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Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

「キミと僕」配信開始

2021-05-26 | 榊原長紀 「キミと僕」


「キミと僕」


配信開始になりました




各種DL,ストリーミングが出来ます

アマゾンプライムに入っている方など
無料でお気軽に聞けますよ

こちら












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5/24

2021-05-24 | 榊原長紀 「キミと僕」



明日5/25より
「キミと僕」が
配信開始となります

詳しくは明日また追記させていただきます











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170516 //ソロアルバム「キミと僕」のこと

2017-05-16 | 榊原長紀 「キミと僕」



今日はamazonでの販売代行して頂いてる事務所から連絡があり
「キミと僕」を数十枚追加納品しました



作っといて何ですが…


このアルバム
僕は売り上げは決して伸びないと思って作りました

ただ
その代わり
必ず必要としてくれる少数派が居ることも
どこかで確信していました


子供の頃からずっと
そのことを伝えて来る声が聞こえてたから



音楽でご飯代を稼ぐ道を選んでしまったけど
どうしてもお金では割り切れないものが
僕の中に長年大きく比重を占めてたので
その声に応えるものを作らないと死ねないと思いながら
自分にとってディープ過ぎてずっと作れずにいたのです


そして運命の風向きが少し変わった時に
力を分けてくれる人と縁が出来
助けられながら作ることが出来ました



これが数十枚追加になったってことは
この世界で数十人の人の所に届いたわけでしょ

僕としてはそれでもう思い残すことは無いくらいに
感じてしまうんです





全部で500枚プレスしたんですよ

段ボールに2箱分



売れたり
車に少し積んであったり
販売に対しお預けしてる場所もあるのですが
諸々合わせて
今回の追加で1箱が空になったんです


商業ベースに絶対乗らないであろうこの作品が
とりあえず1箱空になったって…

ちょっとまだ信じられん ^^;



。。



この人生で少数派の枯渇を持つことになってしまった人は
その孤独を埋めるのって
いつの世でもなかなか難しいことだと思うのです


「少数派の枯渇」って
人に言ってみてもなかなか理解されない類いのもののことです

それには人それぞれいろんな起因や種類が在ると思いますが
世の中を見渡してみて僕のアンテナに触れて来るもので
「ここ...ほとんどの人がフォローしてない」
と長年感じ続けたポイントに向けて
このアルバムは作ったのだと思います

そしてその枯渇ポイントを持っていない人には
全く面白くない作品だと
これも確信的に思います



音楽で仕事をし出してから
何をどう努力しても
仕事でしっくり感じることが出来ず
ただ悶々とするしかない時期が長く続きました

その枯渇感が苦しくて
今思えば大変恥ずかしいことですが
仕事の場でもネガティブオーラをだいぶ出してしまってたと思います


現場の上の方から「お前は絶対に間違ってる」と
激しく叱られることもありましたし

「腕は悪くないんだけど性格がね…」と
ミュージシャン仲間に言われたこともあります


この「キミと僕」にやっと織り込むことが出来たメッセージを
その頃はまだ言語化 具現化 出来ていなかったんですね

僕の中では
少数派の痛みに向けたメッセージを
上手く仕事の場にも活かしたかっただけなんですけど...


仕事人としての腕を磨くことより
いつまでも喉に引っかかったままの魚の骨みたいなこの想いを
どうにかすることばかり考えて仕事をしていくうちに
僕のギターは無意識下に
ヒーリング的要素を増やして行ったようです


