Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ドミソ

2016-01-29 | ギターの栄養



メロディに
ドとミとソしか出て来ない曲にコード付けをした



たった1時間ほど作業しただけで
思考が出来なくなるくらいクタクタになってしまった




でも
そういう現象にきっと意味があるな
と感じながら今日はもう作業を打ち止めた







外は雨が降り出しそうな空













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入稿

2016-01-27 | 榊原長紀 「キミと僕」


音の方のMASTERが完成し
プレス業者への入稿が行われた

作品を100点にまで届かせられないことが
本当に悔しい…

と書くと

ジャケット絵を描いてくださった画家の小田さんや
ミックスダウンを手がけてくださったエンジニアの田中さんは
自分の仕事が良くなかったかと思うかもしれない



そういうことではない
彼らはプロフェッショナルな仕事を残してくださった



これは僕の心の中のこと


生きてる限り
いつまで、どこまで追求しても
満点は得られないのが人の性なのだろうけど


僕の精神をずっと縛ってきたもの
それに縛られ
自分を許す事がとても下手なまま潔癖を求め続けて
気付けばこの年齢になっていた


これは僕の非常にプライベートなソロアルバムであるから
(暴言を吐かせた貰えるなら)
この音は解る人だけに解ってもらえれば良い


この音に織り込んだ想いが
僕と似た呪縛に縛られてる人に届けば良い


この苦痛の鎮静剤になれば
それだけで満足






制作が終わりに近づき
もうあと自分がやれることも無くなって
達成感とか喜びより
少しセンチメンタルになっているのかもしれない















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髪の毛1本のこと殴り書き

2016-01-25 | 榊原長紀 「キミと僕」


素晴らしいテイク4を何度も繰り返し聴きながら

髪の毛1本の欲が出て
更なる微調整をお願いしてしまった僕


いつになったらアルバムは完成するのだ



いや

でも

終わりが見えて来たこの最後のくだりが一番楽しいのかも


終わりたいけど終わりたくない



だけどホント
これ作るのに寿命縮めたわ


だから早くもう完成してしまいたい

でも終わりたくない


いやでもやっぱ終わらせたい



終わらせて僕の音楽人生の10余年の決着をつけて
次なる魂のステージに進みたい



私事で恐縮ですが
長い年月自分の精神を縛っていたものに対しての決着が
このアルバムでやっと出来そうだ


これ出来たらもうとりあえずいつ死んでもいいや

あとは余生だ

だからむしろこの先
心の赴くままに音楽出来る



多分僕の人生そのものがシフトチェンジすることになるだろう





















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平塚さとみ@南青山SMOKY

2016-01-25 | 過去のライブ後記






テレビを観ないのでわからないけど
巷では今日は雪みたいな感じだった気がするけど…?
結局雲一つ無い冬晴れ


さすが引き寄せの達人
福女
平塚さとみ女史のバースデーライブのサポートで南青山に来ました

今日は叶高さんも一緒



平塚さんはプロの歌手ではないが
自己啓発的な活動をいろいろ為さってる


音楽は音を楽しむことの先のもっと根元的な処では人の心を解放し
その人の気付きと力を引き出す力があることを常々感じている


その根元的な部分を共有出来ると感じ
昨年夏に初めてライブをご一緒させて頂いて以来
継続的に関わらせて頂いている


音楽の部分で僕に出来るフォローをすることで
さとみ女史が音楽を使いながら
なんというか…世のため人のために働きやすくなるなら
それは演奏家としてとても光栄なことだと思う


今日のライブの出来はどうだったか...

