オセンタルカの太陽帝国

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信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

おれたちはスパルタ人だー。

2007年06月27日 10時34分19秒 | 映画

いくつか映画も観に行きました。
『パイレーツ・オブ・カリビアン~世界の果てで~』、『スパイダーマン3』、『女帝~エンペラー~』、『300』ぐらい。残念ながら期待に胸を膨らませていった『パイレーツ~』と『スパイダー~』があまり面白くなかったのは、私の体調が悪かったせいだと思います。本当に残念です。もっと私好みに話が展開していってくれれば良かったのに。「女帝」、これは良かったです。とりわけ映像(というより舞台セットが)がすごく凝っていたから。時代も大好きな五代十国の時代だったし(五代十国にあんな王様いませんでしたけど)。物語や登場人物にはクセがありすぎて、観ている最中は「うーーーん」と唸っていましたし、皇帝の親衛隊の甲冑がヘンテコでしたが、しかし帰ってきて何週間も経った現在でも、印象的な場面の映像が何度も何度も頭の中に鮮やかに浮かんでくること! なんだか、作品としてよりも体験として楽しい作品だったです。音楽は譚盾(タンドゥン)。一番の功績はこの人でしょうね。タンドゥン大好き。

そして。

いつもポスター等を見るたびに『309』と読んでしまいながらも、とても気になっていたこの作品。とうとう見てきました!
しかし、この題名どうにかならなかったのかね。300だって309だってどうでもいいような内容でした。だって敵軍は100万人もいるんですから。むしろレオニダス王とファラミア卿と隊長で、『3』でもいいような感じですよ。(むしろけなげなアルカディア人たちの民兵たちの方が英雄的でかわいそうだった)。こと隊員の数の多寡で切迫感を与える意味では、『MUSA~武士~』の方が勝れているような感じがしたです。いえね、こっちの映画では人数はそれほど重要ではない、というだけのことです。私はこのようなおざなりな題名がどうしても我慢できません。
それにしても、スパルタ人は、かっこいい!
ジェラルド・バトラーが叫ぶ『This! is! Spartaaa!!』、かっこいい!!

どうですこの禍々しさ!
一度彼らと刃を交えたペルシャ兵たちが、次(プラタイアイの戦い)で、この赤いマントを見ただけで尻込みしてしまったというのも、うなづけます。そういう納得をさせてしまうほどに、今回のこの映画は熱い血潮を感じさせてくれるような素晴らしい作品でした。原作が漫画だという事で、ちょっと普通の映画とは違うような間合いやスピード感も良かったのかもしれませんね。ザックザックと走りながら藪を切り裂いていくような感じ。
しかし、なんでこの人たちは裸でモッコリなんだろね。

この映画については「アメコミが原作」だということで、「歴史的な細部の作りは期待しない方がいい」とよく言われました。
しかし、上のスパルタ人たちの見事な姿を見てしまうと、そんなこと言ってられなくなります。うをおおおおおおっっ、スパルタ人かっこいっ!! なんといってもスパルタ人って世界史の中で最も変な人たちですので、逆に歴史的な部分を再現した方がヘンテコ振りが発揮されるような気がします。というわけでわたくしの場合、「映像のために歴史的事実には目をつぶる」というよりも、「映像の中のスパルタ人っぽさ」を見つける事に一生懸命になっておりました。

以下、凄かった点と気付いた点を羅列。
①.歴史の中のスパルタ人のヘンテコ。
良く言われる「スパルタ教育」について、「深い谷に落として凶悪な獣と戦わせる」シーンは見事でしたね。プルタークなんかが良く挙げる「女性の地位が高いのは広いギリシャの中でもスパルタだけ」も再現されていて、痛快だったです。巫女による託宣のシーンも、合理主義がスパルタの精神なのに古代的滅茶苦茶も多大に混じっている様が描かれていて、良かったです。ギリシャには行った事がありませんが、スパルタの町の映像は理想通りでした。アテネとは違う感じ。郊外に広がる麦畑の映像、良く本に載っているスパルタの廃墟の映像とイメージがぴったりで、涙を流せました。
逆に、「描写が足りないんじゃないの?」と思った点。
たしかスパルタって、常に王が2人いたんじゃありませんでしたっけ? 王がもう一人いたらレオニダスも楽だったでしょうに。また、スパルタの中でもスパルタ人は極少数のエリートで、彼らの生活は多数の奴隷たち(ペリオイコイ)によって支えられていた事。映画には奴隷が一切登場しませんでした。アメリカ映画だから? で、スパルタ人とペリオイコイを合わせて「ラケダイモン」というのですが、それがスパルタ人全体を呼ぶ総称だったはず。スパルタ兵は持つ盾に必ずラケダイモンの頭文字の「Λ」の文字を刻むのですが、これはちゃんと映画では再現されていて、感激しました。

