Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

4/29

2017-04-29 | ギターの栄養



今日は少し風が強めだが良い天気




全ての窓を開けて屋内に風を通す
それだけで
自分と自然との距離が近づいて気分が良くなる





無意識の中で風の匂いを感じ
風にそよぐ葉音を聞き
小鳥のさえずりを聞いて
それらと自分を同調させながら過ごしている




こんな暖かな日差しなら
あと幾つか発芽するかと期待したのだが
昨日と同じ21のまま
もうそろそろ発芽は打ち止めなのかな


たしか種は30個ほど撒いた記憶があるので
発芽率7割ですから
まずまず上出来だったのではないかしら


明日からGW返上でRHが始まりますが
一段落したら次は朝顔の種を撒こうと目論んでます

その朝顔用にと
昨年使ったプランターの整理などしていると
残った土からこんなのが芽を出してました



葉の形を検索してみるとミニトマトっぽい

これはもしかすると
昨年鉢植えで育てたミニトマトの実が
隣のプランターに落ちたのを気付かぬまま越冬し
発芽したのかもしれない

もしかしたら成長し実をつけるかもしれない


また楽しみが一つ増えました
















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4/28夕方

2017-04-28 | ギターの栄養



さっき昼過ぎから数時間で遂に20、21と発芽した




二十ノ助


二十一ノ助




数時間前の19は多分これだったかな
もうどれが何番目かわからなくなって来た











昼過ぎにゴーヤの定点観測をしてから
譜面を幾つか作り
それらの曲へのアプローチを考えながら
イマジネーションの中で音楽し
時間の観念を手放していると
5時のチャイムが聞こえ僕はふと現実に戻った


ゴーヤの夕方の定点観測をしにベランダへ降りた

二つの新しい発芽を確認し
机に戻り
暗くなって来た窓の外を眺め
無意識に明かりを点けたが思い立って消した



Della師匠とは
日常に存在するノスタルジーの入口
というものについて何度か話をした

これはお互いが強く共鳴する部分だ


ノスタルジーの入口は何処にでも在り
それは或るタイミングで開くのだと僕は思う



このまま暗くなる時間の流れの中に居よう

これは毎日必ず1回開くノスタルジーの入口だ




窓を開けたままボーッとする



配達の車か
荷物を積む音が遠くから聞こえ
そしてすぐ音はしなくなった

原付のエンジン音がして
これも無くなった

雀が1羽
心細げな声で遠くで鳴いている

向かいのお宅の電灯が点く

とても遠くから飛行機の音が聞こえ始め
それは大海原を悠々と泳ぐグジラのように
ゆっくりと時間をかけて音の位置を移動させて行く



風とも呼べないほど微弱な空気の動きを感じる



この部屋では夕餉の匂いはしない

師匠は通勤途中に
夕餉の匂いと音をリンクさせる達人である

リンクさせた嗅覚と聴覚とに意識を集中し
視覚はぼやかして受信する

それもノスタルジーの入り口の開き方の一つだ


多分
ノスタルジーへ入って行くことを
一番に阻害するのが視覚だろう

忙し気な街の雑踏の中
周りに迷惑がかからない安全な位置に立ち止まり
目を瞑るだけで
多分ノスタルジーの入り口は
誰にでも現れる




僕がゴーヤの新芽をいくら凝視していても
彼らが成長する動きを感じ取ることは出来ない

それと同じように
明暗の変化は感じられないくらいゆっくり進行し
確実に窓の外は暗くなって行く


長く尾を引く音の余韻がゆっくり消えて行くように

動物の遠吠えに哀しさを感じるように


僕はノスタルジーの入口から
向こう側に入って行くのだ
























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4/28 晴れ

2017-04-28 | ギターの栄養



昨年ネットに産みつけられたカマキリの卵

後ろの樹の新緑の鮮やかさに目を奪われる






昨日の昼間発芽したばかりだったの15郎が
今日はもたげた頭に土を乗せていたので
取ってあげると


種の殻ごと土は落ち初々しい双葉が現れる
種の殻っていうのは人間で言えば胎盤なんだろうね





昨日の夕方
土を押し上げ発芽しかけていた17郎は
当然のように立ち上がっている

これは昨夕の図


そしてこちらが今日

この子が土を押し上げていたので
僕は昨日
小人の国の入り口をイメージしたのだった





今日の新生児は
18郎


19郎


次はもう20だ
20から先の名前は何と呼ぶんだっけ?
「ノ助」だったかな



俯瞰図



少しずつ密度を増して来ている小人の森
丸っこい双葉が枝豆っぽくて可愛い







このプラ引き出し簡易温室を教えてくれた
bassのザキヤマ隊長に感謝だなぁ

2日後にRHで会うので
まずはこのプラ引き出し温室の成果を報告せねば


晴れた日なんかは引き出しを開け
土に触れるとかなり温かい
これは何も囲わない直植えより早く発芽するわけだ
畑で土の上にかぶせてある黒いビニールの意味がわかったよ


この威力を皆に教えたくなるなぁ

プランターの上をサランラップで覆っても
簡易温室になるだろうな
水やるときに少しめくってやって
アバウトに覆うだけで良いと思うな
密閉しないくらいの方が空気も入るし


