長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『育つ雑草』

2015年07月14日 23時14分10秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『育つ雑草』(2004年10月27日リリース UNIVERSAL SIGMA )

 『育つ雑草(そだつざっそう)』は、鬼束ちひろ(当時24歳)の11thシングル。ユニバーサルミュージックへの移籍後第1弾シングル。
 タイアップ企画のないシングル作品はデビューシングル『シャイン』(2000年)以来であり、鬼束によるセルフプロデュース作品となったのは、本作のみである。オリコンウィークリーチャート最高10位を記録した。

 鬼束は、10月27日の『育つ雑草』リリースと同時に、体調不良による年内の休養を発表。予定していた TV出演や雑誌インタビュー等も全てキャンセルし、事実上の活動休止期間に再び入った。翌2005年1月31日には、移籍したばかりの音楽事務所 Sony Music Artists とのマネジメント契約をわずか9ヶ月で終了している。
 後に2007年に行われたインタビューにおいて、鬼束は、「自分のペースでの創作と、アーティスト活動、世の中のペースが一致しない。」、「何か問題やトラブルがあった訳ではない。」、「もっともっと休む時間が必要だった。」と語っている。
 なお、休養期間を挟んで3年後にリリースされた4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年)には『育つ雑草』は収録されず、アルバムバージョンとして新録音された『 Rainman 』が収録された。


収録曲
作詞・作曲・プロデュース …… 鬼束 ちひろ

1、『育つ雑草』4分07秒
 かつての路線とは全く異なり、ピアノを排除し、ストリングスを起用した楽曲となっている。リリースに先立ち、2004年9月20日に東京・日比谷野外大音楽堂で開催されたライブイベント『 SWEET LOVE SHOWER 2004』にシークレットゲストとして出演した際には、かつてのナチュラルメイクに裸足といった印象から一変して、黒髪に真っ赤な口紅とブーツ、ミニスカートという、これまでになくロック色を強めた出で立ちで登場した。
 2004年7月のレコード会社移籍からリリースの10月までの約3ヶ月間と、制作期間が極端に短かったこともあってか、このシングルのみプロモーションビデオが全く制作されていない。
 音楽家の菊地成孔(なるよし)は自身のコラムにおいて、作品の世界観や歌唱法を宗教性と絡めて酷評した上で、本作を「完全迷走状態で面白い。」と断じている。

2、『 Rainman 』3分39秒
 初めて鬼束自身によるピアノ弾き語りを披露した楽曲で、全編英語詞である。録音の観点から見ると、オーバーダビングが施されている部分があり、ボーカルにエフェクト効果を持たせた楽曲としても本作が初めてだった。
 後に4thアルバム『 LAS VEGAS 』で、小林武史のプロデュースによるアルバムバージョンが新録音されている。


 きたきたきた! ついにこの曲のところまできちゃいました!! 伝説の秘曲『育つ雑草』。

 上述のような境遇であるため、この直後にリリースされた2作のベストアルバム(羽毛田プロデュース作品)にも、数年後にリリースされた小林武史プロデュースのアルバムにも収録されていないという悲劇の一曲です(カップリングの『 Rainman 』は小林プロデュース時代に新録収録)。いとかなし……

 この『育つ雑草』って、確かにまぁ傑作とは言い難い部分もあるのですが、もしかしたら、私がいちばん愛着のある作品かも知れません。「一番好き」でもないし、カラオケで好んで唄うってわけでもないのですが。

 まず個人的なことを話しますと、この『育つ雑草』がリリースされた2004年当時に私が受けた衝撃はかなりのものでした。
 その頃、私は音楽雑誌を読んでアーティストの動向をチェックするというほど音楽好きでもないものの、部屋にいる時はなんとなく『カウントダウンTV 』みたいな音楽番組はつけっぱなしにしておくし、ヒマな時は CD屋さんをほっつき歩いて新譜を眺めるという感じのゆるい生活を送っており、鬼束さんに関してはアルバムは3枚、シングルは直近の『私とワルツを』を持っていたか程度の注目具合だったのでした。
 それで、1年ぶりに新曲出したんだ~、みたいな感じで『育つ雑草』のジャケットを観てみたら、あの眉ぞりパンダ目のかんばせでしょ!? ビックラこきましたね~。
 しかも、上の記述でも言及されている日比谷野音のライブステージも TVで観たんですよね、確か。

