その「なんだかよくわからないもの」がいつ、どのような条件の下で、どんなふうに「役に立つ」ことになるのか、今の段階ではわからない。そもそもその価値や有用性を考量する手持ちの度量衡がないからこそ、それは「なんだかよくわからないもの」と呼ばれているわけです。
でも、ある種の直感は、それが「いつか役に立つ可能性がある」ことを教えます。そのような直感が活発に働いている人だけが「いつか役に立った時に、『ああ、あのときに拾っておいてよかった』と思っている自分の感謝の気持ち」を前倒しで感知することができる。だとしたら、それは、さしあたりは意味も有用性もわからないものですが、その人にとっては、すでに「贈り物」なのです。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、202頁。
現代美術は意味も有用性もわからないものが多いがゆえに、直感という「贈り物」を私は信じる。
でも、ある種の直感は、それが「いつか役に立つ可能性がある」ことを教えます。そのような直感が活発に働いている人だけが「いつか役に立った時に、『ああ、あのときに拾っておいてよかった』と思っている自分の感謝の気持ち」を前倒しで感知することができる。だとしたら、それは、さしあたりは意味も有用性もわからないものですが、その人にとっては、すでに「贈り物」なのです。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、202頁。
現代美術は意味も有用性もわからないものが多いがゆえに、直感という「贈り物」を私は信じる。
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