鳥が卵を温めて孵化させるのと
植物の発芽も同じなのだね
赤ちゃんは温められて生まれて来る
外が冷たいと生まれるのが不安になっちゃうのだろうね

人間も同じ
だな



。。。




プランターを半分に分けて
パクチーとバジルの苗を植えてあったのだが
相性が悪いのかバジルが枯れて来てしまった

ちょっと手遅れかもだけど
とりあえずバジルを別プランターに移して


元のプランターの空いた場所に
買ってあったパクチーの種を植えた


こういう種なんだな


種の形もいろいろあることが
面白く感じるようになって来た

種の撒き方などを検索すると
何十センチ開けて植えるなどと出て来るが僕は適当
空いた土の上に袋の種全部撒いて
子沢山万歳!こちとらビッグダディじゃ
そしてこれぞ自然農法
お前ら全部発芽してパクチーの森を茂らせるのだ




。。。


名前忘れてしまったけど
近所に生えているのを一枝、数センチ
手折って来たのを挿し木して
見事に花まで咲かせるまでになった


他にも越冬した植物たちがこの季節に彩を添えてくれる









そして人生初体験
ワラビの下処理は
重層での灰汁抜き

灰汁抜き後の重層抜き
を無事終えて
瑞々しい姿になってます

1つ食べてみたら
シャキシャキして美味しい

僕は今日自分の手をかけて
一つの春の味を知ったのでした























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夜の小人の森

2017-04-27 | ギターの栄養






発光した森の中
ちょっとした土の割れ目にしか見えないが
そこが入り口になっていて

そこから小さな穴が地下まで続いていて
中は小人の家になっている


大きな瓶に地下水を貯めたり
地中の芋を煮てスープを作ったり
結構忙しく働いている


bgmはアリエッティで
















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4/27 夕暮れ

2017-04-27 | ギターの栄養



日が暮れる少し手前

風が冷たい

昼間は無かった17番目の発芽





先ほどふらりとスーパーに出かけた

蕗(ふき)を見付けて
子供の頃、家で食べて好きだったことを思い出し
衝動買いして来た

ネットでレシピを調べ調理し始めると
塩揉みとか皮むきとか
煮上がったらまず蕗だけ取り出して
煮汁が冷えてからまた浸すとか
何だかずいぶん行程が面倒だった

こんな面倒な行程を母親がやれていた頃
というのは
我が実家は幸せであったのだろうと
過去に想いを馳せた


因に、何だか判らないが人生初
山菜繋がりでワラビも買ってしまった

灰汁抜きだの
灰汁が抜けたら今度は灰汁汁抜きだの
レシピによっては2晩寝かすというのもあり
ずいぶん面倒な物を買って来てしまった

でも手がかかるものはきっと美味しいんじゃないか
と期待しているのです


蕗とワラビは時間がかかるので
大豆と鶏肉と緑の野菜を
生のトマトと白ワインで煮て
プランターのパクチーを一枝摘んで来て
刻んで乗せて食べた





パクチーは
こんな雑巾みたいな匂い気持ち悪いと思って来たが
これを食した後は身体がデトックスされる感覚を感じてから
急に好きになってしまったのだ


そして
最近は夜型に戻ってしまい
日が暮れたら梟のように活性化する僕は
そろそろ仕事に取りかかるのである



















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4/27 曇り

2017-04-27 | ギターの栄養



↑記事のタイトルに日付と天気を記すのは
夏休みの日記のようで軽いノスタルジーに浸れる

ただ僕の場合
夏休みの日記は嫌いだったので
心地良いノスタルジーではないようだ

その理由を今思い返せば

先生に自分の行動を報告する報告書
のように感じてしまっていたようだ
監視されているようで自由にハメを外した遊びが出来ない
というような窮屈さを感じていたように思う

これは初孫長男だった自分が
大人の目を気にし過ぎる習性を
身につけてしまっていたからなのだろう

その鬱屈の裏返しだったのか
僕は大人の目が届かない遊びに興奮するたちだったから
その欲求を満たすほどハメを外した遊びをしたことが
2学期が始まって日記を提出した時に記されてあったら
きっと先生から叱られると思っていたようだ

今思えば担任教師は
そんなことで叱りもしなかっただろう

だが僕にとっては日記の宿題さえ無ければ
もっと相当な悪さをして夏休みを満喫していたのでは
と思い返されるのだ


長男と言えば
うちの一郎の今日の姿がこれ



これはもう人間なら中学1年生くらいじゃないかしら
共稼ぎをしている親の代わりに食事を作り
まだ小さな弟たちに食べさせたり
末っ子のオムツを替えたりしている頃ではないか