 いや、もう鬼束さん、どうしちゃったの!? と。度肝を抜かれてしまったわけです。闇堕ちというか……それまでの鬼束さんの羽毛田プロデュース時代の作品群と比較してみたら、まさしく「堕天」ですよね。あのライブステージの、いっぱいの観客の異様な沈黙が忘れられない……

 あの時期に、『育つ雑草』という作品が生まれてしまった経緯は、前後の鬼束さんを取り巻く状況からも類推できそうですし、実際にご本人も何らかの媒体で語られているのかもしれませんが、それはそれとしまして、この記事では純粋に楽曲としてのシングル『育つ雑草』に収録された2曲から得られる雑感を、のんべんだらりとつぶやいていきたいと思います。別に鬼束さんの伝記を作るつもりもない個人ブログなんで、許してちょーよ!

 まず『育つ雑草』なのですが、私がなんでこの曲が好きなのかといいますと、歌詞の内容のどれ一つとして整合性の取れている文言がないという、この矛盾さ加減と、修飾がほぼない余裕のなさを非常に正直に作品にしてしまっていること! この、「今こんな感じ! おしまい!!」みたいな思い切りの良さにズキュウゥゥンと胸を射抜かれてしまうからなのです、何度聴いても!!

 「稼がなきゃならない」と現状への覚悟を持ちつつも「前へ前へと押されて行く」と不可抗力でやってますみたいな言い訳もするし、今の自分が「野良犬」のようだと分析していながらも「綺麗だと何度も言い聞かせて」生きている。「落ちるように浮き上がる」、「始まりも終わりもない」、「私はフリーで 少しもフリーじゃない」という矛盾に満ちた言葉を続けた上で、しまいには「よみがえり 再生するため 私は今 死んでいる」という極めつけの文句を宣言するわけなのです。キてるなぁ~!!
 この、「今 死んでいる」という言葉は、決して「死んだ」という完了形ではなくて現在進行形であるわけです。ということはつまり、たまたま今は死んでいるというだけなのであって、ある時期が来れば「よみがえり 再生する」フェイズに突入せんとする火種は、確かにこのハートに残しているゾというわけで、ここらへんの復活ありきの死生観は、この作品がなんだかんだ言いつつも、過去の羽毛田プロデュースからさほど変わっていない鬼束さんの宗教観に根ざしていることは明らかなのです。やっぱりここでも、鬼束さんは「 GOD'S CHILD」なのだ!

 ただ、これはキリスト教的というよりも、なんだか「舞踏とは 命がけで突っ立った 死体である」という、芸術家の業を感じさせるかの土方巽の至言を連想させるものがあります。
 若干24歳のみそらで、鬼束さんの身に降りかかった難業が一体いかほどのものだったのかは知る由もないのですが、「生活」と「芸術」だとか、「愛」と「エゴ」、「創造」と「破壊」といった様々ないとなみの板ばさみになった状況を素直にぶっちゃけたこの『育つ雑草』は、構図を計算しつくした絵画作品やアート写真のような美しさは全然ないかもしれませんが、ブレブレになりつつも被写体の「生きるためのあがき」を克明に記録した戦場写真のような稀少さがあると思うのです。これを「迷走状態」と言うのは、ちょっと違うと思います。正しいルートを走ることにこだわらずに全身汗みどろで、無明の闇を疾走しているのです。
 歌詞が幼稚だとかムチャクチャだとか評するのは簡単だとは思うのですが、そうやってこの作品をけなせるのは、人生で一度もテンパりまくって言動が幼稚になったり周囲に迷惑をかけたりしたことのない人だけですよ。うおっ、またキリストか!

