オセンタルカの太陽帝国

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『源平天照絵巻・痣丸』。

2007年12月29日 00時06分00秒 |   源頼朝

 

ひさしぶりに面白い漫画を読みました。
歴史の中の「甦返り」を主題とした作品です。

あらかじめ断っておきますが、かなりグロいです。絵柄はかっこいい系なので絵としてはそんなにグロくないのですが、描写はかなりひどいです。また死んだはずの人間が大量に生き返ってきたうえで、歴史に介入しようとします。なんだよ、こんな簡単に生き返れるんだったら歴史なんてものに意味はないじゃん、と思ってしまうくらいにこれもヒドイです。でもそういったマイナス要素はとりあえず保留しましょう。むしろ、そのマイナス要素が極限に突き抜けている感があるので、それがなんとなく面白いといえば面白い。

「死んだはずの人間が実は生きていたり、生き返ったりしたら面白いだろうな」とは気軽に考えることがありますが、それが実際に作品にされてしまったりすると、かなり興ざめです。例えば、「義経の息子と武蔵坊弁慶が生きていた」という設定の『安東』(安彦良和)という漫画がありましたが、なんだかバカバカしさが先行してしまって、あの名匠・安彦氏の手によるのに充実した作品とはいいがたいものになっていました。やっぱり、歴史の物語は現実の歴史が一番面白いんですよね。一旦歴史から退いた人間が再びそれに関わり合おうとして、面白い話になるはずがない。フィクションは歴史には勝てません。

でも、この漫画は意外に面白かった。
なぜだろう、と考えると、「死者たちは積極的に歴史に係わろうとしているが、登場人物は死者ばかりで現実の人間はほとんど物語に登場してこないせいで、表の世界と闇の世界が平和に分離しているように感じる→それほど不快感を抱かない」、「死者は数多く、力も強大なのですが、私たちが知っている歴史人物とは全然別の性格として造形されている。死者が生き返ると性格が変容してしまうのか、作者が故意に読者の期待を裏切っているのか?」ということが挙げられます。とにかく、生き返った源氏の面々は、私の知っている源氏の人たちのイメージとは全然違うので、それが面白かった。一応生きているに人間として、後白河法皇と北条義時が比較的多く登場するのですが、両者とも道化としておどけた調子で描かれているので、不快を感じる余地がなかったですね。
また物語が、作者のネタばらしによると1191年~1192年の短い期間の間に(日本の歴史にとっては重要な年ですが)終了することになっているので、それもいい方向に働いているのかもしれません。

主人公は、平家の生き残りの“悪兵衛”平景清(彼は純粋な平家ではありませんが)と生きていた巴御前です。ファミコンゲーム『源平討魔伝』に想の一部を得ているそうです。ゲームとは頼朝が全然違いますけど、義経はこんなかんじです。オーーホッホッホッホッ。

※参考までに源平討魔伝の映像。弁慶→弁慶→義経→頼朝。主人公は悪七兵衛景清。

頼朝の登場は3:46です。

景清はともかく、この漫画に出てくる巴御前が私は大嫌いで大嫌いでならないのですが、(だって生き返ってきた木曽義仲を軽い気持ちで裏切るんですよ。私が実際の巴御前に感じている愛を返せっ)、それ以上に、敵方の源氏の面々がおもしろすぎて、全体的には好印象な感想でした。

この漫画での死者の生き返りには「神返り」「黄泉返り」の2種類があるのですが、漫画の中では設定上にどういう違いがあるのか明記されません。下位の「黄泉返り」ですら生きていた頃より格段に強くなるというのですが、主人公の景清が人並み外れて強すぎて死者を破壊しまくるせいで、甦った死者が強いという感じが全然しません。逆に「神返り」のはずの義門がこれまたえらく弱いので、結局神返りと黄泉返りの違いは何がなにやら。「新たなよみがえりをどんどん作れる」というのが「神返り」の能力かな。
すべての張本人は、「悪源太義平」です。
彼は平清盛全盛の頃に、後白河法皇が手札として「ダメもとで」作ってみたものなんですって。ところが義平の邪悪が強大すぎて、弟の頼朝をけしかけて京に対抗する勢力を関東に作ってしまったため、あわてた法皇は木曽義仲に征夷大将軍の位を与えて頼朝(義平)と争わせようとしたのですが、アホな義仲が自滅して死んでしまった為、煮え立った法皇は義仲をも神返らせ、それがさらなる混乱を生み起こすこととなりました。