誰にでも仕事の悩みはありますから
私的な葛藤を劇的に語るつもりは無いのですが
それでもだいぶ少数派的葛藤の歴史を歩いて来たもので

ある意味その道のりの回答であるこのアルバムも
当然マイノリティな存在ですから
「このアルバムを買う人が居る」ということだけで
僕は感動してしまいます



人の抱えるマイノリティな枯渇に向けて作品を作らねばと
ずっと感じて来た自分は
実は自分がマイノリティ枯渇の真っただ中で
もがいて居た人間なので

この売れないであろう作品を買ってくれる人が居る
ということが
「お前の枯渇はお前だけではないよ」
というメッセージとなって自分に返って来てるんですね




子供の頃からずっと心の中に聞こえて声は
今は
伝えて来る内容を明るい色に変えました


このアルバムを作ったおかげで
それと
買ってくださる方が居ると知ったおかげで






























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贈り物

2016-09-04 | 榊原長紀 「キミと僕」





雲の上まで突き抜けた煙突


何もかも知っているのに知らぬ顔の太陽























雲の中をどうどうと流れる河と

勇ましく進む帆船


そして雲の波間に疎らに浮かぶ
そこに住む者の家々





















雲の切れ間の向こうまで伸びた線路

この線路はきっと永遠に続いている


刃物のように細い三日月と
粒子の尾を引きながら飛ぶプロペラ機




















白い鳩が少年を運んでゆく




















まだ見ぬ未来への期待と怖れから頬を紅潮させながら




















。。。

















夏の終わりの穏やかな日曜日

とても嬉しい贈り物が届きました































僕のソロアルバム「キミと僕」の銅版画の原画を

作者である小田 啓介さんが贈ってくださいました








自筆のメッセージが添えられてありました

















出来上がった後
作って良かったのか悪かったのかも解らなくなってしまうほど
自分の深い部分から抉り出そうと試みたこの拙い作品は

聴く人に届いたか届かないかも解らないほど
微弱な息づかいをしながら
この世界の片隅に存在させて頂いています


その 僕の
病的とも言えるまでの自分勝手な深みにはまったこの作品の
ジャケットをお願いした小田さんが
応えてくださったメッセージは
曼荼羅ともいえる心情風景描写でした





僕と小田さんは
ほとんど言葉を交わしません


それは
一般的な社会では不躾な行為にもなるのでしょうが

僕と小田さんは多分
言葉、というツールでは
対話が成り立たない世界で関わってしまったのです



余分な事は何も語り合いません


それがお互いへの最高の誠実だと感じるからだと
僕はそう思っています






















僕は
家の中の一番良い場所にこの絵を掛けました


僕がこの世界から居なくなる日まで
毎日この絵と共に生きることが出来るように




















小田さん


ありがとう






































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海外配信

2016-07-20 | 榊原長紀 「キミと僕」



「キミと僕」の海外配信の準備が少しずつ進んでいます

Duo LIBRAでもお世話になっている音楽事務所に委託し
海外配信に向けての英語タイトルも付けて頂きました
僕は英語ダメなので

日本語タイトルから感じられる叙情感を
なるべく考慮してください、とお願いして
こういう感じになりました


日本人である僕の情緒や心情風景などが
海外の人にどう伝わるのか
もしくは伝わらないのか
興味津々です


もうある意味このアルバムは
自分だけの手のうちは離れて動き出しているので
俎板の鯉状態

運命の流れを楽しむ事にしたいと思います








1 銀河鉄道の夜
ギンガテツドウノヨル
Night on the Galactic Train

2 夜空の橋
ヨゾラノハシ
Night Sky Bridge

3 星へ続く道
ホシヘツヅクミチ
Path to the Stars

4 キミと僕
キミトボク
You & Me

5 ケンタウルス祭の灯
ケンタウルスサイノヒ
The Lights of the Centaur Festival

6 君が泣くから僕も悲しくなる
キミガナクカラボクモカナシクナル
I’m Sad Because You Cry

7 遠廻り
トオマワリ
Taking the Long Way

8 ともだち
トモダチ
Friend

9 うららかに
ウララカニ
Brightly

10 優しさの宿る街
ヤサシサノヤドルマチ
A Kind, Full-hearted Town







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Amazonでの発売予定日

2016-07-18 | 榊原長紀 「キミと僕」





榊原長紀ソロアルバム
「キミと僕」は
Amazonでの購入がもうすぐ出来るようになります

発売予定日
2016/8/3


こちら














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浦賀ベテルの家さんとのご縁に思うことのメモ

2016-05-28 | 榊原長紀 「キミと僕」



今は亡き灰谷健次郎さんが
障害のことを個性と呼び
その理由を著作物で幾つも明確に掲げておられる

それはどう歪曲しようとしても不動だにしない
明確な人間倫理だ


僕のように一般的な生活を送って来た人間でさえ
人に言えぬ葛藤の多少はあるのだから

健常者と呼ばれる人等が大枠を作ったこの社会
の仕組み、利便性の中で
障害と言う呼び名を付けられた人達は
いろんな不安や生きづらさがあるだろう


でも自分の中の固定観念を取り去り
少しでもアンテナを伸ばせば
すぐにそういう存在と触れ合う事が出来る



例え直接浦賀ベテルの家を訪問しなくとも
例えば「キミと僕」が取り扱いのご縁が繋がらなかったとしても
自分の身の回りで出会う人達の心の中に
生きづらさはいくらでも存在しているのだから
健常者でも障害者でも垣根を作らず
リスペクトすれば良いのだ





