三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

被災地域の復興とは?

2012年10月21日 06時14分02秒 | Weblog



復興のための予算が、被災地本位では使われずに
全然関係のない(というのは市民の論理で、官僚的には筋は通っているのか?)
全国各地で使われているという報道があった。
自分自身もボランティア的に住宅復興の情報誌を発行していて
なんとも言えないもどかしさを感じざるを得ない。

一方で、否応なく全国・東京からの情報に多く触れるようになって
国というのはどのように意志決定してきていたのか、
そういう現実的な実態にも触れられるようになって来ている。
こういった状況を総合的に見てきて
やはり、国としてこの地域の「復興」に対して
どのように取り組もうと考えているのか、
その骨太な戦略性がまったく見えない、と言わざるを得ない。
単純に言えば「政治」の立ち遅れということなのだけれど、
国家運営の基本的な部分で、どうも全くの破綻状況であると言える。
そして震災から1年半以上経過して、
この三陸海岸地域は、どのような地域復興をめざすべきなのか、
そういう論議は一向に見えてこないのはどういうわけなのか?
国は判断も回避して、地域復興計画は
すべて地域自治体のお手並み拝見になっている。
そもそも自治体自体の存続も危ぶまれるような状況の中で
こういった態度は、責任放棄に等しいのではないだろうか。
先日の大槌町の町長さんの面談機会でも
土地制度のさまざまな法体系に準じた扱い方を
地域自治体として、いざ実行すると言うことの困難性を教えられたけれど、
やはりこういう実態からすると、
スピード感を持って復興するためには
広域的な地域戦略性が不可欠になってくる。
今回は、被災地域は多くの県にまたがっているのは自明なのだから、
そういったイニシアティブは国が取るしかなくて、
それも政治の側が関与していくしかないのだと思う。
そこがまったく機能不全に陥っている。
毎日の遺体処理、戸籍管理作業から、将来を見据えた地域戦略まで
地方自治体に、復興という名の事業すべて丸投げしているのが実態と言えるのです。
そうであるならば、地方に相当の権限委譲をしなければならないのに、
そういう権限は絶対に手放さない。
今回の住宅復興についても、「地域型住宅」ということがテーマになったけれど、
その地域型住宅について、地域からの応募を募っておいて
その「審査」は、当然のような顔をして東京・中央が仕切っている。
東京が管理して「地域型住宅」を決定するのなら、
その決定基準を明確に示すべきであるのに、決定から4カ月経つけれど、
その審査の経過すらまだ、開示されていない。

そのうえ、財政基盤としての復興予算が
当該地域以外で利用されているなど、もってのほかではないのか。
モラルハザードは甚だしく進行している。

<写真は大槌町で営業している仮設食堂店舗の内部>
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Replan東北最新号vol.37 発売!

2012年10月20日 05時49分19秒 | Weblog



きのうは、ご存知のように北海道日本ハムファイターズが
無敗のまま、CSシリーズの勝ち上がりを決めてくれました。
ソフトバンク・摂津投手や本多選手のケガなど、
相手の不運もありましたが、やはり初回の中田クンのフェンス直撃の2塁打が
度肝を抜いた結果なのではないかと思いました。
おかげさまで、これで晴れて日本シリーズ出場であります。
チームとしては胴上げは自重して、
さっそく次の戦いに気持ちが切り替わっているようです。
まことに頼もしい限りであります。
さて、本日のブログはReplan東北の発売情報であります。

【特集】家の外観(ミタメ)
家づくりがスタートするとき、あなたなら何から考え始めますか?
「立地や環境」「今の住まいを参考にした間取り」
「家族のために必要な部屋数」「憧れのイメージやテイスト」
スタート地点は違っても、「素敵な家に住みたい!」という気持ちはみんな同じ。
だからこそ、「外観にもこだわりたい!」と思うのではないでしょうか。

今回は素敵な外観(ミタメ)を持つ家を取材。
独創的、個性的でありながらもどの住まいにも共通していたことは、
単に「変わった外観」を求めたのではなく、一つひとつに「なるほど」
と思えるような理由があるということ。

豊かでここちよい内部空間を持つ住まいは、
外観(ミタメ)も楽しく美しいのです。

Contents
●特集/家の外観(ミタメ)
●エリア企画 進化する 秋田の家
●最新の省エネ住宅特集
●NPO 住宅 110番
●TOHOKU ARCHITECT
 福島県「田園の家」前原 尚貴

