盛岡での取材時に、ちょっと足を伸ばして
御所湖方面へ行って参りました。
盛岡に来ると、やっぱりこの岩手山の美しさにうっとりさせられます。
大きい山がある、という風景のなかで育つかどうか、って、
けっこう人間教育にとって決定的だ、という説があります。
盛岡で生まれ育った方たち、とくにいま関係している住宅業界の関係者と接してみて、
このことって、強く感じる部分。
なんというか、考え方が骨太というか、原理的というか、
一本、筋を通したいというような雰囲気を強く感じさせられます。
よくブログで触れている住宅技術研究実践団体、新住協を指導する
鎌田紀彦氏がそうだし、いま、岩手のビルダーさんたちが
推し進めている、ドットプロジェクトという運動のメンバーのみなさんなど、
住宅性能についても、きわめて原理原則を立てて、筋道を立てようとする
姿勢がみなさん、強いなぁと感じます。
あ、ドットプロジェクトっていうのは、新住協のQ1.0住宅運動と
同様のプロジェクトで、熱損失係数で1を絶対に切ろう、
小数点以下にしよう、なので、ドットということなんですね。
ちょっと、説明しにくいよ、わかりにくいんじゃないの、という声が来そうかな(笑)。
こういう人物的な雰囲気、姿勢みたいなのって、
たとえば東北で言えば、会津や弘前などの大きな山の麓で
生まれ育った人たちにも、感じられる部分。
やっぱり、誇らしく、筋道を立てて生きていく、というような規範が
こういう大きな、立派な山からは知らず知らず、感じられるものなのかも知れません。
そこへいくと、わたしの育った札幌の街は、
そういう身近な山というのが、いくつもあって、
いろいろ、多様性がある、っていうようなふうなのかもしれないと思ったりします。
さらに、東京などは特徴的だけれど、特段大きな山がなくて、
海や川というような流動性が重要な地域に暮らすと、
融通無碍というか、「上手にやる」というような雰囲気があるのかも知れません。
原理原則もそうだけれど、それより人間関係優先みたいな。
大阪や、関西というのも、そう大きな山、独立火山のようなものがない。
そんな連想の範囲で言えば、札幌はやはり京都の地形と似ている部分がある。
京都は北側が大きな山地があるけれど、
札幌は南側が大きな山なみが連なっている。
そんなことからの人間性育成環境というのもあるのかなぁ、と感じています。
きょうは、出張からの連続勤務で、しばらく休みなし、なので、
疲れがたまっているのか、久方ぶりに寝坊してしまいました。
ブログは、わたし、朝一番のウチに書ききる、と決めているのが
ダメだったのです。ということで、
ちょっと、アップが遅れてしまいました、お許しください。ではでは。
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