今回
菊地康之さんのご尽力により
ベテルさんとのご縁が出来たこと
誤解を怖れず言ってみるなら
単純に嬉しいとか光栄とかいう類いの感情とは
少々違うように思います


自分が普段生きている波長が
こういう場所と同調出来たのだな

思うばかりなのです


少し抽象的な言い方ですが…

僕の中に既にベテルは在り
ベテルには既に僕が内包されている

ベテルは
どの地にも誰の心にも
最初から在って然るべき存在の象徴なのでしょう





自分が
今まで見たことも無い風貌で
見たことの無い動きをし
聞いたことの無い声を発し
体験したことも無い触れ合いをしてくる相手
が居たとしても

その相手の発する信号を
心の芯で真直ぐキャッチ出来れば
すぐに仲良く慣れる

僕にとって
ただそれだけのことなのです


そしてその経験はお互いの人生に
歓びを運んでくれる




また1つ
大切な確認が出来ました






















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入稿

2016-01-27 | 榊原長紀 「キミと僕」


音の方のMASTERが完成し
プレス業者への入稿が行われた

作品を100点にまで届かせられないことが
本当に悔しい…

と書くと

ジャケット絵を描いてくださった画家の小田さんや
ミックスダウンを手がけてくださったエンジニアの田中さんは
自分の仕事が良くなかったかと思うかもしれない



そういうことではない
彼らはプロフェッショナルな仕事を残してくださった



これは僕の心の中のこと


生きてる限り
いつまで、どこまで追求しても
満点は得られないのが人の性なのだろうけど


僕の精神をずっと縛ってきたもの
それに縛られ
自分を許す事がとても下手なまま潔癖を求め続けて
気付けばこの年齢になっていた


これは僕の非常にプライベートなソロアルバムであるから
(暴言を吐かせた貰えるなら)
この音は解る人だけに解ってもらえれば良い


この音に織り込んだ想いが
僕と似た呪縛に縛られてる人に届けば良い


この苦痛の鎮静剤になれば
それだけで満足






制作が終わりに近づき
もうあと自分がやれることも無くなって
達成感とか喜びより
少しセンチメンタルになっているのかもしれない















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髪の毛1本のこと殴り書き

2016-01-25 | 榊原長紀 「キミと僕」


素晴らしいテイク4を何度も繰り返し聴きながら

髪の毛1本の欲が出て
更なる微調整をお願いしてしまった僕


いつになったらアルバムは完成するのだ



いや

でも

終わりが見えて来たこの最後のくだりが一番楽しいのかも


終わりたいけど終わりたくない



だけどホント
これ作るのに寿命縮めたわ


だから早くもう完成してしまいたい

でも終わりたくない


いやでもやっぱ終わらせたい



終わらせて僕の音楽人生の10余年の決着をつけて
次なる魂のステージに進みたい



私事で恐縮ですが
長い年月自分の精神を縛っていたものに対しての決着が
このアルバムでやっと出来そうだ


これ出来たらもうとりあえずいつ死んでもいいや

あとは余生だ

だからむしろこの先
心の赴くままに音楽出来る



多分僕の人生そのものがシフトチェンジすることになるだろう





















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テストミックス4

2016-01-25 | 榊原長紀 「キミと僕」


今日はライブ本番で
出かける手前にPCメールにテストミックス4が届いていることに気付いた

もう本番モードになっていたので
出かける前に聴くか聴くまいかちょっと迷ったが
結局2曲ほど聴いた


クリアなのに耳と心に優しい音に仕上がっていた



耳に優しい音質にしようとすると丸い音になる

丸い音は隠りがちに聴こえてしまうことにもなる

隠りがちな丸い音質は神経を逆撫でするものは少ないが
演奏に盛り込んだ想いもぼんやり奥まってしまう


テストミックス4は
その両方が魔法のようにクリアされていた
もう半年以上前に録音時に演奏に盛り込んだ想いが
浮き出て聴こえるようになっていた

自分はこんなに沢山の表情をこの曲達に盛り込んだったっけ?


