きょうも先日見学の住宅からの話題であります。
設計者の小坂さん、なんども取り上げて申し訳ありません。
出窓って、みなさん、どんなイメージを持たれているでしょうか?
まぁたぶん、あんまり見掛けない、馴染みがないというケースが多いと思います。
しかしわたしは、どうも札幌の街で育っていた小さいときから
擬洋風建築の街並みを見慣れているので、
出窓というものに、あるノスタルジーを感じるタチであります。
住宅のことが自分の仕事になるとは、あんまり思っていなかったのですが
なってみて、自分自身の建築体験を思い出してみたとき
出窓という存在がいちばん刺激を与えていたことに気付いたのです。
そんなことで、北海道の住宅研究者のみなさんに
「出窓についてどう思われます?」と聞くことが多いのですが、
大体ほとんどの場合、スルーされます(笑)。
北海道の住宅の歴史的デザイン要素として
あんまり問題にされていない実態が浮き上がってくるのですね。
わたしの場合、たまたま一番最初に記憶に残っているわが家に
出窓があった記憶が鮮明であるということなのでしょう。
わたしの「最初に記憶した家」は、戦後の札幌の住宅屋さんであった、
「木下藤吉」という屋号の不動産会社から購入した家でした。
ネーミングもおかしいのですが、
和風住宅なのに、印象的な出窓も付いていて、
角地と言うこともあって、たぶん、商家をイメージして建てた
建売住宅か、賃貸商家だった建物を購入して
改造を加えて、食品製造業の工場兼住宅にした建物でした。
そういう幼い頃の建築体験があって、
ショーウィンドウ的な装置である出窓に思い入れがある。
写真は、印象的な風景を切り取るメインウィンドウの「出窓」です。
外側からの写真と、内側に入り込んで見た写真の合成です。
出窓と言っても、ほとんど腰掛け台とでも言った方がいいような
十分な奥行きがあって、ほかにソファなどがないことから
見学者のみなさんは、みんなこの出窓に座り込んでいた。
ようやくにして座席が空いたので、
こんなふうに座り込ませてもらったのです。
奥行きも90cm近くあるように感じられ、「縁側」的な感じもある。
いや、見え方は出窓だけれど
スペース的には縁側と言った方が似合っている。
なにより、「いごこち」が感じられるスペースになっている。
こういうあいまいな新しいスペース感覚は、いい。
まったく違う、暮らしの楽しみ方がみえてくるような空間。
多数派の建築歴史家のみなさんからは無視されているけれど、
北海道住宅のデザイン系譜には、絶対に出窓文化はあると思う。
北国の人にきっと根付いているに違いないその空間意識を
もう一回再生して、デザインの発展要素にできないのだろうか、
そんな妄想を抱き続けていた次第であります。
おかしいかなぁ・・・・。
設計者の小坂さん、なんども取り上げて申し訳ありません。
出窓って、みなさん、どんなイメージを持たれているでしょうか?
まぁたぶん、あんまり見掛けない、馴染みがないというケースが多いと思います。
しかしわたしは、どうも札幌の街で育っていた小さいときから
擬洋風建築の街並みを見慣れているので、
出窓というものに、あるノスタルジーを感じるタチであります。
住宅のことが自分の仕事になるとは、あんまり思っていなかったのですが
なってみて、自分自身の建築体験を思い出してみたとき
出窓という存在がいちばん刺激を与えていたことに気付いたのです。
そんなことで、北海道の住宅研究者のみなさんに
「出窓についてどう思われます?」と聞くことが多いのですが、
大体ほとんどの場合、スルーされます(笑)。
北海道の住宅の歴史的デザイン要素として
あんまり問題にされていない実態が浮き上がってくるのですね。
わたしの場合、たまたま一番最初に記憶に残っているわが家に
出窓があった記憶が鮮明であるということなのでしょう。
わたしの「最初に記憶した家」は、戦後の札幌の住宅屋さんであった、
「木下藤吉」という屋号の不動産会社から購入した家でした。
ネーミングもおかしいのですが、
和風住宅なのに、印象的な出窓も付いていて、
角地と言うこともあって、たぶん、商家をイメージして建てた
建売住宅か、賃貸商家だった建物を購入して
改造を加えて、食品製造業の工場兼住宅にした建物でした。
そういう幼い頃の建築体験があって、
ショーウィンドウ的な装置である出窓に思い入れがある。
写真は、印象的な風景を切り取るメインウィンドウの「出窓」です。
外側からの写真と、内側に入り込んで見た写真の合成です。
出窓と言っても、ほとんど腰掛け台とでも言った方がいいような
十分な奥行きがあって、ほかにソファなどがないことから
見学者のみなさんは、みんなこの出窓に座り込んでいた。
ようやくにして座席が空いたので、
こんなふうに座り込ませてもらったのです。
奥行きも90cm近くあるように感じられ、「縁側」的な感じもある。
いや、見え方は出窓だけれど
スペース的には縁側と言った方が似合っている。
なにより、「いごこち」が感じられるスペースになっている。
こういうあいまいな新しいスペース感覚は、いい。
まったく違う、暮らしの楽しみ方がみえてくるような空間。
多数派の建築歴史家のみなさんからは無視されているけれど、
北海道住宅のデザイン系譜には、絶対に出窓文化はあると思う。
北国の人にきっと根付いているに違いないその空間意識を
もう一回再生して、デザインの発展要素にできないのだろうか、
そんな妄想を抱き続けていた次第であります。
おかしいかなぁ・・・・。
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