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札幌地方裁判所にて・・・

2012年10月19日 06時10分12秒 | Weblog



あんまりお世話になりたくない場所からの呼び出し。
従わなくても特段の科料は、これではあんまりないのかも知れませんが、
そうするといかめしい制度からは、いろいろに面倒な手続きを迫られることになる。
だったら、さっさと片付けた方がまだマシ。
ということで、顔は神妙そうに、
あ、いや、事実としてもごく神妙に前非を悔いる心境で
こういうことには、坦々と対したほうが心理的健康も保たれると考えて
行って参りました。
さて、上の看板の場所にわたしは、なんのために行ったのでしょうか?
家庭裁判所、というと、なにやら家庭争議、
一般的には夫婦関係に関することが多いのでしょう。
そういうことではありませんので、念のため(笑)。



わたし、恥ずかしながら、
つい最近、早朝出発のクルマでの出張に際して
例の「オービス」にて写真をバッチリと撮影されまして、
やむなく、出頭の顛末となった次第なのであります。
むむむ、こんな事態になったこと、深く反省しております。
なんですが、わたしもこういうのは初めての経験なので、
(って、何回もあったら困りますね(笑)・・・)
いろいろと注意深く、見聞を広めようと考えていたのであります。
とはいっても、大して事前情報を集めていたわけではありません。
で、珍しく公共交通機関・市営地下鉄を利用して
裁判所に向かいました。
午前9時から、と書かれていまして、
お役所だから、その時間にピッタリというのが想定されたので、
地下鉄から降りて、時間あわせに喫茶店でお茶を飲んでから
9時直前に出頭。
そうすると地下の「待合室」はすでにたくさんのみなさんが参集されている。
けっこうな混みようなのであります。
席に座る前に、一番手前の窓口内部から呼び入れられます。
交通違反の赤切符を資料にして、
ここに書かれた事実についての再確認を求められ、
何度目かの事実認定をいたしまして、「自供」したのですね。
この窓口は「警察」のようでして、
最終的に本人意志を再確認して、最終的な「調書」を作成するようなのです。
で、それを認めたら、次には「検察」がとなりの部屋でして、
調書が送付されて、起訴するかどうかを判断するようなのです。
こちらに「移送」されるのと確認されるのに、時間がやたら掛かる。
座っていて、腰が痛いくらいになってしまいました。
で、ようやく呼び出されて、検察からまた再確認させられる。
そうしてようやく、裁判に送致されるのですね。
ここでまた、かなりの時間を待たされる。
わたしは、いくら科料が科されるのか分からなかったので、
ここでおおむねの目安金額を確認させていただいて、
席を離れて、近くの銀行まで現金を下ろしに行って参りました。
しかし、帰ってきてからもまだまだ待たされる。
裁判官のみなさんは、大量な裁判をどんどん裁いていかなければならない。
しかし、やはり法治国家として人権にも配慮は必要。
で、裁判手続きも慎重に進められているということなのですね。
何度も行ったり来たり、裁判官のみなさん4人ひと組のようでしたが、
ご苦労様なことであります。
法による支配を維持するというのは、時間とお金も掛かりますね。
最終的に、法を犯したことに対する「懲罰没収金」名目の
法務省主管の「一般会計」繰り入れの金銭をお支払いして
ようやく帰途につけるようになるわけであります。
そういう意味ではわたしは日本の財政に特別な負担を担ったわけです。
まぁそのように考えれば、ほぼ一日がかりのような時間消費も
国民の特殊な負担として役には立っていたのかも知れません。
そのように前向きに考えることに致しました(笑)。

しかし、二度とこのようなブログをしたためないように
教訓とするように、自分の心に強く叩き込んだところであります。
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日ハムCS先勝!

