三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

儒教社会と民主主義

2014年08月01日 05時29分28秒 | Weblog


写真は、このブログとは無関係です(笑)。
そうなら、最初っから写真を別のにすれば良いのですが、
すいません許してください。

きのうもちょっと書いたのですが、
呉善花さんという、韓国済州島出身で日本国籍を取得された方の
「なぜ反日韓国に未来はないのか」という電子本を読んだ次第です。
わたしは大多数の日本人と同様に
数年前まではまったく隣国韓国について、大きな関心は持っていなかった。
日本人にとって世界とは基本は欧米との関係であって
東アジア世界というのは、地政学的には近隣ではあっても
圧倒的に対米関係が巨大で、国の根幹に関わるのはそっちだった。
それが、中韓両国の経済規模の拡大があって
ようやく日本人の意識が向くようになって来た、というのが
正直なところなのだろうと思います。
日本人としては、この方の書かれていることは普通のことだと思うのですが
韓国国内的にはいまや危険思想として
母親の葬儀に置いてすら入国拒否されるほどになっているそうです。
国是としての反日というおそろしい事態になっているようで
まことにどうしようもないやっかいなことになっているのですが
そのあたりは、本をお読みください。
なんですが、その社会的原因分析の根幹のところで
やはり思った通り、中韓は「儒教」社会であり、日本は多価値観社会である
というくだりがありました。
さらに日本の社会構成単位には非血縁的な風通しの良さがある
一方、中韓の社会は基本的に血縁社会であって
そこに目上に対する服従とか、女性の地位の低さ、
さらに賄賂を当然とするような、儒教的社会感覚がある、
というように記述されていました。
日本が本当にそうであるかどうかは、必ずしも不明だとは思うのですが
しかし中韓の考え方の本質は、たしかにここなのでしょう。
この辺は、わたしもずっと感じ続けてきた部分なので、
韓国で生を受けた方がそのように書かれるのを読んで
同感する部分でした。
本来は近代国家は、そうした儒教的・束縛的な価値観からは
社会の基本規範は自由であるべきだけれども、そうではないのですね。
なぜ健全な「封建社会」が中韓の社会に根付かなかったのか、
ヨーロッパでも、王から独立した地方分権というか封建主義が息づき
それと王権との微妙なずれが、いわば「相対的に判断する」
という民主的価値観を醸成してきたのだと思います。
日本でも鎌倉以来、地域権力と伝統的王権、武力中央権力など
多様な権力が存在する中で、民衆の価値観は多様化し、
「常識」が豊かに育った部分があるのだと思います。
こういった理解が得られたのが、この本の最大のポイントだと思います。
中国の権力闘争での周永康・前共産党政治局常務委員の
一族眷属の巨大蓄財額や、その一網打尽ぶりを見せつけられると、
儒教社会の伝統の根強さに、まさにへきえきとさせられます。
やはり日本は、民主的価値観をこそ
対中韓への国家戦略として、冷静に地道に訴えていくしかないでしょうね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Kindle電子本読後感 | トップ | 七夕の地域偏差 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事