飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

「いま、ここ」

2017年06月25日 09時13分48秒 | 人生論
あまりに先のことを考えすぎてしまうことがある。
生きるということは今の連続であることは確かであるが、つい線で考えてしまう。
アドラー心理学では次のように考える。

人生全体にうすらぼんやりとした光をあてているからこそ、過去や未来がみえてしまう。
いや、見えるような気がしてしまう。
しかし、もしも、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる。
われわれは、もっと「いま」だけを真剣に生きるべきなのだ。
過去がみえるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣にいきておらず、うすらぼんやりとした光の中に生きていいる証である。
人生は連続する刹那である。
過去も未来も存在しない。
人は過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。
過去にどんなことがあったかなど、「いま、ここ」にはなんにも関係のないこと。
未来がどうであるかなど、「いま、ここ」で考える問題ではない。
「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉は出てこない。

「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくこでもある。
しみじみと考えさせられる。

saitani
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