2012年10月18日 06時38分59秒 | Weblog



きのうは仕事を早退して、
坊主と約束していた、クライマックスシリーズの対ソフトバンク戦に。
雨模様の天気がここのところ続いている札幌。
坊主の帰宅時間にはやや土砂降り模様。
案の定、朝の好天で自転車で通学していた坊主はぐしょ濡れ。
すぐにシャワーを浴びさせて暖かくして出発。
ギリギリ、試合開始時間に間に合っての観戦でした。

試合は、立ち上がり日ハム・吉川投手は本多選手に安打を許しますが
三振ゲッツーという安定した守備からのスタート。
一方、いきなり「兄弟対決」という隠れたテーマからの攻撃では
日ハム・弟陽選手の初球攻撃が残念ながら3塁手の正面ということで、
ソフトバンクの兄陽投手にゆとりを与えたようになって
のびのびとした左腕からのストレートの威力の前に日ハムは凡打の山。
その後も、相手にはそこそこ安打が出るも、守備でしのぐ、
一方こちらは、中田選手が第2打席で突破口を開くまで無安打に抑えられる
というような、やや押され気味の展開。
とくに中田選手の出塁からの、たぶん稲葉選手が判断してのバントが
決まらず、三振し、中田選手の走塁ミスもあって3者凡退になって、
どうも流れはソフトバンクに傾いていった。
そういう中で、吉川投手はやや不調ながらも粘り強いピッチング。
そして迎えた7回1死1-3塁の緊迫の場面では、
必死に粘る小久保選手を、これしかないという三振に切って取る。
すごい! 応援するスタンドにも熱さが伝わってくるし、
こっちも声をからして声援を送る。
この吉川選手の力投と球場の一体感が、あとの逆転劇を生んだと思います。
しかし、相手の多村選手の完全に討ち取った当たりが無情にも
外野の手前にポトリという幸運な先制点に繋がってしまった。
こちらの攻撃の固さと、兄陽投手の出来からして、
きびしい状況かと思われましたが、
その裏、やはり昨日のゲームの隠れたテーマ・兄弟対決が
今度は弟陽選手の先頭打者安打出塁という場面になっていく。
そこで、さきほどの吉川投手の頑張りが生んだ球場の一体感が
大きな後押しになっていく。
ファーストストライクを見事に送りバント成功させた杉谷君。
そして3番糸井選手の失投を見逃さない強打がスタンドインという
劇的な場面に繋がっていく。
さらに好調な打撃の中田クンが安打を繋ぎ、
小谷野選手にも貴重なチャンス拡大の一打が出る。
そして、ソフトバンクの中継ぎエース森福投手の登場。
ここで、細かかったけれど、
日ハムでは、相手の投手交代が確定するまで左打者のDH
ホフパワー選手が打席で打ち気満々のパフォーマンスを見せていたのも
隠れた殊勲だと思いました。
そして交代が確定してから、代打の切り札、右打ちの二岡選手の登場。
くさった表情・ボディアクションを見せずに退場したホフパワー選手、
なかなかナイスガイぶりを見せてくれました。
そしてその二岡選手が初球の一発で試合を決める!
このリードを増井、武田久の盤石の投手リレーが守りきる。
こういった一連の流れ、チームの総力がここぞというときに決まる。
決して派手なチームではないけれど、
日ハムの底力を十分に感じさせてくれた戦いぶりでした。
球場内では、観客同士、お隣近所さんでハイタッチの連続。
すばらしい、いいゲームで勝たせて貰いました。
しかし、ソフトバンクも走塁は強いし、守りも堅くて素晴らしい。

紙一重の戦いがまだまだ続くと思います。
日本一目指して、がんばれ北海道日本ハムファイターズ!
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旭川札幌、往復300km

2012年10月17日 06時19分20秒 | Weblog



きのうは旭川の北部地域まで往復しておりました。
取材の立ち会いということでしたが、
週の半ばと言うことで、緊急性を要する案件も持ち上がって
ひっきりなしにケータイに連絡が入り、こっちも連絡を入れる。
運転と連絡、交互にやっていくので、
なかなか時間も掛かる、という状況。
一方で、家族的にも娘が帰省を終えて引き返すし、
カミさんの母親にもカミさんが付きそう必要もあったということで、
多事多難な一日でありました。
人間、いろいろな意味で多忙になっていく時期というのは
好むと好まざるとに関わらず、否応なくやってくる。
こういった時期には、常識を豊かに持つと言うことが重要。
きのうはスタッフが段取りよく取材を片付けてくれていて、
まぁわたしの役割はごく少なくて済んでおりました。
役回りも、だんだんと年相応になっていく。
しかし、あれこれと心配事も増えていく。
そういうなかでは、やはり坦々とした心理を持つことが大切ですね。
感情の起伏を押さえる、というのは
こういった心理を維持し続けるというのが条件になるのでしょう。

