江戸というのは、徳川幕府が首府として定めてから
新興都市として発達してきた街であり、
政治都市からスタートしたことは明瞭だと思うのですが、
為政者の側に、人口を集めようとした考え方はあったでしょうが、
そこで「文化」が生まれてくるというようなことまでは
考えが及ばなかっただろうし、
それが日本の「大衆社会」の原点的な位置になるとも
思っていなかっただろうと思います。
しかし、今日から考えていくと、経済でも政治権力機構でも、
江戸という人口成長する大都市を持ったという意味合いは
決して小さいものではなかっただろうと思われます。
江戸という街は、「新開地」であって、
そこには明瞭な民族的「希望」が託されていたに違いない。
上方と言われた京・大坂経済機構にとっては
成長する巨大市場という意味合いが強烈だったに違いない。
たぶんそれまでの歴史でも、京・大阪には「市民社会」のような
ものはあったに違いないと思うのですが、
江戸の「大衆社会」のパワーは、きっと民族的にも初めての
巨大な市場原理実験だっただろうと思うのです。
今日のニッポン社会が持っている「大衆社会」状況は
やはり江戸に端緒を持っていると言えます。
やはり人口規模の拡大によって
今日に連なってくるようなさまざまな人間社会の姿が芽を出していた。
ひとびとの娯楽機会としての演劇における歌舞伎の隆盛だとか、
男女比率の極端な不均衡から発達した遊郭文化には
今日の「芸能」の基本形式が表出していると思います。
<長くなるので、この項、続けます。>
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