②.裸の兵士たち。
むっちむちのハダカにばかり目が行ってしまうのですが(笑)、この様な形態のギリシャの兵隊たちのことを専門用語で「ホプリタイ」といいます。ホプリタイは日本語にすると「重装歩兵」。そう、彼らは“裸”なクセに重装歩兵なのですよ。ぶわはははははは! 仕方が無いじゃん、専門用語ではそうなんだから。一応「ホプリタイ」とは「ホプロンを持つ者」という意味で、ホプロンというのは彼らの持つ丸くて重い盾(直径1mぐらい)のことなんですねえ。つまり、ギリシャでは盾さえ持っていれば他はスッポンポンでも重装備。さすがに本当はいくら無謀なスパルタ人でも裸で戦うことはそうそう無かったと思いますが。(普通は身体にも甲冑を付けます)
ちなみに、ジェラルド・バトラーがかぶっているいかにもな感じの凶悪なカブト。凄く恐いのでスパルタ人のトレードマークなのかと思いきや、これ「コリント式かぶと」というんですって。これは重い上に動き辛かったそうで、ペルシャ戦争の次のペロポネソス戦争の時に、スパルタ人はもっと軽くてかわいらしい兜を発明し、それが「スパルタ式」と称されたのだそうです。そのスパルタ式兜の姿は映画のコレとは全然違うのです。微妙に残念。
ともかく、ギリシャ兵にとっては丸盾(ホプロン)こそが全てであり、この盾を巧く使って密集隊形を作り、盾の隙間から槍を突き出す。槍は逆手に持つのだそうです。映画ではその密集陣戦術が見事に描かれ、わたくし思わず感激に涙を流してしまいました。(←泣いてばかりだなオレ)

③.スパルタ人の性格。
まあ、スピード感のためには仕方がなかったことかもしれませんけど、アテネ人が一切(名前しか)出てこなかった事が残念だと思いました。勝手な見方かも知れませんけど、スパルタ人って、小癪いアテナイあってこそのスパルタ人だと思うからです。
まず冒頭。ペルシャ人の使者がスパルタを訪れて高慢な態度でレオニダス王に降伏を迫るシーンがありましたが、確か史実ではクセルクセス王のこの遠征では、ペルシャはアテナイとスパルタにだけは使者を派遣しなかったんじゃありませんでしたっけ(送っても無駄だから)。誇り高いスパルタを表すエピソードでありますが、アテナイも同様であります。この時点でスパルタは猛烈にアテナイを意識するはず。映画ではスパルタを納得させる為にアテナイの名を出していましたけど。
私だったらアテナイとスパルタの対比だけで萌え狂えられます。
で、ペルシャの使節を殺害したレオニダス王は、有志の300人を率いてテルモピュライの渓谷に出掛けていくのですが、映画の中では地図が示されなかった為に、戦場となるテルモピライがまるでスパルタの入り口にあるかのように錯覚してしまう。
映画を観た人の中には、「彼らは愛する自分の都市を防衛するために死んだんだね」「祖国愛ってすごいね」と勘違いした人も多かったに違いありません。
地図を見ると、テルモピュライはスパルタからは遥か遠く、こんなところ抜かれてもスパルタはまだ全然平気です。そこを守るのはアテナイの役割だろ。なのにスパルタは(ギリシャのリーダーとなって)わざわざここまで出張り、そして命を張って奮戦した。なぜならばここはギリシャの入り口であるから。スパルタは普段は孤高を保ちますが、ギリシャ全体の危機の前には頼まれたら断らない。ギリシャで一番壮絶な戦いぶりをするのは、スパルタ人でなければならないのです。ちょっと角度を変えて描くだけでスパルタ人のヘンテコな思考振りは強調できたと思うんですけど、この映画ではなされませんでした。一方で、だからこそややこしいことをくだくだ描くより、「なにもかも捨てて一心不乱に戦う」爽快で猛烈なスパルタ像が見られたのかもしれないですけど。

