オレ今、赤ちゃん煎餅っていうのを食べてるんだけどね
知ってる?
「赤ちゃん煎餅」
ハッピーターンみたいな形で、赤ちゃんのオレでも持ちやすい
もうオレ、噛み溶かしながら上手に持って食べれるんだぜ~
だけど...
最後にこの手の中に残った部分を
ど~しても上手く食べられないわけ
こうやっても...
こうやっても...
も一度こっちの手の中の...
自分の指食べちゃうんだよ
え~いっ くそっ!
ダメだ...こいつぁ諦めるしかねぇか...
...取り合えずここで手拭いて...と
オレもうあっちの部屋行く~
この本、全部オレが引っぱり出したんだぜ~
でも...
もう飽きた
あっ!そうだ
閃いたっ
確かアレがこの下から2段目にあったはず...
ほらっ!見付けたっ
ここんとこに入ってんの知ってたんだオレ
ピンクの...これこれ...
表面がジャリジャリしてて、持つと気持ち良いんだ
「カーラー中毒患者 竹斎」
今日はママが仕事だったので
パパと二人だった先生は、こんなふうに長閑な午後を過ごしたのでした
大お気に入りのピンクのカーラーをず~っと持ったまま
片手でハイハイしたり片手で積み木を投げ飛ばしたりしながら
靴下を片方どこかに置き忘れりしながら...
今日の東京タワーは、本番が始まる前
何でか上手く説明出来ないけど
感じた一瞬一瞬を切り取って、言葉にして残したいと思ったので
思ったことを携帯にメモした
【1st手前の手記】
本番の前なのに身体の中から温まってるのって
例えば今日みたいにオープンリハーサルだから緊張して火照るのもあるだろうけど
でもきっとそれだけじゃなくて
オーディエンスの方たちが期待してくださる空気がすごく感じられたり
今日の本番に向けての数日前のリハーサルの中で
そのままの自分の心を奏でることが出来たから、
きっと今日の本番でも出来る、っていう自分達への期待感が
グツグツ内側から自分を沸騰させる っていうのもある
今日はすごく近くにお客さんが居て
そのままの自分を奏でるためには、そのお客さんの存在を視界から消し去って
音の中だけに没頭するしかない
それが出来るかな…僕
あと20分くらいで1回目の本番
晃教君と知り合って10年経って
初めて一緒にライヴしてから8年くらいは経った
8年前より自分は
明らかに濃くなってる
デビュー曲のアイウィルのバッキングだって以前と比べて特別変わったわけじゃない
でも以前より明らかに濃くなってる
晃教君も濃くなってるんだろうと思うけど
今は自分以外の人のことは客観的に見れない
自分の濃さに鼻血が出そうになっている
そして若い頃のように濃さが空回りすることもない
与えられた時間の中 たっぷり濃い中に浸りきるだけ
あぁ苦しい…
自分を奏でる喜びと この鼻血が出そうな圧力と...
耐え切れずに自分の中で「どうにでもしてくれ」って思う
僕はあと15分で 茹りきってステージに上がるのだ
【1stが終わった後の手記】
身体の奥の方に溜まっていた膿が絞り出されたみたいな感覚
そして1回目が終わった
こんなに時間を細かく感じられるのは、演奏したらいつも必ずというわけじゃない
今回久しぶりに晃教君と二人だけで演ったらすごく呼吸が合うから...
呼吸が合うと
僕は相手に乗り移り、相手は僕に乗り移っているかのような感覚になるのだ
そしたらもう悪い意味ので演奏のエゴなんてどっかに飛んでいってしまう
静かにゆっくり
そして大きく波打つ自分の鼓動を感じながらゾワ~ンと時が過ぎてゆく…
いや...
時の流れを感じない
何か時が止まったような感覚の中、演奏は進むのだ
1回目の演奏は
「この時間は僕が生きてる中で、たった一度しか巡り会えないのだ」
という強い思いが自然に沸き上がって奏でることが出来た
次の2回目はもう1回目のような演奏は出来ない
一度奏でてしまったらその場所はもう処女ではないのだから
2回目はきっともう少しリラックスして自由な時空になるんだろう
けど
1回目と何が変わるかなんて全く予測出来ないのだ
1回目の演奏中
狭いステージ
僕のすぐ隣で、魂を燃やしている晃教君の素敵な横顔が記憶に焼き付いた
【ステージが全て終わってからの手記】
2回目が終わって
片付けて
エレベーターに乗ったら晃教君のファンの方に声をかけていただいて
車に乗って帰るところまた違う方に声をかけていただいた
今日…良かったんだ...
