長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

さよなら細川先生 『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』 問題編

2011年01月18日 21時42分08秒 | 愛すべきおっさんがた
 どうもこんばんは、そうだいです。みなさん、毎日をエンジョイしてますか?
 なんだか、久しぶりの更新になってしまいました。ちょっとねぇ、最近、パソコンに向かえる時間が少なくなっちゃって。ケータイから更新するっていう器用なやり方もできないんですよ……
 どうにもやることが多いんだよなぁ、仕事の時間が増えたり、個人的な用事が立て続けにあったり。不動産屋さんにも顔を出さなきゃいけなかったりしてね。
 なんかほうぼうに行ったり来たりしてて、身体がヘトヘトになるほどってわけでもないんですけど、家に帰ったらすーぐに眠くなっちゃうもんで、ゆっくりとブログをつづる時間が作られなかったんです。ミョ~に充実したスケジュールだ。

 ということで、何日かぶりの『長岡京エイリアン』とあいなったのですが、私としては決してふれないわけにはいかない悲しいニュースが、14日に流れてしまいました。

livedoorニュースより
細川俊之さん、転倒死 70歳、急性硬膜下血腫
 クールな二枚目として舞台、映画などで活躍した俳優の細川俊之さんが14日午前5時24分、急性硬膜下血腫のため、都内の病院で急逝した。享年70歳。12日に自宅で転倒し、頭部を打撲したのが致命傷となる事故死だった。1995年に糖尿病を患い、2009年には脳内出血を患ったことを告白するなど、晩年は病気と闘いながらも精力的に活動していた。通夜・葬儀等は行わない予定だ。
 ニヒルな演技と独特の深みのある声で、比類なき存在感を放っていた細川さんが、不慮の事故で人生を終えた。
 細川さんは今月12日午後2時頃、都内にある自宅マンションの居間で転倒、頭部を打撲した。そのまま都内の病院に入院したが、打ち所が悪く、救急車で搬送された際には意識不明の状態だったという。そして、14日朝。急性硬膜下血腫のため、帰らぬ人となった。


 非常に、非常に残念なニュースでした。相変わらずTVを持っていない私なんですが、今回ばかりはTVがないことに感謝しますよ。TVのニュースが見られていたら、悲しすぎてふだんの生活にも影響がでてましたから。

 残念だ。おん歳70とはいえ、事故ですからね……
 ここ数年、トーク番組などでの細川さんのろれつがおかしい、という話題はよく身のまわりでも取りざたされていたのですが、それでも細川さんの低音の魅力は晩年まで健在だったと思います。
 実は、1995年に脳内出血のために入院していたという事実を最近になって告白していた細川さんだったのですが、そうなると、1980年代に生まれた私は、言葉の発声になんらかのハンディを持っていた細川さんのほうをむしろ「ふつうの細川さん」として認識していたことになります。
 でも、回復後の細川さんの美声は、そんな障害があったとは思えないくらいに、さらにみがきがかかったものになっていたとも私は記憶しています。1997年に放送されたNHK大河ドラマ『毛利元就』で演じた、西日本の覇者・大内義興の役などは、まさに天下人(言いすぎ?)の風格をそなえた義興にふさわしい堂々たるものでした。

 細川俊之、と聞くと、中村晃子さんとのデュエット曲『あまい囁き』(アラン=ドロンのカヴァー! さすがは細川さん)をすぐに思い起こされる方もおられるでしょうが、私の中の細川さんは、あの曲で練乳チューブぢか飲みレベルの「激あま日本語」を自由自在にあやつっていた細川さんとは、ちょっとちがう。

 私のイメージの細川俊之さんは、常に「日本語を発声する」という作業に慎重に、そして真剣に取り組んでいた俳優さんでした。いつも第一声の最初の母音の音程と入り方に全神経をそそいでいたような。
 細川さんほどの、誰もが聞き惚れるような美声の持ち主が、なぜそれほどまでに!?と、脳内出血の事実をまだ知らなかった私は当時からいぶかしんでいたのですが、それはやはり細川さんなりの、いつ言葉が出なくなるのかもわからないという切実さから生まれた覚悟のあらわれだったのでしょうか。私は知らず知らずのうちに、そんな細川さんのファンになってしまっていたのです。

