浄土真宗を発展させた本願寺八世蓮如上人の弟子善世は、尾張在住で聖徳太子を信仰する特殊技能集団を引き連れてこの地を訪ね、この寺を開基したと伝えられている。特殊技能集団とは、金掘り大工、つまり、西三川金山で金の採掘をするための技術者集団であった。寺伝には「聖徳太子が諸国巡教の折、ここで休息し、一本の松を植えた。後に尾張から善世が太子の旧跡を訪ね、この地に道場を開いた。それが本龍寺で今もその松の木の下で繁栄している」とある。これが、この寺が聖徳太子を信仰する特殊技能集団の寺と言われるゆえんである。
西三川で産出された金は、川茂、徳和などを経て筵場の港から島外へ運び出されたと伝えられている。西三川砂金山は古くは三川砂金山と言われた。筵場も三川郷の一つであり、この近辺で鉱山で使う莚(むしろ)を産生したところから、西三川金山と深い繋がりのあるお寺と言えよう。お寺は筵場の海岸に面するように平地に建っている。境内はさほど広くはなく、こじんまりとした感じのする寺であった。訪れた頃は秋真っ盛り、境内はおろか、寺内にも人の気配は無く、軒下の風鈴が潮風に揺られながら涼しげな音色をかなでていた。西三川で採れた砂金はこの筵場港から積み出されたとはついぞ知らなかったし、南佐渡に金山ゆかりのお寺がある事も今回初めて知った次第だ。
参考図書:「佐渡古寺巡礼」