それは聴いてくださったお客様の感性にお任せ致します

さとみ女子とはこの先
良いことに力を使う相談をしつつ
またライブの企画等するかと思います

皆様とはまたどこかでお目にかかれることを祈りつつ…




本日は寒い中足をお運び頂きありがとうございました











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テストミックス4

2016-01-25 | 榊原長紀 「キミと僕」


今日はライブ本番で
出かける手前にPCメールにテストミックス4が届いていることに気付いた

もう本番モードになっていたので
出かける前に聴くか聴くまいかちょっと迷ったが
結局2曲ほど聴いた


クリアなのに耳と心に優しい音に仕上がっていた



耳に優しい音質にしようとすると丸い音になる

丸い音は隠りがちに聴こえてしまうことにもなる

隠りがちな丸い音質は神経を逆撫でするものは少ないが
演奏に盛り込んだ想いもぼんやり奥まってしまう


テストミックス4は
その両方が魔法のようにクリアされていた
もう半年以上前に録音時に演奏に盛り込んだ想いが
浮き出て聴こえるようになっていた

自分はこんなに沢山の表情をこの曲達に盛り込んだったっけ?


想いがはっきり感じられるということは
曲から受け取る情報量が増えるわけだから曲が長く感じられるし
聴いたという満足度が上がる


クリアさと
そして良い意味での曖昧さや揺らぎのようなものの
両方が見事に調和されていた


自分が録音したものと
良い意味で違うものにさえ感じた


エンジニアさんによって完璧に化学反応を起こして頂けたことを覚った


2曲聴いただけで十分にも思ったが
やはり帰宅したら全曲じっくり聴いて
OKのお返事はゆっくりしよう
と思いながら出かけた




。。。



ライブの会場に今日も早く着いて
最寄りのコインパに停めて考えていた


制作中のこのアルバムに収録された曲がそれぞれ生まれた瞬間というのは
人智を越えた本当に一瞬の閃きの中でしかない


その閃いたイメージの断片を
最終的には不特定多数のリスナーが繰り返し聴いても耐え得るまでの表現力が作品に備わるまで
演奏家としての練習を重ねながら
同時に練習するほど失ってゆくファーストインスピレーションのピュアな部分を取り戻さんとする葛藤を経て
更には自分の専門外を司る他のプロの方達の力をお借りすることになる


価値観も生きるスタンスも違う他人同士なのだから
プロのノウハウを以て
格好良さげな専門用語を駆使しても
実のところお互いのことは何も理解し合えないのが事の本質だ


そんな何とも心許ないコミニュケーションを経て最後にはプレス業者への依託になる

せっかく良い風合いになっていたジャケットの色見が味気無い風合いになってしまってしまわないか
プレスによって音質が変わってしまってないか…等々
尽きぬ心配と障害をクリアしたものがやっとリスナーの手に届くことになる


クリアしたもの
と書いてしまったが
本当は
幾つもクリア出来なかった要素を残したものがリスナーの手に渡るのだ


他人の手が挟まるほど
自分から発せられた純度は落ちてゆく


価値観もスタンスも違う他人に
自分の価値観を押し付けることは無意味なことだしそもそも不可能だ

ならば最後に残された出来得ることがあるとすれば
他人同士それぞれが持っている力を最大限合わせて化学反応を起こさせ
僕が独りだけで作り上げた仕上がりより
何割も何倍も輝きを放つ仕上がりを目指すしかない