このマンガの義平はかなり不思議な造形です。“悪源太”なはずなのに、とても折り目正しく、兄弟思い。遠謀深慮でしかも僧形です。永井路子の小説で、“悪禅師”なはずなのにとても思慮深くて控え目だった阿野全成を見た時に感じた違和感を、そのまま思い起こさせます。邪悪なんだけど律儀で、義平が生み出した死者の軍団を「八十面党」というのですが、後白河法皇をはばかって面で顔を隠して闇の中で行動しているのだそうです。(法皇が死んだら大々的に顔を出して行動してもよいという約束らしい)。頼朝にも「法皇が生きている間には絶対に京には手出しをするな」と厳命しています。八十面党の人たちはみんな仮面を被っているので、グランブレタン帝国の貴族たちを思い起こさせて、すごくかっこいいんですよね。
この義平の殊勝な様子を見て、「死者は創造主の命令は必ず聞くんだ」と勘違いした法皇が木曽義仲を甦らせたら、コイツは全然言うことを聞きませんでした。義平が僧形になった理由は、続編の回想で語られる予定だったのかな。

諸事情で、「神返り」できる人間は十人が上限だそうです。義平・朝長・義門・義経・義仲の5人は確実なんですが、あと5人は誰なのかな。あと重要な死人として、鎮西八郎為朝・新宮十郎行家・平教経・平知盛が登場するんですが、新宮十郎と教経は作者のネタバレで神返りでなく黄泉返りと断言されてます。鎮西八郎はどうなんだろ。義門の兵器として描写されているので、これも黄泉返りかな。もったいないです。

頼朝の死んだ兄弟のうち、希義と円成は登場しません。
義平の性格だったら甦らせないはずはないと思うのですが。第3巻の197ページに甦った源氏の面々のイラストがあり、そこにひとり見知らぬ人の後ろ姿が描かれております。これだれ? その次のページで景清が、「源氏の死人なら昔一人斬ったことがある」と言っているので、それが希義か円成だと思うのですが、それは続編で語られる予定だったのでしょうか。あああああ、読みたかったな。ともかく、あと4人神返らせられる余地があるのなら(※源義朝は登場すると予言されています)、八幡太郎義家でも平将門でも清盛でも生き返らせまくればいいのに。作者はどうも平家が好きみたいです。このような描き方をしている以上源氏にも愛をある程度は持っていることは確かなのですが、それにしても表現が酷すぎる。それが面白い。平家の方々の方がむしろ大量に怨霊となって跋扈する余地がありそうなのですが、朝長が面白半分に生き返らせていたぶるだけだ。

朝長には「顔が無い」という設定です。史実で首を切られて身体と離れ離れとされたから?と思ったんですが、義平だって義経だってそうなんですよね。
首を持たない朝長は登場時点は平宗盛の首を使っていたんですが、それを知盛に食いちぎられてしまったため、その知盛の首と取り替えます。上のイラストは知盛の首でのイラストですが、そっくりなので宗盛も知盛も違いがわかんないです。
源朝長、兄弟中でもっとも心優しい人間だったはずなのですが、このマンガでは最も邪悪にこころが捻じ歪んだ人物として描かれております。変態です。人って死んじゃうと誰でもそうなっちゃうんですかね。「わたしの朝長さまになんてことをっ!!」と憤慨する気持ちがあると同時に、意外とこれもおもしろいなと思ってしまう自分に忸怩。

義門ムカツク。
しかし、ほとんど謎の人物である源義門がこのマンガで一番印象の残るキャラクターであったことも間違いなく、でもそれは義門がやっぱりナゾで詳細がわからないからこそ作者の筆が羽ばたいたのでしょうね。作者によると「虫を平気で殺しちゃうような子供がそのまま成長しなかった姿」と記されています。ウィキペディアによると「平治の乱の頃には生きていた」とのことですけど、一体どういう弟だったのでしょう。平治の乱の時は9歳~13歳の間でしょうか。

義経はカラス天狗の仮面を被っていることが多いのですが、素顔はやっぱりハンサムさんです。散々な扱いのこのマンガの源氏の中でも、義経だけは別格です。何故か彼だけ羽が生えていて、空を飛ぶことができます。心の無い状態で死人を甦らす主義の義門に対して、義経は「人間の心を入れて」生き返らすと描写されています。(義仲は「気心のある者だけを甦らせている」そうです)。また眼力だけで頼朝をおののかすことができます。義平には「頼朝はオレが殺す」と断言しています。

