苦痛ほどはやく忘れられるものはない。それがすぎさった瞬間に、それのすべての苦しみはおわり、それについての思考は、もはやわれわれにいかなる種類の動揺もあたえない。そのときわれわれ自身でさえ、われわれがまえに心にいだいた心配や苦悩のなかに、はいりこむことができないのである。友人の不用意な一言のほうが、もっと永続的な不安をひきおこすだろう。これがつくりだす苦しみは、けっしてその一言とともにおわるものではない。はじめにわれわれを動揺させるのは、諸感覚の対象ではなく、想像力による観念である。したがって、われわれの不安をひきおこすのは観念であるから、時間と他の諸事件がある程度それをわれわれの記憶から消しさるまでは、想像力は、それを考えることによって、内部でいらだたせ、うずかせつづけるのである。
(アダム・スミス『道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)』水田洋訳、岩波書店、2003年、p.75-76)
いま、苦痛です。
(アダム・スミス『道徳感情論〈上〉 (岩波文庫)』水田洋訳、岩波書店、2003年、p.75-76)
いま、苦痛です。
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