想いがはっきり感じられるということは
曲から受け取る情報量が増えるわけだから曲が長く感じられるし
聴いたという満足度が上がる


クリアさと
そして良い意味での曖昧さや揺らぎのようなものの
両方が見事に調和されていた


自分が録音したものと
良い意味で違うものにさえ感じた


エンジニアさんによって完璧に化学反応を起こして頂けたことを覚った


2曲聴いただけで十分にも思ったが
やはり帰宅したら全曲じっくり聴いて
OKのお返事はゆっくりしよう
と思いながら出かけた




。。。



ライブの会場に今日も早く着いて
最寄りのコインパに停めて考えていた


制作中のこのアルバムに収録された曲がそれぞれ生まれた瞬間というのは
人智を越えた本当に一瞬の閃きの中でしかない


その閃いたイメージの断片を
最終的には不特定多数のリスナーが繰り返し聴いても耐え得るまでの表現力が作品に備わるまで
演奏家としての練習を重ねながら
同時に練習するほど失ってゆくファーストインスピレーションのピュアな部分を取り戻さんとする葛藤を経て
更には自分の専門外を司る他のプロの方達の力をお借りすることになる


価値観も生きるスタンスも違う他人同士なのだから
プロのノウハウを以て
格好良さげな専門用語を駆使しても
実のところお互いのことは何も理解し合えないのが事の本質だ


そんな何とも心許ないコミニュケーションを経て最後にはプレス業者への依託になる

せっかく良い風合いになっていたジャケットの色見が味気無い風合いになってしまってしまわないか
プレスによって音質が変わってしまってないか…等々
尽きぬ心配と障害をクリアしたものがやっとリスナーの手に届くことになる


クリアしたもの
と書いてしまったが
本当は
幾つもクリア出来なかった要素を残したものがリスナーの手に渡るのだ


他人の手が挟まるほど
自分から発せられた純度は落ちてゆく


価値観もスタンスも違う他人に
自分の価値観を押し付けることは無意味なことだしそもそも不可能だ

ならば最後に残された出来得ることがあるとすれば
他人同士それぞれが持っている力を最大限合わせて化学反応を起こさせ
僕が独りだけで作り上げた仕上がりより
何割も何倍も輝きを放つ仕上がりを目指すしかない

