今日は成人の日なんだね。私が二十歳の頃は1月15日だった。あの日から、さらに20年以上の年月が流れた。中身はあまり変ってない気もするけど、思い起こせば、確かに若かった。青春を謳歌していた。
高校を卒業する頃は、振袖なんか着たくないドレスにして目立ってやろうなんて思っていたが、20歳を目前にしてやはり振袖が着たくなった。日本の民族衣装でもあるし、女性の第一礼装でもあるし一度は着ておかなきゃいけないって。お家が呉服屋さんの友達のつてで、武道館で行われた大振袖市みたいなのに母と出かけ、数ある中から朱色の振袖を選んだ。個人的には、紺とか黒とかシックなものを大人っぽく着たいなんて思っていたんだけど、小柄な私には、明るい色がいいと周りの大人達から口をそろえて言われた。なるほど、あわせてみたら、シックなものより断然、似合う気がした。袋帯と共に、母は、少しばかり予算をオーバーしてかなり良いものを買い揃えてくれた。いよいよ、仕立てあがってきて、成人式前に1回、リハーサルをした。美容院で髪をアップにして着付けてもらい、写真を撮った。やっぱり、嬉しかった。人生でこんなきれいしにしてもらえる日ってもうこれから先そんなにあるもんじゃない。大人になっちゃたんだ、ひとつのけじめだなあって思った。
当時、横浜市の成人式は横浜文化体育館で行われた。私たちの世代は第二次ベビーブーム前後で子どもの数も多かったから、関内駅から延々と振袖の列が続いていたのを覚えている。友達もみんなそれぞれ違ってて、きれいだったな。市長の話は覚えていない。つまらなかったよ、たぶん。だけど、今の若者みたいにすぐに暴れずに静かにしていた。なにもつまらないからって、暴れることないんだよ、聞かなきゃいいんだからさ。来賓にはコーラスグループのサーカスが来て♪ミスター・サマータイム~♪を歌ってくれた。今でもサーカスがTVに出てこの歌を歌うと成人式を思い出す。
帰りはバイト先のデニーズでステーキをごちそうしてもらった。店長からじゃないよ。デニーズさんから新成人へふるまわれたのよ。そのデニーズももう潰れてなくなってしまったけど、あの頃は景気も良くて太っ腹だったんだよな。バイトしていてもめったに食べられなかったステーキだから、帯が苦しかったけど、残さず完食した。
振袖はその後、卒業式、結婚式などで何度か活躍した。30歳を過ぎたら、たもとを切って訪問着にする予定だったけど、なんとなくもったいなくて、今はそのまま桐の箪笥の中で眠っている…。
成人式が終わっていよいよ就職が決まった時、今まで体験したことがない様な緊張や不安を感じて眠れなくなった時期があった。給料をもらうということは責任が伴う。果たして、社会人としてやっていけるかなあって。でもなんとかここまでやってこれた。新成人よ諦めるな、嫌なことがあってもとりあえず続けてみれば、なんとかなるってこともあるし違った道だって見えてくるものだ。
“継続は力なり。”
この20年間、平々凡々と、でも結構真面目に歩んできたと思う私の座右の銘である。
高校を卒業する頃は、振袖なんか着たくないドレスにして目立ってやろうなんて思っていたが、20歳を目前にしてやはり振袖が着たくなった。日本の民族衣装でもあるし、女性の第一礼装でもあるし一度は着ておかなきゃいけないって。お家が呉服屋さんの友達のつてで、武道館で行われた大振袖市みたいなのに母と出かけ、数ある中から朱色の振袖を選んだ。個人的には、紺とか黒とかシックなものを大人っぽく着たいなんて思っていたんだけど、小柄な私には、明るい色がいいと周りの大人達から口をそろえて言われた。なるほど、あわせてみたら、シックなものより断然、似合う気がした。袋帯と共に、母は、少しばかり予算をオーバーしてかなり良いものを買い揃えてくれた。いよいよ、仕立てあがってきて、成人式前に1回、リハーサルをした。美容院で髪をアップにして着付けてもらい、写真を撮った。やっぱり、嬉しかった。人生でこんなきれいしにしてもらえる日ってもうこれから先そんなにあるもんじゃない。大人になっちゃたんだ、ひとつのけじめだなあって思った。
当時、横浜市の成人式は横浜文化体育館で行われた。私たちの世代は第二次ベビーブーム前後で子どもの数も多かったから、関内駅から延々と振袖の列が続いていたのを覚えている。友達もみんなそれぞれ違ってて、きれいだったな。市長の話は覚えていない。つまらなかったよ、たぶん。だけど、今の若者みたいにすぐに暴れずに静かにしていた。なにもつまらないからって、暴れることないんだよ、聞かなきゃいいんだからさ。来賓にはコーラスグループのサーカスが来て♪ミスター・サマータイム~♪を歌ってくれた。今でもサーカスがTVに出てこの歌を歌うと成人式を思い出す。
帰りはバイト先のデニーズでステーキをごちそうしてもらった。店長からじゃないよ。デニーズさんから新成人へふるまわれたのよ。そのデニーズももう潰れてなくなってしまったけど、あの頃は景気も良くて太っ腹だったんだよな。バイトしていてもめったに食べられなかったステーキだから、帯が苦しかったけど、残さず完食した。
振袖はその後、卒業式、結婚式などで何度か活躍した。30歳を過ぎたら、たもとを切って訪問着にする予定だったけど、なんとなくもったいなくて、今はそのまま桐の箪笥の中で眠っている…。
成人式が終わっていよいよ就職が決まった時、今まで体験したことがない様な緊張や不安を感じて眠れなくなった時期があった。給料をもらうということは責任が伴う。果たして、社会人としてやっていけるかなあって。でもなんとかここまでやってこれた。新成人よ諦めるな、嫌なことがあってもとりあえず続けてみれば、なんとかなるってこともあるし違った道だって見えてくるものだ。
“継続は力なり。”
この20年間、平々凡々と、でも結構真面目に歩んできたと思う私の座右の銘である。