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オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

『豹頭王の苦悩』。

2008年08月14日 23時44分53秒 | 小説・漫画

お盆なんてものは皆家でお経でも読んでればいいのに。
はあああああ~、疲れ切っています。

なんという悲しい話でしょう。
「王女がちょっとエッチだった。対して夫は朴念仁だった」という理由で起こった悲劇。
最初、ケイロニア宰相ランゴバルド侯ハゾス(=121巻の表紙の人物)を「なんてひでー奴だ」と思って読んでいたのですが、もっともっとヒドイのは主人公グインでした。
なんでクムからパロに帰るだけであんなに時間を掛けていたのに、シルウィア皇女のことはこんなにあっさりと決着させてしまうねん。
いつかシルヴィア姫は立ち直ってくれる… と期待していましたのに。

まぁ、この先も数十巻シルヴィアが生き続けるという可能性はありますけどね。
なんせまだ「売国妃」とは呼ばれてないですし。(それに相当することはすでにやっておりますけど。お堅いケイロニアではこれで「国を売った」ということになるのでしょうか)。 結局黒死病は流行らないのか?

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『豊臣秀長』。

2008年06月01日 03時53分05秒 | 小説・漫画

なんで誰も暴動を起こそうとしないのでしょうか。
「今日はガソリンを満タンにして帰ろう」と思って、帰宅途中にスタンドに寄ろうとしたら、道路まで車が溢れかえっている。田舎の道で夜の10時半ですよ。泣く泣く諦めて素通りしてきてしまいました。借金を返済しつつの私の生活費は月4万円ですが、そのうちの半分はガソリン代に消えるのです。うをおーーーーっ、明日からさらに厳しくなるっ。(遠い職場を選んでしまった自分が悪い。会社の規定で交通費の支給は片道分です)。誰かが暴動を起こしてくれたらボクも喜んで参加するよッ。
しかし、「だったらお前が最初に口火を切れよ」と言われたら口をつぐんでしまうところが、私の弱さなのでした。いやんなっちゃう。フランスやロスやブエノスアイレスで暴動が起こるとき、一体何がどんな契機でそんなことになってしまうのでしょうか。そのプロセスを詳しく知りたいです。ともかく、今の日本は凄くおかしいですよね。日本の現状を直視せずに韓国や中国の悪口ばかりをいう人間を私は一番軽蔑します。日本は北朝鮮に劣らずバカだ。そうそう、明日から「うなぎパイ」も値上げするそうです。浜松の誇る貴重な文化遺産なのに…。うちのお店の一番の売れ筋なのに。…もうやめてくだちい。

------飢え死により、討ち死にがなんぼかマシだが。

志木沢氏の新刊『豊臣秀長』、読みました。
面白かったー。…が、この方の作品は二度三度読んだ時が一番面白いのです。文体が凝縮されまくっているから。今回の新刊は意外に薄い分、再読が今から楽しみです。
事前にしていた予測は、すべて覆されました。数年前の大河ドラマ『秀吉』で高嶋政伸が演じていた秀長の、温和で地味な縁の下の力持ち的な印象が強いのですが、この小説では著者が言うに、秀長は「結構な武闘派だったらしい」。冒頭から中半までは、がむしゃらに戦っている姿ばかりが描かれます。ええね。私が前日に例に挙げた阿野全成や足利直義、はたまた北条義時やましてや保科正之などという、いわゆるほかの“ナンバー2”などとは全然違います。
石田三成もやはり、私たちの思っていたのとは正反対の姿で描かれました。私は志木沢氏の描く爽やかで乾いた石田三成が大好きなのですが、豊臣秀長の視点から見たらどの様な登場の仕方の三成であっても大嫌いだったはずなのです。ここの三成は最高にイヤなやつ。でも作中ではすべての人に嫌われまくりですが、読む私にはどうしても嫌いにはなれない描かれ方をしている。…いろんな視点から見ると、石田三成って変な存在ですよね。志木沢作品で言えば、豊臣家臣団を内部から描いた『豊臣秀長』に出てくる三成が最悪で、家康家臣団の視点から描いた『結城秀康』に出てくる三成が好人物なのに笑った。こんな変な人間は日本史上類例が無いのではないか。(いやいや、梶原景時、大江広元とか南光坊天海とか大久保利通とかがいたかな。土方歳三も類例かも)。残念ながら大谷刑部と細川幽斎の登場は一瞬だけでした。

