オセンタルカの太陽帝国

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柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

アレルヤ・ハプティズム。

2010年07月13日 10時46分22秒 |   ヘンデル


<Sinfonia del crollo del muro>

Yokoさんに教えていただいてYouTubeを見に行ってみると、確かにアレッサンドロの(動かない)動画が増えてる! 
4ヶ月前はこんなになかったぞ。
突然アレッサンドロブームでも巻き起こったのでしょうか。
どうも、今年の6月にヘンデルの生地ハレで上演されたものを数多く上げている人がいるらしくて、それが凄いクォリティ。しかしこれってすぐに削除されてしまうんじゃないか。
今の内にいっぱい見ておくことにします。
4ヶ月前は「Handel Alessandro」で検索してトップページに出てくるのは3つぐらいしか無かったですからね。なんとも幸せな事態です。「捜してみたけどひとつも無かった」と申し上げたクッツォーニの素敵なアリアだって今はよりどりみどりです。

一番驚いたのは前の記事でわたくしが、「いつも聴き惚れてしまうのは、この序曲が終わった後、叙唱に続けて祝祭的な豪華絢爛なシンフォニアがしばらく続くところです。このオペラはアレキサンドロス大王のインド遠征を描いているものだそうなので、おそらく戦勝直後のパレードと祝儀を描写した音楽でしょうが、ここの部分がとても好き」「この部分を取り出そうと思って捜してみましたが、 ・・・無かったです」と書いた部分。そこのところがピンポイントにアップされていたことです。上の(動かない)動画!
わたくしはここが非常に好きなんだ。
やっぱり華麗な序曲が始まった後、調子を変えて延々に続く感じなので、ここの部分を愛好する人は世界でも多いのかしらね。
ただし、私の手持ちのCDではこの曲は3分20秒のものであります。そうです、上の動画では後半2分間がカットされているのです。カットされたその後半部分がヘンデル愛好家が実に愛するところなのです。ヘンデルが生きていた頃はまだ「ソナタ形式」が存在していなかった頃です。それでもみんな似たような構造で曲を作ってはいたのですが、ヘンデルは前半かっちり曲を語ってから後半部分で縦横無尽に曲をかき乱し、ヘンデルにしかできない華麗なやり方で伏線を収束させることを得意にしていました。だからヘンデルのオペラの曲は破天荒に暴れん坊将軍でかつ技巧的なものほど非常に長い物が多い。この動画がその曲の魅力の真髄を顕しているとはいえ、冒頭1分半で終わってしまっているのはすこぶる残念な事です。延々と祝祭気分が続く感じの雰囲気が最高なのに。そのうち完全版はあらわれるかしら?
9月の日本ヘンデル協会での上演でもここのところがどうなっているか興味あるところです。(省略されるはずがありません。大事な冒頭ですし)

で、わたくしはこの曲を毎日出勤途中の車の中で漠然と聴いているだけなので詳細を知らず、勝手に「アレキサンダーの饗宴」と呼んでいましたが、正式曲名は「Sinfonia del crollo del muro(壁の崩壊のシンフォニア)」と言うんですって。壁? 何の壁? ベルリンの壁? ・・・だが雰囲気は分かる。


Tempesta e calma sento nell' alma(嵐と凪にいつも心は焦りを)>

ファウスティーナ(=王女ロッサーネ)の第三幕のアリア。
こんなのを何時間も歌わねばならないんですから、歌手の人って大変ですね。
私の大好きなのは[1.10]のあたり。ここんところをアントナッチみたいに揺れながら歌って欲しいわたくしです。
ところで日本ヘンデル協会の紹介のページを見ると、ロッサーネはスキタイの王女って書いてある。前の記事を書いたとき、クイケン盤の解説書(英語)に「ロッサーネはペルシャの王女、(リザウラがスキタイの王女)」と書いてあって「おや?」と思っと思いながらそう書いた事を覚えていますが。(※伝記ではロクサーネはバクトリアの名将オクシュアルテスの娘。バクトリア人は諸民族の混成だけどとスキタイ人とも少なからず重なっていると言ってしまっても良いと思う)


ロッサーネ第一幕第7場<Un lusinghiero dolce pensiero(お世辞は甘い考え)>

かわいらしい。


<第二幕第四場;Alla sua gabbia d'oro (彼の黄金のカゴの中で)>

このオペラのファウスティーナについて、私は「かわいい」「かわいらしい」「なんて愛らしい」しか連呼していない気がします。でも、そんなわたくしが「一番かわいい」と認定するのがこのアリア。
いいよね。
でもこのアリアもこの動画では全体の半分でぶった切られているのでした。本当はこれがこの倍長いんですよー。ヘンデルの至福の「おわらない感じ」が存分に味わえる曲なのですが。
この上演ではこういうバージョンだったのかな。それともこのアップ者の個人的な趣向かな。9月の日本ヘンデル協会の公演でも、全体を2時間に収める計画だといいますから、全体がこのような(アリアを半分だけ歌う)作りにされてしまう気がする。ヘンデルのアリアは後半部分が一番好きな私は淋しく思いますが、ただ、冗長さは完全に払拭されてヘンデルの真の髄だけをさらけ出せるとも思いますから、それはそれでひとつの手なのかな。