(しつこいが...)
大人からはお兄ちゃんだから我慢しなさい
お姉ちゃんだから偉いね、と言われることが多い長男長女は
良い子で居なければならない強迫観念に無意識のうちに縛られ
その息苦しさに周りの大人が気付いてやれないと
ガス抜き出来ぬまま
運が悪ければ積み木崩し的に金属バットを振り回すか
精神バランスを崩すことになる

周りで辛そうな長男長女を見かけたら
我慢しなくて良いことをそっと諭してあげたいものだ

2番目3番目4番目...にはまた違った葛藤が在るのでしょうが
理屈では想像するようにしてみてるが
実感としてはやはりよくわからないみたいだ

でも
たかだか最初に生まれたか2番目は3番目かそれ以降かで
その人の一生を左右する価値観は相当違って来る

その者たちが互いに和を望むなら
その食い違いを越えなければならない

そう簡単には越えられない

そういう視点で身の周りを見渡してみると
折り合いが取れない関係は
生まれが1番目2番目3番目…が
ずいぶん影響しているように感じるのだ

自分が長男長女で
自分の親が次男次女である場合
大抵親はうるさい

自分が次男次女で
親が長男長女ならば
自分の親は情の薄い人間だと感じるだろう

そんなことから簡単に
人は欠落を負い精神のバランスを崩す

長男長女、次男次女、3番目以降
のどれが良くてどれが悪いという話ではなく
ただ
何番目に生まれたか
その特性を意識するだけで
人間関係の不具合の相当な部分を調整出来る

僕は感じているのです






。。。






昨日はまだ土に半分埋まっていた末っ子13郎
の今日の姿



余談だがアラビア数字で
「13ろう」と文字を打って変換したら
「13浪」となった

司法試験でもあるまいしずいぶん粘ったね
と軽くツボったのでありました



。。。



頭に土を乗せたまま発芽したため
成長が少々出遅れた四郎もしっかりした本葉を広げた


でも
後から発芽した五郎六郎の方が大きい

何かの要因で頭を抑え付けられた人間の子供が
生きる力を弱めてしまっている姿のように観えてしまって
この四郎には僕は特別な感情移入をしているようだ

何かの要因、て
それは家族の中に在るかもしれないし
家の外に在るかもしれない
要因がなんであっても
命の拡散が滞ることは辛く悲しく寂しいことだ

過保護だったかと一瞬頭を過ったが
この子の頭の上の土を取り除いたことは
やはり良かったように思う




。。。




そして今日の新生児たち

14郎


15郎


16郎






俯瞰図はこんな何でもない光景だ
こんなのが道ばたに在っても
気付かず踏んでしまうだろう




でも目線を変えると





これを「小人の森」と僕は呼んでいる


地面近くの視点で写真を撮るのは
実はDella師匠の得意技で
僕は師匠の写真によって
最近、子供のとき以来久しぶりに
この視点を思い出させてもらった


子供の頃
服が汚れるのも気にせず草っ原に寝転んだ

シロツメクサやハコベなんかが
顔に触れてくすぐったかった

土と草との咽せるような匂いに包まれ
アリンコが腕を上って来た

ナナホシテントウ虫なんかを見つけると
ラッキーに思った

ナナホシテントウダマシだと
がっかりした

乾燥してしまったイヌのウンコなんかが在っても
(僕の場合は)平気で触れた



。。。




仕事の締め切りに追われていない時は
自堕落にゆっくり起きて
風の匂いを感じながら
このささやかな植物たちと会話し
ノスタルジーの入り口を見付けては
過去の記憶と遊ぶ