これまでの志木沢作品では、主人公は当初に巨大な何かにコンプレックスを抱き、それを元にあがいて生涯をかけて独自の解決路を見出していくのが常でした。『結城秀康』では自分を決して認めぬ父・徳川家康、『上杉謙信』では理解しがたい戦略で自分を愚弄する武田信玄、『可児才蔵』ではそれは「理想の君主に士官できぬ悩み」でした。ところが今巻ではそれはありません。物語の4/5の時点で兄である秀吉との対立が浮き彫りにされますが、聡い秀長はその要因を全て理解しきっており、これはコンプレックスとは違うのかな。
しいて言うと、秀長の生涯は登場したときから兄である秀吉の意向に完全に依存してしまっており、「このブラコンめっ」と言いたくなるくらい兄には絶対なのですが、やはり相手があの秀吉ですから、兄弟間の距離感に悩む場面が何回か出てくる。それがコンプレックスと言えなくもないのでしょう。ただし、「兄と弟」、それがこの物語のテーマなのかと思いきや、それもちょっと違うような気もします。豊臣秀吉という人物は、歴史の中においてあまりにも奇妙な人間なのですよね。段々秀吉も気になる人物になり始めてしました。志木沢様の描く秀吉像の特長につきましては、後述します。
ともかく、この物語に関しては秀吉と秀長の仲は主に理想的に廻っているので(…と思う?)、さらに別にコンプレックスとなりそうなものを捜してみると、“天才的な”竹中半兵衛重治の描かれ方だと思います。数多くの登場人物の中で、最初の方に死んでしまう半兵衛の描かれ方だけ浮き出て見えます。が、嫌味なほどかっこよくて頭の回る竹中半兵衛の描写にも、巧みな作者様の腕が光っていて、物語のあとあとになって「そういえば半兵衛がそんな事言ってたっけ」と不意打ちされるのです。あああああ、私にもひとり、半兵衛様が欲しいです~。と思いつつも「良く考えたら私の周囲にもこんな人いるね。ありがたやありがたや」と思わされる描き方。この描き方は「コンプレックス」とは違いますが、これまでの手法の裏返しですよね。これが嬉しい。

------自分は遠眼鏡。それは小物の特権でござるよ。

また、志木沢氏の登場人物といったら名古屋弁。
別に、いろんな登場人物が出てくるのでそのそれぞれが独自のご当地言葉を喋っているのですが、必然的に愛知出身者の比重が高いので、やたらと名古屋弁ばかりが印象に付くことになります。名古屋弁って、いい語感の言葉だなあ。(と当日名古屋に行っていたばかりの私は思った)。浜松出身の『結城秀康』ではそれほど遠州弁は印象に残らなかったのですが、『豊臣秀長』での名古屋弁率は小気味良いくらいです。でも、秀吉って大阪に行ってもずっと名古屋弁を話し続けていたんですね。「そりゃそうだ」と(『立花宗茂』を読んだ時に)目からウロコ。なんとなく大阪弁でしゃべってそうな気でいました。
ところで、遠州弁と三河弁は良く似ており、その原因は「徳川家康が遠江を制圧した時にたくさんの家臣を三河から連れてきたから、その時を境に言葉が三河化した」とよく言われます。…秀吉の大坂居城化のときはそんなことはなかったのでしょうか。秀吉ほどの強烈な個性なら、周辺の人間みなに多大なインパクトを与えたはずなのに。大阪弁に名古屋弁の名残は無いものであろうか。はたまた今の大阪の人にとって名古屋弁というのはどう位置づけなのか。お詳しいj.kさんにお話を伺ってみたいです。……うーーーん、身の回りをすべて律儀な三河者で固めた浜松時代の徳川家康と、天下人となって全国からさまざまな頑固者たちが周囲に集ってきた秀吉とは、事情が違うかな。

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ノリゑが将軍!?

