くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

ヨコハマメリー

2006年11月30日 | 日常あれこれ
横浜生まれ、横浜育ちで一応、ハマっ子の私。南区に従妹がいたので、小さい頃、その界隈でよく遊んだ。伊勢佐木長者町、日の出町、黄金町、野毛山、元町、どんどん商店街、マンモスプール…いずれも懐かしい地名だ。

伊勢佐木町や、横浜駅のダイヤモンド地下街で、たびたび白塗りのおばあさんを見かけた。金髪、ヒラヒラのドレス、ハイヒールに高島屋の袋…その独特ないでたちに子どもながらもぎょっとした。その後、学校を卒業し就職する頃まで、横浜駅近辺で彼女とは遭遇し続けた。

通称、「ハマのメリーさん」…横浜では知る人ぞ知る有名な人。みんな一度や二度や遭遇しているはずだ。私は「メリケンオハマ」って呼んでいたけど。興味本位の世間はかなり偏見で満ち満ちた目で彼女を見ていた。私の中にも、「あの人は昔、米軍のパンスケ(娼婦)をしていて、性病だから白く塗っている」ということを人づてに聞いた記憶が残っている。

彼女を見かけなくなったのはいつの頃だったかわからない。気がついたらいなくなっていた。昨年だったか、そんな彼女の人生を五大路子さんが舞台化した。続いて、彼女の人となりを追ったドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」が公開され、今なお静かに上映され続けている。五大さんの舞台は見逃してしまったが、映画がすぐ近くの公会堂で上映されることを知った。なんとなく観てみたい。メリーさんは自分が育ってきた横浜の思い出と共にある気がしたのだ。

ローカルな公会堂には老若男女、かなりたくさんの人が集まっている。もしかして、平日夜のデスノートより入っているかも…。やっぱりメリーさんは横浜市民にとって切っても切れない存在なのかもしれない。

映画の内容はメリーさんの人生を綴ったものではなかった。タイトルはヨコハマメリーだが、主人公は永登元次郎さんというシャンソン歌手や根岸屋(娼婦館)の女将など、彼女と関わりを持った人達なのだ。彼らが語るメリーさんの人となりやエピソード、そして彼ら自身の生き様から戦後の混沌とした時代から復興していく古き良き時代の横浜が見えてくる。

時代に翻弄されながらも、必死に生き、年を重ねた人の表情は柔和で深い…。元次郎さんはこの頃、末期癌に侵されているのだが、悲壮感などまるでなく穏やかで前向きだ。いつか世に出ようとシャンソンを歌い続けてきた。有名にはなれなかったけど、歌に全てをかけた人生。その昔、女手ひとつで育ててくれた母に恋人が出来た時、思春期だった彼は、母が許せなくて「パンパン(娼婦)」と叫んでしまう。その時の自責の念が彼のトラウマになり、偏見を持って見られていたメリーさんへの想いにつながる。メリーさんの中に母を重ね援助し続けるのだ。

メリーさんが横浜にこだわったのは、人生で一番愛した米軍将校と別れた地だったから。この港町で待っていればいつかまた会えるんじゃないかって切なる願いがあったという。プライドが高くて一癖あった彼女は、白塗りをすることで自分の人生を演じ続ける。そうやっていないと、崩れてしまうほど孤独だったのかもしれない。

映画のラストシーン、横浜を去り、故郷の老人ホームに入ったメリーさんを元次郎さんが病躯を押して慰問に訪れる。「MyWay」と歌い上げる元次郎さんを見つめるメリーさんは白塗りではない。仮面を外して薄化粧になったメリーさんはとても美しい。燐としているところはまるで変わらない。再会を喜び合う二人の間にある深い絆。何も言わなくても心の痛みを知る者同士の信頼感が伝わってくる。それだけで、私の涙腺は大決壊だった…。

メリーさんも元次郎さんも今はこの世にいない…。
きっと二人とも、天国で穏やかに過ごしていそうだ。

映画監督の中村高寛さんが私よりも10歳程下の青年監督だということに驚いた。若い世代がこんな素敵な作品を作って、人生の素晴らしさを伝えてくれている。たくさんの人たちにこの映画を観て欲しいなって思った。