代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

教育予算を削って国土狂尽化計画は守る財務省

2014年10月28日 | 政治経済(日本)
財政制度審議会会長の吉川洋氏は、東大時代に宇沢弘文先生のゼミの門下生であった。宇沢先生が生きておられたら、このニュースを聞いて烈火のごとく激怒されたことだろう。吉川洋氏は、未来を創るための教育予算は削り、安倍政権肝いりの国土狂尽化予算は守るのだろうか。宇沢先生の考えておられたことと真逆の行動である。これまで、宇沢先生の存在自体が、極端なことを平気で政策提言する経済学者にぎりぎりで歯止めをかけてきた。宇沢先生の存在というリミッターがかからなくなってしまった現在、暴走に歯止めをかけられるものはない。ああ・・・・。 . . . 本文を読む

拝啓 最高裁判事殿 これは著しい不合理ではないのですか? 

2014年10月26日 | 八ッ場ダム裁判
東京高裁は言う。国が公共事業を行って、自治体に請求書を突き付けた場合、多少不合理な点があっても、誰の目にも分かる甚だしい不合理でない限り、自治体は粛々と負担金を支払わねばならないのだと。この判決は二重に誤っている。① 八ッ場ダムの建設根拠は、小学生が見ても笑ってしまうような、全く合理性のない、誰の目にわかる誤ったものである。② 仮に、巧妙なトリックで不合理性が隠蔽されていたとしても、精査して不合理であることが明らかになれば、やはり負担金を払う必要などない。なぜなら、憲法で規定されている地方自治の本旨とは、地方自治体は国から独立して自らの意志で政策を決定できる対等な存在であることが原則だからである。 . . . 本文を読む

農産物貿易自由化と農民層分解と家族農業

2014年10月22日 | 自由貿易批判
戦後の農地改革後の日本農業の場合、「本家」の自作農地は皆が維持したまま、個人の自発性に基づいて都会への人口移動が起こりました。農産物を例外として扱っていたGATT体制のもとで、日本は「コメは一粒たりとも入れない」と輸入自由化を阻止したまま、ゆるやかに農村から都会への自発的な労働力移動が起こりました。中国やインド、メキシコなどで起こっていることは、WTO加盟やNATA加盟という「ショック療法」の中で、農民が強制的に世界市場競争の荒波の中に放り込まれ、強制的・強圧的な形で無理矢理に農民層分解が進行されているという事象です。 . . . 本文を読む

農家の視点では農業と工業の性質の違いは明らかである

2014年10月19日 | 自由貿易批判
 12434さんが、拙著『自由貿易神話解体新書 ―関税こそが雇用と食と環境を守る』(花伝社)の第3章と第4章の書評をコメント欄に寄稿してくださいました。再掲させていただきます。私が本の中で力説した農業と工業を一律に同じ基準で扱うことの愚に関して、農家の視点から見れば自明のことであるとして明快に論じてくださいました。ありがとうございました。 ****以下、12434さんの書評の引用***** h . . . 本文を読む

ブログをはじめてから10周年

2014年10月18日 | 政治経済(日本)
10年前に初めてブログに書いた記事を以下に再掲しておく。「市場原理主義と土建ケインジアンのアウフヘーベン」という私の基本的な考えは10年前と全く変わっていない。しかし、10年前と比べ客観的情勢には大きな変化があった。 当時、郵政は民営化されていなかった。私は、郵政を民営化せず、郵貯が国債を引き受けられる限りにおいて、日本国債は暴落しない。ゆえにコンクリートからエコロジカルな公共事業への転換を条件に積極財政をせよと訴えていた。 周知のように郵政は民営化され、いまは本当に国債暴落がいつ起こってもおかしくない危機的状況だと認識している。しかるに日本のマスコミは、財政余力があった当時「国債が暴落するから緊縮財政を実施せよ。財政赤字を30兆円以内にせよ」とわめき散らしていた。その同じマスコミが、年間45兆円もの財政赤字を出し、本当に国債暴落の危機にある現在にあって、日本を財政破たんに追い込みかねない狂気の国土強靭化計画を推進する側になっている。恐るべき無節操さである。この日本の惨状に、ただ天を仰いで慨嘆し、なお言葉を失うのみである。 10年前、私はまだ希望の光を信じていたし、危機を回避しながら日本を再生させる途はあると思っていた。しかし今は半ばあきらめている。いつ破たんしてもおかしくないし、いつ戦争になってもおかしくない。 . . . 本文を読む