それが得られないなら
他者と関わる意味は無い
独りの範疇だけで作品制作をすれば良いのだ



人は無意識の内に一瞬の閃きという情動によって突き動かされながら人生を歩いてゆく

人生の中で躓くことが多々あるだろうが
その99,9%は
閃きに依るものではなく閃き以後の他者との関わりの中で生じている


閃きとは自らの内なる声であり
狭義の常識などによって見失ってしまった自分らしさを取り戻す答えが
そこには内在されている


繰り返しになってしまうが
見失うのは閃きの瞬間ではなく
その後の作業である他者との関わりの中なのだと思う

それが生きることの難しさそのものだとも言え
見失えば心が弱り
閃きすら無くなってしまう


弱った心は
情動に身を任せ我が儘に生きることで少しずつ取り戻せるのかもしれない

我が儘な行動は
表面的な人間関係の摩擦にも繋がるが
表面的な人間関係なら失っても生きる本質に於てどうということもない

むしろ自分にとって本当に必要ではない人間関係はフルイにかけられるだけだろう


独りを生きる強さを得るためには
沢山愛情を受けることだ
そして沢山の愛を受けたければ
まず自分から愛すことだ

小さなもので良いから自分の持っている心の財産をなるべく使って
小さくて良いから善行を施すことだろう

道端のゴミに気付いたら拾ってゴミ箱に捨てるようなちょっとしたことで良いのだ


結局そういう積み重ねが人間関係を健全に進める力に繋がってくる



他者と良き化学反応を起こすには
無垢になるしかない

良き化学反応から最も遠い距離にあるのは銭勘定に基づいた関わりだろう

次に遠いのは
煩い他者との関わりを避け
自分独りで完結させることだろう


自分独りで純度を増すことの充足も在るが必ず
煩わしい他者との関わりが恋しくなるだろう


棺桶に入る時に
何故もっと全力で他者と関わらなかったか
と後悔が過るだろう


…と

こんな理屈が今日は湯水のように湧いて来る


このまま語らせれば宇宙の果てのことまで語るかもしれない


だから
アルバム制作の終わりが近づいていると感じるのだ

真理をアルバムに宿すことが出来そうだからだ




こんな感じの中
今日は南青山で半クローズのライブのサポート

僕の心は
ライブの事に在って無いが如く

とはいえ
深い根っこの部分では
しっかり在り過ぎるほどに在る


そこにしっかり愛は在る

早く到着し
最寄りのコインパに停め気持ち良い青空の下
このメモをしたためている










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テストミックス3

2016-01-22 | 榊原長紀 「キミと僕」


昨年末にジャケ絵の完成に伴って
今度はプロの方に音のミックスダウンをお願いした

丁寧にやって頂きたかったので〆切は決めず


ジャケ絵の時と同じように、最初に自分が抱いているイメージを
なるべく細かく具体的にお伝えした
そして今年に入りテストmix1が来た

すると
欲しいものと全く違うものに出来上がって来た




修正をお願いするために
更に細かく指定したり参考音源を添付したり

そしてテストmix2として出来上がって来たのものは
僕のオーダーしたものは全て網羅してあるのに
欲しいものからは更に遠ざかっていた


腕は確かだしコミニュケートにもブレの無いプロフェッショナルなエンジニアさんであり
事前に彼の作品も聴かせてもらい
これなら僕の感覚と重なり合わせられる、と確信していたのに
細かくリクエストするほど音が理想型から離れて行く…という


僕にとってこんなに精神を蝕まれることは無い
昨年ギターの録音時には突発性難聴
ジャケ絵が完成して間もなく帯状疱疹という
決して望んで等いないが何故か引き寄せ背負ってしまう僕特有の身を削る性も
多分これ以上はもう心身が持たないだろうと思い始める

そして僕が求める世界がきっと異常な領域で
プロの人にも理解してもらえないのかもな
と思って泣く泣く
「どうしたら上手く伝えられるかもうわからなくなってしまったので
拙いのは重々知りつつですが自分のmixを使うことにします」
という内容のメールを送った


するとエンジニアさんから
「最後にもう1テイクだけ聴いてみてください
これでも違うようだったら榊原さんのmixで行きましょう」と
テストミックス3というのが送られて来た


期待しないように...
でもどこかで期待しているのだろう
恐る恐る聴き始めた途端
しっくり感に包まれ
聴き進めるうちに懺悔の徒のように頭を垂れ
音の世界に埋没した


僕が欲しい要素がそこにはほとんど詰まっていた



狐につままれた気分でメールした

「なんか...良いかも、です」

と返信するとエンジニアさんから来た返事にこうあった

「実は一番最初に自分が良いと思うようにミックスしたテイクなんです」と



僕がなるべく細かく詳しくリクエストしてからは
プロとしてそのリクエスト項目の一つ一つに応えてくれたので
むしろエンジニアさんの美学が消滅してしまった
ということだったようだ