<第一幕第九場;Placa l'Alma quieta il petto魂は胸静か癒す)>

ファウスティーナとクッツォーニの競演。
二人のヒロイン、王女ロッサーネ(=ファウスティーナ)と王女リザウラ(=クッツォーネ)に同等の数のアリアを配し、それぞれ違う質の超絶技巧を歌わせる事に苦心したこの“アレッサンドロ”に、しかしながらヘンデルが彼女たちに同時に歌わせた二重唱は、実はこの一曲しかありません。(※最終曲のフィナーレも「Duetto」となっていますが最終的にファウスティーナとクッツォーニにセネジーノと群衆が加わり短いcoro(合唱)となるつくりなので特殊)
その唯一の二重唱。せっかくだからふたりにバチバチと激しいバトルを歌わせたら面白いと期待するのですが、実際には上のようなおとなしめな歌。すこしあとのアリオダンテなどには印象的な二重唱が多々あるし、ヘンデルがその気だったら絶対ふたりの美女に壮絶な戦いをさせたと思うのです。一体これはヘンデルのどういった作戦だろう。

話は変わりますが、この記事でいちいちアリアの題名とその簡単な和訳を載せていますが、わたしは当然イタリア語など解しませんので、コピーした文章をグーグル翻訳につっこんでの全くの機械頼みです。本当にこれで合ってるのかも私は保証できません。ただ、イタリア語って語頭を大文字か小文字にするだけで全く意味が変わる? この二重唱のタイトル、「Placa」をグーグル翻訳するとなぜか「カタルーニャの」となるのです。何がカタルーニャやねん。で、いろいろ調べてみるとスペインではカタルーニャ方言ってのは独自の言語でして、カタルーニャ語では「Placa」は「広場」と言う意味。(※普通のスペイン語では“広場”は“Parque”) 結局意味が分かりません。アレクサンドロス大王とカタルーニャには全然何の接点もありませんし、、、、 もしかしてカルタゴ人が何かした?


<第二幕第二場、Vano amore, lusinga, diletto (空虚な愛、お世辞、喜び)

そして主役の大帝王アレキサンドロス3世の激しい歌。
初演では輝かしいカストラート、“力強くて高い声の”セネジーノ(男)が歌った。
このオペラでの大王はホントに腹の立つヤローだ。
こんなかっこいい歌を歌いながら、「愛はからっぽ」とか唱えてやがる。
みんな必死に、一人だけで遙か彼方に行ってしまった大王に仕えていこうと悶えているのにさ。


<第一幕第六場、No, più soffrir non voglio (いいえ、私はもう苦しみたくない)>

そして我らがファウスティーナ嬢の憎っくきライヴァル、クッツォーニのアリア。
クッツォーニが歌っているのが“王女リザウラ”という役なのですが、この役の正体が良く分からない。王女ロッサーネがスキタイ王女かソグド人王女だったとしたら、役柄としてはそれに対する彼女はペルシャ王女かマケドニアかギリシャのどこかの王女とするのが相応しいのですが、いろいろな本の中に彼女の名前はなかなか見つからないのです。ドラマ的にはペルシャの王女にするのが一番いいよね。
ところが2世紀にアレクサンドロスの戦記を書いたアッリアノスによると、「アジアで最も美しい人」とされたのはペルシャの大帝王ダレイオス3世の后スタテイラ。アレクサンドロスはこの貴妃に紳士的に接し、手を出さなかったとアッリアノスは書いています。(別の箇所でアレクサンドロスの妃としてスタテイラの名が仄めかされてもいますが)。辺疆の王女ロクサーネの美しさはアジアで2番目だそうです。その後、インド遠征から帰ってきたアレクサンドロスは、ペルシャの古都スサで集団結婚式をとりおこない、大王自身はダレイオス3世の娘バルシネとアルタクセルクセス3世の娘パルサティスを同時に娶りました。それからバルシネにはドリュペティスという名の妹がいたのですが、大王は無二の大親友ヘファイスティオンとこれを結婚させて、これにより愛し合アレクサンドロスとヘファイスティオンもめでたく義兄弟となりました。
これらの記録の中に、“リザウラ”に相当する名前を思いつくことができません。架空の人物なのかしらね。ただ、アレクサンドロスは伝記がたくさんあるので、ヘンデルとロッリはいくらでもそれっぽい名前を引っ張ってこられたと思うんですけど。
だがしかし、クッツォーネが歌ったリザウラという役は、たとえ架空の人物だったとしても、とても輝かしく極めて存在感のあるものだったことはいうまでもありません。


<第三幕第四場; L'amor, che per te sento (あなたに感じる愛)>

もう一曲、かわいらしいのを。


<第二幕第五場; La cervetta nei lacci avvolta (締め紐で巻かれる小さな子鹿)>

すばらしい。

コメント
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