そしてその行為の中から
置き忘れて来た想いの欠片を拾い集め
今の自分を調整して行くのだ















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夕方には十三兄弟

2017-04-26 | ギターの栄養


ついさっきは陰も形もなかったのに
僅か数時間で十二、十三と発芽して
もう十三兄弟




十二郎は
ちょっと成長が早過ぎて
どれが十だか十一だか十二だか
もう判らなくなってしまった

多分一番手前のが十二だと思うのだが



一郎の横に出た十三郎は
チビ助だから末っ子だとよく判る















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新生児

2017-04-26 | ギターの栄養


おなじみ一郎
もう立派なお兄ちゃんの風格


二郎


三郎


四郎
最初土を乗せてた分だけ成長が遅れてるのかしら
頑張れ四郎


五郎


六郎


七郎


八郎


新生児
九郎


新生児
十太郎は
舌をベロンチョ


新生児
十一郎も
ベロンチョ






起きて
簡易プラ温室の引き出しを開けて
成長や発芽を発見すると無条件に嬉しい

スーッと気分が良くなる

それはきっと僕がこの植物たちに
自分の意識の周波数を合わせているからなのだ


周波数が違えば
僕は彼らの成長は勿論
存在にすら気付かないだろう



踏みつけられればすぐに折れてしまうような
まだ儚くか弱い新芽と自分とをリンクするから
ほんのちょっとの成長も嬉しく感じるのだと思う

弱者は敗者ではなく
弱者の目線に立てる者こそが勝者なのかもしれない

そういう意味では
どんどんこの社会から置き去りにされて行きたいものだ

もしキミが置き去り感を感じてるなら
むしろ微笑もう




昨夜僕が師匠と飲みながら
哲学だ唯識だなどと話してるうちに
この子らは土の上に出る準備をしていたのだろう

愛くるしい限りだ


しかも愛くるしさを以てこちらに迎合して来ない

清々しい限りだ




この周波数のまま
今日の仕事をしよう















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的な

2017-04-25 | ギターの栄養


今日は夕方から密談
的な
飲み会へ出向いた


この先近々

真夜中のギター
的な
ものを作ってはどうか

的な話をしに




街のどこかに
淋しがり屋がひとり居るとか居ないとか

それは僕なのかキミなのか

今にも泣きそうに
ギターを弾いているのか
弾かずにただ泣いているだけなのか

愛を失くしたのか
それとも失くしたと思いこんでるだけなのか

何かを求めて
って
何を求めてるのか
既に自分の中に在るんじゃないのか

彷徨う(さまよう)
より
流離う(さすらう)方が
奥田民生的にはカッコイイ

似たもの同志
群れるのはちょっと嫌だけど

刹那的になら此処へおいでよ

だって夜はつめたく永いし
愛を見失った時ほど
苦く寂しいことはないよね

だから
黙って夜明けまで
ギターを弾くよ




からの




屋根の上のバイオリン弾き
ならぬ
屋根の上のギター弾き 
(出来ることなら白いギターがグッド)

的な

そして
屋根の上で
星に願っちゃう

的な






そんなようなものを作って


誰にでもある独りの夜に
聴いたらどうか

的な話をしに
夕方から出かけた僕

考えておいた選曲リストをプリントアウトして
持って出かけた






今日は気持ち良い晴れだったが
風が少し強い

樹の枝が揺れている中
バスに乗って駅まで
そして電車に乗った

おとなしく息をしながら
電車に揺られて或る駅に到着した

そして僕が師匠と呼んでいる人物と合流し
会場であるカウンターしかない飲み屋へ向かった







因に師匠は僕のことを先生と呼ぶ

師匠と先生の飲み会が秘めやかに始まる





森のバラッド〜ジブリギター〜担当の
プロデューサーさんである師匠は
ミュージシャンでもありアレンジとギターも扱う






そしてスピリチュアルな絵も描くし
写真も卓越した視点を持っている

彼との打ち合わせは
仕事の打ち合わせという感覚が全く起こらない

その師匠がありがたいことに
ジブリの次作品の製作オファーを
くださったので
こうして僕は出かけて来たのです

次作品は
先ほど述べたように
星に願ってみたり
いつか王子様がハイホ〜ハイホ〜と来てくれたり
的な方向だと言う





師匠との打ち合わせは
ミュージシャン仲間のリラックスした飲み会のようでありながら
話題は現実的な音楽ビジネスから哲学 宗教 宇宙論 物理学
要するに
人間が生きて死ぬ過程で
何が大切か
という根元的なテーマを含んだ話に自然となる





音楽という形態をCDという物にフリーズして
我々はご飯代を稼がせてもらっているが
それは現世のシステムがそうだから郷に入れば郷に従っているだけで
時代や社会のシステムが違えば表現方法も幾らでも変わってくる

音、音楽
が内包している力は無限だからだ


それと同じように
どんな世でも価値が変わらない普遍的な存在はある





それは
一言で言うなら
愛だ

音楽は愛で
愛は音楽だとも言える






ただ
渋谷のスクランブル交差点の真ん中で
メガホン持って愛を叫んでも
誰も共鳴してはくれないだろうし
共鳴どころか煙たがられるだろう

それは多分
通行人の耳にメッセージを
押し付けることになってしまうからなんだろう

受け取るか否かは必ず
受け手側の自由意思に任せなければならない

だから作り手である僕らは
その愛という普遍的な存在を
受け手が自由意思で欲しいと思った時
その近くに置いてあるような環境を作るのだ


愛は僕などが改めて語らなくとも
既に万人の心の中に存在している

ただそのことを忘れて息苦しさを覚えてる人が居たら
気づかれないように音に託して
ちょっと思い出させて差し上げるだけ
そんなことが我々の仕事なのだ


慈善事業ではないので収益を発生させねばならないが
そこを越えて
師匠とは音楽とか人の心の根元的な話が出来るので
とても楽しいしありがたいご縁だ


おまけに師匠はラスケアードが得意だそうで
飲み会の最後にはラスケのやり方まで教わった

ラスケ時にはストロークのように腕まで使っちゃ駄目らしい
ドアノブを回すような感じで
手首から先だけクルクルすると
小気味よいラスケになるとのことで
僕も明日起きたら練習してみようと思っている






