Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

夏が終わってゆく風景

2016-08-26 | ギターの栄養








































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ORI×SUI vol:3 @ black A///後記

2016-08-20 | ギターの栄養


謎解かれ解放された魂は
悲しみという苦痛を奏でることから放たれ
響き、そして包み込むような存在になったようだ


この夏の一連の僕のライヴセッションの山は
これで一応一段落

どのライヴも感慨深いものになった


そして
幾つかの謎解きを成して
昨年とは違う新しい風景を眺めながら
この先のソロライヴに挑める

意味のある夏になった


僕は今
意味ある孤独の中に居る
少しの痛みと十分な充足の中で





















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Birthday Acoustic Live 2016 ~極上バラードの夜宴~ @ STAR PINE’S CAFE//// 後記

2016-08-20 | ギターの栄養



微笑みと脆さと
切なさと祈りを適宜配合したものを
フレンドシップで包み揚げたクレープ
のような米倉千尋ちゃんワールドで

良き音楽仲間と良きスタッフさんと
良きオーディエンスの皆さんと
時を分かち合えてとても幸せな1日でした




いろんな心情風景を描いて見せてくれる千尋ちゃんの歌ですが
その言霊からは総じて

「いろいろあるけどみんなでまた微笑んで会おうよね」
みたいに僕には聞こえてる


そしてそのメッセージに応え得る音霊を
昨日のメンバー全員が持っていて良かったと思う

それは
メンバー1人1人に打算的ではない優しさと
人間らしい脆さの両面があるから
千尋ちゃんの信号をキャッチ出来る
と...
そんなふうに僕は思っている





人間は皆気付かぬうちに
自分らしく生きることが出来ないような魔法を
幾つもかけられている


その呪縛から1つずつ自分を解放してゆくのが
人生の醍醐味
...と思う




呪縛を解く鍵は
命の意味の謎解きをすることによって
1つずつ手に入る


鍵は
目に見えない世界に現れたり消えたりしながら
ランダムに浮遊しながら
僕らのすぐ近くに存在している

良き音楽体験は
僕らをその謎解きの旅へ誘ってくれる

特に昨夜のような素敵なライヴの日は
謎解きのストーリーもいっぺんに2つ3つ進む

僕が昨夜成し得た謎解きは
僕にしか解らない暗号で出来ているから
何が謎解かれたか
ここでは上手く記せないのが残念だが…

























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8/9 晴れ

2016-08-09 | ギターの栄養





クラクラ目眩するくらい蝉の声で空間が埋め尽くされている






一日、録音仕事をして

夕方



夕方

土の中から出たばかりの蝉の幼虫を発見






羽化の瞬間て見たことなかったので
カーテンに掴まらせて羽化を見てみたかったんですが
蝉の幼虫君は上手くカーテンに掴まれず床に転がっちゃうので
また土の上に戻しました











夏、真っ盛り

















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2016/8/7//東京タワー

2016-08-07 | ギターの栄養






真夏の暑さと日射しに眩惑されながら出かけた


今、暑ければ暑いほど
そして眩しければ眩しいほど
今宵の東京タワーの夜のブルーイルミネーションが
深海のように深く涼しく感じられるだろう

それを楽しみに猛暑の中、頑張って出かけるのだ




外に出るとだいぶ風があり空は青かった






前方に見える逃げ水を、目を細めて追いながら
いたって真面目に人間の精神のことについて考えながら運転していた



国道の信号待ちで
左からこちらに曲がってきた路線バスの最後部窓側に座った女性と
バスが曲がる間目が合った


なんで目が合ったのかな?

なんでずっとこっち見てたんだろう...



