きょうから、最近強く感じている表題のテーマについて
折に触れて、書き留めてみたいと思っています。
日本各地の住宅や建築を見て歩く機会が多いのですが、
残され続けてきた建築はその多くが宗教に関わるものが多く、
また、住宅などでも先祖への思いや祈りの空間、というものが
わたしたち日本人の精神生活のなかできわめて大きいことに気づきます。
ブログなんで、こういうテーマ、と決めて、
あとは日々、自由に書いていって、
あとで鳥瞰的に全体を見晴らして、なにごとかが見えてくればいい、
という感じで気楽にいきたいなぁ、と。
新しく、こういうカテゴリー作って溜めていきますのでヨロシク。
写真は日光東照宮の門の上の装飾の様子。
東照宮というのは、権力者であり、しかも死後、自らを
神としてあがめさせようと考えた、究極的な支配者・徳川家康のもの。
この考えは、織田信長が着想し、実際にCGなどで復元される安土城に
その基本的なものがかいま見えていると言われます。
戦国以前にも、たとえば藤原氏の平等院鳳凰堂であるとか、
清盛の厳島神社、などなど、権力者というものは必ずと言っていいくらい
宗教的な施設建築を、自らの権力の随伴的なものとして作ってきた。
そうした歴史に踏まえて、なのか、
自然的なひらめきであるのか、信長は、「みずから神になる」
考えを実践したようなのです。
戦国終息期の3代の権力は、この考えを保ち続け、この東照宮を持って
完結を見たということのようなのですね。
そのために当代の建築技術が総動員されて作られてきたのですね。
あたかも、戦争が武器を中心とした物づくりの歴史を支えてきたように、
建築は、常に公共的な大建築がその技術革新を支えてきたものでしょう。
日光は行ってみると、市街地からえらく長い参道が続く深い森の中にあります。
そういう深い森の中に忽然と、大型建築群が展開しています。
江戸の鬼門の方位にあたり、たぶん古く、縄文期から続く
霊場、自然信仰の対象であった地に建てられたもののようです。
見るように唐破風の門構えの下側に、まさにおびただしい装飾が施されています。
まさに「装飾としての」建築というのが実感。
目的自体も、そのときの権力者の示威が中心だったことから、
そういう目的はただしく伝わってきますね。
あらゆる権力を自分のまわりに集中させた権力者として、
最後に、こういうように宗教的にも尊崇されたい、というのがすごい。
まぁ、家康個人としてというより、法人としての
徳川権力全体としての意志、ということなのですが。
しかし、歴史の星霜を経た、いまとなっては
そういう権力としての荘厳さの演出という部分は急速に色あせ、
装飾も飽き飽きさせられる印象を持たざるを得ませんね。
特定の個人がなまに感じられる権力装置というのでは、
自然な感情をわれわれ、後世のものは持ちようがありませんね。
どうもあんまり、いい印象を持てない建築なんですけど・・・。
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