飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

頑張っているが立派でないこと

2015年10月17日 11時39分19秒 | 教育論
人は目標をもち、その達成のために努力をする。
自分の技術の向上のため、収益のために頑張る。
それはできる。

子供たちも同じである。
学級の中には、頑張ってはいるが立派ではない子がいる。
大人社会でいえば、営業マンが契約をとり、成績をアップすれば頑張っているが立派とは言われない。
その営業マンが上がった給料を募金する。
すると立派だねと言われる。

最近の新聞記事で見たが、私もよく走る自転車道を走りながら空き缶拾いをしているグループがある。
このライダーたちは、頑張っていると同時に、立派である。

この違いはなんだろうか。
それは、公共心、公的精神がそこにあるかどうかだ。
この公の心こそ、子供たちも不足している気持ちである。
自分のための努力は当たり前。
大切なことはその努力をいかに世のため、人のために使えるのかを考えることこそ価値がある。

saitani
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