考えられる事


それは僕が本番前モードで
オーラの噴出が激しく
従って異性の目を引くから



日射しが眩しいので目を細めていたのが
その女性にとっては
「あら…あの男性ったら眩しそうに私のこと見てるわ
私ってきっと男性にとって眩しい存在なのね」
などと思わせたか…



暑くて眩しいと頭がアホになる
さっきまで真面目に精神の事を考えていたのに…









多摩川を渡る時
上流の方角は青空に形の良い雲がバランス良く散らばり
まるでアメリカの子供部屋の壁紙のようだった


本番前にサーカスさんの事務所をお借りして
少し音合わせをした












そして東京タワー到着







これは楽屋、鏡に映る自分を自画取り
後頭部が絶壁で格好わるいなぁ
もう少し出っ張ってて欲しかった
昭和35年生まれの僕
残念なことに当時ドーナツ枕が今ひとつ普及してなかったんだろうなぁ...




時間が来てオープンリハ開始

オープンリハーサル って若い頃は苦手だった

見られてるから上がっちゃって
ちっともリハーサルにならないし
本番でのネタが全部ばれちゃう、って思うし

でも今はずいぶん慣れました

リハーサルじゃなくて「リハーサルというパフォーマンス」
という本番を見せるのだと思う事にしたから

たじろいだら自分の負け
と丹田に力を込めてなんとか乗り切る



そして本番


(画像クリックして)









ギターで曲のストーリーをどう描くか
ってこと以外の事が頭を過ると…指がすぐもつれる

例えば客席で今
どなたかが気持ち良さそうに体を揺らしてるな…
とか視界に入って、それが意識の中に入って来ると
すぐ指がもつれるんです

自分がステージに乗る事に対して
どう振る舞ったら良いか長年考えあぐねて来ました

ライヴはお客さんに対して最大級のリスペクトを送る
究極のサービス業務だと思っているのですが
同時に僕の場合
自分の意識から客席の存在を消し去らなければならないみたい

そうしないと自分の思う音が紡ぎ出せないのです

無愛想に見えるでしょうが...
こちらからは誰の顔色も見ず
ただただ曝け出した自分を観てもらうしか
自分が納得出来る音を紡ぎ出す方法が見付からないんです僕

僕は今日
開演して少しぐらいから
中途半端に客席を意識することを一切捨てて演奏しました


終わってみて
お客さんの感想とか伺って
これで良かったのかな
と思いました

...これで多分
僕という人間にとっての音楽のやり方は
間違ってないんだろうな
って



今日は全曲ガットギターだけでやりました

最近、ガットだけでやれる場が少しずつ増えて来ました

母のお腹の中に居る時から
父が趣味で奏でるガットの音を聴いて来た僕にとって
ガットは伴奏楽器ではなく
僕の原点であり、僕の心の歌でもあるので
歌い手さんと対等な位置に立てるのです


だから
今日は僕は伴奏者ではなかったのですね


そういう選曲をリスペクトしてくれたありさちゃんにも感謝しています


沢山の方が足を止めて聴いてくださり嬉しかった

終演後話しかけてくださったお客様との交流も
嬉しい時間でした


本当に美しいイルミネーションと夜景の中
今日の演奏の場を頂けたことに心から感謝してます





tokyotower_tv





今日のライヴで出会った人や
頂いた言葉を思い返しながら運転して帰る間
すっと充足感に包まれていました

多摩川を渡る当たりで
遠い街の灯りを見ていたらちょっと鼻の奥がツンとなった






帰宅すると玄関の前の地面に…


そうか…

お前、この夏をちゃんと鳴き尽くしたか?

もうすぐあっちへ行くんだな



僕もあっちへ行く時に後悔しないように
生きてる間
音楽というもので鳴き尽くすことにするよ




























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朝顔日記 2016 vol.3

2016-08-07 | ギターの栄養






3つ目の花を記録してから
シャワーを浴びドライヤーを当てていると
熱風が僕に「お侍さん…」と呼び掛けた気がした


生まれる以前の記憶が戻ったかと
しばらく記憶の層を見回してみたが
それ以上お侍さんの記憶は見付からなかった





昨夜は暗くなってから北側の窓の外で
大好きなヒグラシが鳴いた


記録したくて
慌てて一瞬、携帯カメラで撮影…
と思ってしまったが
すぐに気を取り直し窓を開け
生楽器録り用のマイクを外に向けてセッティングし
ヘッドホンを被ったが
その頃にはヒグラシは鳴き止み
あとはミンミン蝉と油蝉の声ばかりが残った