音楽を言葉で説明することは出来ないこと
改めて身に沁みる思いだった


mix作業の続投はもちろんお願いした



。。。




既存のフォーマットでは解決出来ないクリエイティブ作品を
他者と協力し合いながら作り上げるのはホントに難しい

作品に対し芸術的に関わるということは
この世界の負の存在に対する正の主張であり
負に依って付いた自分の傷口から滲んだ血が
ガソリンとなるのだから
濃くしようとするほど
関わろうとするほど
そしてガソリンが足りなければ
傷口を自らの手で開いて血を溢れさせることにまでなるのだから
下手すると神経がぼろぼろになる


だから
こういう領域に足を踏み入れる人は少ない


僕も仕事でこういう領域に足を踏み込んで
次からもう呼ばれないことも多々ある

踏み込む人も少ないし
踏み込まれても困る人も多いのだろうと思う





ミックスダウンに関し
エンジニアさんにどう説明しても欲しい音に近づかないことで
僕はもう他者に託すことを諦めようとした

その諦めの決断がエンジニアさんのスイッチをONにし
エンジニアさんは僕の細かい注文を無視して
彼の美学を音に投影した

そのテストミックス3を僕はとても美しいと感じて
紡がれる音の波に引き込まれ
いつしか懺悔の徒のように頭を垂れ
気が付けば聴きながら涙が出たのだった



エンジニアさんが「あるライン」を越えてくれたのを
明確に感じた

「あるライン」とは
プロがミスを避けるため
ある意味プロがプロであるために用意している「押さえ」のこと

それを取っ払い
下手すればクライアントから
「あんた何やってくれちゃってるの?
こっちがオーダーしたのと全然違うことやってくれちゃってるじゃない?
どういうつもりなさ」
と大叱咤を受けることも否まず
自分の美学を思い切りぶつけてくれることだ


エンジニアさんがこの領域に入ったことを
僕はとてもハッキリ感じられる


そしてそのことに感動してることを伝えたくてメールで送ったが
もしかしたら社交辞令だと受け止めてるかもしれない
信じてもらえてないかもしれない


だからここにこうして書き残したいと思うのだ





この人生を面白く豊かに生きる方法を
また一つ学んでいる


擦り傷はどんどん増えるが生きる面白みは増している











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5次元目

2016-01-16 | ギターの栄養



縦横高さに時間の流れをプラスした4次元の先に
「感じる」
という5次元目が存在していることを
或る人との会話で今日ハッキリ認識することになった


自分にとって「感じている時間」というものを再考してみるに
縦横高さは全体像としてボンヤリ感じていれば済むことになり
時間の流れは在って無いに等しいものになる


寿命を考え生き急ぐことも無くなる

重力に逆らう労力からも解放される


ただ一番に素敵だと思うことは
その場所では泣いても笑っても怒っても憂いても
誰も何も文句を言う人は居ない、ということだ


観念の中で何年分かの体験をし
瞑想状態から解かれれば
大した時間も過ぎてないこともあるし
その逆に
ほんの短い間だと思って瞑想から解かれたら
何時間も過ぎていたということもあるだろう