2008年04月30日 22時49分02秒 | 小説・漫画

知らないうちに、ギャオにてガンダム00が全話無料配信されてました(5/7まで)。
雀喜して一挙に観てます。現在11話まで観たぞ。確か私は過去にここまではちゃんと観てたんですよね~。観直していて、8話目あたりから、なぜか涙が止まらない。おかしいぞよ、全然泣くような話じゃないのに。でも泣けるのです。とにかく話が地味で、彼らに将来など何にも無いのに、革命組織ソレスタルビーイングの皆様がひたすら健気なのが泣けるのです。きっとみんな最後に死んじゃうんだろうなあ~~。
最近の私はアトピーが目にまで来ています。目の回りが歌舞伎役者のように赤く縁取られ、このまま客商売なんかしてちゃいけないと思うんですが。確か前の仕事を辞めた理由も「顔の爛れがひどくなったから」だったんですが、最近の私の顔はあの頃に匹敵しています。アトピーは患部を刺激するのが一番イケナイ。でも、泣ける話は好きですからね、エヘン。

このアニメ、出てくるキャラ出てくるキャラが全部美形なのが心底気にくわないのですが、話がとにかく地味なので救われています。ガンダムWに少し感じが似ていますが、アレを理想的に作り替えた感じですかな。Wのあのいけすかない高飛車な女が出てこないのが一等マシな感じ。(まぁ、あれはあれでフレーバーでしたけど)。

一番気になるのが“戦術予報士”のおねえさま。
要はエヴァンゲリオンのミサトお姉さま役ですが(私は年上のお姉さまが大好きなのだ)、事前の情報だとこのお姉さまを中心に悲惨な展開になるのだそうで、それが意外にとても楽しみなのです。戦術マニアの私が言うまでもなく、戦争なんて予報できるわけがないじゃんすか。あれは事後に酒を飲みながらあれこれグチグチ言うものですよ。典江さんオツです。でも私はこのお姉さまを中心にがんばって見る気満々だぞー。

でもこんなに楽しみに観ているのに、私にとっての最高傑作『ヴィクトリー』は越えない予感はあるのですのよね。やっぱり富野監督が関わってないから。なんていうか、包括的に人間の感情を描けてない感がある。シャア役がいないし。丁度手塚治虫と栗本薫を対比したような感じです。そう考えると、ガンダムシリーズってかけがえのない人類の遺産ですよね。

11話まで観て。
前半、圧倒的なガンダムの性能差で完全に敵無しとして描かれていたテロ組織ソレスタルビーイングですが、国際組織は一挙してこれを叩き潰す作戦に出るようです。9,10,11話で、中国が独自の戦略(=物量作戦www)を駆使して戦術的にガンダムたちの上位に立つのですが、これはむしろオリンピックの聖火リレーの話題が最高潮に達した3日前に放映すべきでしたね。
世界史戦史上、物量作戦宣伝上手が作戦的に一番優位なんですよ。信長の野望が好きな人ならみんな知ってるでしょうに。2ちゃんねるとかふたばとか知ってか知らずか大多数がのんきにやせ我慢しているのを観て、私はまた泣いてしまいました。アホ~。日本はチベットよりも哀れだ。ただ宣伝下手なだけだけど。

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グインサーガ120 『旅立つマリニア』。

2008年04月21日 20時20分47秒 | 小説・漫画

表紙にゴーラの戦王イシュトヴァーンの後ろ姿があったので、「おっ、やっと久し振りに彼の出番かっ!?」と心躍らせたのですが、一瞬も出てきはしませんでした。そうですよね、彼はまだ怪我の療養中ですものね。いや、そろそろ治っているころかな。彼が再び癒えた姿で舞台に戻ってきたときこそ、中原は今度こそ“最後の”大戦乱に突入するはずです。

