写真は先日見学した増毛町の本間家住宅から。
ケータイの写真なので、すいません、ややピンぼけ。
明治以降、たいへんな豪商として富を築いた家なので、
当時としては、粋を凝らしたような住宅を造り上げていたのですね。
でも、その住宅技術の向かう先はひたすら和風のディテール。
せっかく、豪華な資金を考えている施主さんなのですから、
「家をあたたかくする」ということにもう少し目を向けてもいいのではないかと
思うのですが、けっしてそうはならない。
やはり、当時本州から出稼ぎで来ていただろう大工棟梁個人のできることには限度があるし、
そういう研究をする技術伝統が、和風住宅にはない。
やはりひたすら「花鳥風月を愛でる」というような興味にしか向かわないのですね。
当時としてはやはり無理からぬところでしょうか。
窓にガラスを入れたりしていますが、
そのほか、住宅建築としては温熱的な工夫は特段見られない。
やはり家人は寒さに耐えられず、後工事でストーブのための穴を開けたりしている。
まぁ、当然でしょうね。
で、写真では見えにくいのですが、
こだわりは、ひたすら和風住宅のディテールに集約されていきます。
写真は貴賓室の床の間に並んでいる押し入れ下部の様子。
横にされた仕上げ木材を、彫り込んでウェーブ状に仕上げているのです。
どういうデザイン的な意味合いが込められているのか、
いまとなっては、証言もないわけですが、
こういう仕上げに至るまでの手間を考えると、
相当なこだわりぶりだと推察することができます。
ウェーブ状にして、そのうえ、磨き込んでもいるのですね。
なので、確かに一種面白い効果は出していると思われますが、
どうも、豪華さの実感という意味では伝わってはこない。
この部屋では、東南アジア原産という銘木が床柱に使われたりもしています。
また、壁も漆喰に墨を混入させる仕上げもされていました。
ただし、たぶんその後の改装工事に際して
漆喰の職人技術がなかったのか、一部の壁には土塗り仕上げが施されていました。
まぁ、北海道では漆喰の壁はメンテナンスが難しい。
南東側には暑寒別岳が眺望でき、北西側には日本海が望まれる
眺望はなんとも豪快で、絶景が堪能できます。
しかし、それは半年のことだっただろうと思います。
まぁ、冬場には日本海が荒れて貴賓が訪れることもなかったのだと思われます。
和風木造で、数寄屋風の建築というのは、
なかなか、北海道ではそのままでは存続がきびしいなぁというのが実感。
しかし、日本文化は基本的に中央に対して同化するという動機が強い文化。
どんなに気候風土が違っても、
「こんなところでも、結構な住宅があるんですね」
というようなことに高い価値観を持ち続けてきたのだと思います。
そういう意味では、北海道で断熱気密の技術が進んで、
あたたかい家、ということを追求しはじめたというのは
日本文化的に、きわめて稀有な事態なのではないかとも思われます。
で、そういう寒冷地住宅技術文化とでもいえるものが、
文化の中心地に対して「違う住宅文化」として存続し続けていけるのかどうか、
あるいは日本文化の中心地に逆に影響力を持っていくことができるものかどうか、
ある意味では、歴史的に珍しいことが
いま、進行しているのかも知れないと思うこの頃です。
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