さて真面目な話
森のジブリギターの次作品というのはディズニーカバーです


もう少ししたら製作に入ります
リリースは10月くらいになりそうです

1年のうちに2枚のアルバムを制作出来るなんて
僕は幸運です

貴方の独りの夜に
そっと寄り添うような音にしたいと思っています





師匠と先生のコンビで
良い作品を作りますので
楽しみにしてください





















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4/25 晴れ

2017-04-25 | ギターの栄養


9人目まだ生まれず
しかして8人の発芽兄弟は順調に成長中


一郎は昨日よりもう大人っぽい色になってる


二郎


三郎


四郎の頭の上の土は僕が取り除きました
過保護だったかな..


五郎


六郎


七郎


八郎



このままもうしばらく引き出し温室で育てて
ゴールデンウイーク開けくらいに
プランターに移し替えようかな

そしたら次は引き出し温室には朝顔の種を植えよう

グリーンカーテンのネットを増やさないとなぁ



















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森からの贈り物

2017-04-24 | ギターの栄養


最近急にお酒が不味く感じるようになって
それまではほとんど毎日飲んでたのが
1ヶ月前くらいからほとんど飲酒しなくなってしまった

急な変化を不思議に思ったが
その方が心地良いのでそのまま飲まない人になった
(お付き合いの場では飲めるけど)

飲まなくなってしばらくすると
味覚が変わり始めた

自然に薄味になった

タンパク質は肉ではなく
大豆から摂ることが徐々に多くなってきた
その方が美味しく感じるのだ

でもまだたまにステーキも食べたくなる
そんな時はタレは要らなくなり
塩だけで食べるのが一番美味しく感じるようになった


いろんなことが変わって行く今日この頃
植物に触れることがどんどん心地良く感じられるようにもなった

植物が頓に好きになった最近ではなく
もともと僕は森とか草木に惹かれる人間だ

都会派でも海派でもなく
森派なのだ

海のシチュエーションをイメージしてギター弾くことは
全く無い
(といいつつ過去に海のシチュエーションのアルバムを出しているが
これは当時は自覚は無かったが
今思えば多分お仕事の領域だったのだろう)


森の奥に人知れずこんこんと透明な水が湧いている小さな泉なんかを
イメージして
その「こんこん」という情景、状況、気の宿り、こんこんという音
などをギターで描写しようとしてる自分がいる

因に
ジブリのカバーアルバムの
「カントリーロード」とか「Fine on the Outside」「風の通り道」
なんかのギターは
僕の中では完全に「こんこん」言ってる



ころころ話題が変わって申し訳ないが
最近
ナッツ類は善玉コレステロールを増やすと知って
毎日ちょっとずつ食べ出した


マカデミアナッツ
クコの実
ピーナッツ
レーズン
乾燥バナナチップ
みたいのが少量ずつ入ってる小袋を
ちまちま食べるのだが
最初は別段美味しいものでもない気がしていたのが
だんだん美味しく感じるようになって来た

美味しく感じるにつれ
森に住むリスなんかの気持ちがわかる
なんて思うようになって来た

僕はどんどん森の人になってゆくのだな
と思って流れるままに流されている




また話が変わるが
実はつい最近
とても感動する出来事に遭遇した

無性に動物と話がしたくなって
最近のある日、多摩動物公園へ出かけた

話がしたくなって、というか
今の自分なら
多分動物と話せる気がしたのだ
何の根拠も無いが確信めいたものがあった

動物園の中をゆっくりまわりながら
動物の目の動きとか反応を眺めながら
どの動物にも心の中で
「こんにちは」とか「奇麗な模様だね」とか
「逞しいね」とか「チャーミングだね」とか
いろいろ話しかけると
必ず1、2度は何かしらの反応をする

檻の中の生活に倦んでしまい
野生を忘れた者にも
「気分はどう?」と話しかけると
ちゃんと薄目を開けて
「だり〜んだよ」という反応する



もともと大好きだったオラウータンのところに来て
「こんにちは」「会いたかった」と心の中で話しかけると
ガラス越しの向こう端にうずくまっていたオラウータンが
おもむろに僕の真ん前に移動して来て
じっと僕の目を覗き込んだ

