A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記875 『家族写真は「」である。』

2014-05-09 23:28:29 | 書物
タイトル:家族写真は「 」である。
著者:浅田政志
装丁:寄藤文平+鈴木千佳子(文平銀座)
編集協力:畑中章宏
制作協力:服部和恵(浅田政志補佐)
発行:東京 : 亜紀書房
発行日:2013.8
形態:203p, 図版 [32] p ; 19cm
内容:
家族写真は「  」である。
「  」の中に言葉を入れてください。
あなたにとって、家族写真とはなんですか?

小藪千豊「犬、猫、空、カプチーノ上から、を撮る前にこれを見て下さい。」

写真集『浅田家』は、写真ファンだけではなく、多くの人びとに共感をもって迎えられた。「私ももっと楽しい家族写真が撮りたい」と。どうして親は子どもを撮りたいと思うのか、日本人にとって写真はどんな存在なのか、家族っていったい何なのか、『浅田家』は多くのことを問いかけてくる。写真家・浅田政志が生まれるまで。『浅田家』制作の裏側。震災後、被災地での家族写真洗浄のボランティア。日本の家族を追いかける『みんな家族』プロジェクト……。本書は、木村伊兵衛写真賞受賞作家の浅田政志の、家族論であり写真論である。

目次
1 ぼくの家族と家族写真
2 『浅田家』ができるまで
3 東北で出会った家族写真
4 家族アルバムを作ろう
5 さまざまな家族のすがた
6 新しい家族を撮る
日本家族写真史1 人類学者の家族アルバム論
日本家族写真史2 写真家たちの家族写真
あとがき

購入日:2014年5月8日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 家族写真の参考文献として図書館で借りて読んでいたが、手元にほしいと思い購入。おそらく語り下ろしを編集したものだと思うが、コンパクトにまとめられていて読みやすい。どんな作家もそうかもしれないが、売れない頃の話がおもしろい。
 ちなみに、「日本家族写真史」の章だけは、章末に(H)の署名があるので、おそらく畑中章宏氏による著述と思われる。これが実に簡潔でわかりやすい家族写真史になっており、とても得るところが大きかった。ぜひ、畑中さんによる家族写真論を読んでみたい。


memorandum 153 文学

2014-05-08 23:19:03 | ことば
確かに私たちはみずからの生を整え、意味を見いだそうとしてはいるが、他人の代わりにその人の小説を書くつもりはない。自分の生に意味を見いだし、選択を行ない、自身のために基準を提起し、それを受け入れる助けとなる源泉は何か。そのひとつは、自分自身のものではなく、むしろ他者の特異的(シンギュラー)な確固たる声だ。それらを聴いたことあるという経験だ。そうした作品の集成が心や感情をはぐくみ、世界に生きる教育を与えてくれ、言語の輝きを具現し、防衛し(つまり、意識の根本的な道具を拡張し)てくれる。つまり、文学だ。
スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.313





自分より他者の声を聞く。

未読日記874 『橋本トモコ : 白い光、落ちる闇』

2014-05-07 23:16:06 | 書物
タイトル:橋本トモコ : 白い光、落ちる闇
並列タイトル:HASHIMOTO TOMOKO: white light, falling dark
写真撮影:長塚秀人
      (文章下)林哲生、橋本トモコ
デザイン:橋本トモコ
発行:千葉 : 千葉市民ギャラリー・いなげ
発行日:2014.3
形態:1枚(おもに図版) ; 30×73cm(おりたたみ30×21cm)
注記:展覧会カタログ
   会期・会場: 千葉市民ギャラリー・いなげ: 2014年1月22日(水)-2月9日(日)
   主催:千葉市民ギャラリー・いなげ
   企画:行木弥生(千葉市民ギャラリー・いなげ)
内容:
「分かち合う景色から」行木弥生
作家略歴

頂いた日:2014年5月6日
 作家の方よりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
 言い訳になるのだが、本展を見に行こうと最終週の土日に東京に行く予定だった。だが、前日になって東京が20年ぶりの大雪という事態になり、泣く泣く見送ることとなってしまった。2004年にギャラリー山口での個展で初めて見て以来、個展に関しては逃さず見続けてきたが、10年目にして初めて見逃してしまった。

 こうしてリーフレットを頂くと後悔がぶり返す。展示室の窓から見える雪景色、展示室に差し込む冬の光が美しくて、この空間で作品を見たかったものだとぼんやりする。橋本作品は、展示や空間における色彩の在り様が緻密に考えられているので、展示空間で作品と対面する楽しみがあるのである。
 次は、7月から東京都現代美術館で開催される「ワンダフルワールド」(2014年7月12日(土)―8月31日(日))に出品予定とのこと。天気が晴れますように。


memorandum 152 空間と時間の理想的な乗り物

2014-05-06 23:05:35 | ことば
 いわく、「あらゆることがいっぺんに起こらないために、時間は存在する……あらゆることがすべて一人の身に起こらないために、空間は存在する」。
 この基準で考えると、小説は空間と時間の理想的な乗り物だ。小説は時間を示してくれる――つまり、あらゆることが同時に起こるのではない(順番があり、流れがある)。空間も示してくれる――つまり、ものごとは一人の人物だけに起こるのではない。
 言い換えるなら、小説は単なるひとつの声ではなく、ひとつの世界の創造だ。時間のなかに生き、世界に住み、経験の意味を理解しようとしている私たちが、そういう自分の経験する構造。小説はその本質構造を模倣している。

スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.305




世界に空間と時間があってよかった。


未読日記873 『荒野ノヒカリ』

2014-05-05 23:24:32 | 書物
タイトル:愛岐トンネル群・アートプロジェクト2013「荒野ノヒカリ」記録
企画編集・執筆:高橋綾子
デザイン:田端昌良(ゲラーデ舎)
発行:春日井市 : 愛岐トンネル群保存再生委員会
形態:32p ; 30cm
注記:展覧会カタログ
   会期・会場: 2013年9月7日-10月27日:愛知県春日井市玉野町 愛岐トンネル群廃線とトンネル群1.7km
   主催:NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会
   企画:高橋綾子
   *あいちトリエンナーレ2013パートナーシップ事業
内容:
愛岐トンネル群

占部史人「浮き寝の旅」
丹羽康博「carrying stone」
softpad「1961」
山田亘「あめつちほしそら」
   演劇「下弦の國」
鈴木昭男「点音(おとだて)」
    「点回(え)e-date」/空っぽ「ぽんぽこりん♪」
相田明「角砂糖が溶けるように自然に還る」
野村幸弘「場所の音楽~愛岐トンネル群」
    「第31回幻聴音楽会―1.7kmの音楽」
藤本由起夫「Room(Aigi Tunnel)」
ドリアン助川「あなたへの100の言葉」
      トンネルで世界を叫ぶ「世界詩集」/歌劇「クロコダイルの恋」

オープニング
イベント
マルシェ
テキスト「トンネルの内と外 荒野にヒカリは見えたのか」高橋綾子
データ

頂いた日:2014年5月5日
 関係者の方より頂いた1冊。どうもありがとうございます。
 「荒野ノヒカリ」は、昨年にJR中央本線の旧ルートの廃線跡で開催されたアートプロジェクト。総距離は、愛知県春日井市の定光寺から多治見間の8キロで14のトンネルを有する。
 廃線跡で開催されるアートプロジェクトというのはこれまで聞いたことがなく楽しみに出かけたが、これが実にすばらしかった。なかでも333メートルのトンネル内に展示された藤本由起夫の《Room(Aigi Tunnel)》は圧巻だった。暗闇のトンネル内に4台のキーボードが不協和音を奏でる作品だが、音を聞いているというより空間を聞くというスケールが驚きだった。


memorandum 151 作家がすべきこと

2014-05-04 23:17:10 | ことば
 作家がすべきことが何かあるか、としばしば質問される。最近のインタビューではこう答えた。「いくつかあります。言葉を愛すること、文章について苦闘すること。そして、世界に注目すること」。
スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.299





今日も文章に苦闘している・・・

未読日記872 『SHOP CATALOGUE (5104)』

2014-05-03 23:21:07 | 書物
タイトル:SHOP CATALOGUE (5104)
著者:Masanao Hirayama
発行:RONDADE
発行日:c2013
形態:64p, 21cm
注記:Edition of 300

購入日:2014年5月3日
購入店:YUY BOOKS
購入理由:
 アーティスト・平山昌尚によるリサイクルショップに乱雑に転がる商品を撮ったSHOP CATALOGUE。なんでこんなものが売られているのかおかしい。ページをめくるごとに商品の並びが次第にインスタレーションのように見えてくるが、宮本博史展を見た後だっただけに余計にそう思えたのかもしれない。巻末にはプライスリスト付き。YUY BOOKSさんはおもしろい本が多くて、本を見てると時間がたつのが早い。

memorandum 150 世界に傾注している存在

2014-05-01 23:12:32 | ことば
 思うに、作家は世界に傾注している存在です。つまり、人間がいかに大きな邪悪さを発揮しうるかを認識しよう、受けとめよう、その面に回路をもとう、と努めている存在です。それでいて、その認識によって堕落させられる――冷笑的、表層的になりさがる――ことをよしとしない存在です。
 文学は、世界とはどのようなものかを私たちに教えてくれます。
 文学は、基準を与え、言語によって、また物語によって具体化された深い知識を伝えてくれます。
 文学は、自分でもなく自分たちのものでもない存在のために涙を流す能力を醸成し、鍛錬してくれます。
 自分でもなく自分たちのものでもない存在に共感できないとしたら、私たちはどんな存在になっていたことでしょうか。少なくとも何度か、我を忘れることがなかったとしたら、私たちはどんな存在になっていたことでしょうか。もし学ぶことが、許すことができず、自分たち以外の存在になることができなかったとしたら、私たちはどんな存在になっていたことでしょうか。

スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.292





我を忘れて、「自分でもなく自分たちのものでもない存在」に傾注しよう。