 要するに、常に矛盾の中に生きていて、苦しみながらさまよっているのが人間。それを、決してスマートかつ耳障りの良いやり方ではないにしても、綺麗ごと一切なしできわめて正直な態度で提示した、まるで黙示録かお寺さまの地獄絵図のような歌。それこそが、この『育つ雑草』だと思うのです! だから、それを聞かされた日比谷野音のお客さんがたはお通夜のような静けさになってしまったのか……納得!!

 そういう意味で言えば、この『育つ雑草』は鬼束さん史上初の「仏教要素」が入ってきた作品なのかもしれませんね。人の世の不条理を、我が身の矛盾をありのままに受けとめよう、でもできない……そういったぐずぐずの状態をそのまんまお皿に乗せて提供してしまった『育つ雑草』は、日本歌謡界史上に残る「ドロドロ巨神兵」メニューなのです! 大好き。

 確か私、鬼束さんの『嵐ヶ丘』で特撮怪獣うんぬんの話をしたと思うのですが、この『育つ雑草』の意図的な醜さ、体裁の悪さは、おもに円谷プロの昭和ウルトラシリーズで定番の風物詩となっている、「着ぐるみくったくたの再生怪獣たち」のすがすがしいまでのカッコ悪さを彷彿とさせるものがあると思います。知らない人には伝わらないと思うのですが、『帰ってきたウルトラマン』の2代目ゼットンとか、『ウルトラマンA 』の2代目ムルチとか。扱いがひどすぎる!!
 その中でも、私は特に『ウルトラマンタロウ』における「改造巨大ヤプール率いる再生怪獣・超獣軍団」の生き恥のさらし具合を、この『育つ雑草』のテンションにオーバーラップさせずにはおられません。いや、ほめて言ってるんです! 信じてください山中隊員!!
 本人(本獣)の名誉のために付言しておきますと、その中でも見てくれは別として改造ベムスターだけはウルトラマンタロウをボッコボコにする大戦果を挙げているのですが、残りの改造サボテンダーと改造ベロクロンⅡ世、そして首魁の改造巨大ヤプールのダメダメっぷりは、大いに涙を誘うものがあります。たった1年前にはあんなにカッコいい強敵だったのに、なんであんな惨状に……それだけタロウと ZAT(とスーパー海野青年)が強すぎたというだけなのかもしれないのですが、この「一度死んだ者たち」の執着だけで再び立ち上がったボロボロのみにくさに、言い知れぬ感動をおぼえてしまうのです。え、私だけ!?

 特撮の話はいい加減にしておきまして、要するに私は、『育つ雑草』の整合の取れなさに、完成度の低さでなく、「見てくれにこだわらない覚悟」を、私は今死んでいると宣言する矛盾に、情緒の不安定さでなく「生を渇望する熱いエネルギー」を感じるのです。それが感じ取れるんだから、少々の声の細さなんか、どうでもいいじゃねぇか!? 誰に言っているんでしょうか。

 それにしても、かつてあの『 infection』にて「何とか上手く答えなくちゃ」とあがく主人公の舌に増えていくと唄われていた「雑草」そのものに、まさか主人公がメタモルフォーゼしてしまうとは。でも、これも決して退行や衰微などではないのです。生きることは、忘れること。生きることは、死を思うこと! 堕ちることを受け入れ、呑み込み、育てよ雑草!!

