23日に青梅今井城学園という児童養護施設のクリスマス会の演奏に行って来た
タカシさんに誘っていただいて
詳しいことはよくわからないまま行って来た
ただ、訊いてたのは
子供達はこの施設で暮らしながら学校に通ってるってこと
幼児から高校3年生までの幅があるってこと
幼児虐待とか経済的な理由とかで自宅に居られなくなった子供達が暮らしてるっていうこと
行ってみて知ったのは
全部で50人の生徒が居るってこと
そのうち36人が本施設に暮らして
残りの子達は、2つの一軒家に何人かずつ共同生活をしているってこと
幼児から中学高校生までの違う年齢の子達が一つのグループを組んで
そういうグループがいくつもあって
彼等は手作りのステージでパフォーマンスをしていた
すごく明るい子供も居た
パフォーマンスが単純に恥ずかしいって感じの子も居た
瞳の光が暗い子も居た
負い目を持ったような子も居た
僕は、いつも通りのギターを弾いた
こういう場所だからって、何も特別な気持ちじゃなくて
いつも通り
そして自分のギターが焦れったいと思った
今日ばかりはギタリストを辞めてコメディアンになりたいって思った
何故って
無償に彼等に笑って欲しくてしかたなかったから
こういう気持ちってある意味、自分の傲慢かと思った
でも
やっぱり
笑って欲しかった
どんな理由かわからないけど
自分の家ではなく、この施設に暮らしているという「釈然としない想い」は
必ず彼等の中にある
瞳の暗かった子だけではなく
明るく振る舞っている子の中にも
出し物のダンスを楽しそうに踊っていた子の中にも
独りになって心の中を見詰めたとき必ず釈然としない思いがある
それが痛いほど彼等の中から溢れてくる
だからその「固さ」を解きほぐしたくて
それには涙か笑いかどちらかだと思ったから...
でも、いろいろ事情があってここで暮らしてるんだ
そんな簡単に泣けないよな
もしかしたら意地でも泣きたくない、よね
だから僕は
コメディアンになりたかった...
全ての演目が終わり片付けている時
さっきステージでパフォームした後、高校3年生だと自己紹介した男の子が話しかけて来た
「何のギターを使ってるんですか?」って
彼は、自分もギターをやってることや
学校でBZのコピ-バンドやってることなんかを話してくれて
最後に「ギター良かったです」と言ってくれた
彼は来年、高校卒業とともにこの施設も卒業するのだそうだ
彼の瞳の奥には暗い光が見える
彼に対して特別な同情をしない僕と彼の会話はとてもギクシャクして
一言喋って妙な間が出来、また喋っては間が出来る
そんなふうだった
帰りの車で、ずっと今日一日のことを思い出していた
自分のギターがこの子達の心にどれだけ届いたか、なんて
もう考えないことにしよう
笑って欲しい、っていうのも考えないことにする
だってそれは、彼等が笑ってくれないと僕が苦しいからなんだもの
彼等は今の姿そのままでいいんだもの
うまく笑えなかったとしても、そのままでいい
その輪の中に今日一日、ちょっと混ぜてもらって過ごせたことだけでいい
ギターの話をしてくれた高3の子の瞳の奥に影を見たことは
僕の心に、ものすごく何かを焼き付けた
そして、暗い目をした彼のことを今思い返しながら
彼のことを好きだと思える...
人の瞳の奥にある暗い光と
今回初めて、僕はしっかり向き合えたのかもしれない
簡単に優しい言葉もかけず
大胆に笑わせることも結局出来ず
いつも通りの自分の言葉、ギターを奏でて来ただけ
もし気の利いた優しい言葉をかけることが出来たり
彼等をゲラゲラ笑わせられることが出来ていたなら
僕は今、もっと楽だろう...
じっと静かに彼等の瞳の奥を見て
今僕も一緒に、答えの出ない思いを感じている
そのことが苦しいけど
でも嬉しいのだ