かけていただいた言霊と表情からそう感じられた
そのことを思い返しながら運転してたら少し泣けてきた
ずっと長い間、音に自分を込めることに執着して
その音を使って誰かと奏でる時
ただひたすら呼吸を合わせようとするようになったのはいつからだったろう
自分の想いと相手の想いがピッタリ重なるまで諦めたくないと
そう思うようになったのはいつからだったろうか
そしてそれが出来た日は泣けるほどに嬉しい
今日は僕にとってそんな日となった
晃教君と
今日、関わり合えた全ての人達に
今僕は
心から感謝してます
あと2日でもう9ヶ月になる息子が夢に出て来た
どうも...ヘルメットをかぶり...手ぬぐいを口のところに巻き
目だけ出して全学連の格好をしているようで...
沢山の赤ちゃん達と徒党を組み
まるで喧嘩祭りの神輿かつぎのように
ワッセワッセと言いながら小ちゃい奴らがデモをしていた
片手にはプラカードを掲げ、それには
「自己解放あるのみ」とか「今すぐ自らを俯瞰せよ!」といった文字が
黒沢明の映画のタイトルみたいに黒々と殴り書きされていた
これは...いったい...?
と思ったら目が覚めた
目が覚めてすぐ
なんか最近の自分がモソモソ悩んでたことがそのまんま反映された夢だなと思ったら可笑しくなり
覚醒してしまったので、早朝6時前に布団から起きることにした
赤ちゃんが出来た喜びと引き換え?に
夫婦それぞれの抱えた仕事が全く出来なくなってしまった
その崩れたペースを修復するために、一日のサイクルを4~5時間ほど意図的にずらして
育児分担を時間分けしてみている
早い時間を僕が担当する
7時に起きて、離乳食を与えたり遊んだりして
妻が起きてくるまでを僕が担当する
息子と二人のこの朝の時間を持つようになってから
息子の方から目を合わせて笑いかけてくるように変化した
そして仕事が立て込んだり風邪を引いたりとかで
僕がやむなくこの時間を担えなくなくなるとその途端
顕著に息子からは笑いかけてこなくなる
決して朝の時間の中でキャーキャー興奮させて遊んだりしてるのではない
本人がソファーの上に立って窓の外を見たり
音量を小さくしてついてる「おかあさんといっしょ」を見たり
オモチャを転がしたり、落ちてるものを喰わえたり
そういう合間にこちらを向くので、その時ちょっと声をかけるだけのいたって静かな対話
なのにこの朝の時間をお休みすると
こちらからいくら声をかけても、遊んであげようと抱き上げても
もう息子は笑いかけてこなくなる
こちらが思うよりずっと細かい分解能で感じているらしい
起きてから1時間くらいかけてゆっくり食事をした後ソファーの上に立って遊ぶのだが
自分が破った障子の間からを表を眺めたり
視野を広げるべく更にペリ~っと破って、その紙を味見したり
出窓に放置されたままのガラクタを触診したり
そうやって1~2時間経つと眠くなってくるらしい
ソファーに横になった僕のお腹の上に顔を擦り付けてきだしたらその信号なのだ
赤ちゃんて、眠りに落ちる手前に一番ムズがるんだろうか...
個人差があるのかな...
