Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

「朗読」

2008-11-29 | ギターの栄養
今、部屋で、一人楽しい


何故かというと
今日、小学校で読み聴かせをしてきたからなのだ

「スーホの白い馬」というお話


そういうことをするようになって、まだ数年しか経っていない


初めは、ただただ、聴いてほしくて
とにかく自分から発せられる言葉に
少しでも多くの言霊を盛り込もうと
本職以外のことをする照れとか気恥ずかしさを、横に押しやって取り組んでみた


なれてくるうち
ツボが少しわかってきて

読む自分にイメージが見えていれば、必ず引きつけられるように感じてきた


最近は、読み終わると自分が
その話の中に出演してきたような
そんな擬似的な体験感覚を少し持てるようになった


その擬似世界の中に
子供達のイマジネイションを連れてゆく

そして、そこで遊ぶ


遊んでる自分が、多分、一番楽しいのではないかと思う



ただし
独りで遊んでも、やっぱり面白くないよな



独りじゃ

お も し ろ く   な い よ な
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「雨」

2008-11-29 | ギターの栄養
何か感じる、
そんな降る雨の一瞬を、直径10センチくらいの筒状に、 前方一直線にくり貫く。

すぐ近くの一粒の向こうに 少し高さの違う一粒がいて
その向こうにもまた高さの違う一粒がいる

そうやって 雨雲の切れ目まで
雨粒の音符をたどってゆくと
オーバーザレインボーみたいなメロディになりそうな気がする

少なくとも
心の中では(僕ではない)何かが歌ってる


それを捕まえる狩人か漁師がミュージシャン


だけど捕まえなくてもその歌は
いつも
誰の傍にも
ある
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「このごろ」

2008-11-29 | 楽描き帳


今日、音や言葉で語り合った

しかも、今夜の空気がとても澄んでいる


夕べの雨は、匂いも音も好きだった


一昨日も、心が共有という場所で遊んだ

しかも初めての人と会話した



それらの向こうに、山ほどのことがある

けど
どれも言葉に出来ない

というか
言葉にしたくない


そんな最近の自分が
「木」のようになってきたのなら

うれしい





ぼくに
日差しと水だけ、くださいな
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「逆アングル」

2008-11-21 | ギターの栄養
初めてのピアニストさんと、楽器2人編成の初リハをした

その人はビートがどっしりしてる
特に、裏拍のスペースが広い

僕の裏拍が、前めの位置に落ちてしまう


ストロークのカーブを、弦に垂直ではなく
斜めにして距離を伸ばし、音符の長さを持とうとするが、まだ足りない

裏を、もっと歌わせねば


そうこうするうち
弦に当てる、ピックの角度が、逆アングルになって
アップストロークを、えぐるように弾き出して
ようやくグルーブが合った

合ってみると、すごく大きいグルーブになっていた



名ギタリストに、逆アングルの人は多い

しかも、今まで何度も逆アングルに挑戦したけど
僕の場合、順アングルでしか弾けなかった

のが
何十年も弾いてるのに、
今日,初めて、気付いたら、
僅かな時間の間に、逆アングルを使っていた

頭で考えるんじゃなく
気持ち良いグルーブを模索してたら
たなぼた的に修得したことが、なんだか面白いし
これが本当なんだろうな、とか思ったり


結局、グルーブが、楽しかったようで(僕が)
家に帰ってからも、ずっと、膝をタシタシ叩いて
裏を「歌って」過ごした


多分、解らない人には、全く解らないであろう
僕の今日の幸せ

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「アルビレオ」

2008-11-20 | 楽描き帳


答えを、探しがちだけど
それらは、もともと無い

無いと気付いた時
自由になれる
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「ありがとう、ごめんなさい」

2008-11-17 | ギターの栄養
僕が居る場所より広い場所、高い場所、深い場所に居る人は
知らない間に、僕が迷ったりして発する言動を、
きっとゴムのように弾力をもって受け止めてくれてるのだと思う

そして、受け止めてもらったことで、僕は自分が一旦落ち着き
自らの気付きをもって次のステージに上がってゆける

自ら気付かなくては
人から答えを教わるのでは、どうしても次へは行けない

だから、(年齢とか関係無く)
僕を受け止めてくれる人に感謝したい


僕の居る次元をいっぱいに使っても答えの出ないこと

答えが出ないからといって、気にかかることを
横に置いたまま済ましていられない
それをしたら、自分が
生きてないことになってしまうから

だから、答えの出ぬまま「発して」しまう

それに応えてくれた人
ありがとう

応えてくれた人は
僕より「知ってる」人

知ってるから
僕の言葉が、どこかが辛かったに違いない人

だけど
僕が悩むことを受け入れながら
繋がってくれて
ありがとう

言葉が交わされても交わされなくても
繋がってくれた人の影が
自分の中で見えた時
少しだけだけど
また次へ進めそうに思った








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「宮沢賢治」

2008-11-16 | 楽描き帳


「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだらう。」
ジョバンニが云ひました。

「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答へました。

「あら、蝎の火のことならあたし知ってるわ。」

「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニがききました。

「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」

「蝎って、虫だらう。」

「ええ、蝎は虫よ。だけどいゝ虫だわ。」



~銀河鉄道の夜より~
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「11/4チャリティコンサート後記」