ただ、夕方帰ってきたらやや腰痛気味。
長時間の運転は、体調がイマイチだとダメージがきます。
で、いきおい、甘いものに手が行く(笑)。
どうしても、刹那的に脳が覚醒するような
チョコレートなどに触手が動くのですね。
こういうのを無自覚に繰り返していると
すぐに肥満になって帰ってくる。
どうも、きょうは年寄り臭い話題になってしまいますね(笑)。
どうも申し訳ありません。
あすは、元気復活と行きたいです。ではでは。
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新聞社と記事の専門性

2012年10月16日 05時56分22秒 | Weblog


ここんところ、毎日のように森口さんという名前が露出している。
ちょうど山中教授のノーベル賞受賞とタイミングが重なったことで、
より注目度が上がってしまったのだけれど、
きのう、帰国しての成田での様子は報道の過熱ぶりを如実に表していた。

さて、今回の事件はいろいろな角度があると思うけれど、
メディアに多少なりとも関わって生きている人間からすると、
これが読売新聞の1面記事になったという事実がいちばんの関心事。
このことが表している大メディアというものの危機です。
わたしは住宅についての雑誌を作っているわけで、
とても他人事とは思えないのです。
わたしたちは、住宅という領域でだけ世間をウォッチしているのですが、
そうすると、専門性のある部分についてはある程度の「常識理解」がある。
その大枠としての理解の中で、新しい事象に対しての対応が日常なのですね。
一方、なんでもありの社会の全領域を扱っている新聞は
なかなかそういった専門性のある領域については、難しい対応になる。
わたしの領域でも、いろいろなマス媒体の記者の方と接する機会があるけれど、
そういう「住宅担当者」という記者さんも
2年程度の期間で担当をはずれていって、またイチから始める記者さんに替わる。
そのたびに専門性のあるわたしどもに訪ねてこられて、
下取材的なことを情報収集されていく。
こちらは、敬意も持ってなるべくていねいに対応しているつもりですが、
その都度ゼロに戻っての説明というのは、なかなか骨も折れる。
担当が替わって新鮮な感受性を持って、特定領域のことに触れるというのは
大変いい面も持っていると思うのですが、一方で知識不足と言うことは
免れない部分もある。
医学的な専門性を持った今回の読売新聞の記事について、
その掲載決定プロセスに、おいおいというまでに、それがモロに出てしまった。
一度出てしまえば、信用の失墜は避けられない。
しばらくの間、読売は差し障りのない記事構成に向かうことは目に見えている。

で、わたしの最大関心事は、そこです。
読売新聞がここで、どんなふうに対応していくのか?
契約で縛られている月極の読者は
簡単には契約解除には向かわないと思いますが、
コンビニや駅スタンド売りなどの、メディアの競争力を如実に示すバロメーターでは
確実に落ちていくだろう。
そういった現実を突きつけられて、
メディアとして、どのように「次の手」を出してくるか?
とりあえず、今回の大ミス記事関連事実の「徹底検証」という
取材・報道の姿勢は見せているようだけれど、
現在見る限りでは、他社の「この機会に読売をたたきつぶせ」という
「徹底取材」攻勢の方がずっと勢いを感じる。
メディアとしての大失態から、さてどんなふうな作戦で捲土重来を期すか、
そこに強い興味を持って見ている次第です。
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札幌時計台の周辺環境

2012年10月15日 07時23分36秒 | Weblog


最近、札幌での観光ということに関心が向くことがあります。
地元の人間なので、自分自身はあんまり関心を持つことがないテーマだけれど
他の地域から札幌に来る人の目線で考えてみると
札幌のいまの環境の厳しさがひしひしと感じられて、
危機感を持ってしまう。
それでなくても、今の市長さんになってから、建築の世界では
新たな魅力的な都市再開発プロジェクトが
ほとんどストップさせられているので
震災以降、活気にあふれ魅力的な再開発がすすむ仙台と比較して
都市の魅力で、相当の開きが出てきていると感じています。
残念ながら、いまの市長さんからは
都市経営のビジョンが見えてきません。

