて
エンディングを演奏しながら持ち替えの為にギターの在処を目で追って
エンドが終わるや否やさっと持ち替えたら
次曲の演奏をパーンと始められるように意識をもってゆくのだ

その一連の動作に慣れてる僕は
ローディーさんがギターを渡すことになると
見事にバランスが崩れてしまうのです

前曲のエンディングにさしかかり
持ち替えのギターを目で探す

な、、、ない!

ギターがスタンドにない!



ローディーさんが付いてることなんか
演奏中に忘れてしまうから
単にあるべきはずのギターがそこに無い
という小パニックになるのだ

そこにおもむろにローディーさんが
ストラップなんかも整えて
背負いやすいようにして渡してくれる

確かに背負いやすいが...
その手前の小パニックで次の演奏が乱れて...

やはり僕はローディーさんが居ない方がいい
ということになる

居てくれるなら
制作費をかけられるライブの時だけ来るんじゃなく
何があっても一生僕に付いていてくれるなら...--
それなら居て欲しいけど..


そんなことがあって
僕が自分で全部やっちゃうから
僕に付いたそのローディーさんは手持ち無沙汰になったわけです

リハの搬入のとき
エレベーターで一緒になったのでお互いに挨拶をして
その後、目的の階に着くまで二人きりで黙ったまま...だったり

ふとした会話の時、相手が目をそらせたり

なんとなく、だけど歯車が合わなくなっちゃったんだな
と思いながらツアーを終えた


やっぱりな、悪いことしたかもな
なんて思ってた
そして打ち上げで僕の斜め前に彼が座って

話すことが上手く見付からないから
他の人と喋ってたんだけど
やっぱり気になって話しかけた

「僕ね、極度の人見知りなんですよ
あんまり上手く喋れなかったけどお疲れさまでした
ありがとうございました」って

そしたらその時ようやくわかったのですが
彼も極度の人見知りだったんですね


こういう二人が組んじゃうと
それはそれは妙~な空気になる

絶対こいつ俺のこと嫌ってる
としか思えないような空気に
実はお互いなってるわけで

それがその打ち上げで
お互い人見知りだということが判明して
始めてホッと笑い合えたのです



それから数ヶ月してまた
そのローディーさんと一緒の現場になって
またエレベーターに二人で乗った

前回のことがあるから今度こそスムーズにやれるだろうと思った僕が甘かったのですな

僕は右上、彼は左上に視線を向けたまま
(要するにそっぽを向き合って)
二人で妙な沈黙のままエレベーターに乗ったのです



せっかく人見知りが馴染んでも
ちょっと時間が経つとリセットされちゃうのが自意識過剰の人見知り



ラブヒゲの中ではどう考えてもダントツに僕がそういう人間なんで
みんなやりづらくないのかな...

だってそのローディーさん
僕はすごいやりづらかったもの^^;

キライとかそういう話しじゃなくてね
自意識過剰の人見知りだから



ラブヒゲの中で(良いか悪いかは置いといて)
一番突拍子もないことやるのが僕なんですよ

そのローディーさんもね
そうだったの

で僕、そういう流れも含めてやりづらかったから
これ...らぶひげ...
みんな、僕という人間に困ってないかな...なんて
思うわけですね


でもね
ステージに上がって
「エレベーターで黙ってる」ようなわけにはいかないんで
とにかく「やる」わけです

例えそれで、突拍子もないものが出て来ちゃったとしてもね



きっとラブヒゲの中に
僕クラスの人見知りの自意識過剰人間が居たら
ステージの上で僕とその人をくっつけて
黙って見てるだけでも面白いかもしれない

気まずい二人、って感じで
シュールなコント風にきっとなる






話しが変わって
僕が二十歳くらいのとき
ディスプレイのバイトしてたんですが
図面をね、見せられて
「ここのとこにこれを置いて、こっちはこれな」
なんて指示されて

指示してる社員の人がまた自意識過剰の人見知りで
僕もそうなわけで
相手が図面を見ながら説明してる間は
僕はその人の顔を見てるんだけど
その人が確認するようにこちらを見ると
僕はサッと図面に視線を落とすわけです

今度は逆に、僕が背線を上げるギリギリのところで
こっちを見てた相手は図面に視線を落とす

その繰り返し

そして、その説明を理解するための思考と
視線を合わせないための間合いを測る思考と
そんなくだらないことを考えてることがバレないようにするための思考と
3つを同時に進行させなきゃいけないから
もうくたくたになって
しまいには説明も理解出来なくなってくる



僕が演奏の集中のために長年訓練した、と思っているものは
もしかしたら
「自意識過剰を忘れる訓練」だったのかもしれない


なにか、人間の心を
裸にして見せて
そこに生まれる感動を、どうしたこうしたと
考えてるみたいだけど

ただ単に自意識過剰の克服、、、かも

じゃ
僕にとってのギターは?