再生可能エネルギー買い取り問題 ―これは技術で乗り越えられる

2014年10月17日 | エコロジカル・ニューディール政策
容量を越えなければ問題は起こらない。ならば、もっとも簡単な方法は、夏期のピーク時にはいくつかのソーラー発電所から送電網への接続を外せばよい。その期間は火力、バイオマス、水力などでカバーすればよいのである。 太陽光や風力の出力の不安定性は以前から言われていたから、多様な再生可能エネルギーを組み合わせて出力を安定化させ、IT技術や電気自動車の蓄電機能なども活用したスマートグリッドの必要性が唱えられていた。この危機は、技術開発のチャンスである。日本の優秀な技術力を示すチャンスなのに、腰砕けになっては、諸外国からの笑いものだろう。 これに乗じて再生可能エネルギーバッシングをしている人々は、結局、原発を再稼働させたいだけなのであろう。 . . . 本文を読む

「ブラック企業」と「ゆとり世代」言説なのはどちら?

2014年10月13日 | 教育
 以下の二つの言い方を比べてみよう。  「ゆとり世代の連中は根性がないもんだから、3年も経たずにすぐに離職する。それで会社のせいにするのは、「ゆとり」の連中が甘ったれだからだ」  「3年ももたずに離職せざるを得ないのは、心身ともに疲弊して若者を使い捨てにするブラック企業が増えたからだ」  どちらが言説だろう? . . . 本文を読む

経済苦・ブラックバイト・管理強化に退学

2014年10月13日 | 教育
文科省は、一方で退学者を減らせと要求しながら、他方では単位を厳格化しろ、予習・復習を義務づけよ・・・などと退学者が増えざるを得ないような要求ばかりしてくる。前期にほとんど単位を取れていない学生に面接していると、こんな例があった。「コンビニのバイト先でバイトのスタッフの取りまとめ役をしているので、人手が足りないと責任をとって自分がシフトに入らないとならない。どこの大学も試験期間がかぶるので、その時期は人手が足りなくなる。リーダーの自分が代わりにシフトに入らざるえを得ず、自分の試験を受けられなくなってしまった」。夜勤バイトで睡眠時間3時間というような学生に予習・復習などする時間があるかどうか。大学中退者をさらに増やすようなノルマばかり増やして何が面白いのだろう。 . . . 本文を読む

雲南省の天然林保護と山村生活

2014年10月10日 | 中国山村報告
中国政府の急進的な環境保全政策は、地域住民の生活を混乱させ、困窮化させる場合が多い。たとえば退耕還林政策では、人々が耕していた農地を林地に変えていくので、山村で暮らすことすら困難になっていく。退牧還草では、砂漠化対策として、放牧を禁止して草原に還していくので、牧民は生活の糧を奪われる。  今回調査したのは天然林保護政策。天然林保護政策では、自給目的以外の商業的伐採が禁止されるので、伐採を主要な収入にしていた山村住民は生活の糧を失い困窮することになる。 天然林保護を成功させるには、伐採禁止による収入の減少を代替する生業を育成すること、これが何よりも肝要になる。 . . . 本文を読む