それが得られないなら
他者と関わる意味は無い
独りの範疇だけで作品制作をすれば良いのだ



人は無意識の内に一瞬の閃きという情動によって突き動かされながら人生を歩いてゆく

人生の中で躓くことが多々あるだろうが
その99,9%は
閃きに依るものではなく閃き以後の他者との関わりの中で生じている


閃きとは自らの内なる声であり
狭義の常識などによって見失ってしまった自分らしさを取り戻す答えが
そこには内在されている


繰り返しになってしまうが
見失うのは閃きの瞬間ではなく
その後の作業である他者との関わりの中なのだと思う

それが生きることの難しさそのものだとも言え
見失えば心が弱り
閃きすら無くなってしまう


弱った心は
情動に身を任せ我が儘に生きることで少しずつ取り戻せるのかもしれない

我が儘な行動は
表面的な人間関係の摩擦にも繋がるが
表面的な人間関係なら失っても生きる本質に於てどうということもない

むしろ自分にとって本当に必要ではない人間関係はフルイにかけられるだけだろう


独りを生きる強さを得るためには
沢山愛情を受けることだ
そして沢山の愛を受けたければ
まず自分から愛すことだ

小さなもので良いから自分の持っている心の財産をなるべく使って
小さくて良いから善行を施すことだろう

道端のゴミに気付いたら拾ってゴミ箱に捨てるようなちょっとしたことで良いのだ


結局そういう積み重ねが人間関係を健全に進める力に繋がってくる



他者と良き化学反応を起こすには
無垢になるしかない

良き化学反応から最も遠い距離にあるのは銭勘定に基づいた関わりだろう

次に遠いのは
煩い他者との関わりを避け
自分独りで完結させることだろう


自分独りで純度を増すことの充足も在るが必ず
煩わしい他者との関わりが恋しくなるだろう


棺桶に入る時に
何故もっと全力で他者と関わらなかったか
と後悔が過るだろう


…と

こんな理屈が今日は湯水のように湧いて来る


このまま語らせれば宇宙の果てのことまで語るかもしれない


だから
アルバム制作の終わりが近づいていると感じるのだ

真理をアルバムに宿すことが出来そうだからだ




こんな感じの中
今日は南青山で半クローズのライブのサポート

僕の心は
ライブの事に在って無いが如く

とはいえ
深い根っこの部分では
しっかり在り過ぎるほどに在る


そこにしっかり愛は在る

早く到着し
最寄りのコインパに停め気持ち良い青空の下
このメモをしたためている










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テストミックス3

2016-01-22 | 榊原長紀 「キミと僕」


昨年末にジャケ絵の完成に伴って
今度はプロの方に音のミックスダウンをお願いした

丁寧にやって頂きたかったので〆切は決めず


ジャケ絵の時と同じように、最初に自分が抱いているイメージを
なるべく細かく具体的にお伝えした
そして今年に入りテストmix1が来た

すると
欲しいものと全く違うものに出来上がって来た




修正をお願いするために
更に細かく指定したり参考音源を添付したり

そしてテストmix2として出来上がって来たのものは
僕のオーダーしたものは全て網羅してあるのに
欲しいものからは更に遠ざかっていた


腕は確かだしコミニュケートにもブレの無いプロフェッショナルなエンジニアさんであり
事前に彼の作品も聴かせてもらい
これなら僕の感覚と重なり合わせられる、と確信していたのに
細かくリクエストするほど音が理想型から離れて行く…という


僕にとってこんなに精神を蝕まれることは無い
昨年ギターの録音時には突発性難聴
ジャケ絵が完成して間もなく帯状疱疹という
決して望んで等いないが何故か引き寄せ背負ってしまう僕特有の身を削る性も
多分これ以上はもう心身が持たないだろうと思い始める

そして僕が求める世界がきっと異常な領域で
プロの人にも理解してもらえないのかもな
と思って泣く泣く
「どうしたら上手く伝えられるかもうわからなくなってしまったので
拙いのは重々知りつつですが自分のmixを使うことにします」
という内容のメールを送った


するとエンジニアさんから
「最後にもう1テイクだけ聴いてみてください
これでも違うようだったら榊原さんのmixで行きましょう」と
テストミックス3というのが送られて来た


期待しないように...
でもどこかで期待しているのだろう
恐る恐る聴き始めた途端
しっくり感に包まれ
聴き進めるうちに懺悔の徒のように頭を垂れ
音の世界に埋没した


僕が欲しい要素がそこにはほとんど詰まっていた



狐につままれた気分でメールした

「なんか...良いかも、です」

と返信するとエンジニアさんから来た返事にこうあった

「実は一番最初に自分が良いと思うようにミックスしたテイクなんです」と



僕がなるべく細かく詳しくリクエストしてからは
プロとしてそのリクエスト項目の一つ一つに応えてくれたので
むしろエンジニアさんの美学が消滅してしまった
ということだったようだ

音楽を言葉で説明することは出来ないこと
改めて身に沁みる思いだった


mix作業の続投はもちろんお願いした



。。。




既存のフォーマットでは解決出来ないクリエイティブ作品を
他者と協力し合いながら作り上げるのはホントに難しい

作品に対し芸術的に関わるということは
この世界の負の存在に対する正の主張であり
負に依って付いた自分の傷口から滲んだ血が
ガソリンとなるのだから
濃くしようとするほど
関わろうとするほど
そしてガソリンが足りなければ
傷口を自らの手で開いて血を溢れさせることにまでなるのだから
下手すると神経がぼろぼろになる


だから
こういう領域に足を踏み入れる人は少ない


僕も仕事でこういう領域に足を踏み込んで
次からもう呼ばれないことも多々ある

踏み込む人も少ないし
踏み込まれても困る人も多いのだろうと思う





ミックスダウンに関し
エンジニアさんにどう説明しても欲しい音に近づかないことで
僕はもう他者に託すことを諦めようとした

その諦めの決断がエンジニアさんのスイッチをONにし
エンジニアさんは僕の細かい注文を無視して
彼の美学を音に投影した

そのテストミックス3を僕はとても美しいと感じて
紡がれる音の波に引き込まれ
いつしか懺悔の徒のように頭を垂れ
気が付けば聴きながら涙が出たのだった



エンジニアさんが「あるライン」を越えてくれたのを
明確に感じた

「あるライン」とは
プロがミスを避けるため
ある意味プロがプロであるために用意している「押さえ」のこと

それを取っ払い
下手すればクライアントから
「あんた何やってくれちゃってるの?
こっちがオーダーしたのと全然違うことやってくれちゃってるじゃない?
どういうつもりなさ」
と大叱咤を受けることも否まず
自分の美学を思い切りぶつけてくれることだ