<ネットで無断で拾ってきた地図です。ゴメンナサイ>

テルモピュライの戦いに先立つ10年前の、ペルシャのダレイオス大王が攻めてきた「マラトンの戦い」のことも決して忘れてはいけません。ペルシャの大艦隊がアテナイに近いマラトンまで攻め寄せてきたとき、アテナイはギリシャ中に救援要請をするのですが、スパルタはこれに参戦しなかったんです。スパルタは「神聖な祭りの最中だから」という理由で兵の派遣を少しだけ遅らせてしまったんです。まさかこの戦いでアテナイが勝てるとは誰も思っていなかったから。でも卓越した名将ミルティアディスの采配でアテナイは大勝利してしまいました。この勝利でギリシャ内でのアテナイの発言力はグンと増し、スパルタは焦ります。「スパルタはペルシャが恐かったんだぜ」という陰口も散々叩かれたんだと思います。それからの10年間、スパルタ人たちがとれほど悔しかった事か。
それが、10年後のテルモピュライの戦いでスパルタ人たちが100万vs300人という無謀な戦いを仕掛ける事になった、直接的な原因だと思うのです。
いくらアテナイのミルティアディスが凄かったといっても、マラトンの戦いは3万vs1万ですからね。レオニダスだったら100万(20万とも)vs300でも楽勝で勝てるでしょうし、万が一があったとしても伝説になれるに決まってます。

戦闘民族スパルタ人。
念のために言っておくと、スパルタのレオニダス王は、最初っから100万の大軍に300人だけで突っ込んでいったのではありません。王はギリシャ連合軍の統率者として連合で策を練りました。そして、強大な水軍を持つアテナイに海側を任せ、アルテミシオンに陣を敷かせました。自らはギリシャ諸都市の歩兵連合隊を率い、ペルシャ軍を迎え撃つためにテッサリアの平原に向かいました。(このときのギリシャの兵の人数がどのくらいだったか、本にはほとんど書いてありませんね。数千はいたはず)。しかしペルシャの陣があまりにももの凄かったので、少人数で守りやすいテルモピュライの隘路まで後退。ここでギリシャ人達を良く率い、しばらく持ちこたえました。ところがギリシャ人の中に内通者が出て、クセルクセス王にテルモピュライの迂回路を教えてしまいます。
この時点でレオニダス王はテルモピュライは持ちこたえられなくなったと判断し、ギリシャ諸軍に撤退を指示。自分たちだけはここに踏みとどまって時間稼ぎをしようと、300人だけを率いてペルシャ軍に突撃していくのです。
映画だと、退く事を知らぬ猪のようにただ突っ込んでいった無謀で熱い戦士たち、というような感じですが、本当は、次の局面で同胞たちがかっこよく戦う機会を作る為に、時間稼ぎの為に犠牲になることを選んだかっちょいい男たちの物語だったのですよー。しんがり戦は一番難しい戦い方だそうで、後者の姿の方が数倍も素晴らしいと思うのは私だけでしょうか。
・・・・あ、いや難しい事を一切言わない映画も凄く楽しかったのですから、そんなことを言いたくなるのは多様な物語を楽しみたい歴史好きだけの悪いクセなんですけども。

⑤.それはそうと、ギリシャになんて行った事がないので、噂に名高い極悪地形「テルモビレー渓谷」が一体どんな光景だったのか、とてもワクワクしてしまいましたねえ。そして素晴らしかった。ほんとにあんな光景なんですか? ゲーム・シルクロード漫遊記の「死の渓谷」みたいです。ネットで検索すると現在は有名な観光地になってるそうで、写真もいくつか拝見しましたが、映画のテルモピレーはすごく邪悪だった。


<また拾ってきた写真。なるほど~>

「テルモピュライ」という語はギリシャ語で「熱い門」という意味で、それはこの谷間の間に熱い温泉が噴き出し、もうもうと蒸気がたちこめているからというのですが、実は映画中では一回も「テルモピュライ」という地名は言われなかった。スパルタ人たちが「ホットゲート」と何回も言ってるので何の事かと思ってたら、それがテルモピレーの事だったんですね。

⑥.クセルクセス王。
そういえば、この映画に対して、イラン政府が猛烈に抗議した、ということもニュースになっていましたね。ペルシャ帝国があまりにも「悪の帝国」として描かれすぎていて、真実をねじ曲げているとか。

祖先の描写に怒りをあらわにするイラン人

ごもっとも、、、 と言いたい所ですが、他の領土を狙って侵略してくるようなやからは、当然悪の権化として描写されてしかるべきです。たとえそれがアレクサンドロス大王やカエサルであっても。
ただ、クセルクセス王の姿にはやっぱり笑いました。
これ、イラン人(アーリア民族)じゃないじゃん。アフリカ人じゃん(役者の方はブラジルの人だそうですが)。あまりにも素晴らしすぎて惚れました。コリン・ファレルの映画の中のダレイオス大王はまともだったのに、どうしてこんなになっちゃったんでしょうか。やっぱりイラン政府も怒るべきです。

で、クセルクセスの親衛隊として「不死隊」という精鋭たちがいるのですが、彼らは雰囲気が映画「女帝」の中のヘンテコ親衛隊たちと似てました。(あまり強くありませんでした)

 

コメント
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