林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

ほうれんそう

2008-01-26 | 知ったかぶり

 

 ニッポン人の野菜摂取量はますます少なくなり、あちこちに障害が発生している、とか。

今朝がそうだった。

わが猫額亭もあちこちガタがきて、改装の話が出、ようやく業者案と見積もりを聞く頃合になったのだが........。

酷寒で朝寝坊し、遅い朝食中に業者はやって来た。

そりゃ、内心では今日来るだろうとは思っていたさ。だから遅くても朝食中だったのだ。
それが、カレーライスが咽喉を通らないうちに朝駆けされてはね。

結局、1時間後にまた来て貰うことにした。
前の日に約束しておけば、森男は泡を食わず、業者はケンツクを食わされかった。
社長さん、経費、原価もいいけれど、ほうれんそうをもっと社員に食わせてね。

毎日が日曜日といっても、稼働時間が短くなった今日この頃、遊びには忙しく、他に体調やご機嫌もある。
ケータイを持って、「コミュニケーション」は随分便利になったのにね。

最近は全てがカタカナ英語になった。
「コミュニケーション」は昔は「ほうれんそう」、つまり、「報告・連絡・相談」と言っていた。カタカナにしたら、ご他聞に漏れずに曖昧模糊になってしまった。

森男が小学1年生の時は戦争中で、全てが軍隊式に行われ、命令・復唱・報告を厳しく躾けられ、上手くやらないとビンタを食わされたものである。1年生も、ですよ。
中学生の頃までは、先生のビンタは当たり前だった。よほど酷い怪我でも無ければ、親は出てこなかった。

子供の個性や人格を尊重し、良く言い聞かせ理解させよ、というが、身体で覚えさせれば、理屈や理解や個性は後から自然についてくる。

体感的に、ニッポン人は1960年を境に人種が変わったようである。
ほうれんそうを常食してないのに、大根なぞ、とてもとてもの衰退への道ですな。

それにしても、ほうれん草の薄味になったことよ。

「大根」とは大胆・根気のことです。
▲挿絵は五味太郎さん。



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