清泉寮は宿泊施設であるが、清里を代表する建物であり、1938年(昭和13)、キリスト教の一派である聖公会の青年運動団体「聖徒アンデレ同胞会」の指導者の訓練キャンプ場として建設された。以来、清泉寮は大自然の中での青年指導者の養成のための修養会、自然学級の使命を果たしてきたが、1941年(昭和16)太平洋戦争による国際情勢の悪化から、キャンプは中止、清泉寮は封鎖のやむなきに至った。1945年(昭和20)第二次世界大戦の終結と同時に、アメリカンフットボールの創始者ポール・ラッシュ博士がGHQ将校として再来日。博士の献身的な努力により、荒廃していた清泉寮が再建された。
清泉寮本館の正面玄関には、「X」=アンデレクロス(聖アンデレの十字架)が掲げられている。これは、清泉寮を創設した日本聖徒アンデレ同胞会のシンボルである。X型の十字架は、イエス・キリストの弟子(12使徒)の1人であった聖アンデレが、迫害に遭い、キリストと同じように十字架にかけられることになった際に、キリストと同じ十字架では恐れ多いからと、当時は罪人が処刑される際に用いられたX型の十字架に張り付けになり殉教することを望んだことに由来している。
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清泉寮は富士山の見える場所に建っている。日本聖徒アンデレ同胞会のキャンプ場を建設しようと、候補地を探していたポール・ラッシュ博士が、条件として考えていたのは、日本の象徴である富士山が見える場所でなければならないという事だった。甲府の談露館の主人である中沢氏の紹介で清里を訪れたラッシュ博士は、この地が南に富士山、東は秩父連山、西は南アルプス連峰、北に八ヶ岳を見る景勝の地であることから、たいへん気に入り、この地を選んだとされる。
清泉寮の名前は、その命名を依頼された、当時の立教大学チャペル付司祭であった高松司祭が、キャンプ場のある敷地が当時の清里村と大泉村にまたがっていることから、両方の地名の頭文字から一文字ずつとって「清泉寮」としてはどうかと提案した事に由来すると言われている。一文字ずつ取っただけではと不満げだった博士は、その英語訳が「ピュア・スプリング」(清らかな泉がわき出でるキャンプ場)であることを聞くと、大いに喜びその命名に賛成したと言われている。
以上は、ウエブ上に掲載されている清泉寮の歴史と命名の由来をかいつまんで改変説明した文章であるが、東京にある清泉女子大は、ローマに本部がある聖心侍女修道会の修道女らに寄って設立された学校であり、清里の清泉寮とは何の関係もない。この清泉寮の近くにはKEEP(Kiyosato Educational Experimental Project)と言う組織が経営する観光牧場があり、ここで販売されているソフトクリームが観光客の間で人気だそうだ。
ここを右折する
そしてここを左折する
これは清泉寮の新館
玄関入口へと続く
こちらが清泉寮の本館
玄関前のクロスの紋章
アイスクリーム売り場への行きかた
KEEPの意味がバスの横腹に書いてあった
紅葉にはちと早かった
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