諦めきれず
何処かへ飛んで行ってまた別の樹に留まって
ヒグラシが鳴くのではないかと
マイクの集音レベルを上げて
夏の夜の中の音を聞いていた


遠くの家の子供の声とか生活音が聞こえる

懐かしい昭和の匂いのする音風景だった


小津安二郎の映画でも観ているかのような錯覚に陥り
ノスタルジーの恍惚に酔った






最近、自らを枯らした真っ黄色なゴーヤの実は
収穫後1日経つと表面を弾かせ真っ赤な種を露にした

心が透くような鮮やかな色だった










今日はこれから東京タワーで演奏


「キミと僕」からも少し演奏させて頂く

























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朝顔日記 2016 vol.2

2016-08-06 | ギターの栄養



二つ目の花






美しいなぁ…


なんて可憐なんだろう…





毎日1つずつ咲くのかな
昨年はそんな感じだったけど










そして
昨日一皮むけて今日から大人な俺





今日はな気分ええからどんどん撮ってくれてかまへんで〜
皮から出て気ん持ちいいから鎌も伸ばしたろ





伸び〜〜〜








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宇宙人捕獲

2016-08-05 | ギターの栄養


















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命の礎(イシズエ)

2016-08-05 | ギターの栄養



今朝、朝顔に今年初めての花が咲きました




大きく見えるけど直径3センチくらいの可愛い花です

うれしいなぁ
1年ぶりの再会



ほんの少し黄色が混じったこの薄い青色が
朝顔の色の中で一番好き



昨年少しだけ穫れた貴重な種を今春植えて
発芽したのは1株だけでした

枯れはしないかドキドキしながら
今年初めて摘心というのしました


心配と裏腹に摘心は驚くほどの効果を見せ
今ではこの1株はえらいことになりました







先月くらいで既に
鉢に立てた支柱(結構高さがあるんですが)からはみ出してしまうので
伸びてしまった蔓先を解いて
支柱の下の方に手で卷き直したりしてましたが

やってもやっても埒が明かないので
しかたなくゴーヤの網の近くに鉢を置くと
みるみる網を伝うようになり
今では網のてっぺんまで到達しています



2階のお宅にご迷惑がかからぬよう
網より上に伸びた分はカットしていたのですが
気付かぬ間にエアコンの室外機を辿って
ベランダ屋根まで行ってる蔓が1本あるのを今朝気付き来ました
切るのは忍びないので解こうとしましたが
固い蔓でがっちり巻き付いていて無理でした
凄い生命力







唐突ではありますが...

最近、死ぬ事は怖くない
という感覚が自分の内部に育って来てるんです


生を疎かにする意味ではなくね
生を営むために死を考える、というだけの話しなんですが


一昨日のRHで僕の一回り年下のメンバーに
「最近死ぬ事が怖くなくなって来たよ」とちょっとふざけた態で言ったら
「サカキさん、それはまだ早過ぎますよ」と笑われたが
まんざらジョークではないのですね 僕


