訪れる人もなく、庫裡に呼びかけても応答のない山深い古刹。
寺の紹介をWEBで調べたら、なにやら「鬼踊り」という奇祭で有名なんだとか。
そういう案内には「大みそか」開催も、ということでしたが、
そのような雰囲気はみじんも感じられない。
写真は「奥の院」とされている本堂の様子ですが、
なかには人気〜ひとけ〜は感じられず、数脚の椅子が円形状に置かれていましたが、
人間が寄り集まっていたというよりは、
どうも「鬼」たちがどうやって人間を捕まえるかの相談で盛り上がっていたような(笑)
という不思議な「蓮花寺」を播州・三木の山奥で訪ねておりました。
今回の自分のルーツにまつわる探訪の地として
播州、兵庫県のあちこちを巡っていたのですが、
大みそかには、ここを訪れておりました。
わたしの家系伝承では、現在の姫路市英賀保周辺がどうもポイント。
そういった関係からほぼ相互に交流のあったのが
秀吉の中国攻略の最初の起点にあたる「三木城攻防戦」の三木市です。
堺・南宗寺の「徳川家康墓」の一件で別所長治さんとの縁が浮かび上がったので、
三木市周辺を調べてみたところ、わたしの家系が広島県福山市近郊・今津で
生きていた江戸後期、縁が深かった寺の名が「蓮華寺」と同音だったのです。
蓮華と蓮花とひと文字の違いがあるのですが、
これは単なる偶然の一致なのかどうか、非常に興味をそそられた次第。
で、訪問してみたら、真言宗という宗旨も同じだと知れた。
秀吉の播州平定によってこの蓮花寺は一山が焼き討ちされて灰燼に帰した。
英賀城も同様に秀吉によって潰滅させられた。
よく似た境遇であって、人的な結びつきも強かった痕跡が認められる。
英賀で敗残となった一族がやがて広島県福山近辺で同名の蓮華寺を
菩提寺にしたのに、なんの脈絡も無かったという方が不自然ではないか。
WEBでいろいろ調査してみていますが、今のところ、明瞭な手掛かりはない。
しかしこちらの蓮花寺は訪問してビックリですが、
役行者にも似たいかにも超人伝説を持つ「法道仙人」という渡来系宗教人が
この寺を開基し、そういうのが大好きな空海さんもここで修行したという。
で、宗教者として空海さんが都で大成功を収めてのことが関係してか、
この蓮花寺も954年に村上天皇の勅命として醍醐山の菩提上人が再興したという。
一時期は寺領16町4面、18院33坊の大伽藍を容し隆盛を極めていたが、
天正7年(1579)の三木合戦の戦火で消失した。
現在の本堂、多宝塔、鐘楼、仁王門などは江戸時代に再建されたという。
まさかの想像を超える大寺院であります。
江戸期に再興されるだけの格式の明瞭な大寺であり、そのことを
同宗派の真言の寺院、今津・蓮華寺が知らないわけもないだろうと思います。
古い交通路では三木というのは中国路の要衝だったともされているので、
いわば「情報」業の側面の濃厚な宗教の方で無関心であろうハズがない。
・・・う〜む、であります。
ナゾはコンコンと湧き出て止まらない(笑)。
年末休暇歴史ディープ旅、最後に至るまで深まりこそすれ、
いっこうに解明されることにはならない。むしろ、あらたな混迷が横たわってきた。
これは奥深い播州で、行方不明になりそうであります。助けて欲しい(笑)・・・。
ということで、きのうようやく見慣れた雪景色の札幌に帰還。
落ち着きを取り戻しながら、情報の整理整頓に立ち向かいたいと思います。
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