お腹の上でベソをかきながら、しばらくはジタバタして
やっと眠ったと思ったらまた急に上半身を起こしてまたジタバタする
そんなことをしながら1回目の昼寝をする
この、ジタバタしながらなかなか眠れない様子を眺めていて思う
母乳の時期って個人差はあるだろうけど、よく1年という括りが多いように聞くので
もし仮に、この子がそのくらいで卒乳だとするなら
あと3ヶ月で終わりということになる
あっという間に成長してゆく姿を見ながら
二度と戻って来ない時間を、親としての自分が切なく思う目線とは別に
あと3ヶ月で卒乳だとしたら、意識はしてないだろうけど本人が切ないんじゃないかなぁ
なんて思った
生後9ヶ月という時期を体験してみると、8ヶ月とまるで違うように感じる
1ヶ月ほど前にハイハイし出してからのこの1ヶ月というものは
全ての行動に自分の意志がを反映させることが出来るわけだから
やることなすこと本人にとっては面白くてしかたないんじゃないかと思う
そしてその分成長も早い気がする
1ヶ月前の息子は「赤ちゃん」だった
今は「幼児」の雰囲気が漂い出しているように感じるのだ
親を「親」として見るのではなく「友達」のような扱いで接してくる感じがする
対話の行き来が活性化されてる
何が、ってうまく説明出来ないのだけど
行動パターンも今までの積み重ねと大きくは違わらないんだけど
目付き...が違うのだ
息子の目付きが「俺はわかってやってるんだ」と伝えてくる
今、親と子の関係性が
「親子的なニュアンス」から「友達的なニュアンス」に移行してきたことで
この先この子が、幼稚園とか小学校とかに進み
友達との関わり、社会性が始まるわけだけど
親との間にその原型が始まったのではないかと思った
そういった赤ちゃんの言動は愛くるしいものだけど
猫可愛がりしてはいけないと自粛してる自分が居る
こちらからも息子に対して「Yes」「No」をちゃんと伝え始めなければならないと思うのだ
息子望む欲求とは、
相手との対話の中から得られもし
得られないこともある
決して思い通りにはならないということを学習させる時期がやってきたのだと感るのだ
落ちた物を拾って口に入れることを
単純に汚いからという理由で
せっかく生き生きしている好奇心を取り上げてしまうのではなく
対話のやりとりの中から「Yes」「No」というものがこの世には存在することを学ばせる
彼はまだ自分から発せられた信号は「Yes」の方向しかないと思ってるのだから
「No」の存在を、あくまで対話の中から感じさせ
「Yes」「No」を使い分ける楽しさを習得させてやれば良いのではないかと
こういう考えは僕が結婚をする以前から考えていたことで
逆に言えば、自分の中でこのことに気付いたから結婚もし子供を持てたともいえる
そして自分の音楽にも反映している核になる部分
この考えが浅知恵だったか
それとも真理に添ったものだったかは
僕が棺桶に入っても、息子が今生でもし偉業を成し遂げたとしても
どんなになってもいつになっても結局答えなど出ないだろうが
この考えをもって相手と関わり生きることが
僕は愉快なのだ
冷蔵庫にメモを貼っておくための磁石式のクリップ
プラスチックでクルミを形どった物
息子がそれに興味を示して、指でカリカリしたり手にとって口に入れるので
「それは食べ物じゃないから不味いよ」と言ったら
息子は嬉しそうに「美味美味美味美味~(うまうまうまうま~)」と笑った
僕もつられて笑った
◆12月16日(水)
「中川晃教」
Club333 Wednesday Live
場所:東京タワー 大展望台一階特設ステージ
1回目19:00~19:45 2回目20:15~21:00
料金無料
(ただし展望料金だけはかかるそうです)
◆12月20日(日)
小林真人ライブ@JESSE JAMES 立川
出演:小林 真人(ピアノ)
榊原 長紀(ギター)
時間:開店 18:00 閉店 0:00
ライブ1st 19:00~ 2nd 20:30~
料金:チャージ 2,000円
場所:ジェシー・ジェイムス立川店
東京都立川市曙町2-11-7