ただ…
最近になってなんでそんな感覚が急に育ち始めたのか
理由を探してましたが
明確なものが見つからなかった

気付かぬうちに病に犯され肉体的な死が近づいているから
そんなことが過るのかとも考えてみたが
身体からの信号に別段そういう気配は無いし

50代半ばという単に年齢的なこともあるでしょうが
もう少し...
生きる事の意味について
何か大切な事に気付きかけている気がしていました


生きる意味

老いて行く意味

人生でするべき事

幸せにもう一歩近づける思考


なんていうようなことを…







。。。。





インターネットの目覚ましい普及で
著作権が無法状態になって音楽業界もダメージを受けましたが
その件は今は一旦脇へ置かせてもらいつつ

某外国サイトで昔ヒットしたドラマや映画を
観ることが出来るのを最近知って
気分転換に少しずつ観てるのですが
自分が泣けることに種類があることに気付きました


演者が泣いている場合
もしくは
演者が想いを強く放出しいる場合
もらい泣き的に自分も泣きます

つられ笑いと同じ
別に泣きたくない時でも
強引に琴線を揺さぶられ泣くので
ある意味後でちょっと疲れてる

厳密に言えば
強引に泣かされることに理不尽を感じてるから
後で疲れが残るんですね


もうひとつは
泣いている事にさえ気付かぬまま
静に涙が流れている時がある


これは
演者が想いを内に留め
他者の歓びを優先している時

この静かに流れる涙が
僕は一番好きです


誰もが持つ他者に勝ちたいという想いは
人類の生存をかけた本能でしょうから
捨て去る事は出来ないでしょうが
捨てる事が難しいからこそ
勝つ事を放棄した人の姿は清々しく
そこからの人間は急に立ち位置が逆転し
むしろ生きることの勝者へと羽化するのではないか…
などと考えていました



そんなお朧げな考えと
RHで言った「死が怖くない」ということは
どこかで繋がっている事も感じていたのです


 

。。。








ちょっと一旦、話題変わりますが



今年の始めにここに越してから
いろんな生き物に遭遇するようになりました


なんといっても我家の立役者はゴーヤに住み着いたカマキリ君


最初の登場ではこんなチビ助だったのに...




最近はずいぶん大きくなって
観るといつも同じ定位置にいることがほとんどなのですが
最近定位置から出張して狩りをするようになりました

体がデカくなって来たので
お腹が空くのかな、と思うんです


携帯カメラ向けると凄い意識して嫌がるんです







(あ…また俺の事撮ってる…)



(嫌になっちゃうなぁ、、、もう、、、逃げよう)



(しつこいねアンタも、まだ撮ってるの?)



(どっこいしょっと、、この葉っぱの当たりで隠れてみるか…)



(隠れたつもり)







夜になるとこんなのも来ます








そうそう
夕べは玄関の外にこんなのも来てました



ゴム人形じゃないですよ

撮ってみたら暗かったので携帯の撮影ライト点けたら
鎌首持ち上げたので、ひぇ〜っと退散しました






以前載せたけどこんなカッコいいのも



ゴーヤの花にはこんな子も



もはや蠅も可愛く感じる






窓の外では毎日
蝉が鳥に補食されるドラマが繰り返されてます



鳥が猛スピードで窓の外を横切ったりすると
カモシカを追うピューマを連想してしまう

蝉が痛々しくて
鳥よりもっと早く飛べたら良かったのに
などと思う



蝉は掴まるとジジジジジジジジジジっというので
視界に見えなくても掴まった事が判る

食物連鎖なのだから仕方ないと思おうとしても
30秒くらいは胸が痛い


毎日ジジジジジジジジに遭遇し続けていると
30秒の痛みが積算されて行き遂には
何故生物の進化では
食物連鎖などの仕組みが基盤になってしまったのか、と
こんな仕組みではない別の進化の仕方は無かったのか、と
憂いに包まれて来る



蝉は樹の表皮の隙間に管を差し込みながら卵を産んでいる

地表ではカラスが木の上を見上げて
蝉が飛び立つのを虎視眈々と狙っている…

カラスも食事をしなければ自分の命を繋げない

皮肉なまでに命を弄んでいるかのような
この世界の仕組みの一端を毎日垣間見ている










網戸に留っていた蝉
木の上よりむしろ安全なのかもね
人間の気配がするここならカラスは来ないから




飛ぶ力が萎え
プランターに落ちた蝉




だいぶ鳥達に追われたのか
それとも飛ぶ力が萎え何度もコンクリートの壁にぶつかったのか
羽の先がボロボロ…
人間が作ったコンクリートの建物が無ければ
樹々だけならぶつかったってそんなにダメージ受けないよね
カラスに補食されてもされなくても
もうすぐこの子は今生を終えるのだ