でも、普段は義経ギライのわたくしですが、この漫画の義経公は大好きです。
だって、ただ天狗の面をかぶっているだけでなく、心の底から天狗になってしまっているから(笑)。義門の顔も、彼が死ぬシーンから察するに、これは仮面であるみたいですね。彼の真の顔も見てみたかった~~(※景清に草薙の剣で手足を切られ、常陸坊によって顔を潰され、さらに鎮西八郎にめり込んで身体を乗っ取った義門をもう一回景清が一刀両断するときに、一瞬だけ義門の本来の姿らしいものが現れます。背の高いハンサムさんっぽかった)

2巻で巴に殺害された(?)木曽義仲は、後の巻で生き返って再登場するのですが、3巻で死んだ義門は、死んだ時の義平の慟哭ぶりから見て、本当に死んでしまったようですね。そう言えば草薙の剣で斬られたら復活できないって言ってましたっけ。朝長は義門を嫌っていましたが、義平は義門を愛していました。結局のところ「神返り」の仕組みが明らかではないので(義経が空飛べたり義仲には腕が6本あったり)、「死人にはどういう制約ごとがあるのか」を推測しながら読むのも楽しかったです。

生きている武将たちは、景清と巴と後白河法皇と服部家永(←伊賀忍者の祖)と北条義時を除いてはほとんど活躍の出番は無いのですが、しかしまったく登場しないわけでなく、ごくわずかに姿を見せてくれるのも個人的にはnice!でした。

死者たちが傍若無人に振る舞うのを見て、ほとんどの鎌倉武士たちは(彼らが死者だと言うことを知らないから)怒り狂うのですが、北条時政と梶原景時だけはことのすべてを知っているかのようです。このマンガでは、頼朝は凄く臆病で恐がりで優柔不断で無口でむっつりすけべいなのですが、そんな頼朝を裏で操っているのが兄の義平です。でも、なんとなくすべてのお膳立てをしているのは時政のようだと感じましたね。時政の顔は一コマしか出てこないですけど。時政は鎌倉武士たちのなだめ役でもあります。景時は、、、 どんな役なんでしょうね。こちらも何か含んでいるようで、かっこいいです。北条政子は登場しません。範頼や全成は名前のみ。

義時は主に京都にいるのですが、なぜか彼に付き従っているのは曾我兄弟です。曾我兄弟の登場シーンはかっこよすぎです。でも「なんでやねん!」と叫んでしまいました。ここは朴訥な伊豆の武士たちの出番でしょうに。
「ここの場面でで仁田忠常とか加藤次景廉とか田代信綱とか天野遠景が出たら最高の漫画なんだがな~」と残念に思いました。

とくに、第2巻で悪兵衛景清に好意を抱く巴御前に対して、景清が冷たく突き放すシーンがあるのですが、理由は、「倶利伽藍峠の戦いで景清の兄・藤原忠綱を討ったのが巴御前だったから」です。(※巴は景清と忠綱が兄弟だったことは知らない)。平家の一員である景清は、決して血類に為された恨みを忘れることはありません。
でも、巴御前以上に景清の一族に対して強い因縁を持っているのは、加藤次景廉の一族です。景清の父・藤原忠清を志摩で捕縛したのは景廉の父・加藤五景員ですし、藤原忠清が参謀として参加した富士川の戦いでは加藤父子は武田軍に従っていて、平家敗走に大きく関与してました(…と思います)。そもそも10年前に伊勢に住んでいた加藤一族が伊豆へやってきたのは、「伊勢で伊藤五の郎党を斬ってしまって伊藤一族と抗争になり、伊勢にいられなくなった」からです。この伊藤五というのが景清の父の藤原忠清のことなのです。…加藤景廉を出せば、源平の恨みと復讐の歴史は、さらに味が出ると思うのに。きっと若い頃から景清と景廉は何かあったと思うのに。

しかし、作者はどこかで「無名の武士をたくさん出してもしょうがない」とおっしゃっていたのでした。無名の歴史人物… 無名の… おおおーーーーん。

という感じで、未だこの漫画おもしろいところがたくさんありますので、思いつくたびにこの日記でもたびたび言及することになると思います。よろしくね。


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