ちょっと前に「全てはギターの栄養」というタイトルの記事を書いた
全てがギターの栄養だと感じ切ってしまった以上
もうカテゴリー分けする意味も僕の中では無くなってしまった
制作日記もライブ後記も
かつての子育て日記もユニットの記録記事も
全てはギターの栄養なのだ
この先はどんなことを書いても
ギターの栄養というカテゴリーに入れることになるのだろうと想像し
ふと
それじゃ嫌だな...と思った
それで一歩踏み込んで「僕の音」という新カテゴリーを設けた
「ギターの栄養」は
生きていて受取るもの
「僕の音」は
受け取ったものを加工して
自分の信じる形に構築し直したもの
ということになるだろうか
答えの無い世この界に
自分の信じるものを放つのは勇気が要る
が
逝く前にそういうことも少しはしないと
と
誰かに言われたような...気がする
もしくは
自分に甘く解釈すれば
そんなことを少し言っても構わないくらいの地点にまで
歩いて来れたのかもしれない