飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学級通信「Will」150号に寄せて

2024年08月20日 07時28分10秒 | 学級経営
過去の実践記録も書斎の書棚の中に膨大にある。
教師修業の一環として、記録は残さなければすぐに消えさせることを危惧していたからだ。
教師修業は意図的計画的に行わなければ意味がないこともわかっていた。
そのアーカイブを少しずつ残していこうと思う。

1994年1月31日 6年1組 学級通信「150号に寄せて」
「Will」が150号になった。
以前にも書いたが、これまでにも何回か学級通信を書いてきたが、正式に教師になって2年目に137号まで出したの最高だった。
だから、私にとって、150号という数字は、それなりに意味のある数字なのだ。

私はクラスを担任すると1年間どんなクラスを作っていこうかとビジョンをもつ。
何度、同じ学年を担任してもその時と同じようにやればいいなんて思ったことは一度もない。
むしろ、違った新しいやり方でと考える。
しかし、現実はなかなか難しい。
つい日々の忙しさに追われ、挑戦する気持ちを忘れがちになる。

子どもたちにも言ってきた。
「まず一歩、踏み出すことがたいせつなんだ。」
「どんなに頭の中で、素晴らしい考えをもっていても、言葉で表したり、行動示したりしなければ成長はしない」
「事実で示さなければ、相手には伝わらない」
子どもたちに、進歩を期待する以上、やはり自分も事実で、意欲を示さなければと考えていた。
そこで、考えていたことの一つが、学級通信を150号出すということだった。
本気なんだということを少しでもいいから、子どもたちわかってほしかった。

学級通信をだすことが全面的にいいことだとも思っていないがそんな思いがあったことも確かだ。

ここに一冊のノートがある。
これは6年1組を担任すると決まったときにまだ見ぬ30名の子どもたちのことを思い描きながら、書き始めた記録である。
その表紙に、次のように書きこんだ。
「教育の構想」
「平成5(1993)年◯◯小学校6年1組【6年生2代目】」

優れた教育思想それはすべての子供の可能性を信頼し、力に依拠して、自分自身の絶え間ない反省と修行の上に、すべての子供たちに生きていく勇気と生きぬていく知識と知恵と技を育てていこうとする教師の固い決意である。 1993.4.1

そろそろ別れの準備をしなければと思う。

saitani




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