感覚を研ぎすませて行くと
こういう場所で
痛んだ自分を気の済むまで解放させ休息を取ることが出来る

そしてそこにやってくる人とは
いくらでも会話も出来る

会話と言う表現は方便で
本当は「繋がっている感じ」を得られる


人間が生き残るために働かせている本能がある以上
そういうものが縺れ合いながらこの世界が出来ている以上
現実の世界での摩擦や理不尽さは無くならないだろう

この5次元目の場所でしか得られないものがある


この場所は
生きながら体験出来る天国
とも言うことが出来るかもしれない









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記憶の深い部分に残ること

2016-01-16 | ギターの栄養


昨年末に発症した帯状疱疹のしつこい名残が
まだ顔に残ってる中
昨日は晃教くんのアルバムのレコーディングで
1曲弾かせて頂きに出かけた




歌とアコギとチェロだけの編成の曲で
曲中テンポが変化する

クリックを聴きながらのレコーディングだった


ヘッドフォンの中の歌とアコギとチェロとクリックの
4つのバランスを各々がとるために
まず試験的に録音をし始めた


クリックに縛られ固い演奏になるのが嫌で最初小さめに設定したが
演奏が始まってみるとよく聴こえなくて
最初の方の何テイクはクリックとズレてしまった


が、僕が嬉しかったことは
クリックの示す位置より
僕のギターが音を置いた位置に
晃教君がぴったり寄り添って歌っていてくれたことだった






。。







少し理屈を書くが…


例えば、僕の歌心から生まれた音の置き位置より
クリックの示す位置を優先するのが普通のプロだ


ポピュラー音楽のレコーディングの世界は
仕上がった音には結局居ない「クリック」という存在を
聴きながら皆で音を出し合ってrecしている

クリックを聴きながらでは
アンサンブルの相手が奏でた微妙な位置を感知することは
まず出来ない

相手がつば先に手を掛けるやいなや
こちらは間合いを一気に詰めるか、飛び退くか…
そういった微妙なやり取りは不可能になる


クリックという、ただ一定のテンポを示す者が
たった一人アンサンブルの中に入り
しかも粗奴がその曲の法律である、となると
生の演奏者同士の息も出来ないほどの駆け引きは
物理的に全く出来なくなってしまうのだ


クリックという陰の支配者の示す独裁的な枠組みの中に皆が音を収め
しかも無責任なことに作品の最終形には独裁者は姿を見せない


レコーディングのこういう構図に窮屈を感じて
クリックの訓練をしなくなって数十年経つ自分は
ポピュラー音楽の世界では多分2流の演奏家だろう

だがその分逆に
相手の間合いを感知するアンテナは研ぎすまされた


人間が放つ「気」を絡め合う行為が
生きてる間に出来るのはアメージングなことだ

だから
僕の音楽人生はそれで良い





。。






僕が到着した時には
前の曲をエレキの人がrecしていた


自分の番が来てブースに入る


真ん中の大きなブースにチェリストさん
向こうの離れた小ブースに晃教君


チェロは持続音の楽器だから
減衰音のギターのように音の置き位置にはあまりシビアではなくても
十分な役割を果たす

だからこの曲の間合いは
アッキーの歌と僕のギターで骨組みを作ることになる



僕のブースとは離れたブースに入ったアッキーは
アイコンタクトが取れるようにと
僕のブース内での座り位置を数十センチ動かせ
ガラス窓越しに目が合わせられるようにさせた

recが始まったらお互いを見る余裕は結局無かったが
間合いを合わせようとするお互いへの理解が明確になった



最初小さめに設定したクリックは
音が盛り上がった場所でほとんど聴こえなくなり
微かに聞こえてるクリックを自分がズレていることを
途切れ途切れに感じながら演奏した


その
クリックとズレている間

晃教君と僕の音はずっとピッタリ重なっていた





このことが
昨日の僕の記憶の深いところに刻み込まれたことなのだ






音の置き位置は僕の心の投影でもある


プロとしてクリックに合わせることより
クリックとズレても合奏者との間合いを合わせて行くことが
僕の音楽であり僕の心の会話だとも言える



そこに寄り添ってくれる存在に対し
僕は最大限のリスペクトをするだろう




最終的にはクリックの示す位置に音を置くことで
帳尻を合わせる結末になったのだが


その結末のことより

昨日体験した非クリックな時間のことは

僕の記憶の深い部分に刻まれたことだった
















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