目の奥まで見抜くようにじーっと見るので
僕もその子の目の奥までじっと見つめた

お互い一瞬も目を逸らさずしばらく見つめ合った

僕は心の中で
「君に会いたくて来たんだよ」
「君が好きだよ」と継続的に伝えた

僕の周りには勿論沢山の観覧者たちがいたが
オラウータンと僕の一種異様な気のやり取りに気づき始め
少しざわついて来た

オラウータンは唇を尖らせ
ガラス越しに僕にキスをした

そして腕を上げ立ち上がって
もしガラスが無かったら
僕に覆い被さるような姿勢をとった

周りがずいぶんざわめいてしまったので
急に恥ずかしくなり
残念だが僕はその場を立ち去った

その後しばらくの間
なんともいえない幸福感に包まれたのだ


それがこの子


相手と目の奥までをずっと見つめ合うことは
今の僕にはまだ
怖さと悦びの両方が存在する行為なのだと覚らされた

そして恐れをもっと取り去ったら
僕はもっと悦びを手に出来ることを知った




そして今度は今日
3匹の森の住人たちがうちにやって来たのだ


リスでしょ


ハリネズミでしょ


ミニパンダでしょ




これは音楽を介して近しくなった大切な友人が
手作りして贈ってくれたもので
僕のステージ衣装用のシャツの生地の柄なのだ


僕は自分では決してこういう生地を選ばない

着る物にズボラだし
ファッションに全く興味ないし
地味な物ばかり着てるし


その人は
絶対ギターを弾いている榊原さんに似合う
と思ったのだそうだ

僕が過去に着たこともないような柄を
そう感じるって
それはとても面白いことだと僕は思った

それは
その人はギターを弾いている僕から放たれている気の色とか匂い
のようなものをキャッチし
それに波長が合う色や柄のようなものを
あつらえてくれたのだ

もう少突っ込んで言ってみると

全く飾らない地味な僕の芸風から感じさせる
少しダークな色調に
この明るいパンダのような少し遊び心を乗せることで混ざり合い
僕の放つ音が今までに無い色になることを
多分その人は(無意識かもしれないが)感じているのだ

そういうことを僕は面白いと思うのだ


僕はこのピンクのパンダの裏生地が見え隠れする
ハリネズミとリスのシャツを
そのうちどっかのライブで着ると思う

多分その日
シャツを作ってくれた人の導きで僕は
桃の花のような気を放つ人と出逢うと思う





全ては森からの贈り物















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半日で8人兄弟

2017-04-24 | ギターの栄養



一郎



二郎



三郎



四郎



五郎



六郎



七郎



八郎




しかし今朝観察してからたった半日で
こんなに変化するんだな



人間の動きよりずっと遅い彼らの成長を
リアルタイムで感じることは、まぁ出来ない
だからこれも一つの
「目に見えない世界」と言えるかもしれない

リアルタイムには感じ取れない植物の成長を
こうして感じながら自分の心が喜んでいることも
5次元目の営みだと言えるのではないかしら



しかし、もやしみたいなくせに
土を押しのけて出てくるところが逞しいではないか


四郎はいつまで土を乗せてるのかな
双葉の又の間に土を挟みながら発芽しちゃったのだな


昨年はホームセンターで買った3株だけで
適度なグリーンカーテンになったから
今年はさぞ生い茂ってくれるんだろうな


兄弟の数が二桁になったら
何と呼ぼうか
十朗
十一郎
十二郎
とかでいいか
そのうちきっと誰が誰だかわからなくなるし

十だけはキリがいいから
十太郎にしてみるか

二十の位は「ノ助」にしよう

三十の位は「衛門」でいいか



ところで
野菜の種なんて
料理したら全部捨てているけど
試しにちょっとでも土の在るところに
自然農法のように適当に撒いといたらどうなのかな

淘汰されるものも勿論いるだろうが
必ず何かが生き延びて茎や蔓を伸ばし
葉を茂らせ実を結ぶだろう

此の世界にある土の全てに
適当に撒いといたらどう?


都会の大通りの中央分離帯のところに
茄子やトマトが生ったらどうかしら

歩道の街路樹にゴーヤが蔓を伸ばし実をつけ
それは誰のものでもないから
誰が捥いで食べてもいいわけ

アスファルトの小さな割れ目から伸びた蔓には
サヤエンドウが生ってたりする

排気ガスの中で育った野菜に抵抗がある?
でも
農薬の方が全然毒なんじゃないかしら



一戸建ての庭は勿論
小さな公園なんかにも野菜が沢山実る

縁側から手を伸ばし
その日の食材を収穫する


うちの団地は芝生部分が沢山在るから
もしそこ全部に種撒いたら
団地の全住人でも食べ切れないほど生るだろうな

そしたら近所の戸建てのご家庭にも分けて差し上げる
そして良い交流が育まれる


道を歩いていてお腹が空いたら
どこにでも自由に食べられる野菜が在る

用水路を発達させ
公園の水飲み場のように
無料で使用出来る水場を沢山増やす

そうすれば野菜や果物を捥いだ後
数分歩くうちに必ず水場が出て来て
洗って食べることが出来る


これってもしかしたら桃源郷じゃないか?



