飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ある子供からの手紙

2024年10月01日 05時20分21秒 | 教育論
1993年7月21日

先日、机の整理をしていたら一通の手紙が出てきた。
職業柄多くの人から手紙をいただく。
それは、子供であったり、保護者であったり、同僚や先輩の先生であったり、様々だ。
その出てきた手紙は、ある女の子からのものだった。
一応ことわっておくがラブレターではない。

もう5年ほど前になるだろうか。
私が初めて児童会担当になった年、児童会役員をやっていた6年生の女の子である。
当時私は4年生の担任だったので、その子とは児童会活動以外ではほとんど接点はなかった。
大人しい子だったが、すごい努力家だった。
まじめに努力し、人のためによく頑張って働く子だった。

その子が卒業式当日、職員室にいた私のところに一人でやってきて、
「お世話になりました。」
と深々と頭を下げ、手紙をくれた。
「なんで自分にわざわざ手紙を」と私はすこしとまどった。
担任でも、6年の教師でもない、出入り授業で教科を担当したこともない自分に。

その子が職員室を出ていったあと、少し時間をおいて手紙の封を切った。
手紙には次のようなことが書かれていた。

「先生、児童会や代表委員会のときなどで大変お世話になりました。
 先生が、児童会の先生になって私が教えられた事は、
 『自分に実力や能力がないとしても、一生懸命やることが一番大事なこと』ということでした。
 なぜなら、自分がやりたくて児童会役員になったのに、一生懸命やらなければ意味がないからです。
 
 先生からたくさんのお話を聞きました。
 その中で一番心に残っていることがあります。
 それは、児童会活動が始まって間もない頃でした。
 児童会役員のみんなに先生は言いました。

 『ここに並んでいる児童会役員のみんなに問いたいことがあります。
  自分は児童会役員になったら一生懸命やって、みんなの役に立ちたいと強い思いをもって立候補したけど落選しまった子がいます。
  それに対して、やる気もないのに友達から推薦されて形だけ立候補して、当選してここにいる子もいます。
  この事実をみんなどう受け止めて、児童会役員をやっていこうと思っていますか。』
 
 私は今回だけでなく、児童会役員に立候補して、当選した経験があります。
 だけど、本当に自分がやりたくて立候補したことはありませんでした。
 先生が、児童会の先生になって、初めてそのことを自覚しました。
 今思うと、児童会役員になりたくてもなれなくて落選した仲間にあやまりたい気持ちです。
 中学校に行って、もしこういう役をまかされたときは、今まで以上に一生懸命やりたいと思います。
 先生には本当に感謝しています。
 ありがとうございました。

 先生も、健康に気をつけて、一生懸命頑張って仕事をしてください。」

この子は、常にベストを尽くして児童会の仕事をした。
私の言葉は、その子に向けたものではなかったと思うが、言い方は酷だったかもしれない。
しかし、彼女はその言葉をしっかりと自分自身で受け止めて成長の糧とした。
逃げようと思えば、いくらでも逃げられるのにそれをしなかった。
私は、この子はきっとこれからおきる様々な出来事を自分自身の問題として捉えて、真正面から挑戦して、豊かな人生を歩んでいってくれると思った。
そう私は信じている。



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