きのう、用事があって、札幌の中心部に出掛けてきて
札幌観光の目玉でありながら、長く「がっかり度」ナンバーワン
と言われ続けている
「時計台」周辺を歩かざるを得ず、見てきました。
時計台自体は、いろいろな見方があろうかと思いますが、
日本の木造建築の世界に「洋風建築」という領域を切り開き、
住宅建築の世界で大きなシンボル的な存在であり続けたものとして、
本来その価値は高いと思います。
先年の修復作業もきちんとされているので好もしく思っています。
問題なのは、こういった大きな資産のみにただ頼って、
その価値観をつねに再評価させるような、いわば「文化的な仕掛け」を
怠り続けてきた、「文化活動の不在」にこそあるのではないか。
そういった弊害は、時計台を囲む周辺環境に如実に表れていると思う。
いま行ってみても、周辺には
時計台の文化性を持ったテーマ的なものはほとんど見られない。
西側に隣接しているのはふつうの商業ビルだけれど、
特段の関連施設は見られない。
せっかくの時計台だけれど、それをどう活かしたらいいのか、
発想の痕跡すら見いだせない。
北側には、その名も「時計台ビル」というビルがあり、地下も含めて
時計台とのアクセスを意識した設計にはなっているけれど、
こちらも、これをどう活かすべきかについて、
やや諦めの気分が感じられる。
きのうは、日曜日の午後に行ってみたのですが、
オープンカフェすら営業していなかった。
東側に至っては最悪で、「札幌商工会議所」のビルがあるけれど、
時計台に向かって隣接しているのに、
駐車場の入り口になっているに過ぎない。
その隣には個性的な「北地蔵」というカフェがあったのだけれど、
それも廃業してしまって、まことに殺風景そのものになっています。
このような周辺環境では、少なくとも滞留的な要素、
賑わいの要素が感じられない。
まぁたぶん、これまでさまざまに取り組んできた結果ではあるのでしょうが、
このまま推移すると、ある日突然、
観光客が誰も来なくなってしまうのではないか。

端的に、「時計台の魅力の再設計」が必要なのではないでしょうか?
そもそも時計台の価値とはなんなのか、
最初に定義したような趣旨に沿って、
札幌の重要な観光資源の分析をして、
そこからどのような文化的資産を磨き上げていくのか、
そういった「戦略的見直し」が不可欠に求められているといえるでしょう。
残念ながら、現状を打開する発想は感じられない。
日々、空白が広がって行きつつあるように感じられてなりません。
惜しい、もったいない、という気持ちが強い。
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タラバガニ

2012年10月14日 07時42分50秒 | Weblog


きのうは娘が久しぶりの帰郷。
ということで、朝早くからそわそわとしていて、
札幌中央卸売市場に行って、食材の買い出しに。
この時期の北海道らしい食べ物と言えば、なんだろうか、
と頭を悩ませながら、たどり着いた先は、カニの売り場でしたね、やはり。
見ていると毛ガニ、ズワイカニ、花咲など、たくさんの種類が並べられている。
秋の初め頃、ってさて? ということでお店の人の情報頼りに。
結果、勧められたのはこのタラバガニであります。
4kgほどもあるという巨大さで、
「デパートだったら、3万円以上(笑)」というのが一般的値付けだとか。
いくらで購入できたかは、まぁマル秘ということで(笑)。
早起きは三文、以上の巨大なトクであったことは間違いありませんでした。
で、夕食で5人で食べた次第。
なんとか、カニ肉の一部を刮ぎだして冷蔵して、食べ尽くすことは出来ました。
まことに圧巻の食べ応え、超絶でありました。
確かにタラバガニは、脚の関節部分に注意して肉を取り出せば、
どんとした食べ応えは得られる。
わたしもそうは経験はなかったのですが、
1~2回でコツがつかめて、「お、名人」という家人の声がするほどに。
家族の分も剥いてあげておりまして、
いっとき、家長たる自尊心を満足させられた次第、えへん。
ってまぁ、そんなに自慢することでもありませんね。