立川リージェントビルB1F
お問い合わせ:ジェシー・ジェイムス立川店
電話 042-525-7188
◆12月25日(金)
「中川晃教」
FMヨコハマ メリースノークリスマス~メリースノークリスマスライブ
時間:15:00~
場所:横浜ランドマークタワー プラザ1Fガーデンスクエア
◆12月26日(土)
「中川晃教」「プレグレスコンサート」
開催日時:14時/18時開演
開催場所:HAKUJU HALL
全席指定:7500円(全席指定)
11月5日(木)チケット発売開始
プレイガイド e+(イープラス)
◆12月27日(日)
ラヴソングはヒゲそりのあとで2009冬
~大忘年会~
恵比寿天窓.switch
開場:15:30
開演:16:00
料金 前売¥5,000-(ドリンク代別途/500-)
当日¥5,500-(ドリンク代別途/500-)
ご予約(電話予約のみ) 03-5795-1887
恵比寿天窓.switch
10年前の自分は、あたりまえだけど今よりギターを弾けてなかった
弾けてないってどういうことかっていうと
自分の心が、楽器から出る音に反映されるための伝達回路が貧弱だったってことで
だから執拗に楽器に触れていないと不安だったし
楽器で語る以外の会話もしかり、
しきりに誰かを捕まえては自分の想いを語りたがる自分がいた
その頃に比べれば今は楽器に想いが乗せられてる
だから20年前より10年前、10年前より今の方が日常の中では無口になった
この「想い」というものは、実際に演奏の中では
「ブレス」や「間」となったり「複雑なダイナミクス」や「アッチェルやリット」なんかになって
それらが複合的に絡まり合って自分の色合いを生み出してくれる
この「間」やら「ダイナミクスの提示」やらを
一緒に演奏する奏者に感じてもらえないと僕は急に不機嫌になる
(顔には出さないように努めてはいるが)
何故ならそれは僕にとっては
「自分の想いを聴いてもらえないことと同じ意味を持つ」からなのだ
僕の想いを聴いてもらえないだけじゃなく
そういう奏者は、その人自身も何を喋ってるんだかさっぱり伝わって来ない
結局、対話能力が無いということなのだ
そのかわり、そこを確実に聴いてくれてる奏者と演奏をともにすると
それだけで心が温かくなり涙が込み上げてくる
「誰かと想いを寄り添わせる」って、こんなに涙が込み上げてくるものなんだと
再認識する
僕にとって
「対話」がなければ音楽する意味は皆無だし
呼ばれて出向いた先で、聴いてくれない人と組まされてしまったら
演奏はもう、只のハードな肉体労働という苦痛でしかない
今日、あるリハをやった
そして気持ちがピッタリ寄り添い、何度も涙が出そうになった
ここ数日精神不調だった僕の「落ち込み」って結局
僕の想いを聴いてくれない人の中に居るから生まれてしまうってだけで
聴いてくれる人の中に居られれば
もう治らないかもしれないと思った傷も
僅かな時間で治ってしまうってことなんだな...
今日、一緒に音出した人
ありがとう
僕が「ここ」に生きてることを、キミがちゃんと聴いてくれたから
僕はやっと浮き上がって、
今、静かに呼吸出来てる
人って、自分以外の誰かの本音を聴くことが出来なければ
すぐに孤独に死んでしまう
だけどその本音の中の楽しいことは聴きたいけど
辛いことは聴きたくないなんて...
人って、そんな矛盾を平気で言い放ちながら生きてる
言葉に詰まることって悪いことではない
会話が途切れることは、あなたが嫌いだからじゃない
嫌われてるかもしれないという強迫観念が
あなたの心を脅やかし静寂を恐れさせるだけ
そして恐れは人を盲目にする
ギターを弾くから良くわかるよ
楽しいことばかりじゃなく
楽しくないことをギターで奏でても嫌われない
小説の中で主人公が誰かのことを酷く憎んでも、僕等は作者を嫌わない
でも主人公の心の内は、必ず作者の心の反映なのに...
それでも作者を嫌わない
魔法みたいだけどこういうことなんだ
「自分以外の誰か」を代理人に立てて
楽しいも楽しくないも全て代理人に代弁させる
そしたら誰もあなたを嫌わない
もし...