人類が病気になりやすい微生物も涌くなら
そういうのは最低限管理しながら

食べ残した芯と種は
土のところに適当に捨ててく
これは
捨てるのではなく
「撒く」ということになる

種は翌年発芽し
食べ残しの実は腐って肥料になる





でもね
こんな世界が現実になるとは
別に思ってないのですよ



でも
自分の身の周りだけで
ささやかに営むことは結構簡単に出来る
とは思っているのです

それにプラス
同じような波長の人たちと平和に関わったりしながら
(もしくは別に現実で関わらなくても根源的には既に繋がってるし)
反メタボな贅肉の少ない人生を送ることは簡単だと思っている

そしてそこには
宝石の採掘場みたいに
そうとう沢山の幸福感が内在されてる





あぁ...

これから毎日
此の子らとの対話と夢想が
活発になりそうだ

















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発芽兄弟

2017-04-24 | ギターの栄養


昨日は見なかったので
今朝は、どれどれ👀と見てみると

一昨日発芽した長男はみるみるしっかりして
今日はこんなになってた

生まれたばかりの緑色って初々しい



背丈も一日でグンと伸びて






その横に次男が出て来たことを確認







プラボックスの引き出しを全開にすると
奥の方に3男も居た




昨日は水やりしなかったから
今朝はたっぷりあげていると





小さな4男を発見



更に5男発見



写真、焦点が合わなかったけど6男








また今年も始まっちゃったなぁ
ささやかだけど偉大な命のドラマ




今日の僕はこの先の仕事の仕込日ですが
(こんな僕でも一応仕事してます^^
結局遊んでるようなもんですが)
この先の僕のブログは
音楽のことよりきっと
植物のことばかりになってしまいそうです




















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心の置き場

2017-04-22 | ギターの栄養


この世界が少なくとも5次元以上で出来ていることを
最近自分なりに理解出来たように思うのだ

理解とか、意識、出来たことで
僕の日常は
穏やかさが安定したように思う


それは目には見えないことの話だから
なかなか気付かなかっただけで
解ってしまえば簡単で当たり前なことだった

一応付け加えておくと
これはオカルト的な話ではなく
至って普通のことの話だ


太陽の光は目に見えない
しかも
♪手のひらを太陽に透かして見れば♪
手はオレンジ色になり
光は手のひらを貫通さえしていることを知る

空気も目に見えない
音も目に見えないのに受け手の心に作用する

目に見えない存在は当たり前にこの世界に沢山在る


5次元目も
そういった1つなだけだと捉えたのだ



縦横高さで3次元
時間をプラスして4次元

そして5次元目は
自分の心が共鳴する周波数フィールド
ということにした

勿論、もっと多次元であることが
人間は未来に意識出来るようになって行くのだろうから
現時点ではとりあえず
5次元目、までで
そこを共鳴周波数フィールド
としておくのだ


。。


自然の摂理では
同じ周波数のもの同士は共鳴し
違う周波数のもの同士は共鳴しない


これを日常的な世界に例えて説明するとしたらこんな感じになる


自分が主人公の2つのシチュエーションAとBを設定する


どちらにも自分は居て
時間の流れも状況設定も同にする


またABどちらにも自分にストレスを与える存在である人物「X」
が目の前に立っていて
自分に向けて嫌味を言って来たり
もしくは
こちらの価値観を蹴散らすような強い自己顕示を押し付けて来る

AB
登場人物も設定も全く同じにした上で
自分の心の周波数だけ違うものに設定し
ストーリーを進める



Aの自分は
普段から 自分の精神内部の恐れや怒り
また被害者意識といった感情を
コツコツとコントロールする訓練をしていた

Bの自分は
普段からストレスを感じると
その対象に対しての不満や嫌味を放ったり
被害者意識を募らせる習慣がついていた


今 目の前の「X」からのマイナス言動を受けて

Aの自分は
普段の訓練により
そのマイナス周波数に共鳴しなかったため
相手のマイナス言動に対し「無関心」で居られた


苛立ち
不安
怒りなどは
相手がぶつけてくるものではなく
正確には
相手がぶつけて来たマイナスに
自分の内部に既に存在しているマイナスが共鳴したものなのだから
自分の内部を浄化しておけば
マイナスに共鳴は起こらない

そして無関心で居られたその結果
自分の悦びも乱されることなく
普段通り和やかに過ごした


「X」は
共鳴しない相手に マイナスをぶつけても
暖簾に腕押しであり 虚しさを感じるため
間もなく自らその場を立ち去った


総じて
Aの自分の周りには マイナスの波紋が
1つも起こらなかったことになり
Aの自分の悦びというストーリーには
「X」は登場も存在もしなかったことになる





逆にBの自分は
マイナスに対し
負けじとやり返す習慣があったため
相手からのマイナス言動に共鳴してしまい
自分の心地好さを非常に乱されることになった

心地好さを乱されることで
更に自己のマイナス感情は増長し
負のスパイラルに引き込まれ
これが連続すると
負の底無し沼に沈むことになる




この仮定したようなシチュエーションは 我々の日々の現実の中
有り余るほど溢れている

どちらを選択するかの全ては自分の中にのみ答えがあり
相手の言動は一切関係無い



自分の精神の周波数設定
を自由に選択出来るのが
5次元目の世界
だとイメージすることが出来る


もう一つ例え話をすると

自分の気に入ったマグカップを
何処にしまうか(縦横高/3次元)
いつ しまうか(時間/4次元目)
我々は日々日常の中で選択している

大切なマグカップだから
壊れないような場所(縦横高/3次元)を選択し
使った後は放置せぬようにすぐに洗って(時間/4次元目)
万が一でも壊れないように大切に扱いながら
(心の持ちよう、という5次元目をプラスしながら)
片付ける