 私が完全に俳優・細川俊之にメロメロになってしまったのは、かなり最近になってからのことなのですが、2002~03年に日本テレビ深夜に放送されていた伝説の異次元バラエティ番組『ブラックワイドショー 第三惑星放送協會』での軍人キャスター役と、2004年正月に放送されたNHK特別時代劇ドラマ『大友宗麟 心の王国を求めて』での大友宗麟の父・大友義鑑(よしあき)役でした。
 いや、それ以前にも映画『夜逃げ屋本舗2』でのハンパなくカッコイイ悪役などで充分ポ~っとなってはいたのですが、いわゆる「ろれつのあやしい細川さん」の要素がプラスされて、雰囲気&ろれつの「あやしさツープラトン攻撃」が炸裂したのは、まさにこの2000年代の2つの作品ででした。
 
 『ブラックバラエティ』での妖しさはすごかったなぁ。三浦理恵子さんのコスプレだの北朝鮮関連のZ級ゴシップだの「黒く、正しく、美し~く」だの、番組自体が頭からしっぽの先まであやしい雰囲気で息が詰まるほどだったんですが、その中にあって一歩もひけを取らなかった細川さんのあやしさは、細川さん以外のキャスティングでは番組そのものが成立しなかったのではないか、と思わせるまでのみなぎりまくりの存在感を発揮していました。ゴリゴリにあやしい!! また、DVD特典映像での近所散策している時のフリートークが、力が完全にぬけていていいんだなぁ~。

 『大友宗麟』は、1回しかやらなかった90分のスペシャルドラマなので大河ドラマほど有名ではないかもしれないのですが、「来年に平清盛をやらないほうのマツケン」こと松平健さんが主演した、非常にめずらしい「九州の戦国時代劇」です。当時、マツケンサンバでのりにのっていた健さんはもちろんのこと、大友宗麟の重臣にして九州最強の武将でもあった立花道雪(どうせつ)を演じた佐藤慶(もちろん大好きでした!)や、恋多き宗麟に愛された3人の女性を演じた財前直見、麻生祐未、宮本真希など、話題性やフレッシュさよりも実力を優先したすばらしいキャスティングが功を奏して、大河ドラマをゆうに超える高クオリティの作品に仕上がっていました。麻生祐未の笑い顔がこわすぎ!!
 そんな中で細川さんは、息子であるマツケン宗麟と愛憎あいなかばする関係にある父親にして、戦国時代初期の九州を代表する暴君的な戦国大名という役柄を凶暴に演じていました。ドラマの前半でそうそうに暗殺されてしまう大友義鑑だったのですが、「あの細川さんが凶暴なキャラを?」という意外性と、「細川さん、顔が濃すぎてちょんまげが絶望的に似合わない!」というヴィジュアルインパクトが大爆発したお仕事でしたね~。
 細川さんの顔立ちはほんとに「ノーブル」そのもので、『毛利元就』での烏帽子姿はこれ以上ないくらいに似合うのですが、『大友宗麟』での月代(さかやき 頭の前半分をそるちょんまげルック)姿は実に似合わない!! いかにもな「武人ルック」はそぐわないんですかねぇ。
 『毛利元就』での大内義興といい、同じ大河ドラマ『八代将軍吉宗』での6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)といい、職業上は「武士」であっても「貴人」の要素が強い人物を演じさせたら、細川さんは他の追随を許さない輝きをはなっていました。

 余談ですが、違うドラマとはいえ、「大内義興」と「大友義鑑」の両方を演じるとは……人物的な面でも地理的な関係でも、まさに「正反対に位置するライヴァル」だった2人をやっちゃったんだからね。さすがは細川俊之。「福岡県で生まれて山口県で育った」という経歴はダテじゃありません。

 さてさて、そんな感じで「存在そのものがあやしい美声のおじさん」というイメージを私の中でほしいままにしていた細川俊之さんだったわけなんですが、まずいちばん最初に私が「俳優・細川俊之」という存在を知ることになったファースト・コンタクト作品も、やはりTVでふと見た名作ドラマでした。
 これもね……い~いドラマだったんだよねぇ! 確実に「あっ、新しいブームがはじまる!」という予感をさせてくれるフレッシュさに満ち満ちた作品でした。

 それが! 1995年4月に日本テレビで放送されたスペシャルドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』だったのです。主演はご存じ、堂本剛! ハリガネもみあげがういういしい。
 これですよ。「子供向け」ミステリーマンガ『金田一少年の事件簿』の一連の大ブーム、すべてのはじまりとなった記念すべきこのパイロット版的単発ドラマに、あの細川さんもかなり重要な役柄で出演していたのです……存在自体がミステリー!

 いかん! 字数がかさんできちゃった。ということで、そんな細川さんのあやしさを最大限に活用したドラマ『学園七不思議殺人事件』の核心にせまってみるくだりは、また次回にさきのばしだ~。
 パローレ、パロレ、パロ~レ~。

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