きのうの続きです。
公共事業としての「図書館」っていうものに
考えさせられるポイントがあったので、書いてみている次第です。
設計は、本当に素晴らしいのです。
写真は、閲覧のためのスペースですが、
東側に五稜郭を望む面は、ひろびろと閲覧スペースになっているのです。
採光窓としての機能はバツグンで、
なんとも手元の本の閲覧に快適で、
ちょっと疲れて目を移せば五稜郭の光景が広がる。
本を読むという行為にとって、これだけ豊かなスペースはないでしょう。
見に行ったのは、金曜日の午前中なのですが、
利用する人の数は、用意されたスペースに対してごくわずか。
これだけの豊かな空間が、ほぼ独占的に利用できるのです。
図書館というのは、無限といってもいいほどの人間の知識が豊かに貯えられている場所で、
しかも閲覧のための場所もここまで快適になっている。
建物の2階北側には、
郷土資料のための「研究室」というようなコーナーもあり、
なんと、個室も用意されているんです(!)。
利用はちょっとした申し出をすればほぼフリーパス。
前面には大きな窓があって、北側からの安定した静かな採光があり、
もともと図書館という静かな環境の中で、
なお、集中できる空間まで提供されているんです!
素晴らしい。
たしかに、文句の言いようのない素晴らしさであって、
「本を読む」という人間行為のひとつの極限が実現しているような気もします。
ここまでの環境があれば、
函館から、優秀な作家や、読書家がたくさん出てくるかも知れません。
っていうような気になってきます。
わたしのような、ライフワークをこころに溜めているものにとっては、
こんな環境で集中的に時間が取れれば、とまさに垂涎の思いを抱きます。
どうせ作るのなら、これくらいのモノを作るというのはいい。
でもしかし、これって、公共的な図書館なんですね。
ここまで至れり尽くせり、という公共の箱を作る必然性ってあるのか?
という一方の思いもわき上がってくることを禁じ得ない。
まぁ、もうすぐオリックスグループに売却される予定だという
厚生年金ホテル施設のバカげた豪華ぶりと比べれば、
たいへん有意義であることは、論を待ちません。
また、わたし自身は、年金ホテルの大ファン的な利用者ではあります(笑)。
(ある施設など、低料金で温泉が付いていて、シングル利用が出来て食事もいいって、まったく文句はないですよね)
しかし、このような施設建物が、
基本的には子どもたちの世代の負担になる、という現実を考えるとき、
受益者として、それでいいのか、という思いも出てくる。
個人としての投資や、企業としての投資としてならもちろんいい。
本来、図書館という施設の理念というのはなんだったのでしょうか?
本を購入することの出来ない貧しい人々のために
知識を得る機会を提供するという、基本的な役割はわかる。
けれども、どう考えても、そこに「最高の環境」というまでのものを
用意する必要性はあるのか、という部分で、考え込んでしまう。
ようするに、設計者の問題ではなく、
わたしがどうにも疑問に感じるのは、発注者の側のシステムに対して
大きな問題点を感じざるを得ない、ということのようですね。
あんまり深刻に考えるべきことがらではなく、
実際に出来ているのだし、大いにわれわれは利用すればいいとは思っています。
本当に函館で暮らすことがあったら、
できれば、この図書館の近くに住みたいと思います(笑)。
でも、この建物が持つ空間の豊かさには、一個人の投資可能金額では
とてもかなわないので、たぶん、一日中でもここにいることになると思います(笑)。
だったら、お金をあんまり使わないで、
小さな賃貸住宅の方が、合理的かも知れませんね(笑)。
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