エンジニアさんがこの領域に入ったことを
僕はとてもハッキリ感じられる


そしてそのことに感動してることを伝えたくてメールで送ったが
もしかしたら社交辞令だと受け止めてるかもしれない
信じてもらえてないかもしれない


だからここにこうして書き残したいと思うのだ





この人生を面白く豊かに生きる方法を
また一つ学んでいる


擦り傷はどんどん増えるが生きる面白みは増している











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ジャケットデザイン完成

2015-12-31 | 榊原長紀 「キミと僕」



画家小田さんには通算5回の修正をお付き合い頂き
年内ギリギリでジャケットデザインが完成した


「時を股がった心の中の想い」という
非常に説明しづらい観念的なイメージを
なんとか言語化しながら伝え、現実での「絵」にまでするのは
小田さんも僕も
また見守りつつ要所要所で意見してくださった菊池さんも
3人とも難しかったのではないかと思うのだ


人の世では「我」を通せば摩擦が起こるばかりだが
芸術の世界では「我は折らず、合わせて和とする」ことが重要だと常々感じている

そこが芸術の神に近い部分だ


完全なる神に人は決して届かない
だが
この作業
そこへ近づけるステップにはなった

それだけで十分な命の仕事をしたと思える



あとは音のミックスダウンとマスタリングが上がって来たらプレス
ということになる


30年来の音楽仲間に紹介してもらった今回のエンジニアさんは
昨今の音圧戦争に辟易している僕と同じような価値観を抱き
僕がこのアルバムを作るのにあたり多大なインスパイアを受けた
藤代誠二さんの影絵の世界を僕と同じように愛する人であった