代理人を立てずにあなたが楽しくないことを喋り続けたら
あっという間に全ての人はあなたから離れてゆく
代理人を立てよう
そうすれば嫌われないのだ
「俯瞰」という名の代理人を
1年半前にブログを始めた
そして今日までの間に
言葉を失うくらいの規模で落ち込んだのは今回で3回目になる
そう
僕は今、酷く落ち込んでいる
何の負い目も無く
いたってニュートラルに「落ち込み」というものを受け止めている
そしてニュートラルに苦しんでいる
生きる事、人と関わる事に苦労している
「落ち込んでいる」ということをタブー視し
何故か、ひた隠しにしようとする現代の空気を気にして
作り笑いしていられるほど気楽な心ではないと自分では思っている
僕の今まで出逢ったミュージシャンの99%は
「音を用いて楽しむ」ことへの誘導こそが
ミュージシャンの一番の務めだと思ってるようで
だから「落ち込み」は出さない
出してはいけないと自らを戒めているらしいが
ぶっちゃけて書けば
実際に「落ち込み」を出さぬようにしようとする心の働きとは
ミュージシャンという括りだけではなく
人はほとんどそれを隠そうとしていて
それは乱暴に一言で言い放ってしまうなら
「出して失うことへの恐れから」だということに尽きる
「落ち込みを表明する事」が、大半の「隠そう派」の人達に拒否されるなら
言葉の表現に手を加え「詩」というものにアレンジして
彼等を煙に巻きながらガス抜きをするしかない
こんな段階を踏むのもまどろっこしいと
そういうところまで追い込まれた者が哲学という国に生きている
僕は
どうやらこの国の住民らしい
この国の住民は
この国を一歩でも出て
母国語以外の言語を使わねばならなくなると急にシドロモドロになり
周りの目には、理解不能な生き物に写る
だから
「音楽の国」でキョトンとされないためには
自分の肩書きを書き直さねばならない
僕の正式な肩書きは「哲学者」です
哲学の国に生きて、母国語以外の言語は知りません
そしてサブタイトルに「ギターもまぁ...少しなら弾きます」と...
今日の雨の冷たい匂いに包まれた瞬間
恐れに心が固まっていたことに気付いた
それは…まず笑えなくなる
次に泣けなくなる
そして弾けなくなったら僕は
あっけなくボーダーラインを越えてしまう
細かいひび割れが無数に入ってしまうまで耐えてしまうことが僕の病
そうだと知っているのに止(と)められないことが長患いの病
あと一つひび割れが入れば崩壊
そして無数の細かい破片が周りに飛び散る
その尖先が誰かに突き刺さらないよう崩壊寸前でジッとうずくまる
身動きの取れぬ心が、今日の冷たい雨にだけ反応している
人の間に受けた傷とは人の間では癒えない
どんなに優しい言葉より冷たい雨の方が
優しく感じるのだから
いたって個人的な価値観なのだろうが
故あって自分が人生をかけて死守したいと思っているもの
それを踏み荒らされた時
生きている事を丸ごと投げ捨てたくなり
そして僕の音は、更に濃くなる
「JIN -仁-」というドラマの再放送?を昼間見た
江戸時代にタイムスリップした主人公の医者が
現代では何でもない簡単な手術に、向こうで苦戦する姿を見ていてふと思った
ホモ・サピエンス(現生人類)としての人類が歩んできた年月だけでもおよそ20万年
それ以前の原人や猿人と呼ばれる人類の源流にまで遡ると700万年にも及ぶ年月
その中でも最近の、僅か「百何十年」という短い時間の中で科学は猛烈に発達し
下手をすると地球ごと破壊してしまうまでの力を持った
石炭文明から石油に移行し、あっという間にそれを食い尽くしてしまおうとしている
近代の科学技術の発達がこんなに急激なものであったことをあらためて思った
漱石が明治の時代における現代文明を既に「この世の終わり」のようにしきりに言っていた
便利ということを否定しないが
便利の影に隠れて見えない悪い方へと作用してしまう文明の盲点
その影が当時から感じられていたから漱石は言ったのだろう
日本人は漱石を、100年以上経って国語の教科書に載せ、1000円札にまでしたのに
彼の嘆きや啓示は、現代の科学に反映され市民権を得るまでにはなかなかならない
生きるために食べ物を調達することから生まれる文化の肌触りと
科学技術の便利がもたらす肌触りはまるで違う
森の中の何処に、あの美味しい木の実が生っていて
いつの季節には沢山穫れる
朝露に濡れた森の中を歩く時間は、自らを省みる心を起こさせてくれる
あの川のどこら辺には魚が群れていて
一日の中の何時くらいが穫れやすい
魚が捕れない日でも、冷たい川の水は喉を潤し生きる活力を起こさせてくれる
食べ物の器は、土を捏ねて焼く
それは土を知り、火を知ることになる
他の獣に襲われぬよう、本能が群れること教え
群れの中に協調の喜びと争いの悲劇が生まれ、求愛のドラマが生まれる
群れることが基本だから、群れない美も生まれる
そしてこういった自然に根ざした文化に触れることから活性化した生命力が育つ
こういったことは、どこかで沢山の人が飽きるほど言い尽くしたことだろうが
科学の便利は、僕等が自然と繋がっていることを忘れさせるように迫ってくる
何故、理屈ではわかっているのに改善されないのだろう?
