A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

北に澄む 村上善男展

2005-07-04 00:24:21 | 美術
北に澄む 村上善男展
2005年4月23日(土)~7月3日(日)
川崎市岡本太郎美術館

 岡本太郎との交流をきっかけに自身の郷里である岩手県をはじめとする東北地方の風土に根ざした作品を制作し続けている村上善男の回顧展。
 注射針に新聞紙、プラスチックや古文書、実にさまざまなものがキャンバスにはりつけられている。まさに、キャンバスは戦場と化している。絵具はのた打ち、飛び散り、さまざまな物質が同じ一つのキャンバスに混在している。だが、かわらない要素がある。
 点と線だ。
村上の初期の作品から、何かと何かを結ぶのに線がでてくる。
「ヴァグースQ」では、電信柱を思わせるフォーク状の塔にいくつもの線が交差し入り乱れて描かれている。建築設計図のように数式のようなものも余白に描かれている。中期の荒川修作を彷佛させる白地にドローイング風に描かれた「天気図」シリーズには大気の動き、変化が表グラフのように図示される。(余談だが、天気図というテーマは興味深い。自然現象である天気ほど私たちの生活に密着したものはなく、これほど生活や精神に影響を与えるものもないだろう。眼に見えない温度、湿度含め「天気」「気象」から近現代絵画を見直すことができないだろうか。) 近年の古文書をはりつけた作品にも名前や言葉の一節に点が置かれ、その点がさまざまな点と結びあう。この点や線が何を意味するものなのかはわからないが、リズミカルに画面をおおう線が絵画空間に視線を動かす愉しみを与えてくれる。それがどんな内容を持った古文書なのか問わなくともキャンバスにはり巡らされた点と線はある空間を造り出しているのだ。
 
 展覧会後半に設けられた「東北アヴァンギャルド考」も村上の批評性を裏付ける刺激的なセクションだ。村上が萬鉄五郎、松本俊介、澤田哲郎、阿部合成、工藤哲巳らの作品に見たテーマ、造型を彼の文章をあわせて展示したセクションである。萬鉄五郎の「仁丹」「雲のある自画像」の2点と晩年は文人画を描いていたというエピソードを知るにつけ、この作家を「近代美術」の枠で見てしまうことの危険さを感じる。美術というと都市を中心とした活動、現象だと知らず思ってしまう無知を私は恥じたのである。

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