Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

2018/2/27 @ cafetsumuri(カフェツムリ)

2018-02-28 | 演奏記録


2018/2/27(火)


榊原長紀//ソロギターライブ
@
cafetsumuri(カフェツムリ)
HP
FB

住所:神奈川県相模原市南区相模大野6-15-30-2
お店TEL:042-711-6953(11:00~21:00/水曜定休)


小田急線、相模大野駅にあるcafetsumuri(カフェツムリ)さんで
投げ銭でのガットギター独奏ライブでした


聴いてくださったお客様
CafeTsumuriさん
ありがとうございました



曲は自分の独奏レパートリーより
ジブリ、ディズニー、映画音楽、洋楽カバーなどを織り交ぜながら
1時間半のメニューを何度か回す形で
お店のmusic timeである18時から21時まで長時間演奏しました





自分100%の想いだけで奏でることが出来る独奏は
自分にとって特別な演奏形態です

空気のようにそこに在って
それでいて在る事を忘れてしまうような音を
紡ぎたいと思うのです

滞った空気ではなく
穏やかな風のように気の流れの在る
そんな存在でありたいと思います


この活動は自分のライフワークとして
この先も続けてゆきます


ということで
早速CafeTsumuriさんでの次回
投げ銭ライブ
4/27(金)に決定しました

18:00から21:00まで
3時間ずっと弾いてますので
是非足をお運びくださいませ



















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嫉妬と争い

2018-02-22 | ギターの栄養


追い求めるが故の苦悩のその先に
嫉妬は浄化され

即ち
他者と争う意味も
その心も消え失せる



独奏soloライブの準備が
ほぼ
整ったようだ


















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矛盾は是

2018-02-20 | ギターの栄養


人間が勝ち負けを争う様を観るのも
参加するのも息が詰まるので御免被りたいのだが

志す一つの道を突き抜けて進みたいと思う時
自分が世界で一番だと思うことは
大切なこととと感じる


まったく...
この世界は矛盾だらけだ


むしろ
矛盾を感じた事にこそ真理が在るようにすら思う













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樹のような人

2018-02-20 | ギターの栄養




樹のような人と出逢った

その人は決して他者を傷付けない

僕がどんなに五感を研ぎ澄ませても
その人が他者を傷付ける気配が全く感じられない
そして
そんな確認をしている自分が恥ずかしくなるのだ


果たしてこんな人間がこの世に存在するのだろうか…
奇跡としか思えない







その人の使う言葉は
教科書で教わった日本語とはだいぶ違う

それがむしろ
心の奥にダイレクトに触れて来るので
僕は涙腺が緩みそうになる


瞬間瞬間の想いを
言葉にするとこういう断片的な形になるのだろうか

その
一般的な日本語とは違うニュアンスの日本語に触れていると
自分が今まで言葉を駆使して語って来たことが恥ずかしくなる


心の様をそのままに写し取れたなら
それは即ち
詩なのだろう


その言葉たちの中には乞う哀れみなど全く感じられないのに
どうしても僕の涙腺は緩むから
その人を抱きしめたくなる







僕はその人をもう
神の子なのだと思うことにした

もし彼にそのことを伝えたらきっと
「滅相もない」と美しい表情で言うだろう

(きっと自ら神の子だと名乗る者程
神の子ではないのだろう)



だから
いつかどこかでやって来るその人と過ごす時間は
神の前に跪くことと同義なのだ





























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共鳴

2018-02-20 | ギターの栄養


人間の造った建造物に息苦しさを感じる自分は
山で生まれた綺麗な空気に吹かれ浄化される地で暮らすようになり

僕の音で「泣ける」と感じてくださる人が
僕を異国の地に招いてくださり

両手一杯に自然を受け取るアンテナを持った
まるでネイティブアメリカンのような
スピリチュアルな人と出逢い

その人の案内で
今年のいつかどこかで
この素晴らしい縄文杉のある森に
連れていって頂くことになった


(クリック)