市場ではその他に、やや季節外れと思えた
「北海しまえび」もゲットできました。
こちらは、坊主の無上の大好物。
話に夢中になって、ちょっと目を離したスキに、
あれよあれよと、剥きガラが積み上がって行くではありませんか(笑)。
ということで、楽しい夕食が家族団らんで楽しめた幸せであります。
あんまり、内容がないブログで申し訳ありません。
明日以降、心を入れ替えて、内容満載を心がけますので、
本日のところはお許しください。ではでは。
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歴史の豊かさ

2012年10月13日 05時30分02秒 | Weblog


ことしはなかなか遺跡探訪とか、歴史行脚ができない。
まぁ、立ち向かうべきいろいろな案件が多すぎて
時間が取れないというのが実態なのですが、
どうもこころの豊かさが、その蓄電量が不足してくるように感じる。
小さいときに、社会科というものとふれあったときに
感じた、あの豊穣感って、
いろんな人々の息づかいが伝わってくる、こころで満たされるものだった気がする。
確かに昔、こういうことを感じた人々がいて
そのひとたちの活動の結果、わたしたちの現在の社会が存在している、
というような思い。
そういう直接的な機縁とふれあう機会が、
やはり直接的な目的とした時間がなかなか確保されていかない不幸感。
どうもそのような時間を、辛く堪え忍んでいるような気がします。

歴史に関連する時空間に接すると、
そのとき、タイムスリップして、そこで生きてきたひとびとへの
想像力が全開してくる瞬間がある。
「こういうことのために、このひとたちの命があったんだ」と気付かされる瞬間。
そういう歴史時間でも同様に日常があり、
ひととして当たり前に過ごす時間がそこで展開もしている。
そういう尺度を持って、昔の時間経過の中のひとびとと対話している。
きっと、わたしの歴史好きは、そんな部分なのだと思っています。
ことしもカレンダーはどんどん無情に進んで行ってしまう。
少しでもこういう豊穣感を体験できるような時間を持ちたい、
そういう思いが、こころのなかでストレスになって来ている次第。
やはり人間、こころにもバランスが大切ですね。
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娘という存在

2012年10月12日 06時37分13秒 | Weblog



カミさんの母親が入院している。
ちょっとしたきっかけでケガをして、その後、バイ菌が悪さをして
炎症を起こしたので、入院した。
しかし、年齢も重ねていま、86歳。
これを機会に、いろいろと病院でチェックしてくれているところ。
やはり年齢なりにいろいろなことが出てくる。

わたし自身も見舞ったりはするけれど、
しかし、カミさんはやはり娘として、
肉親、親の体の健康についてはごく自然に、その管理者的な立場に立っている。
付いていられる時間はなるべく近くにいてあげようとしている。
母親にとって見れば、やはり娘の言葉に最後は従う、ということになる。
頼もしいなと、わがカミさんながら思う。
父親が亡くなったときにも、やはりそう感じていたけれど、
そのときにはやはり連れ合いとしての母親が近侍していて、
そうはその存在は大きくはなかったように思う。
生きていれば、こういった役回りは必ずついて回る。
こういうときには、夫として、
カミさんが娘としての役割を果たすことをなるべくサポートしなければと思う。

そんなときもとき、
わが家の娘がこの週末、久しぶりに帰省する。
いまはまだ、父母として娘のことをあれこれと心配するのが役割だけれど、
やがてわが娘が、いまのカミさんのような役割を果たすこともあるのだ、
と考えが及ぶ。
今回は孫娘として、祖母を見舞うことになるだろうけれど、
カミさんは身をもって、娘としての役割と言うことを
自分の娘に伝えるようなことになるかも知れない。
親として、その本然の心の持ちようのようなものを子に伝えるということ。
伝えていく、ということにはたくさんのことがあると思うけれど、
こういうことが、ある大切な部分なのだと、つくづく思い至らされる。

一方で、わたしたち男性というのは
こういう部分では、あんまり役に立たないなぁと(笑)実感させられる。
わたしの父が死んだときのことを思い起こしても、
やはり母と、娘としての姉が
父親の本当の近くで、その死んでいく人間の近くに寄り添っていた。
息子たちはたくさんいても、大して役には立たない。
姉のことを、本当にすごい力を持っているのだと尊敬していた記憶がある。
ひとは、いくつもの役割をそのときに
坦々とこなしていけるように、こころを整えて準備していなければならない。
そんな思いを感じている昨今であります。
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