それよりも今巻のキモはこれ。

「ぼくは、本当に---自分のことしか考えていなかった。というより、…ねぇフロリー、本当はぼくは、自分のことしか考えなかったわけじゃあないんだ。リンダのことがわからなかったわけじゃない。リンダが大変だと言うことも、自分ひとりがその戦場をあとに逃げだそうとばかりしていることが、とても卑劣だ、ということも…ちゃんとわかっていたんだ。だけど、懸命に自分は自分なりの理屈で身をよろい、なんとしても自分の大切だと思う、夢だの理想だの、自分のしたい生き方だのを守ろうとしていた。それを守ってくれるのは自分しかいないと思っていたからね。また事実、そうなんだけれども」(中略)「ぼくがパロに残りたくないというのについては、聖王家の男児としての当然の義務を果たしたくないということじゃない。それ以前に、聖王家の方はずっとぼくをその一員としてなんて、認めてやしなかったんだ、ということなんだ。ぼくはずっと、王家の余計物として扱われていた。ぼくはいないものとされてきた。ぼくはジャマで目障りな妾の子だった。貴い清らかな兄やリンダたち、まっとうな嫡子である子たちにくらべて、いつもいつもはっきりとさげすまれ、差別され、仲間はずれにされている存在だった。---それをいま、こういう状況になったからといって急に本当に掌をかえしたように、ぼくしかいない、ぼくがパロに尽くすのが当然の義務だ、と言い張ることからして、ぼくにはどうしてもそれはあまりにひどい欺瞞に見、偽りに見え、その場しのぎ、相手の事情や気持ちなんかまったく顧みず、自分の事情を押しつけて相手がそれを受け入れなければ人のようにいう」(中略)「ぼくはもう、決してこそこそ人目を忍んで脱走しようなんて考えない。もしぼくが、パロの連中と正面切って戦って説得して、それで自由の身となり、行動と一生の自由を勝ち取ることができたら、あるいはぼくもきみを訪ねてヤガに行ってみようと思うかもしれない。そうしたら、きみ、ぼくを君のささやかな家に受け入れてくれるかい?」

でたーーーー、南朝(パロ)の第三宮アル=ディーン(鞠臼親王)の宗良化宣言。
歌うことしか興味の無かった彼の「これからはぼくも戦うよ!」宣言なのでした。もちろん120巻目での決意は激しく遅すぎると言わざるを得ませんけど、彼にしてはよくやった。日本の歴史ではこんな彼は否応もなく40年続く激戦の渦に叩き込まれるのですが、作者(栗本薫)は多分ウジウジ男マリウスは嫌いだから、戦場での活躍が今後あるかないかが見所でしょうなあ。(とても期待)。もうこうなっては、改めて私にはアル=ディーン皇子と宗良親王は同一人物にしか見えません。もちろん、歌の教育を祖父・二条為世から親密に受け、行動力は彼の百倍あった尊良親王がアルド=ナリス。阿野廉子の子として正嫡扱いだった成良親王と義良親王がレムスとリンダだ。…護良親王と懐良親王は知らん。

自分よりも遥かに優れていた尊良や義良や護良の幻影から逃れる為に求めて遠州や信州の山の中に身を置き、歌ばかり詠んでいるが、吉野の宮廷が忘れられず何度もいつしか舞い戻ってしまう。しかしその度に身をよじるような慚愧に襲われ、遥けき山々の青い空の下にまた戻ることばかり考えてしまうのだった。そんな彼もいつの間にか南朝軍の重鎮に。そんな器ではないのに皆が彼を頼りにする。しかし彼は歌しか歌えないから誰の期待にも応えられない。やりきれぬ思いの彼は年老いても山の娘とのロマンスを追い求め、遥か九州の年の離れた弟との文通だけが心の支えなのでした。…萌える。

後書きを読むと、ファンとしては「ふざけるな」とか「やっぱりね」と憤然としか思えぬことが書いてある。「今死んでももう自分の記録(=世界で一番長い小説という記録)は誰にも破れぬだろうから満足だ」ですって。ハハハ。しかし一方で、「入院中にグインを2冊半書いた」ですって。すげーーやあんた。…ぜひラストスパートで今年も書き続けてください~~
が、作者の日記を見ると、4/20付けでまた再入院。貴女という人はなにをやっておられるのか。ゴールデンウィークいっぱい入ってるみたいですけど「今度はお薬のためだから心配しないでね!」と書いてある。死なないでネ。