ギターを背負って山を登り
この杉の麓で
その日
奏でるのだ










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自分のための纏まってない徒然メモ

2018-02-12 | ギターの栄養


自分は多分
うっすらと共感覚を持っているのでは
と思う節がある


うっすらだけど
自分の奏でる音が色や温度に感じる

人の歌う声に色や温度を感じる



人間は皆そういう感覚があるのかと思っていたが
全く話しが通じない人も沢山居るみたいだから
僕が共感覚保持者なのではないかと
うっすらではあるが思い当たるのだ




。。。




若い頃の自分が
音楽でのプロを目指していろいろ楽器の訓練を重ねて来た中で

これは好き
これは好きではない
と選別しながら
現在の自分のスタイルや音楽性にまで辿り着く過程で
実は僕は音の色判断をしてきている


音の色判断て何?と思うかもしれないが
僕の好きな音の色は黄色と山吹色と夕焼け色の混在した色

それを感じる音楽には
音階やコード進行等関係なく一聴して好きになる
そして
自分もそういう色を音で描きたい

弦に指の当たる角度やら強さやら
試行錯誤し続けた結果今の音がある


山吹色と夕焼け色は
僕が思春期の頃から40代まで追い続けた
僕にとって一番に郷愁を感じ
サウダージを感じる色なのだ


。。。



プロであり続けたいと思いながらも
30代の頃からクリックを聴きながらの練習を一切止めた

それはクリックの上での演奏に
色を感じられなかったから

クリックの上でも色を感じられる人もいるだろうが
僕は感じられなかったので
音楽を続けてゆくエネルギーを失わないために
クリックを僕の音楽人生から排除したのです


クリックを離れ
その時々、瞬間瞬間の自分のテンポ感
テンポの揺らぎ
そういう存在にも色を感じてた


画家に例えるなら
どうしても油絵の具では出せない青色があるから
だから同じ青でも岩絵の具を使うようになった
みたいに
僕はエレキを捨て
アコースティックギターへ流れてゆき
その中でもガットに落ち着いた

これが僕の岩絵の具だったから



こんな風に
好きな色や温度、質感を感じながら
自分の音、自分の音楽を煎じ詰めて来て
今日
カナフでのライブで
自分の音の色が変わったことに気付いたのです


。。。


ずっと前から弾きたいのに
どんなに練習しても弾けないフレーズなんかがある

それは手のフォームが良くないからだと気付き
フォームの大改造に踏み切って
はや 20年余りが過ぎてしまった

フォームを修正すると
弾けるものが出て来る代わりに
感情表現も含め、今まできっちり弾き切れていたプレイの中で
弾けなくなってしまうものも出て来る

3歩進んで2歩下がり、を繰り返しているうちに
短気を起こしてしまうと
手は元のフォームに戻ってしまう

それを20年あまりの中で何度も繰り返して来て
もうホントに根気強く向き合わねば
自分のギター人生も寿命が来てしまう

今度ばかりは逃げないで向き合う決心をして
それからも、はや、2年程経つ

その混沌としたフォームの調整の中で
ジブリとディズニーを作った



録音物はパンチイン出来るから繫いで作れたが
実際のライブ演奏となると当然
通して弾ききらねばならないので
フォームのブレは即ミストーン、ミスタッチを生んでしまう

元のドタバタしたフォームに戻してしまえば
弾けるように戻って来るものもあるが…
でも
新しいフォームで新たに弾け始めているものは
また失ってしまう


もう
先へも後へも戻れない中で
最近
ただただ黙々と新しいフォームでにの練習をしていた自分は
自律神経を少し失調していたと思う


昨日のカナフでのライブも
演奏中フォームの迷いから演奏が止まってしまうのではないかと
本番を迎えることが怖くてしかたがなかったし
前夜は胸がシクシク痛んだ



そういう中で本番を迎え

あとはもう
どれだけピュアになれるかが勝負だと
集中するしかない中
(僕以外の人たちの生み出した)良いライブ内容のおかげで
僕はとても良い演奏を残すことが出来たのだ


良き演奏は
自分独りの力で生み出せるものではないことを
改めて諭され
そしてそんな中、同時に自分の「音の色」が
今までと変わったことに気付いたのだった


土や
風や
日差しの匂い

自分の音から感じられた

色は
今まで渋いグレーだったのが
今日は土の色をしていた

自分の音にそんな色を見たのは初めてだった



こういうようなドキドキするようなスピリチュアルな体験を
文書に残したいと思うが
的確に文章に残すには僕の文章力はあまりにも稚拙なので
こんなブログしか書けない

そこが焦れったくはあるが

新しいフォームで弾けるようになったものを
新しいフォームでまだ弾けないものがあるから、と
短気を起こして元のフォームに戻しそうになる時
今回はそれを止める何らかの力が働いて来るのを感じている

それを僕は、自分に都合良く、こう考えている


今回はフォームを修正することを強く粘り続けているから
音楽の神様が遂に僕を膝元に置いてくれた

そして今後は道を踏み誤らないように
音楽の神が導いてくれている

と…







何十年、真剣に弾き続けて来て尚
未だに余裕で弾くことが出来ない

いつも初心者のように本番での演奏に畏怖を感じている


余裕でニコニコしながら弾けるようになりたいと思い続けながら
何十年も経つが
いつまでも本番への畏怖を感じ続けていることこそ
音楽の神様がくれた最高の贈り物かもしれない...