自己啓発セミナーのカリキュラムの一つの道具、のようなものに過ぎないかも?

え~
じゃ~
今まで僕の演奏で感動してくれた人はどうなっちゃうの?


それは
一回僕の身体を離れた音はもう僕のものじゃないからな

聴く人それぞれのものになるわけだから
それはそれで良いのか...

良くないか...

良いか。。。


良いけど
なんか腰が抜ける話しだな...


僕の父親は
話してる人と目を合わせ続けると
目が痛くなると言ってる

これはだから遺伝なんですね
自意識過剰

どういう仕組みだかわからないけど




さてもう少ししたらラブヒゲに出掛けます

今日も突拍子もないことします

この突拍子もないことは
僕の全てを形成して来た自意識過剰から生まれる

だから実は深いとこから引っ張って来てることになるわけで

長年訓練したことで もし
僕のプレイが誰かの心の奥の方に
少しでも入っていってくれるようになっているとしたら
この突拍子もないことも極めてけば
いつかそうなれるかもしれない


エレベーターでそっぽを向いたまま
きっと嫌われてるんだ、と思ったまま
あの時別れたなら
今もきっとずっとそう思ったままだったはず

僕は自分が自意識過剰の人見知りでも
もう構わないようにも思う

でも今はまだ突拍子もないパフォーマンスかもだけど
きっとそのお互いの牽制の壁を取り除きたいのです


それはきっと
偉そうに
貴方のためとか、お互いのためとか
そういうんじゃないんです


きっと僕が寂しがりだからだと
そう思うんです










さて...

そろそろ出掛けようかな



そして今日も

突拍子もないことしてこよう



















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第1稿

2010-05-02 | 自意識過剰

「自意識過剰」というカテゴリーを新たに設けた

何故,今まで設けなかったかと不思議に思うくらい
僕は自意識過剰に支配されている人間だ


僕の気難しいところも優しいところも
ずぼらなところでさえ
何もかもこの自意識過剰から繋がってきている



自意識過剰から生まれるエピソードは
その時の当事者にとっては笑い事ではないシビアな問題なのだが
それは自意識過剰者にとっての死活問題なだけで
そうじゃない人にとってはどうでもいい
何を悩んでるかさえ解らないことなので
そこが面白いのだ


苦手意識や、コンプレックスなどが無い人間等いないように
多かれ少なかれ人は自意識的なものに縛られてるだろうけど
やはり「過剰」は面白い



それはそれはチマチマした領域で
悶々とエンドレスループしてゆくのだ



この、自分の中の、でも良いし
自分と関わった誰か、のでも良いし
本人にとっては脂汗ものの自意識過剰エピソードを
ここに記して行くことは
まず一つは
自分で自分の自意識過剰を俯瞰することになるから
悶々無限ループから逃れられる、ってこと

もう一つは
後になってみるとそれらはほとんど
笑えることばかりだ、ってこと


僕は、笑うより先に、泣くことを探してしまう人間で
笑いたいからその手前に泣くことを解放しようとするのだけど
でも泣くことを解放するのもなかなか難しいから
気付くと泣くことばかり探してしまっているようなところに陥る

でも本質的には笑いたいのだ



泣く、をすっ飛ばしてすぐ笑えるには
僕にとっては自意識過剰ネタが一番




昨日のラブヒゲの後記を書いていて
これは後記じゃなくて自意識過剰話しじゃないか
なんて思って
このカテゴリーを立ち上げてみたのだが...

こうして書きながらもうすでに
僕の自意識過剰は活発に動いてるのだ


この「自意識過剰」っていうカテゴリーを立ち上げてしまったら
逆に自意識過剰のことを書けなくなってしまうかもしれない、とか...

何故って、只でさえ自意識過剰なのに
そこに更にスポットライトが当たってしまうなんて
いたたまれないかもしれない

でも立ち上げたい

立ち上げたいけど引っ込めたい

立ち上げたい 引っ込めたい 立ち上げたい 引っ込めたい 立ち上げたい 引っ込めたい ...




そうなのです
これが自意識過剰の無限ループ
他人が見たらバカみたいなチマチマの世界



子供と隠れんぼをして日が暮れて子供が家に帰ってしまっても
ずっと隠れ続けてたという良寛和尚が素敵で
良寛さん万歳というカテゴリーを以前作ったのだけど
あまり更新出来なかった

そこでは笑える話しを書こうと思っていたんだけど
この自意識過剰っていうやつのほうが
書けるかも

でも書けないかも

いや書けるかな




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