写真は、先日取り上げた「龍雲閣」のお風呂であります。
明治42年に北海道に建てられた皇室ゆかりの宿泊施設の「アメニティ」です。
まぁ今から大体100年以上は以前の建築であり、
当時の最高水準の水回りのレベルとはこういったものだったのですね。
古代ローマでは、現在の公衆温泉とほぼ同程度から
場合によってはそれ以上の豪華さと、快適性が確保された「公衆浴場」が
各都市に完備していたということだそうですが、
日本では、湯に入るという習慣は仏教の伝道手段として
施されるかたちで入ってきたと言われています。
しかし、個人の住宅レベルでは浴室設備をもった住宅というのは稀有の存在だった。
つい最近、たかだか50~60年くらいで
現在のような「家風呂」が当たり前の社会が実現してしまったのですね。
こちらの写真は、洗面であります。
見学していたとき、
まわりのみなさんから「こりゃぁ、ウチの風呂や洗面のほうがいいわ」
っていうごく自然な発言が聞かれました(笑)。
まぁ、当然なんですが、住宅設備の進化スピードって
どうしてまた、ここまで早まったのか?
っていうような疑問も湧いてきますね。
福島原発事故以来、エネルギー問題が話題になり続け、
倉本聰さんなどから、エネルギーを抑制した社会に暮らす覚悟を持たなければ、
といった意見も出てきているわけですが、
ひとの歴史として、いったん快適を知って、それを理性的に放棄する
なんていうことは実現可能なのかどうか、疑問に思います。
それがあり得るとすれば、全的な破綻しかないのではないか。
古代ローマ市民は一度、快適性のひとつの到達点まで行ったのでしょうが、
それが放棄されたのは、帝国国家が破綻し、
そのような社会インフラが維持できなくなったからなんだと思うのです。
言いかえれば、破綻するまで人間は快適を放棄できないのではないか。
しかし、人類は20万年以上の生存期間に対して
農耕社会を開始してからのここ5000年くらいの快楽欲求スピード
というものは、やはり異常なのでしょうか?
農耕が開始されてからはじめて「文字」を得て、
食料の生産コントロールも可能になると同時に大量の人口も維持でき、
さらに「知的蓄積」も可能になって、
科学文化が進化スピードを速めていっている。
こういった流れを「止める・停止する」というようなことが
本当に人類に可能なんだろうか?
ほんの百年前の、それこそ王侯貴族が感受した最高レベルの「快適性」と
今日のごく一般的な快適性との彼我の差に
そんな思いを抱かされた次第です。
みなさん、いかが思われるでしょうか?
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