これはダム問題を超えた憲法問題だ ―八ッ場ダム住民訴訟最高裁へ

2014年10月09日 | 八ッ場ダム裁判
「国の判断が合理的であるから、各都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのと、「国の判断が間違っていたとしても、都県はダムの負担金を納付しなければならない」というのとでは、全く意味合いが異なることがわかるであろう。  後者だとするならば、国の命令に地方自治体は服従を強いられるということになる。国と地方を上下関係で見ていることになり、「地方自治とは、国から独立し、自らの意思と責任の下でなされる自由主義的・地方分権的要素である」という憲法92条の理念である「地方自治の本旨」に反する。この違憲性は最高裁で争うことになる。 . . . 本文を読む

ダム建設推進のための過大水需要予測(東京新聞の記事紹介)

2014年10月07日 | 八ッ場ダム裁判
東京都の水需要予測はいつ見直されるのでしょうか? 皆さん次の選択肢の中から予想してみましょう。 ア、明らかに不合理だから、ただちに見直されるだろう。 イ、万が一に備えて多めに見積もっているのだから、今後も600万立方メートルという予測を維持するだろう。 ウ、八ッ場ダムの本体工事が完成するまでは今の水需要予測を維持し、完成後に見直されるだろう。 . . . 本文を読む

国土強靭化計画は国土を脆弱化させる

2014年10月05日 | エコロジカル・ニューディール政策
北小岩1丁目のスーパー堤防はわずか120mの区間で総費用で工事費が47億円かかる。単純計算で1mの堤防を整備するのに4000万円が必要なことになる。堤防というものは線としてつなげて意味があるのであって、120mの区間に「点」としての盛り土を行ったところで安全に寄与することはない。実際にはかえって危険な箇所を増やすだけだ。そんなお金があるのであれば、その100分の1の予算でできる堤防強化工事に取り組むべきなのだ。12kmの区間を整備できる計算になる。それだけで江戸川の安全性は飛躍的に向上するであろう。  最近ではスーパー堤防に反対するだけで、「安全を軽視する気か」とかひどいときには非国民扱いされたりする。しかし冷静になって、納税者としてよく考えていただきたい。47億円で120mの区間を整備するために、いやがる人々を無理やりに立ち退かせるのと、その47億円で誰も立ち退かせることなく12kmの区間の堤防を耐越水堤防へと強化するのと、どちらが安全のために有効な手段だろうか。 . . . 本文を読む

宇沢先生の業績は初期から晩年まで一貫している

2014年10月04日 | 新古典派経済学批判
60年代の宇沢先生が、ソローの新古典派成長モデルを発展させて、より現実的に、財を資本財と消費財の二部門に分けたモデルを構築したところ、成長経路の不安定性が示された。このときから、宇沢先生の社会的共通資本の理論への模索は始まっていたのである。宇沢先生は、均衡を信じていたし、現実の経済を均衡させたかった。その意味では宇沢先生はまぎれもない新古典派の経済学者である。しかし、すべての財の私的所有と市場機構を通じた配分、つまり万物に私的所有権を付与して、万物を商品化していくということを前提とする市場原理主義の経済システムは本来的に不安定であり、それを推し進めると市場不均衡(需給ギャップの拡大)と社会的不安定性(貧富の格差の拡大)がとめどなく進んでいく。では、現実の市場経済を均衡させるにはどうすればよいか。「万物の私有化・商品化」という市場原理主義から決別するしかない。 . . . 本文を読む

宇沢先生は「反経済学」ではなく「反市場原理主義」なのである

2014年10月04日 | 新古典派経済学批判
どうしても気になるのは田中秀臣氏による、「反経済学」というレッテル貼りである。宇沢先生は、「反自由放任主義」「反市場原理主義」ではあったが、もちろん「反経済学」ではない。経済学を愛するがゆえに、フリードマンの自由放任主義やルーカスの合理的期待形成仮説や、ラッファーのサプライサイド経済学などの誤った理論が許せなかっただけである。経済学を正常な姿に戻したかっただけである。 . . . 本文を読む