飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

負けることの意味

2005年10月02日 08時54分30秒 | 授業論
先週の日曜日、指導しているミニバスの練習試合があった。
3試合を行い、1勝2敗という結果だった。
そのうちの1勝も、相手チームの4番が途中、負傷して退場したり、センターが捻挫をしたりというアクシデントに見舞われた結果の勝利だった。
通常に試合が行われていれば、負けていたかもしれない内容だった。
今回の相手チームはすべてレベルが高かったということもあるが、今まではとは違う結果があるように思った。

確かにチームはレベルアップしているし、技術的にも進歩している。
練習の絶対量が少ないこともあり、定着は不十分なところはある。
しかし、子どもたちはよくやっている。
弱いチームには勝てるが強いチームには勝てない。
ダブルスコアになるようなチームに対しては、実力の差が要因だが、少なくとも一桁得点差の場合は、ベンチワークのミスか、もう一つの要因が考えられる。

それはセルフイメージである。
セルフイメージとは、日常生活における考え方や行動の仕方によって決められることである。
誰にでも、下意識というものがある。
これは選手一人一人がもっている実力である。
意識レベルを超えたところにある行動基盤といえるものである。
これは天性のように思えるがそうではない。
この部分を大きくするのは練習である。
だから、練習の質と量が問題になる。
このプレーに大きく影響を与える下意識を試合という緊張場面ではっきできるかどうかはセルフイメージにかかっている。
練習でできることが試合でできないというのは、このセルフイメージが間違っていると言うことでもある。

物事をどのように考えるか、これがセルフイメージの一面でもある。
この試合の1週間前、ある子どもに聞いた。
「君は、苦しい困難な練習と楽な練習と二つの道があったら、どちらの道を選ぶ?」
その子は、何の迷いもなく、
「楽な方を選ぶ。」
と答えた。
この子は、チームのエースである。
この意識レベルの低さにあらためて愕然とした。
チームは組織を構成する一人一人の意識レベルが同じになって初めてまとまりをみせ、本来の力を発揮するようになる。

ある保護者が試合後、
「この負けは次につながる。」
と言っていたが、「本当につながるのかな。」と疑問が残った。
意識レベルがこの程度では、同じ事の繰り返しだ。

試合後、あまり話をしたことはなかったが、今回は自分の考えを子どもたちに話した。
私が帰った後、子どもたちは自分たちで反省をしたそうだ。
今まで、一度もそんなことはなかった。
練習メニューもハードなものを取り入れるようになった。
それでも、文句をいわず取り組んでいる。

今月は大会の月である。
子どもたちがどんな戦いぶりをしてくれるか楽しみである。
そして、指揮官のミスで部下に迷惑をかけることのないように戦略面も十分に対策をたてておくことも必要である。
「勝つためにはただ練習するのでは勝てない。そのためには正しい考え方を身に付けていなければならない。」ラニー・バッシャム

SCENE106(saitani)
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