こういうご縁にも必然を感じる

このまま
我を折らず和する縁を引き寄せて行きたいものである



自分ごときには
まずまず立派な年越しとなった


















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2015/12/25//銅版画

2015-12-26 | 榊原長紀 「キミと僕」


表ジャケットの下絵が決定してからずいぶん経ったが
小田さんより初の銅版画が添付されて来た

作者の制作時間が長いほど
その人の心情が作品に織り込まれるように感じるのだ

だから待つのはいつまで待ってもいい
僕が生きている間にでも間に合えば
くらいに本当に思っている

もしこのアルバムを引き継いで作ってくれる人が居るなら
僕が生きてる間に間に合わなくてもいい
くらいな呑気さだ



下絵から銅版画になることで
予測不能なノイズ的な小さな線や点や
モチーフの1部分が小さく欠けていたりする

そういう計算外の産物がとても好きだ


ただ下絵の時より黒見が多くなっていたのが
僕のイメージとは逆だったのでご相談させて頂いた


銅版画は濃くする分には幾らでも出来るが
薄くするのは難しいそうだ

ただ、なんらかの手立てで調整してみてくださる
という



。。。



表ジャケ絵の完成が見えて来たので
音源の方のミックスとマスタリングの手配をした


アルバム構成はほぼ独奏だが
プロのエンジニアにミックスを依頼する事にしたのだ


20年以上の付き合いのあるミュージシャンの友達に
信頼の置ける近しいエンジニアさんを紹介してもらった


「僕のこだわりはある意味特殊だし相当だけど
最後まで付き合ってくれる人かな?」

と心配で、よくよく友人に確認したが
大丈夫と太鼓判を押してもらった


自分以外のしっかりこだわりを持つクリーエーター達と関わりながら
少しずつ自分の作品が完成に近づいていることに
沸々と喜びを感じている



帯状疱疹で左瞼完全撃沈
左おでこ半分だけ発疹で見事に真っ赤
右瞼も半分しか開いてない
という見た目には悲惨な年の瀬ではあるが
精神はかなり上機嫌である

























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ジャケ絵 3回目と4回目のラフを経て

2015-11-27 | 榊原長紀 「キミと僕」


朝6時に起きて録音
一つ仕事を納品した後
ずっとリピートして自分の音源をかけている

このところ毎日
とても長時間聴き続けている



録音する時って
自分のプレイへの駄目出しを繰り返しながら
理想形へと近づけるわけだから
終いにはもう自分の音がつくづく嫌になってしまう

レコーディング後に自分の音を聴きたがらないミュージシャンは
結構居るように思う


僕も半年前の録音し終わった直後には
自分の音などもう絶対聴きたくないと思っていたが
「自分の作品を聴く」というエネルギーが戻って来た
それは紛れも無く
小田さんの描いたジャケ絵によってもたらされたエネルギーなのだ



4回目まで修正を重ねてくださった絵と
音を合わせて聴いていると
ス~ッとイマジネーションの世界に引きずり込まれ
一日中聴いていられる


聴いていられるし
流しながら聴かないでも居られる


聴きながら入眠も出来るし
聴きながら淡い夢も観れる


何をしていても邪魔にならない


それなら無くても同じか、、と
音を止めてみると
なんだかとても寂しい気持ちになる


やっぱりこの音に居て欲しいんだと知ることになる




生活の中のどんな時にもずっと寄り添ってくれそうな作品に
少しずつ仕上がって行く




とても嬉しい


















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あるばむのこんせぷと 覚え書き

2015-11-21 | 榊原長紀 「キミと僕」


僕がたまに使う「インナーチャイルド」というキーワードは
心理学で使われる概念なんでしょうが
きっと僕は多少自己流に解釈して使っているのだと思う


過去にそういう類いの本を拾い読みした時期はあったが
専門家になるのが目的ではなく
自分の内部の歪みの正体を知りたかっただけなので
「インナーチャイルド」という存在の概要を浅く知った時点で
そこから先は深く調べるのは止め
自分の日常で自己流な使い方をしてきた


僕の自己流な使い方はこうだ


現実にはあり得ないことなので仮定としての話になるが
人間の精神が成熟しきったなら
何に対しても不満が起こらず
依って語ることも一切無くなる

人が語りたくなるのは
満たされていないからだと考える

語るとは実際に論理立てて語ることから
憤慨して怒りを発するようなこと
偽善や独善的な言動まで
真理や摂理に背くいろいろな事全てが含まれる



語らないとは
生きながら樹のように一言も発しないことを意味する

ただそこに在って
可もなく不可もなく生きているだけだが
摂理に沿って生きているので
他者へ心地好い波動を送ることが出来ている



戻して
語らずにはいられない理由は
語っている「今」に原因がある場合はほとんど無く
原因のほとんどは過去に受けたストレスを
浄化出来ずにいる負の残り火に依る



世の中を眺めると
過去にストレスを受けた相手とは全く関係無い
今、目の前に居る相手にぶつけている茶番がほとんどに観える



ぶつける形は幾種類もあり
怒り 悲しみ 被害者意識の訴え
強い依存や共依存などいろんな形で起こる

これらを起こす自己の内部に居る者
を指して「インナーチャイルド」と僕は呼び
満足な授乳を受けられていない乳児が
空腹の枯渇と不安から泣きじゃくっているのと全く同じ仕組みが
大人である我々の精神の内に在る、という解釈をしている


大人である我々の精神の内に住む赤ん坊が満足するまで
自身か信頼出来る誰かによって精神的な授乳を施し
この先授乳は途切れることはない
枯渇を強いることはもう無いのだと
赤ん坊に覚えこませるまで根気強く習慣づける必要がある

まあ…
その重労働を可能に出来る存在は一言で言うなら
「愛」ということになるのだろう



僕の解釈はちゃんとした学術的な「インナーチャイルド」の概念と
あながち離れてもいないとは思うが
細かい部分や使い方は自己流が多分に混ざっているように思う



このインナーチャイルドが大暴れをしている親の元に生まれ育った自分は
良くも悪くもそこからの影響を沢山受け
自身の人生でどうしてもそのテーマを避けて通れない宿命を
背負ったように思っている


