ブログ記事を通して、巷の一般的な宗教への偏見を、破邪できればと思っております。
さて一般的に、特に現代日本における宗教のイメージとして、「なんか不自由そう。」というのが、最初に持つイメージなのではないでしょうか?
私は、自由の神の信奉者と自覚しております。
でもこの、宗教=不自由というイメージは、ひょっとしたら、幸福の科学信者さんの中にも持っていらっしゃる方がいるかと思います。
では、神さまのお心というのは、人間をがんじがらめにして楽しい性格でいらしゃるのかと言えば、決してそうではないということは、大川隆法幸福の科学グループ総裁をご覧になれば一目瞭然だとは思います。(笑)
では宗教=不自由というイメージはどこから来ているかと申しますと、やはり中世キリスト教社会、現代にも通じるイスラム社会、そして、戦前の日本社会や、そしてこれまた数多い邪教の存在ですね。
邪教のことは、話がややこしくなりますので(笑)、今日は省きます。
では、中世キリスト教社会、そして現代までイスラム社会、そして戦前の日本社会の問題ですけど、
「信仰告白の自由」つまり、「私はこう思うけど。」ということが、絶対に、言えない社会であるということですね。
ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史を見ても、まだ教えが広がりきっていない時というのは、中世の、あの狂ったような拷問であるとか、魔女狩りであるとかの、ドSなことができる教えではなかったんですね。
イスラム社会においても、この教えが持つ寛容性が失われてきたのは、どうも近代に入ってからと思われます。(多神教国家に関しては、ひどいことを行っておりますが。)
戦前日本は、廃仏毀釈を始め、勃興した新宗教を次々に迫害しております。
日本神道が国家神道となってしまって、近代日本は迫害の時代でもあったことは事実ですね。
これらを総合すると、その宗教がどのような戒律があるかなどが問題なのではなく、個々人の信教の自由、思想信条の自由より、教団や社会の秩序を優先させる社会構造となった時に、人々の自由が失われていると思われますよね。
これらに共通するのは、非人間的なことをする教主たちを、誰もがとがめられない社会であったということです。
つまり、戒律自体が問題ではなく、「俺、その教えや考え方は、嫌。」と、一般人や信者が言えない社会、「私、こんなの気に食わないから、あっちに行くもん。」とか、誰も何も言えない社会がいけないわけだし、それを言ってしまうと、命の危機のある社会がいけないということなんです。
今そういう社会は、日本近辺では、北朝鮮や中国など、無神論・唯物論国家しか存在いたしません。
無神論・唯物論というのを、多くの日本人は誤解していますが、「私は、神を信じられないんです。」とか、「あの世なんて、俺は信じられないね。」といったレベルではなくて、神やあの世を信じる人たちを、積極的に迫害する一種の、否、最悪の宗教こそ無神論なんです。
カール・マルクスの「宗教はアヘンだ。」という事場を信じて、積極的に宗教を弾圧すれば、最も大事な自由を失う、最大不幸社会が出来上がってしまうという、パラドックスが起きたのです。
つまり歴史の教訓に従えば、不自由なのは神を信じたり、あの世を信じたりするからではないということです。
宗教はアヘンだというならば、無神論はヒ素だということですよ。
つまり、
完全な信教の自由こそ、自由の根源であり、不完全な信教の自由こそ、不自由の根源なのです。
完全な信教の自由があれば、どんな宗教や思想を持とうが良いわけで、他の教えに移る自由がありますし、脱会の自由もあるわけです。
一方、法律や戒律のない社会というのは、交通ルールのない社会と同じですから、これはとても危険ですし、自由な生き方そのものができない社会でもあります。
ですから、完全な信教の自由な社会こそ、自由人たる現代日本人は目標とするべきなのです。
追記するならば、仏教的な宗教では、上記のようなトラブルは、歴史的には発生しておりません。
それは、仏教の戒律のほとんどは、出家者への戒律であって、信者への戒律ではなかったからなんです。
仏教的な宗教では、信者は意外に、自由な発想や行動が取れます。
これから宗教を選択するならば、仏教的な宗教をお勧めする次第ですし、思想信条の自由を第一義に掲げる宗教が権威を持ち、多くの人々に信頼されて、社会を自由に啓蒙できる社会こそ、その社会は真なる自由社会であると私は考えております。
「八正道の再発見」抜粋 大川隆法総裁1989年第7回講演会
地球神エル・カンターレとは 天使のモーニングコール1370回 (2017.12.30,31)
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最初、仏陀の「信仰」というのは、「教えの真理性、真実性を信ずる」ということでした。また、仏陀のまわりに集まっている人たちも、仏陀の説く法の正しさを信じる人たちのグループであり、教えを学ぶグループだったのです。
やがて、仏教教団は、「伝道宣言」をしてから、だんだん大きくなっていきます。
そして、直弟子も千人を超えるようになって、さらには在家の人たちも増えていきます。こうして教団が発展していく過程において、信仰の形態が変わっていくのです。
教団がある程度以上の規模になってくると、「これだけの優れた法を説き、多くの人たちを導いている仏陀、これが尋常の人であるはずがない」ということで、だんだんと仏陀に対する畏敬の念というものが起きてきます。
そして、次第に、「仏陀に対する信仰」「法を説く人に対する信仰」というかたちに変わってきます。
これは仏陀在世中にすでに起きていることです。
したがって、「生きているあいだは、“人間・釈迦”であって人間だったが、死んで何百年も経ってから、崇拝される仏陀になった」という説は、間違いです。(中略)
それから、仏陀に対する信仰は、当然ながら、仏陀が説く仏法に対する信仰、「仏法が正しいものだ」と信ずる心につながっていきます。
「仏陀が正しくて、仏陀が説く法が真実である」と多くの人が信じるようになり、それにもとづいて、みずからの生活を正すようになっていった場合、次は、そこで修行をしている修行者の群れに対する信仰が出てきます。(中略)
このように「仏・法・僧」という順番で、信仰が立ち上がってきたのです。「仏・法・僧」に対する信仰が立つ前は、仏陀の発見した真理に対する確信というのが、信仰でした。
幸福の科学の過去の流れを見ると、仏教教団の信仰の立ち方と、そう大きな違いはないと思います。
霊言集というかたちではありましたが、もともとは、「あの世があって、高級霊たちが存在しています。彼らから、生きている人間に対する素晴らしい法が伝えられてきます。その内容が真実だということを、みなさん、信じてください」ということから始まりました。(中略)
すると、「その霊言集を伝えていた人は、実は『仏陀』として悟りを開いた人ではないのか」という見方が出てきます。
そこで、「実は、そのとおりです」ということで、説法を開始し、みずからの言葉で法を説きはじめ、仏陀としての自覚を持って、仕事が始まりました。これで、仏陀が仏陀として立ち上がりました。
そして、仏陀としての法を説きはじめると、その法が固まってきます。固まってきた法にもとづいて、多くの人が教学に励み、それを伝えていく仕事をします。今度は、「法に対する信仰」が始まります。
さらに、「その法にもとづいて仕事をしている人たちが、尊い菩薩たちである」という信仰が、当然、立ち上がってきます。僧団に対する尊敬が立ち上がってきます。
当会は、現在は、「仏・法・僧」の「僧」が、しだいに固まってきているところだと思います。
このように、幸福の科学の歴史を見ても、仏陀教団の歴史と何の変わりもないのです。信仰のかたちも、当然なるべくしてなってきている、ということです。
『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)P240~246