―お母さん、僕は死ぬのだろうか?―私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。
―お医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それが聞こえていた。僕は死ぬのだろうと思う。
母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。
―もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
―………けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
―いいえ、同じですよ、と母はいいました。あなたが私から生まれて、いままでに見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたの知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。
私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。そして翌朝から回復して行ったのです。とてもゆっくりとでしたが。冬の初めには、自分から進んで学校に行くことにもなりました。
教室で勉強しながら、また運動場で野球をしながら―それが戦争が終わってから盛んになったスポーツでした―、私はいつのまにかボンヤリして、ひとり考えていることがありました。いまここにいる自分は、あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後、お母さんにもう一度生んでもらった、新しい子供じゃないだろうか?あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているのじゃないか? そして僕は、その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?
この教室や運動場にいる子供たちは、みんな、大人になることができないで死んだ子供たちの、見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、その子供たちの替りに生きているのじゃないだろうか? その証拠に、僕らはみんな同じ言葉を受けついで話している。
そして僕らはみんな、その言葉をしっかり自分のものにするために、学校へ来ているのじゃないか? 国語だけじゃなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子供らの言葉を受け継ぐために必要なのだと思う! ひとりで森のなかに入って、植物図鑑と目の前の樹木を照らしあわせているだけでは、死んだ子供の替りに、その子供と同じ、新しい子供になることはできない。だから、僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ……。
(大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』講談社/講談社文庫2004.4、p.361-362)
3月7日、<DE MYSTICA第2回展>のイベントとして、「対談:詩人・江尻潔×民族学者・川島健二―“アート”と“美術”との間に横たわる諸問題をめぐって」が銀座のなびす画廊で開かれ聞きに行った。全体としては美術についての問題より、より大きな視野で表現すること、生きることを問う内容であった。そこで民族学者である川島氏が話されたことに深く印象に残った言葉がある。聞きながらその場で書き留めた言葉なので正確ではないかもしれないが、川島氏は柳田國男の言葉からコミュニケーションについての考えを述べられた。それによると、柳田は生きている人どうしのコミュニケーションだけでなく、不在の今はいない人、これから生まれてくる人を含んだコミュニケーションを考えていたというのだ。それに続いて、日本人の死が身近にある世界観を述べられた。
この話を聞いたとき、私にはその時、読んでいた大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」のある挿話を思い出した。すでに亡くなってしまった人、これから生まれてくる人がチェンジリングするその発想に遥かな視野があり、柳田國男の思想とつながってくる。とても長いのだが、その箇所をすべて引用した。小説のリズム、思考を伝えるためにはある程度の長さがないと伝わらない。
その翌日、祖母が亡くなった。その日、私には前日の川島氏の話が頭の中で想起した。あのとき聞いた言葉が私に落ち着きを与えてくれた。これも祖母の力によって私に与えられた死への準備だったのかもしれない。死んだ者の「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぐこと。同じ言葉をしゃべること。そうなれるかはわからないが、それが生きている私にできることだ。
写真はDE MYSTICA展に出品している利部志穂さんより頂いたポストカードとミルティ。今展では反響しあう圧倒的な空間を作り上げている。この作品もまた記憶、連想や想起を反響させてチェンジリングするような作品だと言えるかもしれない。使われているのは鉄パイプ、ワイヤー、割れた鏡、ハサミ、滑り台のような形状をした鉄の構造物‥などなど日常目にするものが使われている。それらの「もの」はこれまで「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぎ、まるで「その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?」と思わせるような継続と切断とのズレを含んだ新たな「子ども」として生まれているようだ。
―お医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それが聞こえていた。僕は死ぬのだろうと思う。
母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。
―もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
―………けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?
―いいえ、同じですよ、と母はいいました。あなたが私から生まれて、いままでに見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたの知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。
私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。そして翌朝から回復して行ったのです。とてもゆっくりとでしたが。冬の初めには、自分から進んで学校に行くことにもなりました。
教室で勉強しながら、また運動場で野球をしながら―それが戦争が終わってから盛んになったスポーツでした―、私はいつのまにかボンヤリして、ひとり考えていることがありました。いまここにいる自分は、あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後、お母さんにもう一度生んでもらった、新しい子供じゃないだろうか?あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているのじゃないか? そして僕は、その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?
この教室や運動場にいる子供たちは、みんな、大人になることができないで死んだ子供たちの、見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、その子供たちの替りに生きているのじゃないだろうか? その証拠に、僕らはみんな同じ言葉を受けついで話している。
そして僕らはみんな、その言葉をしっかり自分のものにするために、学校へ来ているのじゃないか? 国語だけじゃなく、理科も算数も、体操ですらも、死んだ子供らの言葉を受け継ぐために必要なのだと思う! ひとりで森のなかに入って、植物図鑑と目の前の樹木を照らしあわせているだけでは、死んだ子供の替りに、その子供と同じ、新しい子供になることはできない。だから、僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ……。
(大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』講談社/講談社文庫2004.4、p.361-362)
3月7日、<DE MYSTICA第2回展>のイベントとして、「対談:詩人・江尻潔×民族学者・川島健二―“アート”と“美術”との間に横たわる諸問題をめぐって」が銀座のなびす画廊で開かれ聞きに行った。全体としては美術についての問題より、より大きな視野で表現すること、生きることを問う内容であった。そこで民族学者である川島氏が話されたことに深く印象に残った言葉がある。聞きながらその場で書き留めた言葉なので正確ではないかもしれないが、川島氏は柳田國男の言葉からコミュニケーションについての考えを述べられた。それによると、柳田は生きている人どうしのコミュニケーションだけでなく、不在の今はいない人、これから生まれてくる人を含んだコミュニケーションを考えていたというのだ。それに続いて、日本人の死が身近にある世界観を述べられた。
この話を聞いたとき、私にはその時、読んでいた大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」のある挿話を思い出した。すでに亡くなってしまった人、これから生まれてくる人がチェンジリングするその発想に遥かな視野があり、柳田國男の思想とつながってくる。とても長いのだが、その箇所をすべて引用した。小説のリズム、思考を伝えるためにはある程度の長さがないと伝わらない。
その翌日、祖母が亡くなった。その日、私には前日の川島氏の話が頭の中で想起した。あのとき聞いた言葉が私に落ち着きを与えてくれた。これも祖母の力によって私に与えられた死への準備だったのかもしれない。死んだ者の「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぐこと。同じ言葉をしゃべること。そうなれるかはわからないが、それが生きている私にできることだ。
写真はDE MYSTICA展に出品している利部志穂さんより頂いたポストカードとミルティ。今展では反響しあう圧倒的な空間を作り上げている。この作品もまた記憶、連想や想起を反響させてチェンジリングするような作品だと言えるかもしれない。使われているのは鉄パイプ、ワイヤー、割れた鏡、ハサミ、滑り台のような形状をした鉄の構造物‥などなど日常目にするものが使われている。それらの「もの」はこれまで「見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと」を受け継ぎ、まるで「その死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?」と思わせるような継続と切断とのズレを含んだ新たな「子ども」として生まれているようだ。