A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記883 『DZ dizygotic twins』

2014-06-09 23:53:51 | 書物
タイトル:Jun Fujiyasu:DZ dizygotic twins
著者:藤安淳
編集:菊田樹子
デザイン:中島英樹(中島デザイン)
デザインアシスタント:雄太、樋口裕馬(中島デザイン
プリンティングディレクション:越川和義
テキスト:小林美香
翻訳:パメラ・ミキ
企画:塩竈フォトフェスティバル
協賛:富士フィルムイメージング株式会社、AAT、ゼライス株式会社
協力:ふれあいエスプ塩竈
発行:塩竈 : 塩竈市
発行日:2008.3.
形態:1冊 (ページ付なし) ; 25cm.
内容:
もうひとりの自分を撮る。
双子の兄弟が、カメラを媒介にしてお互いを見つめた記録。
第1回塩竈フォトフェスティバル大賞受賞。

母親の胎内にいるときからずっと隣にいる存在。
お互いの存在がお互いに変化を与える。お互いの不在がお互いに喪失感を与える。
僕は彼のことをどこまで知っているのだろうか。
彼は僕のことをどこまで知っているのだろうか。ふたりの関係性を口にするには
言葉が追いつかない。僕と彼の類似性、そして確かに存在する微妙な差異。
時が僕らの身体に刻んできたさまざまなもの。
まずは、それらを見つめることから何かが始まる気がした。――藤安淳

「視線を重ね合わせるプロセス」小林美香(写真批評)

購入日:2014年6月7日
購入店:The Third Gallery Aya
購入理由:
 The Third Gallery Ayaにて開催された「neo-824 藤安淳、宇山聡範、福田真知」展に行った際、藤安淳氏の参考文献として購入。サインもして頂きありがとうございます。
 本書は、双子の写真家・藤安淳が自身の弟と互いを撮った写真集。左右見開きに身体のさまざまな部分を撮影した写真が並列するさまは、さながら人体図鑑のよう。私にはデビュー作である本作に藤安のタイポロジーへの関心があると見える。

 ところで、双子である私の過去を振り返ると、藤安の写真は歯がゆい。なぜなら、私は双子であることが嫌だったからである。子どものころ、他者から好奇なまなざしを向けられ、学校や社会では比較されてばかりだった。自分への関心ではなく、外見的特徴で関心をもたれたり、好奇のまなざしで見られるのが嫌になり、いつしか私は自然と一人でいることが多くなった。兄弟の話はしなくなったし、例えしても、双子にまつわる神秘的なエピソードもなく、話のネタにもならない。私はできるだけ特徴も個性もない自分でいたかった。双子という「個性」を捨てたかった。自分の出生は自分で選べないとはいえ、双子で生まれてきたことを後悔した。私は双子が嫌いだった。二人でいる環境から離れたとき、好奇のまなざしがなくなり、私は安堵した。一人でいられることに
 周囲のまなざしに耐えきれず、双子であることを忌避して今に至る私にとって、藤安淳の写真は驚きだった。双子に興味を持つ者は多くいるが、その多くは双子ではない。藤安の作品が異なるのは、自身が双子であったことだ。双子である藤安が、弟や他の双子を被写体とした作品を制作していることに、藤安が双子の特殊さを引き受けているように思えたのである。
 近年の藤安の写真は、他者の双子を個別に撮影し、並列して展示する作品を制作している。被写体の人々は、ごく普通の人々である。ただし、双子であるという一点を除けば。双子であることは二人一緒としてまなざしを向けられることが多いのに対して、藤安は個別に展示されれば、とても双子とは見えない「個」として撮影したことに特徴がある。これは、双子というアイデンティティがあればこそのコンセプトなのではないだろうか。


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