2008-11-14 | 過去のライブ後記
人間て、人間を生かすことも殺すこともする

人間て、「種」の保存本能を持ってると思っているけど
実は、「個」の保存本能だと生物学者が言ってる

本能のままに生きれば
個の保存のために他を殺す

それが人間...
だそうだ


だから、「生かす」ことに心が向くよう
自分の中の「声」を、よく聞くようにしてる


今回、チャリティーの依頼があって
「困ってる人が、身近な縁でいるのなら」と
ばたばた仕込みをして、気付いたら本番だった

そして、終わった後
何も言葉が出なくなってしまった

そこまで勉強不足だった自分は
心臓移植の募金チャリティーに出ることに決まってから
臓器移植にまつわる数々の問題を知ってゆくことになった


一つの命を救うために、他者の脳死状態の命を終わらせること

臓器売買に繋がってゆく図式

妖しげな募金コーディネート組織が、この世に存在すること
(今回のチャリティーが、という意味ではなく)




自分や、家族が、移植を必要とした時
それら全てを踏まえて
僕は、募金に踏み切るだろうか...

それは、考えても良くわからない


この「わからない中」で演奏することは苦痛だった


この苦痛は、人間としての葛藤なのだし
それを大事にするしかない、と思いたいが
同時に
葛藤や、迷いを抱えたまま
ステージに立ち、意味はあっただろうか
という思いもある

人を助けると同時に
人を殺すことに手を貸したのではないか...という想い

「良かった」という声も耳に入ったが
それは、関係者サイドからの意見ではなかったか...という懸念

チャリティーが終わった後から
言葉を失い
ずっと考え続けた

答えは出ない

自分なりに出した答えもあるが
御両親の心情を思うと、今は公には書けない

いや
これだけ書いても
もし、御家族が読んだら傷付くだろう...





ただ、こう思う

僕が人と関わる時に生まれる力関係で
僕が、もし上に立ってしまったなら(仕切ることになってしまったら)

表と裏、善と悪
存在する両方のどちらかに偏らず
そこに参加する人の葛藤する自由を
命とか正義とかいう名の暴力で
封じ込めたくはない









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「」

2008-11-11 | ギターの栄養
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「中曽根小学校」

2008-11-01 | 過去のライブ後記
タカシさんに小学校での演奏に誘っていただいた


美談としてではなく、いつからかこんな風に思っている自分がいる

子供と友達になりたい
お互い、何の気兼ねも無く
気付いたら、戯れ合っているような



好きなギターを職業にするために
若い頃、ハードなカリキュラムを自分に課した
それでも失敗をするから、もっとキツい危機管理を自分に施す

ある一面としてだが
僕の場合はそれに伴い、どこか人間関係も固くなったように思う



「子供」という
ある意味、まだ沢山の「無垢」を残した生き物が
もし、この世に居なかったら
固くなったままの自分で、こう思って生き続けたかもしれない

「これが、仕事の厳しさってやつだもんな。しかたない」


ところが、大人とちがって子供は、
こちらの事情なんて全然関係無く、裸の「無垢」をぶつけてくる

それが羨ましい
だから、戯れ合いたくなる

子供の天真爛漫に対して、
「大人はいろいろ大変なんだよ」と言った途端
それは「言い訳」となって、何か大切なものが失われる気がする



タカシさんは、子供のコンサートで
よく、子供から「ボコボコ」にされる

歌いながら会場をゆっくり子供に触れながら歩くタカシさんに
誰か一人が触れると、隣の子も触れる
その後ろの子も、横の子も、競い合って触れてくる

競い合ううち、もう、触れるのではなく
ペシペシ、ボカボカ、殴ってる

ボコボコにされながら、その中を心底嬉しそうに悠然と歩き歌うタカシさんの姿は
何度見ても圧巻なのだ


今日もまた
それらの光景を目にすることが出来た



そして、帰る時
控え室から廊下を歩き、車まで行く間に
僕も、子供達から「ボコボコ」の洗礼を受けた

以外に痛いもんだな...
でも嬉しい



「子供」っていう「種類」の生き物が
元々持ってる「光」の洗礼を受けに
僕は演奏に行っている

そうとしか思えない今日この頃なのです


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