。。。







半月ほど前からゴーヤの下の方の葉が黄色く変色し始めていた


何か植物のかかる病気かと懸念したが
他所の家のゴーヤも下の方が枯れていたので
そういう仕組みなのだろうと思った






1つの株、1つの根っこから吸い上げている栄養には限りがある

上部の若い葉に栄養を送るために
日当りもイマイチな下の方の葉は
自分が栄養を摂る事を放棄し自ら枯れる

下の方に生った実も
大きくなる前に黄色くなり自ら枯れようとしている



全ては若い葉に栄養を送るためなのだと気付いた








人間も年をとるに連れ
若い者に生きるエネルギーを送るような生き方をするのが
自然の摂理に添っていると気付かされる


死をいつまでも恐ろしいものだと目を背けず
死を見詰めて生を正しく生きる事だと思った


下の方の葉がいつまでもデカく茂り栄養分を欲しいままに独占し
太陽からの恵みを受け取り命を繋ごうと上へ伸びる若い葉が
枯れて行くような光景をこの自然界で見たことなどないだろう

そういうことをするのは人間だけかもしれない

というか
生物としての知能の発達は
死への恐怖、というハッキリした概念を持つ事になる

カマキリに食われるまで蠅は死を意識していない
いや
食われながらも死を意識していないかもしれない
ただのZEROに還るだけなのかもしれない


知能の発達した人間は死を「怖れ」として意識化し
死の手前に死から逃れる方法を模索した

そのために下の葉がいつまでも茂り続けるような
間違った解釈も生じたのだろう


知能の発達には
同時に正しい倫理を添えねばならない、ということなのだろうが
本能に任せていてはそれは育たないだろう

偉大な指導者の存在と正しい教育の元にのみ
それは可能かもしれないが…




息苦しさを感じたなら
自分の人生をこの自然の摂理に当てはめるだけで良いと思うが
大勢の人間の集まる場所には皮肉な事に
それを見せてくれる自然の風景は少なくなり過ぎている


自分も
意味も解らぬまま死を怖れ続けるなら
若い葉に栄養分を回さず
自分がいつまでもしがみついて行くことになるのだろう

意味も解らず死を怖れる者は
自分を生きれてないのだろう

いくら刺激を求めて出歩いても
自分の声は外には無い

内に在り深い場所から微弱な信号を送っていることに
自分が気付くしか無い






朝顔日記とはだいぶ逸れてしまったが
最近、死ぬ事が怖くなくなって来たのは
こういう一連の想いからなのだ、と思う





































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翡翠色の海

2016-08-04 | ギターの栄養



よく晴れた田舎の風景


片側1車線の国道から1本、中に入ると
そこはもう唐突に海だった


岸からほんの少し沖へ出たところに2軒
家が見える

海抜0メートル
海の上に浮かんでいるかのように建っている


太平洋側なのだろうか
水平線まで船も島も何一つない
翡翠色の凪いだ海が広がっている


満ち潮や台風でも来たら
この家の住人はどうするのだろう

怪訝と興味を抱きつつ
その辺の問題が安全だというのなら
こんな家で暮らしてみたいと思った


深い海だと思っていたが
実はかなり沖までの遠浅だったと知り
海水に靴を濡らしながら家の前まで近づいた


海水で家の土台は腐ってないか
裏側に庭はあるのか
など
見てみたかったのだ


すると急にその家の奥さんらしい髪の長い女性が現れたので
慌ててきびすを返し陸地へ戻ろうとすると
遠浅だったはずの海は
海面ギリギリに平均台のように細い道があるばかりで
その両側は深淵なる海の底が広がっていた


家から出てきた女性から不振人物と思われたくない自分は
早く陸地へ戻りたいのだが
細い平均台の上をゆっくりしか歩けない







という夢を見た



出て来た長い髪の女性の顔を思い出したいのだが
どうしても思い出せない…







そして今日は米倉さんのRH

























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