今、生まれて初めて自発的に作っている自分のソロアルバムに収録された曲は
このテーマから産み落とされた曲たちで構成されている

これらのうち何曲かは過去に何かのライブで奏でたこともあったが
自分の代表曲だというスタンスを高らかに唱えて宣伝したことは無い


「インナーチャイルド」をテーマに奏でて
しっくり来る場が今まで僕の周りの音楽業界には皆無だったから
場を模索していたのだと思う

そして結局今も皆無なままだから
波長が合いそうな音楽業界以外の人と関わり新たな角度から模索をしている




長い前置きになったが
こういったテーマやスタンスを以て
初めて自身のアルバムを作っている


タイトルは「キミと僕」になることがほぼ決まっているが
もしかしたら変わるかもしれない


過去の制作記録に残したが
曲の録音は僕にとって大変苦しい時間となった

「インナーチャイルド」に触れることだけをOKラインに設定し
1ヶ月間くらい奏で続けているうち
答えの得られない深い深い海の底に沈み
どちらから光が差すのかも解らなくなった


精神のギリギリ限界辺りで予定していた全曲を録り終え
しばらくして突発性難聴を発症した

幸い数ヶ月でほぼ治ったが
自分で言うのもなんだが
突発性難聴はレコーディングの重労働を物語るバロメーターだったのだなと思った


そして曲を録音したのはもう半年くらい過去の出来事になる

壊れかけた耳や精神を修復しながらゆっくり時を経て
今やっとジャケットの絵を発注しやり取りをしているわけだ


ここで話が戻るのだが
当然自分のテーマである「インナーチャイルド」を
発注した画家である小田さんにも投げ掛けた
「インナーチャイルドを描いて欲しい」と


「インナーチャイルド」の存在は男女問わず当てはまると考えていたし
アルバムタイトルにしようとしている「キミと僕」は
「僕」という自分と
「キミ」という不特定多数の全ての命ある者
を表しているつもりだったので

小田さんから上がってきたジャケ絵には
実は男の子が描かれているのだが

「インナーチャイルド」をテーマの中心に置いてるのに
「男の子」で良いのだろうか...
と少し考え込んだ


「女の子」にした方が良いのか

いや
一人だけ描くならなんとなく直感的に「男の子」だろうと思う


じゃ二人描く?
「男の子と女の子」

いやいや、これはテーマが変わってしまう
「インナーチャイルド」ではなく
「恋愛」「初恋」のようなニュアンスが出てしまうから違う


じゃ
「男の子でも女の子でもない中性的な存在」にしたらどうかと考えたが
それも理由はボンヤリしているが何処か違う感じがした


そして最後に1つの考えに行き着いた

描くのは「男の子1人」で良いのかも、と


「インナーチャイルド」は男女問わず
人間の成長過程で精神への授乳が足りていない部分に対して
万人の精神内に生まれる

生まれる理由は男女問わないわけだが
「生まれてからその後」では男女で変わってくるのかもしれない

子供を産まない宿命の「男の子」は生物学上の性質から
その後暴れるインナーチャイルドに苦労しながらも
見知らぬフィールドも開拓すべく旅を続けて行くことになる

子供を産む宿命の「女の子」は
その後暴れるインナーチャイルドに苦労しながらも
子を産み育てる安住の地を探し求めることに意識が向くのだろう
(女じゃないから想像で言ってるけど)
 
「男の子」はずっと不安定な中を旅し続け
「女の子」は安心出来る場所を探しそして得る

男女それぞれに求める場の種類は違っていて
それぞれ場に於いて
それぞれの抱えるインナーチャイルドと対話しながら人生は流れて行く



画家小田さんから2回目のラフを頂き
3つのラフ絵の中から選んだものには
男の子が描かれており
女の子がしないであろうことをしている


これを見て男性は共感し
これを見て女性は自分とは違う性質の存在に愛しさを感じれば
僕のテーマも或る面では具現化されたと言える


僕の音楽に何かしら興味を抱いてくださる方は
ジャケ絵に何が描かれているか
出来上がってのお楽しみにして頂きたい


そしてこれだけ長い文章を書き連ねる自分は
やはり相当に授乳が足りていない暴れるインナーチャイルドを
抱えた人生だと言えるだろう


僕が発するものが暑苦しく感じる方は
なるべく僕から距離を取られるようお勧めしたい

僕の発する言葉や音が
何らか共鳴する方にとっては
僕の長たらしい文章も音楽も
少しは何かのお役に立てるかもしれない















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