ピュアという最大の贈り物















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被災地応援ライブ 「ほら、そこに」vol:5後記

2018-02-11 | ギターの栄養


まず1曲演奏してから
叶ありさちゃんのレポートが始まりました

ギター弾くしか生きる術を知らない僕は
今日も静かにBGMを奏で始めました

自分の弾くギターの感情と
被災のことを語るレポートの言葉の感情が重なり
映画を観るかのようなイマジネーションが
頭の中に繰り広げられていました


ありさちゃんのレポートは
311の津波で幼稚園から家に帰る送迎バスごと
命を落とされた娘さんをお持ちになるお母様の話

僕は細心の注意を払った爪弾きで
鎮魂歌のように弾いてゆきます


そしてそのお母様が今日は会場にいらしてて
ありさちゃんがお母様をステージに呼び込む
そしてお母様は生の声を聞かせてくださった

その間ずっと僕はBGMを弾いてました





ギターを奏でている時
僕は
人が発する想いを
「気の塊」として受け止めます

そして音という形を借りて
自分の「気の塊」を重ねます

それが合奏ということなんです


それは日常で使う言葉を遥かに越え
お互いの心と心が
裸の状態で感じられるスピリチュアルな体験です

僕はギターを弾く時
常にこういう状態に居ます





そして僕は
娘さんを亡くされたそのお母様の言霊と
自分の奏でたBGMとで
合奏したのです


普段自分が伴奏者である時の
歌い手さんに当たるそのお母様の言霊は
僕が今までいろんなミュージシャンと合奏してきた
数多くの言霊の中でも受け取ったことが無いくらいに
深い悲しみと、そこから脱する強い決心を感じました


あぁ…
僕はこの言霊に
心の奥の方まで刻まれてしまったな…と感じました

その後
その当日レスキューに当たられた消防の男性の
言霊を受け取りました

僕はずっとBGMを弾いていましたが
当時を振り返る彼の言霊は
何年も経った今でも当時の凄まじい状態に脅え
震えていました
多分語りながら泣いてらしたと思う

僕は彼の言霊が震えているのを受け取ったときから
一旦BGMを止めました

会場に彼の震える声だけが淡々と流れてゆき
しばらくしてから僕は
脅えた心を包むような気持ちでBGMを再開しました


その後
完全に心が揺さぶられ温められた状態で
後半は曲を演奏し
5回目になる「ほらそこに」は終了しました



ギターを背負ってる時
僕は全ての生き物の発する想いを
気、として受け止めています

そういう意味で今日は
被災された方々との物凄い合奏をした日になりました


そして被災された方々が今
何を一番に発しておられるかと言うと
自分たちのような悲しい体験をしないために、と
被災体験を元に沢山のメッセージを我々に投げかけてくれています


人間というのは助け合うことが出来る生き物なのですね

「ほらそこに」は
被災された方としていない方とが
共存出来る場なのだと感じました

「ほらそこに」の発起人である
ありさちゃんに心の中で強く感謝しました



。。。。




平塚カナフでも「ほらそこに」は今日で
第1幕を降ろします


今後の「ほらそこに」は
ありさちゃんが
ネット放送などを立ち上げる方向を模索しているようです


この5回で皆様から頂いた募金を使わせて頂きながら
僕もいつか現地で演奏させて頂きたいと思います



僕は人見知りが強く
ギターしか弾けない人間ですが

このイベントに参加出来たことと
いろんな方と知り合いになれたこと
今日という大きな体験が出来たこと

心より感謝しています



皆様どうかお元気で






ギタリスト
榊原長紀








(写真をクリックしてみてね)


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里山散策

2018-02-04 | ギターの栄養


お気に入りの畦道を通って



ネギ畑を眺めながら



猫の足跡にしては大きいから
狸の足跡かなぁ...などと想像しながら



何かの樹の畑を眺めながら



逆光の神秘的な風景を楽しみながら



竹の新しい緑に見とれながら



鮮やかな苔に感嘆しながら



ドングリを可愛いなと思いながら



栗とドングリのジョイントを眺めながら



里山に入ってゆく






宿り木



これも宿ってる



これも



これはもはや
宿り合ってる



野生のみかん















これはカラスの巣
カメラを向けたらカラスは逃げてしまったので
空巣(駄洒落のつもりです)



残念ながら写真に収めることは出来ませんでしたが
カラスの空巣の近くでキツツキの仲間
アカゲラも目撃
人間の案外近くに野生は残ってるのですね

(イメージ画像)


自然散策道を奥へ奥へ分け入ってくうち
道は獣道のような風合いに変わってゆく












落ちた蜂の巣だ〜



てんとう虫



樹が倒れてる...



鹿の足跡



狸の溜め糞という物がありました
撮り忘れたのでこの写真はネットから拾ってきましたが
実際はもっと溜まってましたよ
複数の狸が同じ場所に糞をする習性があることを
初めて知りました



野生の入口に立って
ちょっと畏怖を感じてきたので
早々に里山を下山



里山獣道
最後は竹薮になり
樹の幹を突き破った竹




ということで下界に戻ってきた


畑の用水路脇にミノムシを見付けた
子供の頃うちの庭にも居たけど
もう何十年も見てなかったよ



ガードレールを突き破って生きる



ジョウビタキ
「怖くないからね〜」と言いながら近づくと
虫も鳥も逃げない





そして最後に
絵葉書にでもなりそうな写真が撮れた





なんだかんだ4時間も歩いてしまった






人は自然に触れながら生きるのが絶対的に良い


人生を歩いてきて見失ったものや
どこかで落としてしまった大切なものを
必ず取り戻せる



















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弾弦

2018-02-03 | ギターの栄養


この場の精神の静寂と
双方の意識の行き来

そして指先の集中は

どんなgt演奏家の弾弦より
自分の求める弾弦に一番近い


(画像クリック)











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