実はこの問題、何を隠そう当ブログが出題した。「越佐旅の絵本」に掲載された写真を見て興味を覚えたので投稿してみた。早速けんぱさんがご解答になったが、結局不正解の判定。実はけんぱさん、この石塔の下半分の撮影に成功していたのだが、肝心の、地蔵が彫られた上半分を撮影し忘れていたため正解を逃していた。「こりゃ当分駄目だな、自力で探し出して自問自答する以外にはないか。丘の上にあるそうだから、探索は雪深い冬では無理、春まで待とう」と、そう心に決め、ほぼ諦めかけていた頃に、あのNo31さん(その後、佐夢さんと改名?)からご解答があった。何と、小木へと向かう国道沿いにある高崎集落に入ってすぐの塩掛鼻と言う場所にあると言うではないか。あの写真の石塔は西三川近くの国道を通過する際に、いつも目に入ってくるのでよく覚えている。いつも「ただの石塔だろう」くらいに軽く考えていたのが落とし穴だった。それにしても、独特の嗅覚であの石塔が怪しいとにらみ、その裏側に回りこんで確認したNo31さんの慧眼ぶりにはただただ驚嘆するばかりである。解答記事投稿時間が午後5時を過ぎていたので、勤務先のパソコンからかそれとも帰宅後自宅パソコンから投稿したのか定かではないが、佐渡の隠れた史跡に関する問題解答の本格派第一人者と言うのが筆者の心の中のNo31さん像である。投稿記事によれば、このNo31さんは、当ブログ開設以来の愛読者のようで、当ブログの出題した愚問にも丁寧にご解答になった。多分、職場でも一目置かれる存在ではないだろうか?そして、筋金入りの佐渡の翼教の教徒なのかもしれない。グーグル地図の提示だけでは信用してくれまいと、わざわざ現地に赴き証拠写真を撮影して投稿する用意周到さである。教祖様顔負けの超実証主義の実直な御方のようであるし、史跡の案内に関し、信頼できる人とは彼のような人物を指すのであろう。
私は3月中旬のとある日にこの史跡を検証がてら訪ねてみた。西三川ゴールドパークを過ぎたあたりで国道は緩やかに右へとカーブする、そして更に左手へとカーブすると、高崎集落に入り、間垣のある集落群の前に駐車場があり、その端っこに波切り不動尊の背面があった。「越佐旅の絵本」には、「海の見える丘に立つ」と記載されていたが、どうやら国道拡張工事の際に、この地に移されたようである。この不動尊は地蔵のようにも見えるが、右手の剣が不動尊の証である。湯殿山とか秋葉山とかの石碑にはそれぞれに由来があるのだろうが、浅学菲才の当方には分かる訳もなく、その詳細は割愛させて頂きたい。http://www.digibook.net/d/f745e993b058840c2e8632657e3a6f62/?viewerMode=fullWindow