 さて、お次はカップリングの『 Rainman 』のシングルバージョンなのですが、こちらは『育つ雑草』からは一転して、ピアノの弾き語り形式というシンプルで落ち着いた曲になっています。
 ただ、だからといって『育つ雑草』とのバランスがとれていないという訳では決してなく、『育つ雑草』の状態から、ふと視線を窓の外にやったら『 Rainman 』が始まるみたいな、絶妙に肩の力のぬけた「緊張と緩和」がひと続きになった姉妹曲になっているのです。
 私は死んでいる! でも必ず生き返ってやる!! だけど今どうしたらいいのかわからない……と心の中でぐだぐだ煮こごっていても、地球は普通に回っているし、雨も静かに降り続けているのだなぁ、という諦念を身軽につづっている『 Rainman 』の存在は、『育つ雑草』の息苦しさに対する救いの一作でもあるし、『育つ雑草』に面食らって少なからず当惑する人もいるだろうしなぁ、という鬼束さんのまごころあふるる気遣いを強く感じさせるカップリング選曲になっているのです。くぅう~、ジャケットであんなにワルぶっておきながら、2曲目にこういう歌を入れてくれるんだもの、だから鬼束さんのこと、放っておけなくなっちゃうんだよなぁ!!(当時)

 こういう感じなので、一聴するとこの11th シングルは、かなりギリギリの制作期間に追われたために、不完全状態ながらもやむなく世に出されたという「望まれなくして生まれた忌み子」みたいな評価を受けがちな作品かと思うのですが、さすがそこは鬼束さん、シングル10枚にアルバム3枚を出しているプロの歌手の腕は錆びちゃいねぇと言いますか、その逼迫感を逆手にとって、『育つ雑草』と『 Rainman 』のニコイチでひとつの完全な作品にするという、シングル形式ならではの戦法を採ったのではないでしょうか。コンセプトアルバムならぬ、コンセプトシングル。

 だからこそ、『育つ雑草』単体は矛盾の塊ですし、それだけを抜き出して評価することにさほどの意味はないのです。『育つ雑草』と『 Rainman 』で、ひとつのメッセージ。こう考えれば、2010年の3rd ベストアルバム(にして初の本人公式ベストアルバム)まで長らく再録されていなかった理由もわかるのではないでしょうか。決して、『育つ雑草』の出来がよくないから冷遇されていたという訳ではないのです。それだけで独立した作品にはしなかった、ということなんですね。

 つまり、鬼束さんが『育つ雑草』で「もう必要もない あらゆる救済」と唄っておきながら、そのすぐ後の『 Rainman 』の中で自分に寄り添ってくれる Mr.Rainmanの存在を必要とし感謝しているのは、全く矛盾していることではないのです。だって、同じ一日の中でこんな風に感情が正反対になるのなんて、悩みながら生きている人間ならばごくごく当たり前のありさまではないでしょうか。そういう意味で、この2曲は互いを補完し合っているのです。

 とは言いましても、この『育つ雑草』のインパクトが世間に与えた影響は非常に大きかったようで、これ以降、鬼束さんは日本歌謡界の第一線のシーンからは別の界隈に身を移したような感があります。そういう意味で、この11th シングルは非常に大きな分水嶺になったのではないでしょうか。『育つ雑草』についてこられない方はここまで、みたいな。今でも、鬼束さんのファンになろうとするわこうど達にとっては、一種の踏み絵のような存在になっているのかも!? 鬼束さんの鬼子、『育つ雑草』!!

 でもものは考えようで、これをもって鬼束さんは、売れ線アーティストたちのひしめく、生き馬の目を抜くような果てしないレースから身を引くことができたのかもしれません。その後の鬼束さんのオンリーワンなご活躍をかんがみれば、これで良かったのかも知れず。人生、何がきっかけになるものなのか、わからないものですね。

 私も今後の人生の中で、幾度となく心身ともに打ちひしがれて、この『育つ雑草』が脳裏に鳴り響くトラブル、災難に見舞われることと思います。
 でもそのたびに、私の些細な問題なぞ比較にもならない大きさのプレッシャーに徒手空拳、ノドひとつで立ち向かった、24歳の鬼束さんの「日向かぼちゃ」な雄姿に勇気をもらうんだろうなぁ。

 鬼束さん、いつもありがとう! 感謝感激、rainy day!!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あえて考えてみよう!  辻... | トップ | 在りし日の名曲アルバム  ... »

コメントを投稿

すきなひとたち」カテゴリの最新記事