心の置き処としての精神フィールドを意識していると
低周波フィールドから高周波数フィールドまで
幾層にも重なる精神フィールド層がイメージとして観えて来
自分にストレスを与える存在が
自分より低い周波数フィールドに居ることを俯瞰出来る


もし自分にストレスを与える存在に
生々しい不快感を感じたとしたら
それは
自分も相手と同じ低周波ストレスフィールドの住人であるということであり
ならば自分も知らぬ間に
誰かにマイナスストレスを与えているであろう証とも言えよう

そう思い当たると恐ろしくなる
改めて自戒を促さざるを得なくなる



「好き」の反対語は「嫌い」ではない
「無関心」なのだ


ストレスを感じる場に共鳴せず(その周波数を好いたりせず)
無関心で居ることだ

これが5次元目の使い方

僕は最近理解したのだった



そして僕にとってのこういった気付きは
音楽に触れることから導かれたように感じているので

音楽を介して縁が出来た人たちとも
(現実に会っていても会ってなくても)
この根元的な気付きと
気付きからから得られる安堵感
そして安堵感から自然に生まれて来る生産感
などを共有出来そうだな
なんて思うのだ



僕はもう
音で表面的な喜怒哀楽を描いたりせず
こういう共有を願いながら
ただ慈しみながらギターを弾いて行きたいと思っているようだ


























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1年ぶりの再会

2017-04-22 | ギターの栄養


日に日に茂って行く今の季節の新緑は
目が咽せてしまうくらいに光輝いている

新しい葉たちが
この世界に出て来れた悦びを
声高に賑やかしく伝えて来る



昨年、うちの、たかだか狭いベランダで育てた植物たちに
命の使い方というようなことを沢山教わった


彼らが教えてくれたのは

命は命を営むことを決して諦めない

ということだった



これはとても心に沁みる発見だった



何を無理することも無く
僕の命は僕の命の営みを決して諦めないのだ

営みの邪魔さえしなければ
僕の人生は悦びの多い中を航海してゆける

僕だけでなく全ての人の命は
自然のサイクルの中で営まれ
それだけで我々は幸福感を得られるのだ


それを知り
心の中で
生きることに対する深い安堵を得た




昨年グリーンカーテンで楽しませてくれたゴーヤ
カマキリが3回も住み着き
卵まで産みつけて行ったそのゴーヤから穫れた種を
2週間ほど前に簡易温室に植えてみた


簡易温室ってのは
押し入れなんかで洋服を整理するために使う
プラスチック製の引き出し
それに土を入れて種を撒き
引き出し部は閉めておくことで簡易温室になる
(この方法はベースの山ちゃんに教えてもらいました)


2〜3日に一遍
蒸れないように土が乾いたら水をやりながら
ホントに発芽するのかなぁ…
蒸れて駄目にならないかなぁ…
などと少し心配しながら

晴れた日には土はとても温かくなってましたから
これはイケルかも
なんて思いながら

ついに今日、発芽発見



これは嬉しい

ゴーヤと1年ぶりの再会である


ホームセンターではもう苗を売ってるけど
自分ちで穫れた種が発芽したのは嬉しさ度が全然違う



昨年の枯れたゴーヤを片付けた後のグリーンカーテン用ネットには
カマキリの卵だけがくっ付いている

これが孵化するまでに
今年のゴーヤが枝を巡らせてくれると良いのだけど


昨年ゴーヤに住み着き
卵まで産みつけて行ったそのカマキリには情が湧き
晩秋の頃
冷たくなった外気の中ベランダで
もう動けなくなっているカマキリに
なんとか長生きして欲しいと思い
家の中に入れたり延命方法をいろいろ調べたが
結局寿命は変わらないことを諭された


人間であっても動植物、虫であっても
自分に悦びを与えてくれた者が逝くことを
ただただ受け入れるしかないことから
僕は「慈」というものを学んでいる





昨年は朝顔の種も沢山穫れて
ギターを聴きに来てくださったお客様に差し上げた

彼らが行った先で幾つかは淘汰されるのだろう
そして幾つかは発芽し花を着けるのだ

その図を想像するとまた嬉しい気持ちになる

心に浴衣を纏い団扇でパタパタしながら
極楽街の浄土横町でやってる盆踊りに行きたくなる







1年ぶりの再会に心が華やいだ























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