人間が煩悩を克服出来ない精神的に非力な生き物だから?
釈迦が没して2000年以上経ち、末法思想のいうところの時代に入っているから?
文明開化以降の最近の百数十年の科学の発達の上昇カーブを
20万年を全体と見立てたグラフにしたら
横軸19万9千8百年以上かけて1%あたりまでゆっくり上がって来たカーブが
最後の横軸99.9992まで来た途端
発展度数である縦軸がいきなり100%近くまで跳ね上がったようなもの
長い長い緩やかな加速で滑走してきたプロペラ機が
飛び立つ寸前に、いきなりスペースシャトルのような動力となり
ほぼ垂直に離陸したようなものなのだ
この百数十年に僕等にかけられた「G」とは、相当なものだろうと思った
この「G」によって目が回っているうちに今生が終わってしまわぬよう
動体視力を身につけるべく生きたいと思うのだ
そしてその訓練場は必ず自分の内部にある
築40年を越える古い団地の10階
その南側に面した台所
何年分かわからない風情の油汚れで黒くなった換気扇の羽が剥き出しになっている
僕がここに来た時から、何故なのか既に換気扇のカバーは無かった
10階は平地よりずいぶん吹く風が強いようで
風の強い日には、外壁に猛烈に突き当たった風が換気扇の隙間から台所の中へなだれ込むので
その圧力に押され、ブ~~~ンという音を立て、羽は猛スピードで逆回転する
風が穏やかな晴れた日なんかにも
外からの日差しをハタハタと羽で分断しながら
ゆっくり逆回転していることがある
8ヶ月半の息子はこの「羽の逆回転」に興味があるらしい
膝の上で離乳食を食べている息子が、急に身を乗り出し窓の方を覗き込む時
何かな?と振り返って見ると必ず羽はハタハタと逆回転している
音も無く、光を分断しながらゆっくり長閑に逆回転している
それを飽きる事も無くずっと眺めていたいらしい
息子がいつか一人り暮らしをし始る頃には
こんな古い換気扇が付いてる建物はほとんど無いだろう
この換気扇の記憶は
いずれ潜在意識の近くまで沈み込み
深い刷り込みとなって息子の中に残るのだ
そして「ノスタルジー」となって
枯渇に苦しむ時の彼にいくらかの潤いをくれる
元々は精神的な病として、その概念が確立されたというノスタルジー
サウダージと言った方が的確なのかもしれないが
僕にとってはずっと使って来たこの呼び名の方がしっくりくる
僕の膝から身を乗り出し
離乳食を食べさせづらい体勢で換気扇を見詰める息子の身体を引き戻すのを止めて
耳元で歌を歌った
彼の中に入り込み、いずれノスタルジーへと育ってゆくこの記憶が
少しでも明るい色彩を放つように願いながら
先生の身長は、赤ちゃんの月齢平均の幅のド真ん中
そして体重は幅の下の方
痩せ型なのだ
ママのお腹から出て来る時は小さめで
出て来てから大きく育ってくれるのが親孝行なんだって
離乳食の品目をどんどん広げていってる先生
それと同時にますますハッキリしてくる自我が
食事中に腕白な行動をとらせる
口に入れたご飯をプップップップ~ッと飛ばしたり
食べながら片手でテーブルをバンバン叩いたり
キョロキョロしてスプーンに載ったご飯を弾き飛ばしたり
気のない雰囲気を装って、食う気の無さそうな演出をしたり
だから、親も知恵を絞るのです
先生っ!
ラブヒゲで徹哉さんが歌ったクラシックの曲
「オンブラマイフ~」って良い曲だったねっ
歌ってみようか?
「え?」
「聴きたいなぁ。。。おんぶらまいふぅ」
じゃ...歌うよ
♪お~~~んぶら...♪
♪まいふぅ~~~~...♪
♪うお~~~んぶりゅあまいふぅううう~~~~♪
「かぁ~っ!! 気分良く食った食った。。。」
食べて食べてまた食べて
結構毎日食べまくって少し太ってきた先生であります
「親爺~!また食いにくるぜ」