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猫のボリスとクトルーちゃん登場。

2008年03月11日 23時01分59秒 | 小説・漫画

一ヶ月前のことですが、引越しで伊豆からテレビを運んできたら、スイッチが入らなくなっていました。なんでか分からないんですけど。なので、以後、テレビ無し生活に。これまでのニートな私はテレビっ子だったのですが、どうせ地上波テレビ放送とやらが始まったらテレビは捨てようと思っていましたからね。思ったよりもそんなに困らないのでした。見たい番組だけニ○ニ○動画で見ればいいし。…って思ったら、ネット環境がまだ届かないじゃないですか。コミュファ光のばかやろー。いくらなんでも遅すぎるだろ。

ま、テレビは一階にあるから降りてくればいいだけなんですけど、長いニート生活で足が弱っちゃって弱っちゃって(ウソです)、それすらやらない自分が悪い。ニコニコも一階のパソコンで見ればいいんですけど、わざわざパソコンの前まで来ていつもテレビ見てるのもなー。
ということで、現在見ている番組は、この『栞と紙魚子の怪奇事件簿』『のらみみくん』だけなのです。

栞と紙魚子に関しては、きっと保存版にしたくなるでしょうからと、妹に頼んでDVD録画を頼んでたのですが、なぜかテレビから録画したDVDは自分のパソコンで見られないんでやんの。なんでですか? どうかやったら見られるのですか? まあいいや、パソコンの公式サイトで無料配信やってるし。と思って録画するのやめちゃいました。

ほぼシリーズが終わりかけてから言うのもなんですが、このテレビ版『栞と紙魚子』は、私にとっては大ヒット作品であったです。もともとの原作が、珍妙に輪をかけたヘンテコぶりで、「絶対これはテレビドラマにするのは無理だろう」という物語ばかりなのですが、テレビ版は適度な改変を加えたうえであたりさわりなくドタバタと怪奇事件を進行させていきます。原作1割オリジナル8割、というところでしょうか。その配合が意外と絶妙で、原作ファンである私もそんなに怒りが沸かないように作り込まれていました。

宇論堂のおじさんとかカラオケ屋さんのおねえさんとか学校はトイレと廊下しか舞台にはならないとか(常にみんな女子トイレにいる)、いろいろオリジナル要素が多くて、でもおもしろくて良かったのですが、残念だったのは「栞と紙魚子にはこれがでてこなくちゃ!」と強く思っていたものがなかなか出てこなかったことです。最初の頃私が騒いでいた「生首事件」は結局現われませんでしたし、ゼノ夫人は出てきたのにあの変な犬のペスは出てきませんでしたし、頸山城には平将門の末裔はいませんでしたし、キトラさんは性格が違ったし、クトルーちゃんのママは出てくるのに、肝心のクトルーちゃんがでてこない。「ほんとに出ないんじゃないかしらっ。クトルーちゃんのいない栞と紙魚子なんていやんっ」とやきもきしてましたら、最終回直前になって登場してきました。しかも、クトルーちゃんと猫のボリスが同時にっ。

ま、長々と説明してもわけわかんないと思いますので、まずご覧になってくださいね。このクトルーちゃんにはぶっとびました。どこからこんな子連れてきたんだろう。

ボリスVSクトルー

そんな風に誘導されて、わざわざ全部観覧するお暇な人もそうそういないとは思いますが、ねっ? ねっ? このクトルーちゃんにはびっくりでしょ?(そうでもないか) 良く聞くと、ちゃんと「テケリ=リ! テケリ=リ!」って言っていますよ(笑)。でも残念ながら、ペットのヨグ=ソトホートは出てこないみたい。
マンガでのクトルーちゃんは、「ママは外国人だから」というのが口癖ですが、このテレビではママは高橋恵子でパパは井上順ですからね。主役も栞と紙魚子が入れ替わっているように、これはきっとわざとなのでしょう。ボリスは期待通りの猫でした。うんうん。

あとは最終回の時に、テレビ版で私が一番大好きだった「鴻鳥さん」のたおやかさについて存分に語りたいものですが。

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